絲山秋子のレビュー一覧

  • 海の仙人

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    波間にいるような、砂地に足を囚われているかのような……。とてもたおやかで寂しくてりんと強い。
    過去に向き合おうとしても簡単に乗り越えさせてはくれない、悲しみは次々と自らを襲う。人は皆、自らに降りかかる孤独からは逃れられない。
    ただわたし達はわたし達として生きていくしかないのだな、と静かに淡々と突きつけられるかのようで、そのひっそりとした寂しさにも淡く光るものを感じさせてくれる。

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    2017年12月16日
  • ばかもの

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     アル中ヒデの恋愛物語。これで終わってしまう人も中にはいるのだろうけど、どうしてだか、私の中ではこの本はそう簡単に終わらせることはできず、むしろずっと心に確かな余韻を残していった、好きな本になってしまった。

     額子に振られたのを境にヒデは徐々にアル中への道へと逸れていく。ヤマネも宗教の道へ。額子は額子でまた辛さを抱え、一番まともで一番幸せをつかんで良いはずの翔子は、一番厄介なヒデが重荷となる。

     ヒデの中には常に理想となるある女性が目の前に現れていて、ことごとくその女性が顔を出す。ある時を境にそれは消えてしまうのだけど、それはその人を必要としなくなったから…現実にその人に代わる安心を得たから。そう、私は思っている。

     その人自体は変わってないけど、その人がいることで得る特別な安心感や、安らぎというものは確かに存在する。たぶんヒデにとっては彼女がそうだったんだなって思えた。

     ばかものって、意外に愛のある言葉なんだと思う。

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    2017年08月01日
  • 離陸

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    へぇ、絲山さんってこういうのも書くんだ、って感じの小説だった。ダム管理の現場から始まるから、らしいなって思ってたんだけど、読んでいくうちにミステリーのような、ファンタジーのような色合いが出てきてびっくりした。時空を超え、かつパリが舞台の一つになっていることから辻仁成の『永遠者』を思い起こさせるようなところもあったり。最後まで描かれなかったような、消化不良感のある終わり方なのは残念。ミステリーとしてなら、顛末まで読みたかった。
    でも、この小説の骨頂は「離陸」なのだと思う。ここでいう離陸とは「ぼくらは滑走路に行列をつくって並んでいる。いや、まだ駐機場にいるかもしれない。生きている者は皆、離陸を待っているのだ。」(p.322)ということ。これはかつて読んだ『沖で待つ』と重なるようなところがある。主人公は近しい人との別れ、死をたび重ねるのだけど、それ以上でもそれ以下でもない、人生というもののとらえ方を描いているようだ。
    それにしても、死を離陸と表現するのって面白いね。彼岸とかいうように、何となく船で渡るような感覚でいたけど、向こう側へは飛んでも行けるね、たしかに。

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    2017年07月29日
  • 妻の超然

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    楽しみ読み進めました。
    読みやすいのですが、「超然」というテーマに沿って書かれた短編という挑戦をしているのに、楽しみながら読み進めることができるもので、作家としてのチャレンジ精神にも感服します。
    文体がとてもリズミカルで読みやすいように感じるんですよね。毒もあるので読んでていてスッキリするんです!
    しばらく絲山秋子さんの本を読み漁ろうと思っています。

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    2017年01月16日
  • ばかもの

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    とりたてて衝撃的な筋ではない。
    が、読みながら感じていたのは、文体の不思議さ。これが「来た」。
    序盤は、一人称に極めて近い三人称。
    終盤は、三人称を乗り越えてくる一人称。
    なぜというに、読み進めるに連れて「俺」が私の胸中の一部に巣食ったからだ。
    少し特異な文体は、内容への共感と並行して、文を読み進めることによる共感を、誘う。
    だからこそ、「ばかもの」と言い合える関係性に、ぐっときてしまうのだ。
    小説はある程度の分量を経て、つまりは文脈を経ることで得られる感慨だ、と改めて認識した。

    酒への耽溺は他人事ではない。
    寄る辺なさ、思いの行き場のなさ、俺自身が俺を扱いかねているのだから周囲にとってはなおさらだろう。そういう感覚は年を経るごとに高まっていく。
    それが男性にとっての、不可逆的な成長=頽落なのだろう。

    「想像上の人物」については、一考の余地あり。
    ただの妄想かと思いきや、たった一度だけ、現実?に介入してくるからだ。
    そしてその後、来ない。来てほしい場面で徹底的に来ない。
    周囲のどんな人の助けもちょっと足りない、という赤染氏の鑑賞は、まことまこと。

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    2016年08月20日
  • 海の仙人

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    数ある絲山秋子さんの名作の中でも一、二を争う名作ではないでしょうか?物語中盤、日本海沿いにファンタジーと元同僚の女性とのドライブ旅の情景が特に好きです。

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    2016年03月16日
  • 海の仙人

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    ネタバレ

     河野勝男は、突然宝くじが当たることで億万長者になった。そんな河野の前に突然「ファンタジー」が現れる。
     敦賀に帰り気ままな暮らしを始めた河野の前に、「かりん」と「片桐(もと会社の同僚)」という二人の女性が現れる。やわらかく包み込むようなかりんと対照的に、あの手この手で河野をおとそうとする片桐。
     結局どちらとの関係を実らせるでもなく、かりんは乳がんにかかってしまう。果たして、ファンタジーは不幸の前兆なのではないかと思った河野。その後、河野自身も雷に打たれて失明してしまう。やがて、河野は高校生のとき以来さわっていなかったチェロを手に取り、生きる意味を見出してゆこうとする。
     
     わずか150ページであったが、幸福と不幸、働くことの意味、異性との関係とは何かなど、様々なことを考えさせられる内容であった。また、著者の表現技巧が優れており、海や空まで目の前にあるかのように感じられた。

     この物語で登場するファンタジーは、疫病神なのか、神様なのか、仙人なのか。体はフェイクで顔はアメリカの雑誌から勝手に拾ってきたと自称したり、かりんや片桐にもその姿が見えて居たりするので余計にこいつは正体不明である。だから、余計にこの物語に引き込まれてしまうのかもしれない。

     美輪明宏さんが、一世を風靡した歌手が40歳くらいで声が出なくなって死んでしまった例をあげて、「幸福も不幸も、一生の長い時間のなかでならすと一緒になる」という趣旨のことを言っていたのを思い出した。
     宝くじは当たらなくていいし、人より自分が苦労しているように思われるときは「あとから何かいいことがある」と思えばいい気がした。

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    2016年03月06日
  • 妻の超然

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    ネタバレ

    2016年、11冊目です。

    絲山秋子の小説です。
    彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。
    我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、
    歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、
    渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。

    「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。
    「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を
    している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。
    しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考えることをせず、
    同じ時間を生きようとしない自分の生き方は、”超然”ではなく、”怠慢”なのではと気づく。
    確かに、超然や諦観は、ある種の無関心から成り立っている精神状態だと思う。
    ”超然”という言葉の解釈やその役割は多様だが、思惟するにはいいきっかけだ。

    「下戸の超然」は、お酒を飲めな男性の生き方を、恋人との出会いと別れの流れの中で描いている。
    私自身も”下戸”であるため、作中の主人公の心境には、共感できるところも多い。
    会社生活で苦労した点も類似している。私の場合は、加齢による病気もいくつかあり、
    多種類の処方薬を服用するようになったので、飲み会の席でも、
    ”酒飲んだら死んでしまう”といって、お酒に口をつけなくて済むようになりました。
    主人公は、下戸であるが、彼女が酒を飲むことには全く抵抗がない。
    それを非難することもしない。彼女は積極的なボランティア活動をしており、
    下戸の彼を引きだそうとするが、彼自身は、そういったことに感心も無く、彼女に合わせようとも思わない。
    この辺りが下戸の超然立つところなのだろが、
    「恵まれない子どもたちに幸せなバケーションをプレゼントする」という彼女の参加する
    ボランティアの目的には文句のつけようがない。
    けれども「疑いようのないこと」というものに僕はなにかうつろなものを感じてしまうのだ。
    これが、主人公の下戸である彼の超然なのだと感じた。

    最後の「作家の超然」は、主人公である作家が、首の腫瘍を摘出する手術の前後で考える
    人間関係や社会と自分との関係性を描いている。
    ちょうど私も手術直前に読んだので、なにか他人事のような気がしませんでした。
    こんな一説がある「今は、病気がおまえを生かしている」。
    まさに、自分でなく、これからは”病気が自分というものよりも優先されるものになっていくんだ。
    まさに超然かもしれないですね。

    おわり

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    2016年02月14日
  • 不愉快な本の続編

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    何だかわからないけど「凄い!!」
    実は人生初のぎっくり腰。動けない程の重傷ではないのですが、動くほど悪化するようなので一日会社をお休み。普通の倍くらいの時間をかけて行った整形外科医院のジジババ一杯の待合室で読み始めました。
    いきなり引きずり込まれます。待ち時間1時間半。その長さが気にならないほど没頭していました。
    まともに読めば不愉快な主人公です。パリへの留学経験を持ち高学歴でありながらヒモのように暮らし、変態的な性癖を持ち、金貸しとして陋劣な手段を平気で行い、他人を顧みない。しかしそんな主人公がなんだか愛おしくなる。何やら著者の魔法にかけられたような。その不思議さも小説というものの楽しみだと思います。

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    2016年05月15日
  • 末裔

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    「末裔」(絲山秋子)電子書籍版を読んだ。これは面白かった。シャガールの絵みたいな幻想的で淡く優しい光を感じさせるね。要約すると『わたしはどこから来て、わたしは何者で、そうしてわたしはこれからどこへでも行けるんだ。』って確認と再生の物語。適度な不条理さと適度なユーモアが絶妙です。

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    2015年04月17日
  • エスケイプ/アブセント

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    相対する双子の兄弟がそれぞれ主人公の二編。自由でいながら、挫折に影を潜めて生きる中年男の切なさが、軽く明るく描かれている。二編が構成から響き合っているので、短いながらも印象がしっかり残る名著。

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    2015年03月22日
  • 絲的サバイバル

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    絲山さんの小説はだいぶ読んでいますが、エッセイは敬遠していました。小説のとんでもない世界が現実の足枷を受けるとどうかなあと思っていたのは事実。
    しかしエッセイも絲山さんでした。テント生活なんておよそしそうもない印象ですが、自前でお持ちだし、一緒に行くお友達もたくさんいらっしゃるんですね。そんな訳で引き続き、エッセイを読もうと思いました。進め!絲山秋子!(そんな気持ちになります。)

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    2015年01月31日
  • 逃亡くそたわけ

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    すげえ面白かった。
    精神病棟から抜け出した2人の話なので、危なっかしい場面が何度も続くが最後はとても感動した。

    映画化もされているが、情景描写が秀逸で眼に浮かぶようだったし、実際の九州各地を舞台にしているのでぜひ一度見てみたい。

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    2018年07月19日
  • イッツ・オンリー・トーク

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    EDの議員、うつ病のヤクザ、痴漢、駄目男のイトコ
    ・・・35歳の女の「すべて無駄話さ」

    第七障害の篤がいいな
    この人の作品初めて読んだけど、すごく好きかも

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    2014年08月24日
  • 妻の超然

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     『妻の超然』『下戸の超然』『作家の超然』の三作品が収録されている。
     表題作の『妻の超然』は多少ユーモラスながら、最も近い他人である夫との距離のあるコミュニケーションと、つかず離れずの友人、そして敬愛する料理の先生との部分的な共有を持った関わりを三人称で描く。『下戸の超然』は酒の呑めない男性の一人称である。これらは作家自身とは全く別の世界に生きる人物のフィクションで、それは「小説」というものの形態としてはごく普通のものなのだが、最後の『作家の超然』では主人公である作家を「二人称・おまえ」で描いてある。
     前二作を読んだ後に、この『作家の超然』を読むという順番にも意味がある。状況を距離を置いて見るように三人称で描かれた『妻』は、夫との関係をあれやこれや考える。それをまるで観察するかのように突き放す。一人称で描かれた『下戸』は独身男性の恋人や職場の友人、実家の家族との関係を客観的な目でもって主観的に描いてある。これらは作家自身とは違った生き方をする人の「孤独」について坦々と描いてある。
     そこで三作目の『作家の超然』に読み進むと、「おまえ」と呼ぶまるでもう一人の「自分」が冷徹に畳み掛けるように語る。「孤独」を飼いならし、「超然」と居ようとし、仕事をこなしていく日々と、良性の腫瘍の摘出手術を通して、これでもか、というほどの自身への「客観視」がある。そこには、前の二作で描かれた虚構でありながら、作家“ではない”別の世界を描くことによって、より輪郭が明確化された「作家」の内的世界と外の世界の隔絶と孤独が現実感を持って現される。
     もちろんこれもフィクションであり、現実の作家自身ではないのだが、その仕事「文学」の状況と自身の立場を客観的に彫り出す。「良性腫瘍」という異物を摘出するという身体の痛みを伴う出来事と、作品を描くということの共通性を感じた。そして、その産みだされる「良性腫瘍」は、前二作では子を持たない妻と独身男性という“産みださない”状況との違いを明確化し、文字通りに「身」を削る。
     絲山作品において毎回感じるのだが、ロマンチシズムやメランコリックなセンチメンタリズムの「湿気」を排除した「孤独」のありようが、追い込んでくる凄みと、誤魔化しようのない人の持つ当然の「孤独」を描きだしている。

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    2014年02月26日
  • 妻の超然

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    再読
    夫の浮気に気づいても超然としていられるはずだった「妻の超然」
    下戸の僕はNPO活動を酒好きの彼女に強要される「下戸の超然」
    腫瘍手術を控えた女性作家の胸をよぎる自らの来歴「作家の超然」
    傑作中編集

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    2013年09月21日
  • 忘れられたワルツ

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    タイトルはリストの「忘れられたワルツ」から。短編集。
    なんというか絲山さんの作品はどれもそうだといえばそうだけど、一見普通で、でもこんな小説は読んだことないっていうのばかり。特に「NR」と「ニイタカヤマノボレ」は凄味があった。
    どちらもあらすじだけだと都市伝説的な要素が強いんだけど、都市伝説ってそもそも人々の不安や不満が形になったものという説もあるから、全体に充満する、今の時代の言葉にしにくい不安がこういう物語の形を作るのかなと思ったり。

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    2013年09月08日
  • 末裔

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    ある日自宅に帰ったら、玄関のドアから鍵穴が消えていた。家に「入れなく」なった省三が、家に「帰る」までにたどる長い長い時間的空間的な旅。絲山作品ならではの、いろんな土地の緻密な描写がここでも炸裂しています。行ったことのある街も違ってみえるし、行ったことのない街は行ってみたくなる。
    離れて客観的に見ることによって、見落としていた本質的なものが見えてくることってあるよなぁ、と考えさせられた作品でした。

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    2013年07月28日
  • ラジ&ピース

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    「ラジ&ピース」もっとも好きな絲山秋子の小説である。

    女同士の友情の話だ。そして場所が移えば壊れてしまうような簡単な。
    しかし,女性同士も,男とも,一目で「友人だ」とわかることがある。不思議なその思い込みが,世界を広げることもあるとのこと。

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    2013年05月13日
  • イッツ・オンリー・トーク

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    絲山秋子さんなので、あらすじ読まずに購入。

    表題作『イッツ・オンリー・トーク』は観たいみたいと思ってて未だに観ていない寺島しのぶさん主演の映画なはず‼やっぱり面白い。

    もうひとつの、『第七障害』は最初読むのもきつかったけど、中盤からかなり良かった~好きだ~こうゆうの

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    2013年05月05日