あらすじ
誰も見ない書類をひたすら作成するだけの仕事、無意味な仕事を増やすだけの上司、偉い人の虚栄心を満たすためだけの秘書、嘘を嘘で塗り固めた広告、価値がないとわかっている商品を広める広報……私たちはなぜ「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」に苦しみ続けるのか? なぜブルシット・ジョブは増え続けるのか? なぜブルシット・ジョブは高給で、社会的価値の高い仕事ほど報酬が低いのか? 世界的ベストセラー、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』の訳者による本格講義!
【目次】
第0講 「クソどうでもいい仕事」の発見
第1講 ブルシット・ジョブの宇宙
第2講 ブルシット・ジョブってなんだろう?
第3講 ブルシット・ジョブはなぜ苦しいのか?
第4講 資本主義と「仕事のための仕事」
第5講 ネオリベラリズムと官僚制
第6講 ブルシット・ジョブが増殖する構造
第7講 「エッセンシャル・ワークの逆説」について
第8講 ブルシット・ジョブとベーシックインカム
おわりに わたしたちには「想像力」がある
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久松達央著『農家はもっと減っていい』で知ったブルシット・ジョブ(BSJ)。グレーバーが著した原典ではなく、まずは解説書を手に取った。ケインズが予言した週15時間労働が、最新技術を駆使すれば可能なのに、BSJがそれを妨げている。社会的価値と市場価値の反比例は衝撃的だ。エッセンシャルワークが過酷で低所得という理由もBSJ論で説明されている。ベーシック・インカムも、本書を読む前はその在り方に疑問があったが、BSJをなくすためには必要なのかも知れないと思えてきた。
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ブルシット・ジョブそのものを読んでないのだが(価格で二の足を踏んでいた)、その概要がとてもわかり易く説明されていた。
全く関係ないのだが、この概念の理解と共感にとても役に立った概念が『科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日記』の「人間病」と称された概念で、なんというか、学びというのはリレーショナルなんだなと改めて思った。
過剰な自律であり、分不相応な自己抑制であり、良く在ろうとするご気分と、良く在るべきだという社会的な同調圧が、ブルシット・ジョブを生んでいる。
そこで語られる「良さ」が本当に「良さ」なのか、誰も議論されず、誰からも疑われぬままに。
Posted by ブクログ
『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』酒井隆史著
前々から介護や教育など、人を支えるエッセンシャルワーカーの給料が低く、ITなどホワイトカラーが高いことに違和感はあった。管理職など、無駄な仕事を生む仕事。自分の精神を殺しながらの仕事。その裏には醸成された仕事には価値がある、教育やケアはやりがいがあるという思想が生み出されている。正直この思想に動かされて、働くのは合わないのに働いて精神を病んだとも言えると感じている。相互にケアし健康で豊かで、不安や恐怖・ストレスから解放される未来は来るのだろうか。その一助をグレバーから学ぶことができる。
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自分は、本書ではブルシット・ジョブとよばれるような仕事に就いている。普段の仕事自体は比較的ストレスなく進められているが、繁忙期で退勤時間が0時を回ったりする時に、「こんな時間までするほど価値があるような仕事ではないよな…」と思ってしまう。
ここでいう価値は「社会的な価値」と「自分にとっての価値」両方の意味を指す。自分の仕事はおもに調書作成で、上長に自分のした仕事を正しく伝えるために発生する仕事であり、それ自体に直接的な価値はない。
また、自分はお金を稼ぐために仕事をしているという意識が強くて、仕事それ自体にやりがいや価値はあまり感じられていない。
本書(というかグレーバーの著書)でのBSJの定義は、『完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある雇用の形態』と、邦訳にけっこう強い言葉を使っている。
自分は自分の仕事を無意味とも不必要とも、ましてや有害とは思っちゃいないが、自分みたいな感覚でいまいち納得できずに仕事している人は相当多いんじゃないかと思う。
資本主義が行き詰まりつつある今の社会に必要不可欠な本であると思った。
BSJは無能な上司や身勝手な経営層が生み出すと思われがちだが、極端な一部を除いてそうではないと思う。
徹底的な競争主義、数字至上主義が生み出した過剰な経営管理が仕事をつくっている。10の成果を生むために1の仕事をすればよかったところが、仕事を記録するための1、仕事を裏側から管理するための1、仕事をサポートするための1が足されていき、実際になされている仕事は4あるみたいなことが多々ある。こういったことが上司の理不尽な要求ではなく、会社のマニュアルとして行われている現状がある。
人は管理できうるものを管理したがるし、時間労働制の中では経営者は使用人をいかに効率的に使うかを考えてしまう。急進的に加速する資本主義からすこし距離を取り、あたらしい形を模索することが必要だと強く思う。
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デヴィッド・グレーバー氏の「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の論理」を訳し、またグレーバー氏の著作の多くを翻訳しておられる酒井隆史さんの著作。
真面目に仕事をやっている多くの方々のために、この世界を本当に見直す道を探る本。ふざけたタイトルからは信じられない程の説得力を持ったグレーバー氏の原作をその思想の本質を掴み出しながら教えてくれる。
とにかく分かりやすい。
勢いに乗ってオリジナルも読んでみるか。
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グレーバーの『ブルシット・ジョブ』の訳者による解説本。『ブルシット・ジョブ』は大作で読むのに時間を要するが、手軽に新書で学べると思い手に取った。
まさに、自分の身の回りは「ブルシット・ジョブ」に溢れている。役員が一瞬目を通すための資料作成とか、無駄な根回しとか、仕事のための仕事が量産されている。また、やたらに新しい社内ルールを作ることを好む人もいる。ルールを関係者に説明したり、運用する側はそれなりに汗をかくものだが、そこへの配慮が無かったりする(失笑)。
本書後半で、上位役職者が報酬を受け取るごとに、チーム全体では相当な労務と生産性低下が生じる事例が紹介されている。下位のスタッフほど、事業(社会)を継続させる「エッセンシャルワーカー」なのだが、給料は低いもの。自組織に当てはめると、具体的な顔が思い浮かんでしまう。
また、コンサルを入れて組織ルールを変革しようと試み、全体が疲弊した事例も身近にある。
目に見える組織のヒエラルキーを維持しようという過度な意識が働き、無駄なプロセスを踏んでしまいがち。私も直ぐには逃げられない(容易に転職できない)ゲームの中にいるが、上司から指摘されてでも、最低限の手間で進めようと思う。
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この言葉を初めて知りました。
傍から見てプレッシャーもなく羨ましいなと思っていても、もしかすると当事者の心は蝕まれているのかもしれないことを知りました。
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『ブルシットジョブ仕事の理論』の訳者が、ブルシットジョブについて端的に分かりやすく解説している。
原作より平易でとっつきやすい内容となっているそうだが、かなり読み応えがある。
▪︎みずからが原因となる喜びや、世界に影響を与えることは自己の源泉となる。
それができないことは自己の危機であるためブルシットジョブは精神的暴力である。
幼少期のいないいないばあやごっこ遊びは、本能的に私達が自らのパワーを行使したいと願っていることを体現している。
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まず、ちょっと勘違いがあった。仕事の中での無意味な作業を指しているのかと思って読み始めたが、職業というか職種そのものの話しだった。
無意味な仕事が発生する原因について、いくつかあげていたが、時間給というか、雇った人の時間に対して対価を払うという考え方が、この無意味な仕事の発生源というのはなるほどと思った。要するに、お金を払うならなんかやらせないともったいない。
自身がコンサルタントを名乗っており、まさにこのブルシットジョブに当たる。
あと、人は、楽して儲けるというか、働くふりをしてお金を儲けることに本能的な忌避感があり、それを続けることで、病んでいくというのも、今の社会に鬱といったものがあることにもつながるのでは。
また、作業の生産性について、よく日本が低いと言われているが、程度の問題こそあれ、海外でも発生しており、生産性なんていう尺度もあまり意味がなさそう。
いわゆるエッセンシャルワークのほうがブルシットジョブよりも給与が低い傾向についての分析では、価値の低い仕事をしている人びとの嫉妬が一因になっているというのはそういうこともあるかもだが、ちょっとやっぱり海外も同じというところに意外な感じがした。
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やりがいを見失った時、自分のやってることがブルシットジョブになるんじゃないかなと思った。
何のためか、何に向かっていてそのうち自分はどこにいるのか、が分からなくなると、自分で仕事を見つけられなくなって、手持ち無沙汰だけど世間体気にしてとりあえず手を動かしてやってるフリをする。
それがブルシットジョブなんじゃないかなと思ったし、バイトでしょっちゅうやってた。だから、これからも十分起こりうる。
この仕事は何のためなのか、誰のためなのか、という問いの答えが「やりがい」だと思う。この問いを常に問いながら仕事をしようと思う。何のために(目的)はなるべく具体的に、段階的に考えたいと思う。
個人的には、「この」「あの」の指示語とそれが指すものの間に別の文節が入っていることが多く、指示語の指す内容がどれか分かりづらい印象だった。
Posted by ブクログ
最初はブームに乗っかったのかと思っていたが、そうではなくて訳者が大部で何を言いたいかわかりにくいところがあるというよくある洋書の欠点を踏まえて広く読まれるようにと書いたダイジェストと解説という感じ。空気を読むって日本固有の文化と思いがちだがそうではないといった話は日本人だからできるし、洋書に日本人の解説挟むのはメリットデメリットありそうだけどいいことだと思う。ネオリベラリズムが官僚制と背反するどころかむしろ招くものだとか、経営封建制とかは原著を越えた解説なのかな。
最後で初めて知ったが原著者は59歳にして亡くなってしまったらしい。それはかなり残念。
Posted by ブクログ
『ブルシット・ジョブ』サイズで酒井隆史が新書サイズでまとめた感じ
そもそもグレーバーの段階で、どれをブルシット・ジョブにするのかの論証はこれでいいんか?という感じはあった
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ビジネス書だから読み砕く必要はあるけど、良かった。自分の仕事に意味があるのか、女性の再生産など考えることはたくさんあるけど、仕事は苦行なんだと再認識。
Posted by ブクログ
日本社会における子どもへの不信は強力で、放置するとろくなことが起きないから部活や校則、勉強で縛るという発想こそ、ブルシットジョブにつながるものである。
また、こうした考えこそ、「死ぬほど働いていないと人間的に正しくない」というような発想に繋がり、足を引っ張り合い、「公務員がタバコ休憩している」というようなバッシングへつながってしまう。
ブルシットジョブの淘汰という意味においても、ベーシックインカムは一考の価値がある。
Posted by ブクログ
「ブルシット・ジョブ」を読む前に読んでしまった。本書に書かれていることは会社や社会の中で現れまくってしまっている…コロナ禍の「経済」再開はブルシットジョブをどんどん動かしていくことでもある。それならそんな「経済」眠ってもらったままでもいいのでは…
Posted by ブクログ
原作と間違えて読んだが、引用文の文体が疲れそうだったので良かったかもしれない
3、4章が面白かった
外国は空気読まなくていい、過程は気にしない
はただの噂なんだなと
効率化しようとして逆に作業が煩雑になる
仕事そのものに価値があるんだから給料高くなくていいやろ!
自由は他人に強要されると苦痛になる
そもそも人間って時間で管理するよりバーッとやってバーッと休むほうがいいんよ、中世みたいに←『限りある時間の〜』に繋がると思った
後半はマルクスやらアナキズムやら知らんときつかった
こういう系の本読むには経済の基礎知識ないとダメっすね
Posted by ブクログ
自らが労働生活を統制することができれば、必要に応じて激しく働くときと、そうでもないときとが繰り返される。
現代的な、時間や日や年等、自分以外に統制された労働では、その時間内の労働力を求められる。その時間の過ごし方のイニシアチブは賃金を出す側にある。管理する側からすれば、金で買った労働力にブラブラしてほしくはない。何をさせようか。
Posted by ブクログ
もっとコンパクトにまとめられそうではある
半分くらいしか頭に入らず
まとめはメモ参照
エッセンシャルワークが低い理由が悲しいけど納得感あったなあ
Posted by ブクログ
人類学者デヴィッドクレーバーが書いた「ブルシットジョブ」という本を翻訳した訳者の一人が書いた本。原著をより分かりやすくしたとのことだけれど、それでも正直難しかった。
19世紀ごろ、未来は4時間労働かつ週4勤務になると描かれていたのに、そうなっていないし、むしろ人々は働きすぎて押しつぶされている。それは、「不要な仕事」があるからでは?という問題意識から考え始めた本。
ブルシットジョブの分類や変遷、ではどうすれば?みたいなことが書かれていた。
でも結局は「働く」って何だろうみたいなところに戻ってくるような気がした。仕事が社会的に価値を持っている、人間は何か仕事を与えられないとどんどん怠ける生き物、この前提を見直すことも必要なのかな、と思ったり。
以下メモ
ブルシットジョブ:被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど完璧に無意味で不必要で有害である雇用の形態。とはいえ、その雇用条件の一環として、被雇用者はそうでないととりつくろわなければならないと感じている。(働いているフリをしないといけない)
分類:
①取り巻き(腰巾着的な)
②脅し屋(その仕事が脅迫的な要素を持っている 例:企業弁護士、広報専門家)
③尻ぬぐい(組織の中に欠陥 例:無能な上司 があるためその仕事が存在する)
④書類穴埋め人(例:ケアホームの職員が利用者と面談し、利用者の意向調査票を作成する。が、その書類は保存されるだけで使われることはない)
⑤タスクマスター(不要な上司、不要な仕事を作り出す上司)
前提として、仕事は何かの役に立つ、社会的価値があるという価値観があり、ブルシットジョブをしている人は、その無目的な仕事、仕事をしているフリをしなければならない無意味さに苦しさを感じる。
ただ、それは他人からはぜいたくな悩みに思われる。
(いい給料をもらっているんだから、それくらい我慢しなよ、的な)
なぜ、雇用側はブルシットジョブをやらせようとするのか
資本家は労働者を自由にさせない、管理したい賃金労働制。(お前の時間はオレのもの)例えすることがなくても、働いていないといけない。そのための、仕事のための仕事。
ネオリベラリズム(新自由主義:国ではなく民間の市場原理に任せる)は会計文化、格付け文化でブルシットジョブを増やしている。
必要な労働とは⇒エッセンシャルワーカー
だけどエッセンシャルワーカーは割に合わない仕事。社会的価値と市場価値が乖離している。有用な仕事をしている人への反感。(やりがいがあるんだから給料くらい我慢しろよ、的な)
どうすればブルシットジョブから脱出できるか
⇒普遍的ベーシックインカム:所得の高低にかかわらず、無条件に所得保障を行う。
十分に生活可能なだけの所得保障が与えられるなら、BSJは誰もやりたがらず賃金率が上がる。すると経営者はそこに人をあてがうのではなく、自動化を目指す。
一方で、エッセンシャルワークの賃金はゼロまで低下する。ベーシックインカムが基本的ニーズを供給しているなら人は無償でもそれを行う。市場化されていた多くの生産やサービスは人々が自由な時間で行う活動で行われる。
最後のベーシックインカムの話は、ちょっとイメージ難しい世界観だった。そんなにうまくいくのかな?と思ったり。
Posted by ブクログ
分野、業種、業界、風土、風俗、全ての組織には、本著が述べている「無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)」は昔から存在している。資本主義の考えが入り、近代的で誰もが生産性を追求するように時代が動き、より顕となった。未来においても存在しているだろう。
こうして、私たちは現代文明という資本主義の恩恵を意識せずとも受けている。そうした競争社会では様々な職種や働き方が増えている。今までもこれからも未来でも数年後先に新しい仕事が存在して、今までの仕事は消えていくのが繰り返されていくのだろう。
私たちは、文明に生物として追いついていない。
無駄な仕事は確かに存在し、組織の癌となり、組織から会社、国、世界に至るまで冒されていく。私たちは「なぜその無駄な仕事」を組織(全ての)は放置しているのか、なぜ改善しないのか、疑問を持ち、働きかける必要があるだろう。
個人で会社や国や社会全体をいっぺんに全てを変えることは不可能だ。だが、時代の全体を見ながら少しづつ改善して前に進むことは個人でも可能だ。
意識が変われば行動が変わるのだ。
Posted by ブクログ
グレーバーの著書を説明したものなので、筆者の解釈込みで読んでいる制約があることを意識して読んだ。
ケアを含むエッセンシャルワークの価値を、愛や心情に結びつけて価格化しづらい社会環境について、また、いかに管理が管理を呼び、本当はなくても良い仕事を生み出しているのか、改めて感じた。
津野さんのパワハラ上司を科学すると併せて、管理職以上の人は一度読むと良いと思う。多くの若手がどうでもいい書類に追われて疲れてしまっていることにも目を向けられるのでは。
一つ一つの文章に疑問を挟もうとするのではなく、俯瞰して読むと良い本。まぁどんな本でもそうかもしれないけど。
Posted by ブクログ
個々の事象、クソどうでもいい仕事が精神を蝕むとか、ベーシックインカムの話とか、ネオリベラリズムとかの話はわかりみが深かった。しかし、全体的に理解が難しく、結局何が書いてある本かわからなかった。
Posted by ブクログ
結構難しく、理解したとは言い難い。私の産休前の職場も、高給ではないが同じ仕事と比べると少し高めの、ブルシット・ジョブだったな。1日の仕事が最初の30分で終了するような日も多かったし。その前の職場では業種そのものがブルシットで、働きながらこの作業に何の意味が?と思っていた。ベーシック・インカムで解決とはさすがにいかないまでも、エッセンシャルワークの賃金は上がってほしい。本当にやりがいがあって高給な仕事は存在するのだろうか。
Posted by ブクログ
賃金労働に対して過度に期待しないようになるという気が楽になる部分もありつつ、社会的な必要度合いや働く人間の満足度合いと対価は必ずしも釣り合わない仕組みを知ってしまう虚しさがある
Posted by ブクログ
ブルシット・ジョブという問題提起は随分前から気になっていたが、原文のグレーバーのものは量も凄いし、価格も高いので放置してきたが、訳者の一人が安価な入門書的な本書を出してくれたのでとりあえず読んでみた。
正直、ブルシット・ジョブは社会人なら薄々は気づいていた問題意識である。なんか「⚫︎⚫︎マネージャー」という肩書きの人多いなとか、何しているかよくわからない総務人員多すぎないかとか、「コーポレート部門」とかよく分からない横文字の部署あるなとか…それを言語化して掘り下げた点は素晴らしい。ただ、読み終わって思ったのは、結局、資本主義社会でもある以上、ブルシット・ジョブはなくならないよねってこと。
グレーバーも指摘している通り、ブルシット・ジョブは本当に無益で有害だと思う。何とかマネージャーが増えたり、部署が増えて管理体制が複雑になるにつれ現場の人間からすれば能率・効率が下がる。今まで直接指摘・指示できていたものが、一旦その何とかマネージャーを通さなければならないとか、どこに言えばいいのか分からないとか手続きの煩雑さ時間が増す。リターンも遅いし、なぜか大事になる。じゃあもう言うのやめようってなる。ブルシット・ジョブについている人間からしても自分の仕事の価値が分からず、さらに板挟み状態になってストレスを抱える。誰も得しない。そんなことは百も承知。でも、なくならないし、寧ろ増えている。それは、資本主義が常に経済的上昇を目指している形態だからに他ならない。経済的上昇を目指すには組織を拡大する必要があり、それに伴いよく分からない管理ポストが増大するのは自明の理。
グレーバーは1つの解決策として、ベーシックインカム(BI)の導入を掲げている。理想としては素晴らしいと思う。ただ、社会主義が結局崩壊したのと一緒で理想論でしかないと思う。BIを導入すれば、ブルシット・ジョブはなくなり、必要なエッセンシャルワーカーの賃金は上がり、人々は自由時間をジョブ以外の余暇に、幸福度をあげる活動に充てる…そんなわけない。現在でも生活保護受けている人がそれで満足しているか、社会的によしとされているかと言えばそうではない。それが人間である。
寧ろ、1つ示唆に富むのが、中世以前の近代では労働・仕事はタスク指向(つまり、成果主義・請負や委任的性質)だったものが現代では時間指向(労働時間制)になったのが要因の1つとして挙げている。また未開社会では生きるために必要な労働しかしない(ある意味動物本来の形)という例も挙げられている。
つまり、今の資本主義制度が自然・動物的にはおかしい、異質なのである。それゆえに必要のない無益で有害なブルシットジョブが量産されていく。なので、解決策が原点回帰ではないが、皆が時間に縛られないタスク指向性の仕事をするか、未開社会のように日々生きるためだけの仕事をするしかない。そこには無駄な労働がない。
でも、安定性に欠ける。だから今の資本主義・時間指向性が確立しているともいえる。
結局、堂々めぐりで、ブルシット・ジョブはない方がいい。でも、今の社会システム上、ある意味「必要悪」。なくなることはない。嫌なら個々人が辞めるなどして対策を取るしかない…というのが本書を読んだ感想かな。
Posted by ブクログ
『ブルシット・ジョブ』の日本語版訳者による解説本。何せ「ブルシット・ジョブ』が高くて厚く、ちょっと手が出なかったので、その意味では大変ありがたい。
ただ、サブタイトルにある「クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか」には答え切れているように思えなかった。社会学的アプローチ(社会学者の方なので当たり前だが)で、歴史文化の観点からの説明に偏っている感がある。もっと数字を使った検討も欲しいと思ってしまうのだが、経済学との壁も感じられた。学術の派閥みたいなのもあんのかな…笑
#夏の読書感想文
Posted by ブクログ
本家グレーバーの分類によるBSJが冒頭に紹介されているけれど、現代日本でも当てはまるものがあるのかどうかいまいちよく分からない。全体的にもいまいち刺さるポイントがなく残念。本書が本家『ブルシット・ジョブ』を分かりやすくしたものということで、本家の方は読む前に難しそうだということは分かった。
Posted by ブクログ
UBIの話は度々色々な本で出てくるが、正直な話それが出てくることで、話がどん詰まりになってしまうように思う。今の仕事の割に合わなさや改善されないこと理由がなんとなく把握はできたが、自分がどうするべきなのかは見えない。ブルシットなジョブでも、お金をたくさんもらえるなら、自分が何を成しているのかなんて贅沢な悩みようにも思える。自分はそこまでの段階に至れない。社会の役に立つ前に、まずは自分の幸せを実現させたい。