酒井隆史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
自分は、本書ではブルシット・ジョブとよばれるような仕事に就いている。普段の仕事自体は比較的ストレスなく進められているが、繁忙期で退勤時間が0時を回ったりする時に、「こんな時間までするほど価値があるような仕事ではないよな…」と思ってしまう。
ここでいう価値は「社会的な価値」と「自分にとっての価値」両方の意味を指す。自分の仕事はおもに調書作成で、上長に自分のした仕事を正しく伝えるために発生する仕事であり、それ自体に直接的な価値はない。
また、自分はお金を稼ぐために仕事をしているという意識が強くて、仕事それ自体にやりがいや価値はあまり感じられていない。
本書(というかグレーバーの著書)でのBSJの定義は、『完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある雇用の形態』と、邦訳にけっこう強い言葉を使っている。
自分は自分の仕事を無意味とも不必要とも、ましてや有害とは思っちゃいないが、自分みたいな感覚でいまいち納得できずに仕事している人は相当多いんじゃないかと思う。
資本主義が行き詰まりつつある今の社会に必要不可欠な本であると思った。
BSJは無能な上司や身勝手な経営層が生み出すと思われがちだが、極端な一部を除いてそうではないと思う。
徹底的な競争主義、数字至上主義が生み出した過剰な経営管理が仕事をつくっている。10の成果を生むために1の仕事をすればよかったところが、仕事を記録するための1、仕事を裏側から管理するための1、仕事をサポートするための1が足されていき、実際になされている仕事は4あるみたいなことが多々ある。こういったことが上司の理不尽な要求ではなく、会社のマニュアルとして行われている現状がある。
人は管理できうるものを管理したがるし、時間労働制の中では経営者は使用人をいかに効率的に使うかを考えてしまう。急進的に加速する資本主義からすこし距離を取り、あたらしい形を模索することが必要だと強く思う。
-
Posted by ブクログ
ネタバレやっと読み終わった、という感じ。だが、それに見合う本だった。世界の見方を変えてくれる本というのはそうそうあるものではないが、本書は自分にとってまさにそういった本の一つとなった。多分、何度か読み返してそのたびに考察のヒントを与えてくれそうな予感がする。
一般に流布している人類史の見方として、1 人間集団はその規模を拡大するにつれて複雑化するため、やがて集団を制御するための非生産階層が必要となり、その階層が集団を支配するようになる。2 規模の拡大につれて支配層が分厚くなり、ヒエラルキーの度合いが増大する。3 農業などのテクノロジーにより、規模拡大が加速し、ヒエラルキー形成が加速する、といったところがあると思うが、それらを裏付ける証拠は何もない、人類の発展はもっと多方向で自由なものであった、ということが趣旨と思われる。
人類はどうしても自分が一番可愛いものと見え、近年のビッグヒストリーに関する論説では、現在ある社会を前提としてそれをバックキャストして過去の社会を考える傾向にある。そうすると、社会は基本的に複雑化の階層を進む一直線な発展の仕方しかなく、過去のより小規模な社会は現在の社会に至る途中段階の一つという見方をされてしまい、現在を「プラスの到達点」と考えれば、過去の社会は「未開」ということになってしまう。あるいは現在を「マイナスの到達点(資本で堕落しているなど)」とすれば過去は「本来の人間性を持つ理想郷」になる。
だが現在の社会はあり得た到達点の一つにしかすぎず、過去の社会は人口の規模、農業の有無などに関係なく、自分たちにとって望ましい社会を試行錯誤しながら、時には複数の体制を行き来しながら社会を作り、壊し、移りゆきながら生きてきた、というのが本書の要点の一つと思われる。他のビッグヒストリーを扱う論評と異なり、多くの古代遺跡という物証をもってそれらが推察されている。そうだとすれば、現代社会のなんと画一的で非人間的なことか。「民主主義は最悪の政治形態である。これまでに存在したすべての政体を除いたとすれば」などと得々としていながら、実際には多くの可能性を自ら捨て去って「閉塞」していたわけだ。
思うに、これまでのような現代社会を「到達点」とみなす考え方は、自分可愛さということもあるが、キリスト教の影響(すなわち、西洋的な思考)も大きいのではないか。本書でもそのような感触の記載はあるが、一神教で神から選ばれた人類が世界の最高到達点である、という考えに立つと、それ以外の生物、および神に祝福されていない人類は、どうしても一直線のゴールに向かう途中段階とみなされるようになる。最高到達点の神に認められた人類からすれば、まさに「下等」というわけだ。予定説に従えばさらにその傾向は強まるはずで、意識しようとそうでなかろうと、神を頂点にする神聖さのヒエラルキー、という見方が強く影響した西洋文明が支配的になると、そうした歴史の見方に偏るのも無理はないと思う。
過去の人類が、規模や技術発展に関係なく、ヒエラルキーによらない相互扶助的で男女同権的な社会を築けていたとしたら、なぜ人類はそれを捨ててしまったのか。本書の範囲内ではまだ明確な結論は得られていない(これからの研究に待たなければならない)が、行き過ぎたケアリングが権力と結びつくなどのいくつかの可能性が示唆されており、考察しがいがある。
個人的には、人間が思考のリソースを節約する傾向を持つことも関連しないか、と思っている。社会の規模が大きくなりつつも自分で社会と積極的にかかわって社会を運営していくことが必要だと、どうしても考えるべきところが多くなり、思考が大変になる。そうしたときに、何かの理由で大規模な計画に大勢を動員するようなことが起こると、「誰かの指示に従うことによる思考リソースの節約」に味を占めるものも出てくるのではないか。いったんそれが定着すると、支配者と被支配者が共依存の関係になり固定化が進む、ということもあるように思う。
ちなみに個人的にはハラリ氏やダイアモンド氏の著作が大好きなので、彼らの論説がポップ人類史扱いされているのは少し悲しいが、それもやむなしと思うほどの圧倒的な説得力であった。 -
Posted by ブクログ
若干冗長に感じたところはあるけど、面白かった。特に最後の何章かがとても面白かった。
世の中のあり方に対する著者の姿勢に心を動かされた。
結局のところ、この本で一番私がグッと来たのは、意思の発露みたいなものだ。アナーキストっていうのはこういうことなのかなと。
本を読む楽しみというのはそういうことにある気がする。
ずっと、カタカナの何とかコンサルタントみたいな人がこんなに増えていて、しかも現場に対する意見が異常に抽象的で、人がわからないような英語が多く、ケアリングの場所においては何の役にも立っていないにも関わらずコンサルタントとして入ってきては結果を出せ結果をだせ(そして、ケアリングワークをしている人たちは何も結果を出していない)、と叫んでいるのをあたかも役に立っているように扱わなければいけないのはなぜかと考えていたけど、ずいぶん腑に落ちた。
6,7章はいわゆる現代のブルシットジョブがどのように発生してきたか、対極(というか見えないところに配置されている)ケアリングワーク(エッセンシャルワーク)との関係を示していて、大変興味深い。
解決法としてUBIが挙げられている。
ただ、事例についてのところはちょっときつかった。
自分がブルシットではないと思っている仕事(人の役に立っていると思うもの)が、ブルシットというふうに感じる人もいるのだなと思うのは、ちょっとショックだった。
同様に、私がブルシットだと思っていても、当事者はそう思っていないかもしれないのかなと思うとちょっと切ない気持ちがした。
-
Posted by ブクログ
ブルシット・ジョブそのものを読んでないのだが(価格で二の足を踏んでいた)、その概要がとてもわかり易く説明されていた。
全く関係ないのだが、この概念の理解と共感にとても役に立った概念が『科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日記』の「人間病」と称された概念で、なんというか、学びというのはリレーショナルなんだなと改めて思った。
過剰な自律であり、分不相応な自己抑制であり、良く在ろうとするご気分と、良く在るべきだという社会的な同調圧が、ブルシット・ジョブを生んでいる。
そこで語られる「良さ」が本当に「良さ」なのか、誰も議論されず、誰からも疑われぬままに。
-
Posted by ブクログ
考古学者と人類学者の共著のビッグヒストリー系なんだけど、ハラリやダイアモンドが前提としていることを否定する。
ビッグヒストリーを書いてきた思想家はルソーとホッブズとの考えの間を行ったり来たりしてきたが、どちらも真実ではない。古代の人や未開の人は我々が思っているような未熟な人ではなく我々と同様に思索する人々だった。アメリカ先住民は西洋を批判していて、ヨーロッパ人は彼らから多くのことを学んでいた。社会的不平等に起源があると考えるが、それは農耕によって不可避的にもたらされたものではない。本当に問題にすべきは社会的不平等の起源が何かではなく、どうして閉塞したかにある。人類はそれまで様々な社会組織の間を往復しヒエラルキーを築いては解体してきた。新石器時代の農耕は長い時間をかけて進化しており、革命と呼びうるものではなかった。戦国時代の小氷期がアメリカ先住民の人口減少によるものである可能性。文化は他集団との違いを強調するためのもので、これが閉塞の一つの条件。ヒエラルキーの痕跡のない都市や共同体。現代の国民国家が決して自明のものではないこと。
翻訳者も凄い、これだけ専門性高いものを読みやすく訳して。 -
Posted by ブクログ
本文だけで二段組約600頁の大著、しかもその内容が帯によれば、「考古学、人類学の画期的研究成果に基づく新・真・世界史!」というのだから凄い。
人類史20万年で分かっていることはごくわずか。しかし現実にはルソーの『人間不平等起源論』かホッブスの『リヴァイアサン』で示された発想の二者択一で、それをアップデートしたものが語られているに過ぎないと著者たちは言う。例えば、農耕の発明により「バンド」から「部族」へ、さらに「首長制」→国家へであったり、狩猟採集、牧畜、農業、工業といった生産様式の変化などなど。ベストセラーらとなったビッグ・ヒストリーの著者たち(自分も大変面白く読んだ)、ハラリ、ダイアモンド、ピンカー等も、これまでの常識に安住しているとして批判される。
17世紀末のアメリカ先住民の哲学者=政治家カンディアロンクによる当時のヨーロッパ社会に対する批判の紹介から始まり、トルコの前9000年頃からの遺跡ギョベクリ・テぺ、前1600年頃にアメリカの狩猟採集民により建造され、商品文化の痕跡のないポヴァティ・ポイント、前100年頃から後600年頃まで存続し、多くの絵画芸術が残り、また居住用アパートメントが作られたメソアメリカのテオティワカンなど、これまで聞いたことのない考古学的遺跡から分かってきたこと、また素朴で単純な未開人といったものではなく、高度な政治や外交が行われ、また”所有”に関する考え方がそもそもローマ法やロック流のものではない別の在り方があったことが明らかにされていく。
これまで常識とされてきた社会の拡大、国家の成立、支配と被支配といったことに関して、別の人間社会の在り方があったことを最新の証拠によって明らかにするとともに、今後もあり得ることを著者たちは強く主張する。訳の功績でもあろうが、著者たちの主張は明晰で論理展開は分かりやす。ただ、あまりに膨大でこれまで知らなかった情報が次から次へと出てくるので、その内容を消化するだけでも一苦労だ。しかし、既成観念を打ち壊されるのはある意味快感である。
40ページ以上の訳者あとがきがあるのも、膨大な本書のエッセンスを解説してくれるものとして、とても参考になりありがたい。 -
Posted by ブクログ
ブルシット・ジョブ論の紹介で知られる酒井隆史さんの評論集。様々な話題が扱われるが、柱となるのは、「ポピュリズム批判」批判だ。つまり、本来ポピュリズムには、知と権力とが結びついた、エリート主義への批判という意味があった。これを単に「反知性主義」と批判するだけでは、結局はやエリートによる支配を肯定してしまい、現状肯定で終わってしまう、と。
とはいえ、ポピュリズムは結局、ヒーロー待望論で終わってしまうなどの問題がある。なので筆者は、民主主義を深化させるしかない、と結論付ける。
となると、なかなか難しそうだが、その手掛かりはいくつかあるとのこと。たとえば、2015年の大阪都構想住民投票。あの時、大阪市のあちこちでは、住民たちが都構想を話題にし、手製のビラが撒かれていた。これは、現場にいないと分からない経験だったが、自分たちの未来を真剣に考えていた、と筆者は言う。こういう個々の経験をどう膨らませていくかを、本書は問いかけている。 -
Posted by ブクログ
the・浪花な下巻。第四章の主役は逸見直造、第五章の舞台は飛田。
第四章がかなり面白い。借家人同盟という、貸家人の横暴に対して法律(の皮を被ったいちゃもん)でたち向かった集団の中心人物、逸見直造の一代記。家賃値上がりの今、こんな集団の再結成があってもいい。
因みに逸見は「いつみ」ではなく「へんみ」と読む。「いつみ」政孝さんも浪花・阿倍野の生まれである。
第五章は「㊙️色情メス市場」という日活ロマンポルノを深掘りした所が特にいい。
著者はてんしば(天王寺公園の一部)に代表される天王寺・阿倍野エリアの再開発によって、所謂「ディープサウス」が後退するのを惜しむ。著者はディープサウスに移り住んで来た人だが、同じ移住者でも再開発を歓迎する意見もある。ここで生まれ育った人達はどう感じているのだろう。これから先はフィールドワークかな。
ジュンク堂書店近鉄あべのハルカス店にて購入。 -
Posted by ブクログ
朝の通勤電車は今日も人であふれる。眠そうな顔、スマートフォンを見つめる目、資料に赤を入れる手。皆、どこかへ向かい、何かを支えているように見える。だが、その仕事は本当に社会に必要なのだろうか、とふと思うことがある。
人類学者 (デビッド・グレーバー)は著書『(ブルシット・ジョブ)』で、働く本人でさえ「なくても誰も困らない」と感じる仕事が少なくないと指摘した。機械化が進めば労働時間は減り、人はもっと自由になる――そんな未来予想図は外れた。むしろ会議のための会議、報告のための報告が増えた。
忙しさは、しばしば充実と混同される。だが、埋まった予定表が人生の豊かさを保証するわけではない。働くことが目的化したとき、人は静かに疲弊する。
庭木を剪定すると、不要な枝を払うだけで風が通り、木は息を吹き返すという。社会もまた同じかもしれない。本当に必要なものを残し、余計なものを削ぐ。その先に、人が人らしく働ける風景がある。 -
Posted by ブクログ
働いていることが善、働くことでお金を稼いでいることが善という認識がこびりついているため、いくら機械やAIに仕事が奪われても人間は何らかの仕事をしないといけない、そのためにブルシットジョブ(意味のない仕事)が生み出されているのだという話。
お金がないと生きられない、働く以外にお金を稼ぐ方法がないことが全ての問題ですね。ただ、私は上手くブルシットジョブを掴めた人に羨ましいの感情以外ない。「ブルシットジョブをしている人はリアルジョブをしている人を羨ましいと思っている」というような記述が何度も出てきたが、「でも俺にはあれはできない」と思ってる人も同じくらい多いと思う。
労働とお金を稼ぐことが同じ意味でなくなればいい。仕事の種類が給料の金額でなく「自分が生きながら何をしたいか」で選べるようになる。やっぱベーシックインカムってありよなぁ。労働が強制でなくなれば、生まれてきてよかったとも思えるかも。
一番胸が苦しくなったのは、p.319の「わたしたちは仕事に生活が侵食されているために、短い時間でできる娯楽、つまりお金を使った消費でしか快楽を得られない」という旨の記述。そうなのよね。お金を使うことが唯一の息抜きで、また働き、またお金を使いわずかな息抜きをする……その繰り返しが資本主義社会の人生。
よく「家事労働は給料に換算するといくら」みたいな論争が上がるが、給料に換算することでしか労働の価値を語れなくなっているってやばいね。 -
Posted by ブクログ
一見すると流行りの新書本のようなタイトルだが、その中身は、しっかりとした経済学・社会学の論考である。中盤、ネオリベラリズムとの関係に及ぶと専門性は増していくが、一つ一つ丁寧に読み解いていけば、その大まかな趣旨は理解することができる。
経済学者ケインズ曰く、
「20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成される」。
しかし、現実はそうはならなかった。
ほとんどの産業では供給が需要をはるかに上回っていて、それゆえ、需要が人工的につくりだされる。その歪みの中には、多くの「ブルシット・ジョブ」が存在している。
また、たとえ大半が不必要な仕事であっても、週に一度、あるいは月に数回は「どうしてもその人がいなければならない瞬間」がある。本来ならそのタスクがある時だけ働けばいいはずなのに、現代社会はそこに「1日8時間、週5日」といった「時間指向」の労働形態を無理に押し付けようとする。ここに、あらゆる仕事がブルシット化していく強力な圧力が生じている。
労働形態が「タスク指向(やることが終われば終わり)」から「時間指向(決められた時間を労働で埋める)」へと変化したこと。これこそが、「たとえするべきことがなくても、人間はいつも働いていなければならない」「仕事をでっちあげてでも時間を埋めなければならない」という現代の奇妙なブルシット・ジョブへと繋がっている。
そして私たちがこのブルシット・ジョブの沼から抜け出せない根本には、
「労働は人間に与えられた罪であり、同時にそれ自体がモラル上の価値である」
という、根深い倫理観が巣食っている。
***
最終章では、この悪循環を断ち切る処方箋としてベーシックインカムの可能性が提示されるが、本書を読み終えた今、私の中に残るのは「資本主義そのものが、もう限界を迎えているのではないか」ということ。
労働運動が、「労働時間の短縮や人間の自由」ではなく、「賃金や保障の向上」を訴えるようになった。思えば、そのパラダイムシフトが起きた時点で、私たちはすでに引き返せないところまで来てしまっていたのかもしれない。