田口ランディのレビュー一覧
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これまでの作品でもそうだが、作者も明確な答えを出すというより、迷いの中で書いたんじゃないかなと思った。東日本震災の復興も、福島の原発事故の未だに終わっていない。その中でさまざまな迷いを抱きながら今日まで人生を歩んできた人々が登場する。明確な答えは見つからないまま、時間は進んでいく。世の中は矛盾に満ちている。それぞれが持つこれでいいんじゃないかな、こうなんじゃないにかなという自分なりの答え、妥協点を信じながら、疑いながら、受け入れている。他人が何と言おうと本人が決めること。人と人のゾーンというものも存在する。そこを尊敬の念を持って跨がせていただいたとき、分かり合える小さな小さな一歩となるのかなと思ったら。
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Posted by ブクログ
音楽や文学に関して優れた感受性を持ち、様々な分野で秀でた才能を持ちながら、構成力に欠け、子供の頃は格好のいじめの対象となってしまう。ようやく社会人になって就職するも長続きしない。家を出ては仕事を辞め、舞い戻るを繰り返す。ちょっとした挫折が無気力を招き仕事にも就けなくさせる。ついには雨戸を締め切り自室に閉じこもり、家庭内暴力を繰り返す昼夜逆転の生活が始まることに。刺激の少ない単調な生活は、脳に影響を及ぼし正常な判断力を失わせていく。脳神経は一つの回路だけが太く強くなり、あらゆる思考は親が悪いに結びついていく。心の底にある母親に愛されたいという強い願望は暴力としてしか表れず、一人苦しむ。歪んだ思いが錯綜。思考は堂々巡り。新しい考えに至れない。脳の神経細胞が委縮し脳そのものが弱体化していく。そして死。たった一人の兄に何かできることはなかったのか。著者の懺悔ひと言一言が胸に突き刺さってくる。
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人は物事を特徴や性質毎に分け、名前をつける事で区別をしています。細長い形、丸い形、大きさに関わらず人が座るそれには「椅子」と名付けます。
しかし区別は人が利便性を求める為に決めた約束事であり、実際には境界線を引くことはできません。分子レベル粒子レベルになると人間でさえ陽炎のような存在です。
ましてや我々は目に見えないもの形にないものにでも境界線を引こうとします。 本小説を読んでいてそんな境界線の危うさを意識させられました。
~あらすじ~オカルト雑誌の出版社に就職した主人公、高木。記者として初めての仕事が故郷能登半島でのUFO目撃情報の取材でした。高木は取材を続ける中、17年前に中学生6人が体験したある事件に行き当たります。事件後、6人のうちの1人、江上理沙は謎の失踪を遂げ、他の者も数奇な運命に翻弄される結果となります。果たして彼らに何があったのか…
マアジナルというタイトル。縁や境という意味ですが、思いもよらずこの境が崩れた時、人にはどんな影響があるでしょうか。鳥肌がたつような感動と血管が泡立つような狂気は紙一重だと思いました。 -
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短編集。中学か高校のときに読んでいたら多分、すごく良かった、って書きそうな本だなと思った。実際、そのころはこの人の『できればむかつかずに生きたい』を何度も何度も読んだのだし、線とか引いたりして。今は…そんなにのめりこむほどではなかった。でも、時々こういう話は(私に)必要だ、と思う。人は離れていても不意に繋がることが出来ると思える話。不意に悲しいことも嬉しいことも思い出しながら、そうやっていつの間にか自分のものにしてしまった重いもの(老い、戦争、自殺)をやり過ごしながら生きていけば良いんだって思える話。…好きな話は「西風の日」「落ち葉焚き」「心霊写真」「真似の上手い人」「白い犬のいる家」。わたしは多分、ちいさいころ、「心霊写真」の沙織のようになれると思っていたしなりたかったんじゃないかなあ。でも実際は、そんなに強烈なものづくりが出来る人でもなく、かといって日常の些細な感情を上手く処理しながらなんとなくやっていける逞しい人にもなれていない。…来年は行動の一年にする、と改めて思った。(ほらまた最後で主旨がずれる)
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ネタバレエッセイ集というかコラム集というか。
著者・田口ランディが、最初は家族について思うことから語り始め、いじめについて、そして、さらに精神的なことに話はすすみます。すすむといっても、一つ一つの話が連続しているわけではありません。ただ、配列に意図というか何か意味するものがあるように感じました。
実は、田口ランディについては、この本を読むまで名前も知りませんでした(汗)。だから、先入観も一切なしに読んでいます。そんなふうに読んで感じたことは、本人は、自分をいいかげんな人のように書いていますが、とても真摯でまじめにいろんなものを受け止める人なんだろうなということです。まじめにまともに受け止めすぎて、世の中を生きづらくなってしまっていたのかなぁ…と。微妙に過去形なのは、本文のなかにもありますが、今(著作時)の著者は、もっと肩の力が抜けているような感じがするからです。心の内面を文章にすることで、なにかが抜けていった、昇華したのかもしれません。
本を読む方としては、肩に力が入った著者の心情をたどって読むことになるので、ちょっと重く感じました。これは、著者が通った小学校が私の母校であり、おそらく中学も同じ中学に通っていた、(高校は別)ということが原因かと思います。書かれている情景が、自分が育った景色と重なってしまい、自分の身に引き受けようとしてしまうからのような気がします。
この自分の身に引き受けるということについても、この本の中で語られています。語られていて、そうだなぁと同感はするけれど、実践するのは別の問題。
そのあたりが、心って難しいなぁと思います。