絲山秋子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ2016年、11冊目です。
絲山秋子の小説です。
彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。
我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、
歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、
渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。
「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。
「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を
している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。
しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考え -
Posted by ブクログ
何だかわからないけど「凄い!!」
実は人生初のぎっくり腰。動けない程の重傷ではないのですが、動くほど悪化するようなので一日会社をお休み。普通の倍くらいの時間をかけて行った整形外科医院のジジババ一杯の待合室で読み始めました。
いきなり引きずり込まれます。待ち時間1時間半。その長さが気にならないほど没頭していました。
まともに読めば不愉快な主人公です。パリへの留学経験を持ち高学歴でありながらヒモのように暮らし、変態的な性癖を持ち、金貸しとして陋劣な手段を平気で行い、他人を顧みない。しかしそんな主人公がなんだか愛おしくなる。何やら著者の魔法にかけられたような。その不思議さも小説というものの楽しみだと -
Posted by ブクログ
『妻の超然』『下戸の超然』『作家の超然』の三作品が収録されている。
表題作の『妻の超然』は多少ユーモラスながら、最も近い他人である夫との距離のあるコミュニケーションと、つかず離れずの友人、そして敬愛する料理の先生との部分的な共有を持った関わりを三人称で描く。『下戸の超然』は酒の呑めない男性の一人称である。これらは作家自身とは全く別の世界に生きる人物のフィクションで、それは「小説」というものの形態としてはごく普通のものなのだが、最後の『作家の超然』では主人公である作家を「二人称・おまえ」で描いてある。
前二作を読んだ後に、この『作家の超然』を読むという順番にも意味がある。状況を距離を置いて -
Posted by ブクログ
ネタバレ結局、他人の心の内は分からないが、誰かに想われている、信じられていると感じることだけが人を救うのだと思う。そして、それを知るには長く迂回をする必要がある。ネユキが理解し得ない宗教という壁の向こうから、ヒデを祈るように。額子が、別れ際にヒデに残酷な仕打ちをしながら、後にはアル中になったヒデを髪が白くなるほど心配したように。
みんな生きながら何かを失っていく。そして失ってしまったことに耐えられず、幻を作り出す。時には安定を求めた現実自体に裏切られて。だが、誰もが、行き場はないことに耐えなければいけない。街の子宮はえぐり取られている。ヒデは酒に手を出し、ネユキは宗教にすがった。ヒデは友人を、額 -
Posted by ブクログ
ある日とつぜん鍵穴が消えて、家に帰れなくなる男の話。安部公房の『赤い繭』を思い出した。
「鍵穴はどこにもなかった」。そんな調子でしれっとSF風に導入したかと思いきや、物語が進むにつれところどころに日本の近現代史の知識欲をかき立てる世代論を交え、思いがけない風景を見せてくれる。とても味わい深い読書だった。
この作家は、女流作家の中で随一に男性の一人称がうまいと思う。団塊の世代のいわゆる「日本のオヤジ」の自意識にリアルに寄り添える力量に感心する。
備忘録:
「自分たちの世代は、若い頃もっと、社会と密接につながっていたと思う。省三(主人公)が月のように、社会の周りで満ち欠けしているとしたら