ブラジルで行われた親日ブラジルサッカー選手たちによる震災チャリティーマッチのニュースで、元鹿島アントラーズのアルシンド選手は、「トモダチナラアタリマエ」とカメラに向かって言っていた。その言葉を聞いて、アルシンドってもしや『ワンピース』のファン? と思った。「友達なら当たり前だろ!」いかにもワンピにありそうな台詞、ルフィーが言いそうな台詞。
震災に関するニュースやACのCMの中にはと、『ワンピース』的なヒューマン、ハートウォーミングなシーンがたくさんあった。もちろん残酷で悲劇的、エアー被災、PTSDになりそうな映像もたくさん放送されたけれど、それに比例して、ワンピ的な泣ける映像もたくさんあった。震災や原発事故のインパクトは巨大なのに、ろくに報道せず、人情物語に逃避しているなどという批判もあったけれど、多くの人々は、ワンピ的な物語をテレビに求めているのではないだろうか。
『ワンピース』には、小さな仲間集団の絆をしっかり守ろうとする場面がよく出てくる。今までの日本のフィクションにはあまり見られなかったものだ。戦後の日本は、アメリカ的な核家族をモデルにしてきた。お父さんは会社で働き、お母さんは家にいて、おじいちゃんやおばあちゃんは田舎にいる、核家族モデル。核家族モデルはやがて東京での1人暮らしモデルに発展。クールでドライ、ウェットな関係を避ける人間関係が、フィクションでももてはやされた。
バブル崩壊、長期経済不況、リストラ、就職難、高齢化、少子化が、核家族と単身世帯の理想をも崩壊させた。代わりに出てきたのは、『ワンピース』的な小集団の絆を大切にするモデル。前近代的な日本社会への逆戻りかとも思えたけれど、最近、そうではないと気づいた。昔の日本の家族は、父親の権力が異常に強くて、母と子は父に隷属。どうもワンピが提示している家族モデルは、前近代的日本の家族モデルとも異なる。南欧、南アメリカ、ヒスパニックでラテンな家族モデルに近いと思うようになった。
「トモダチナラアタリマエ!」アルシンドはやっぱりワンピのファンではなく、単に家族愛の強い陽気なブラジルの男なだけかもしれない。南欧、南米の人は家族や友達を大事にするというのは、ステレオタイプな見方に過ぎないけれど、何故サンジは女性キャラにすぐメロメロになるのか、ワンピは南欧南米型の家族モデルを理想にしていると思えば、サンジの行動はイタリア男だと理解できる。
実はこれ、世界的にアメリカの核家族モデルが、理想の地位から落ちたことをも意味している。アメリカ合衆国はながらくアングロサクソン中心の社会だったが、いまや中南米からの移民、ヒスパニック系の住民の方が、アングロサクソン系を凌駕しようとしている。
(ワンピ27巻の名言)
スカイライダー・シュラ「そんなに生きたきゃなぜ弱いっ!!! 何の犠牲もなく・・・お前は生きようというのか・・・? 誰かが生きるという事は、誰かが死ぬという事だ・・・この世とはそういうものさ」
神様「己の行動に罪を感じた時人は最も弱くなる」