田中小実昌のレビュー一覧
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暗がりで女性からバッグを奪い、顔を殴って「クリフォードはお礼をもうします、マダム」と慇懃にお辞儀して立ち去る通り魔を追う87分署の刑事たち。
一方パトロール警官のクリングは知人から相談を受けるが……
シリーズ2作目
前作「警官嫌い」で人違いで撃たれたパトロール警官、クリングが主役。前作の主役キャレラは新婚旅行中!(おめでとう〜っ!!)
87分署の刑事側として小柄で優しいウィリスと大柄で強面なハヴィランド、粘り強いマイヤーなどが登場。
あと、アイリーン!ウィリスとアイリーンの絡み、好きだなぁ。
事件そのものは早めに犯人解っちゃうんだけど、このシリーズは私的には87分署のメンバーの掛け合いとかを楽しむものなので、今回も楽しかった!!
あと、33分署の猫泥棒ね!これ、フレドリック・ブラウンのオマージュだと思うんだよね……こういうのがわかるの、めちゃくちゃ嬉しい〜!! -
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田中小実昌(1925-2000)。牧師の子として東京に生まれる。戦後しばらくは、東大哲学科に籍をおきながら、進駐軍の仕事で生活。
やはり翻訳家としてのエピソードがおもしろい。米軍基地には兵隊用のペーパーバック本がたくさんあって、それを読んでいた。不明のところは、いつでもネイティブに聞けた。しかし、「アメリカの小説ならば、アメリカ人のインテリにたずねれば、たいていわかるとおもうのは、大きなまちがいで、翻訳のためのいい先生を見つけるのは、なかなかむつかし」かったそうな。(「翻訳あれこれ」)
ある時、「女」がコミマサを「このひと、翻訳をやりたいんだって」と中村能三の家に連れていった。ノウゾーは、これを試訳してみろとO・ヘンリーの短篇を手渡した。訳してみたが、漢字が上手く書けないもんだから、中国文学をやっている先輩に清書してもらった。その漢字だらけの原稿を見て、師匠は言う、「名詞だけ漢字にしろ、あとは、みんな仮名でよろしい」。というわけで、それがコミマサの文体になってしまったそうな。「女」はのちの奥さん。(「ぼくのお師匠さん」)
この「女」は画家の野見山暁治の妹でもあった。つまり、野見山暁治はコミマサのアニキになってしまった。 -
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翻訳者の田中小実昌は、今から85年前の1925年4月29日に東京で生まれて10年前の2000年に74歳で亡くなった小説家・エッセイスト、そしてミステリー翻訳家。
一応、直木三十五賞作家でもありますが、そんなことなどまったく知らなくて、または、その存在すら全然知らなくとも、早川書房のポケミスや文庫を中心に、本書のエド・マクベインをはじめとして『死体置場は花ざかり』のカーター・ブラウンや『死の第三ラウンド』のウィリアム・アイリッシュ、そして『銃弾の日』のミッキー・スピレインや『猫は夜中に散歩する』のA・A・フェア、それに『血の収穫』のダシール・ハメットや『湖中の女』のレイモンド・チャンドラー、さらに『憂愁の町』のロス・マクドナルドや『霧の壁』のフレドリック・ブラウンなどなど、おそらく100冊近い主にハードボイルドの翻訳本がありますから、その内の一冊でも手に取ったことがある人は、きっといらっしゃるはずだと思います。
私は、幸か不幸か、リチャード・マシスンの『地球最後の男・・人類SOS』というハヤカワ・ノヴェルズの一冊をSFとして読んだ小4の時が田中小実昌との最初の出会いだったのですが、まさかこれが、13年後の2007年にウィル・スミス主演で『アイ・アム・レジェンド』として3度目の映画化がなされるとは夢にも思っていませんでした。
それから、中学生になってポケミスから早川・創元文庫をはじめミステリーの魔境、いや桃源郷に入り込んで、気がつけば彼には随分とその翻訳にお世話になったことを自覚しているとき、同時に映画関連の本も手当たり次第に読むうちに、映画に関するエッセイ『ぼくのシネマ・グラフィティ』や『コミマサ・シネマ・ツアー』にも出会い、両方で田中小実昌という名前を発見して驚き、そして、高校生になってから『ポロポロ』や『アメン父』や『イザベラね』などという、今までの小説観を吹き飛ばされるほどの軽いノリ、もしくは身辺雑記・私小説ふうの記述の奥にある深遠な思惟小説と、まさに正面衝突して、また衝撃を受けるのでした。 -
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不思議な魅力を持った著者が、ホントに気ままに路線バスの旅を続けます。テレ東で人気の太川陽介の一連のバス旅の元祖のような旅をしてます。時系列的にはコミさんのほうが早く、間違いなくテレ東の番組にも影響を与えているのではないでしょうか。太川、蛭子そしてコミさんの珍道中(想像を絶するが)を見てみたかった気もする。
前半の東海道の旅は「小説現代」に連載されたものなので、かなり脚色(フィクション)も入っているかもしれない。あまりに劇的あるいは映画的すぎる。後半の京都から鹿児島までと冒頭の東京湾一周の旅は「旅」への連載だし、編集子と一緒なのでほぼノンフィクションかもしれない。
それにしてもコミさんホントによく飲みよく歌う。そしてつれづれに感じ綴られる事がなんとも言えず味わい深い。今は失われつつあるノスタルジーを感じさせる。コミさんは今の時代は比肩するべ人のない貴重なキャラクターである。 -
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アメリカの作家エド・マクベインの長篇ミステリ作品『通り魔 87分署シリーズ(原題:The Mugger)』を読みました。
『警官嫌い 87分署シリーズ』に続き、エド・マクベインの作品です。
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通り魔はマントのように漆黒の闇を身にまとい、路地の暗がりに立っていた。
闇は男の親友、そして獲物は女だった。
が、この通り魔は変わっていた。女を襲ったあと被害者にこう言うのだ。
「クリフォードはお礼をもうします、マダム」捜査を開始した87分署の刑事たちを嘲笑うかのように不可解な通り魔は犯行を重ね、やがて事件は殺人へと発展した!
大都会の犯罪を追う警官たちの悲哀を見事に浮き彫りにしたシリーズ第2弾
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1956年(昭和31年)に刊行された、87分署シリーズの第2作です。
街は女、秋は死の季節……闇は彼の親友、獲物は女だった――通り魔は夜の闇を身にまとい、女を襲った。「クリフォードはお礼を申します、マダム」これが彼の口ぐせだった、、、
刑事たちの追求もむなしく、ついに殺人事件は起った……大都会の犯罪を追う警察官の悲哀をみごとに浮き彫りにした作品。
アイソラの町で繰り返される通り魔事件……しかも、その犯人が一風変わっており、女性から金品を奪ったあとで「クリフォードはお礼を申します、マダム」と言いながら一礼して去っていくもの、、、
やがて通り魔事件は殺人へと発展……87分署の面々は犯人逮捕に向けて懸命な捜査を続けるが という展開。
真相は何となく予測できたかな……とは思いましたが、本シリーズは雰囲気が大好きなので、最後までしっかり愉しめました、、、
前作の『警官嫌い』で主人公役だったスティーヴ・キャレラ刑事は、テディと結婚して新婚旅行に行ってしまっており、本作では前作の『警官嫌い』で銃弾を受けて負傷したパトロール警官のバート・クリングが主人公役となり、友人ピーター・ベルの義妹ジェニイ・ペイジが殺害された事件の真相をピーターの妻でジェニイの姉であるモリイからの依頼を断われず不本意ながらも個人的に捜査する展開……謎解きよりも、87分署の面々が活躍する群雄劇として愉しめますね。
できれば、このまま順番に87分署シリーズを読みたいところですが……古い作品なので古書店でも入手困難で、飛び飛びでしか購入できていないんですよねー 在庫の中から、なるべく初期の作品から読もうと思います。 -
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犬も猫も好きだけどちょっとだけ犬に軍配が上がるかつて犬と暮らしていた私ですので、どのエッセイも愉しく、胸に沁みました。
好きな作家さんも多く、以前に読んだことがある文にまた出会えて嬉しい。
このシリーズは他にも猫、珈琲、酒、おやつ…とまだまだあるようなので少しずつ読みたいな。
以下好きなエッセイ覚え書き。(一部です)
犬の生まれ変わりに違いないと熱烈に思っている押井守氏、ノラの犬猫を見かけたら放ってはおけない愛情深い米原万里氏、手塚治虫氏による犬が人間のそばにいる理由を描いた漫画、坂口安吾氏がわがまま檀一雄氏のために秋田犬を無心するお手紙、椎名誠氏の犬の系譜と怒りと悲しみの別れ、深沢七郎氏と中上健次氏による対談、辻まこと氏のタヌキとイヌの合いの子イヌキ?の話、種田山頭火のどうしようもない日記、クラフトエヴィング商會による可愛い垂れ耳の犬のイラスト!梨木香歩氏が愛犬と一緒にボルゾイ2匹と闘う話、鴨居洋子と鼻吉一号、二号、寺山修司氏とジル、川端康成氏のちょっと時代錯誤なでも面白い愛犬家心得。 -
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最近流行?路線バスの旅のハシリ。東京から鹿児島まで20年かけて乗り継いだ旅。飲み屋とストリップと諸々の取り留めのない独特の世界。
テレ東の路線バスの旅が好きなので迷わず購入。1996年の単行本の文庫化。最近中公文庫やちくま文庫、再版本が面白い。
計画なくふらっとバスに乗り西を目指す。関ヶ原を超えて挫折し名古屋に引き返したり、行き当たりばったりの旅。飲み屋で知り合った女性と同行したり筆者のストリップ関連の仕事の思い出などとりとめのない回想と、メモ書きのような看板名、地名の羅列が独特である。
バスが起伏の多い道を走りながら、チラッと見える海。そんな情景が旅情を誘う。
バス旅そのものより、飲み屋巡りがメインのようでもある。バス旅の蛭子さんの適当さと吉田類の酒場放浪記を合わせたような内容、独自の感性と筆致の紀行でした。 -
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ネタバレ87分署シリーズ第二作。クリフォードと自称する通り魔事件が多発する。また、前作、警官嫌いで負傷したパトロール警官のバート・クリングには昔の知人から妻の妹の様子がおかしいので会って欲しいと依頼される。バートはピーターの妻の妹ジェニイと会うが、その後、ジェニイは殺される。クリフォードの犯行はエスカレートし、ジェニイ殺害の容疑もかかった。
ピーターの妻であり、ジェニイの姉であるモリイの頼みから事件の捜査をしていたバートは、刑事の邪魔をしているとして叱責を受ける。
一方、通り魔事件を追うハル・ウィリスは女性刑事アイリーン・バークを囮に犯人を追う。そして、通り魔がアイリーンを襲う。そこに駆けつけるウィリス。犯人には逃げられるが遺留物から逮捕に繋がる。
通り魔クリフォードはジェニイ殺害とは関係がなかった。バートは真相に気付き、ジェニイとピーターが愛人関係であり、子供ができたことをモリイに話すと言われたため殺したのだった。
ウィリスとアイリーンと通り魔の行動が続けて描かれる部分が最も良い部分だった。囮とそれを追う者、そして囮を守る者それぞれが描かれサスペンスが高まる。 -
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マクベイン『87分署シリーズ』の第二作目の主人公は、バート・クリング。
一作目の『警官嫌い』では少年に肩を撃ち抜かれて病院送りになったクリングが、今回は大活躍をしてみせます。
タイトル『通り魔』とあるように、今回の事件は不可解な連続通り魔事件---犯行後、「クリフォードはお礼をもうします、マダム」と被害者に言い残し、立ち去る犯人『クリフォード』。そして、捜査を進める中、発生した一件の殺人事件。
一作目ではスティーブ・キャレラに付いて回っていただけの駆け出し警官だったクリングの成長を、足を使った地道な捜査の足取りと彼の人情深さを伺わせる交流の描写など、見所たっぷりの作品でした。
今回、作者のマクベインの主眼は、本来の軸である事件の解明というよりも、クリングという人間を描くことにあったのでは…と思えるほど、クリングの性格を巧みな筆致で描写しています。
物語の途中で出会うクレアという女性。彼はクレアとのデートに備えて、ごく普通の男子がするように身なりを整えます。
しかし彼は、「彼女はこれから、自分にとってますます大事な人になるだろう。」と考え、靴まで磨こうとする男なのです。
そして、未だ昔の恋人を忘れられないでいる彼女・クレアが、自分とともに前に進めるようになるまで「ぼくは、ただ暇をつぶしていよう。」と言えるような男なのです。
バート・クリングというのは、なんと面白い男なのだろう…と思ったものです。
マイヤー・マイヤー、アイリーン・バーク、ハル・ウィリス。本作より登場する刑事はみな個性的で、愛らしい人ばかりです。
そして、勿論。
バート・クリングという人間もその一人なのです。 -
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哲学とは本来、水晶のような論理の塔を築くことではなく、混沌とした生の泥濘(ぬかるみ)の中で足掻く営みであったはずだ。田中小実昌が本著『哲学小説集成 (I)』において提示したのは、まさにその原点回帰であり、同時に極めて現代的な抵抗の良書である。
本著を深く読み解く鍵は、著者がカントやスピノザ、ライプニッツといった厳格な体系哲学者を、「酒場」や「ストリップ劇場」、あるいは「父の幻影」と同じ地平に引きずり下ろした点にある。通常、哲学書を読む行為は、日常から離脱し、純粋な理性の高みへ登ることを要求される。しかし、著者はその直立不動の姿勢を拒否する。彼は酒に酔い、町を徘徊し、生活の倦怠と矛盾にまみれた身体のまま、難解なテキストと対峙する。そこで行われるのは「解釈」ではなく、哲学者の思考と自分の生理的感覚との「衝突」である。
著者にとって「哲学=神(宗教)=小説」という等式は、調和的な統合ではない。それは、牧師でありながら矛盾に満ちた言動を繰り返した父の記憶と、厳密な論理を求める西洋哲学、そして虚構を紡ぐ小説という三つの異質な要素が、彼の肉体の中で軋み合う音そのものである。彼はカントの『純粋理性批判』のページをめくりながら、同時に昨夜の酒の味や、父の不可解な祈りを反芻する。この「混ぜっ返す」態度こそが、高尚な概念をリアリティのある「手触り」へと還元する唯一の方法論なのだ。
現代(2025)を生きる私たちにとって、本著が放つ光はあまりにも鋭い。現代は「過剰な可視化」と「即時的な意味付け」の時代である。AIによる最適解の提示、SNSにおける瞬時の善悪判定、タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉に象徴される効率至上主義。私たちは「わからない時間」や「無駄な迂回」を病的なまでに恐れ、すべての事象に即座にラベルを貼ることを強いられている。論理的な整合性のないものは排除され、数値化できない感情はノイズとして処理される。
しかし、本著の「哲学小説」は、その現代的な病理に「待った」をかけている。彼は「わからない」ことを恥じない。むしろ、その「わからなさ」の中に留まり続けること、矛盾を矛盾のまま抱え込んで歩き続けることに、人間としての誠実さを見出している。本著における「受ける」という姿勢は、単なる受動ではないと推察する。それは、世界を自分の小さな理解の枠組みに押し込める傲慢さを捨て、世界がその複雑な姿のまま自分の内側へ侵入してくるのを許す、強靭な忍耐である。彼が言う「ポロポロ」という感覚は、論理のグリッドからこぼれ落ちる砂のようなリアリティであり、それこそが私たちが生きている「生」の正体なのだ。
私たちは、権威ある誰かが定めた「正解」や「体系」に従属する必要はない。本著が証明するのは、専門用語で武装した学者でなくとも、酒場の隅で、あるいは通勤電車の吊り革に捕まりながら、私たち自身の卑近な言葉で哲学することは可能だという事実である。むしろ、生活の「ずれ」や「綻び」の中にこそ、真の形而上学的な問いは宿る。
本著は、効率と正解に急き立てられる現代人への処方箋である。「論じる」高みから降り、「生きる」低地へ。そこで「わからない」と呟きながらも思考を手放さないこと。その「中腰」の姿勢こそが、2025年の複雑さを生き抜くための、最も強靭な知的態度であると私は確信する。 -
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独特の小説を執筆する著者の田中小実昌氏は、1979年に『ミミのこと』と『浪曲師朝日丸の話』の2作で直木賞を受賞する。
この2作は、1979年に発行された『香具師の旅』に収められた作品なのだが、実は雑誌に発表したのは1971年のことで、遡っての受賞は珍しいとのことだ。
今回の『ミミのこと』には受賞作の短編が2作、中編が1作が収められている。
⚫︎ミミのこと(短編・直木賞受賞作)
ぼくが一人で場末の狭い酒場で飲んでいる時、店に女が駆け込んできて、ぼくの後ろを通る時に乳房の先で背中を押してカウンターの奥に座った。
ぼくは彼女を見て、あのミミだとわかった。
⚫︎浪曲師朝日丸の話(短編・直木賞受賞作)
昭和19年、ぼくは山口の連隊に入営した。
大陸では辛い兵役を経験するのだが、虚弱な体質のためか、マラリアから始まってコレラになり酷い下痢が続き、栄養失調が重なって死線を彷徨う羽目になる。
入隊からずっと一緒だったのが浪曲師の朝日丸で、常に私に優しく接してくれ、隠れて肉饅頭などを差し出してくれたりもした。
終戦を迎え、命からがら日本に帰還した二人は、支離滅裂のような生き方をする。
⚫︎自動巻時計の一日(中編)
おれ(この編から「ぼく」から「おれ」になる)自身、何かはっきりさせたいものがあるのか無いのか分からないが、朝起きた時からのこと、バカみたいに、ならべていってみよう。
もしまちがって、なぜ、こんなことを書く気になったかわかれば、ヨロクみたいなもんだ。
以上の文章からこの中編は始まり、駐留軍の化学分析施設で働いている「おれ」の日々を綴った中編となっている。