飛田茂雄のレビュー一覧

  • 神話の力

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    神話学者との対談を書き起こした書籍。世界各国の神話から人類の普遍的なイメージや価値観を探っていく。いわゆる「悟りの境地」をここまで明文化できるのかと驚嘆した。体験をもって、時間・空間や存在・非存在を心から超越した境地。

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    2018年10月27日
  • 神話の力

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    世界中に、インターネットなど情報を伝達する共通の科学的基盤が無い時代に、神話という形で世界各地に共通する要素を持つ物語が存在している。

    そういった神話の人間への意味合いを、そこに存在する隠喩を繙くことで人間を導く力があるということを述べている。こどもから大人への転換、英雄物語、等人生のなかで生きる指針を与えてくれている。

    また、それらを踏まえて、現在の世界には地球規模の神話が必要であると述べられている。

    今後宇宙での生活を行う人間たちはどういった精神性を持つのだろうか、と途中から考えてしまっていた。国境や人種の隔たりや地面に縛られないなか、そういった環境で生まれた人間はどういう感覚を持つのだろうか。宇宙のなかにも結局はコミュニティができていくのだろうか、そうなった際にはどういった「神話」が必要なのだろうか。

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    2018年10月21日
  • 母なる夜

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    なぜ人はこうも寂しいものなのかという事をつくづく感じるばかり。畳み掛けるユーモアの効いた皮肉にズキズキ心が痛む。

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    2017年10月24日
  • 神話の力

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    アイゼンハワー大統領がコンピューターでいっぱいの部屋に入り、並んでいる機械に向かって「神は存在するかね」と質問した。
    するとあらゆる機械が動き出し、ライトが点滅し、歯車が回り始め、しばらくすると声が聞こえたーー
    "Now there is." (今いる)と。

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    2017年06月04日
  • 神話の力

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    神話はどうやってできたか?この問いを考えると、人が肉体的にも精神的にも何か超越したものを言語でどうにか表すために、作られてきたことがわかるだろう。世界に神話は数あれど、似たような話が多数存在するのはなぜだろう。はたして神話は今現代に生きる人に何を教えてくれるのだろう。神話の話から人生の哲学の話に変わっていく。対話形式で分かりやすく説明された名著。

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    2017年02月07日
  • 神話の力

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    「ストーリー・ウォーズ」からのジョーゼフ・キャンベル。世界共通の神話母型があり「スターウォーズ」はそれに則っている、と知っているつもりだったが、ちゃんと書籍で読んだのは初めてでした。いま自分にとって必要な時に必要な本、というか必要な読書体験だったような気がしています。次は「千の顔を持つ英雄」に行くしかないかも。人が成長するためにどんな旅に飛び込まなくてはならないのか?巡り合わなければならないのか?とても沁みてくるものを感じます。聴き手のビル・モイヤーズも素晴らしい知性の持ち主で見事にキャンベルのビジョンを引き出しているのですが、微妙に自分だったらここ聴きたいのに!みたいな流れもあって、自分が直接インタビューしたい!みたいな大それたこと考えたりしました。さてさて、今年12月公開のディズニーのスターウォーズはどんな神話を世界に提示するのでしょうか?

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    2015年09月06日
  • 神話の力

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    どうして世界にはこんなにも神話があるのか? どうして、これほどに形を変えて、類似した神話が存在するのか? そのようなありふれた疑問に対して、比較神話学の『ひ』の字も知らない素人にも興奮と驚きをもたらしてくれる示唆に満ちた一冊。数年ごとに繰り返し読んでいけば、また新たな発見があるだろう。

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    2015年03月29日
  • 母なる夜

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    自分の生き方を持っているからこそ、何も考えていない者を嘲笑う様子が考えさせられる。この作者はユーモアに関しては誰にも負けない物を持っているように思う。この作品では、終わり方が無情であるということもあり、深く印象に残って消えない。

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    2015年02月17日
  • 神話の力

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    世界の捉え方が変わる種類の名著。たとえば、
    アダムとエバは対立観念を知ることで追放された。つまり超越者とは対立観念では認識することができないものであって、一の世界においてしか感知できないもの。我々が言葉や感覚で捉え認識することすらできないもの。
    訳本が書店で見つからないのが難点

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    2014年11月29日
  • 神話の力

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    神話を題材にしつつ、筆者は生きることそのものを祝福している。P99〜のインディアン部族の首長の言葉があまりに美しく、英語本と日本語本を交互に何度も読んだ。

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    2014年08月01日
  • 神話の力

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    キャンベル氏の本。内容が盛りだくさん。物語を書く上で、参考になるかと思い、読んでみた。

    これは、再読しないといけないなぁ。

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    2014年02月02日
  • 神話の力

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    付箋でいっぱいに。

    ・そして私がキャンベルに、私を生徒にしたことからどんな結果がしょうじてもそれに責任を取ってくださいよと言うと、彼は笑って古代ローマ人の言葉を引用した。「運命は、歩む意志ある者を先導し、意志なき者を力ずくで引き立てる」

    ・なぜ神話を、という疑問から始めましょう。いまどき、なぜ神話のことなど考える必要があるんでしょう。神話は私生活とどう関わっているのでしょうか。
    (キャンベル)答えとしてはまず、「どうぞそのままあなたの生活をお続けなさい。それは立派な人生です。あなたに神話の知識などいりません」と言いたいですね。どんなことでも、他人が重要だと言ってるから興味を向けるなんて、賢明なこととは思えません。ただ、どういう形であろうと、その問題のほうから私をとらえて放さない場合には、まともに受け止めるべきでしょう。

    ・トーマス・マンは、「作家は真理に対して忠実でなければならない」と言っています。だが、それは一種の殺し屋になることを意味します。なぜなら、ある人間を忠実に描く唯一の方法は、その欠点を並べ立てることだからです。完璧な人間なんて面白くありません。俗世間から離れてしまったブッダみたいなものです。生身の生活のいろいろな欠点こそ愛すべきものです。ですから、作家が真実の言葉という矢を放つとき、人は傷つきます。でもその矢は愛情をもって放たれるのです。トーマス・マンが「エロス的なアイロニー」と呼んだものの意味はそこにあります。それは、自分が冷酷で分析的な言葉によって殺す相手に対する愛情という意味です。

    ・ヘビは生命力のせいで脱皮をします―ちょうど月がその影を捨てるように。

    ・創造の物語を最初に語った人々は、そういう物語の寓話的な性格を意識していたと、そうお考えですか?
    (キャンベル)そうです。彼らは、あたかもそのようであった、と言ったのです。

    ・シェイクスピアは、芸術とは自然に向けて掲げられた鏡だといいましたが、神話もまさにそうです。ここでいう自然(nature)とはあなたの本性(nature)であり、神話のあのすばらしい詩的イメージはあなたの内のなにものかを映しているのです。もしあなたがそこにあるイメージにこだわりすぎて、それが自分自身を指していることに気づかなければ、あなたはそのイメージを読み損ねているわけです。
    内面的な世界というのは、外面的な世界と結びついたあなたの諸要求、あなたのエネルギー、あなたの構造、あなたの可能性などの世界です。そして、外界はあなたの肉体的な顕現の場です。そこにあなたは存在しています。あなたはその世界を二つとも働かせなければなりません。ノヴァーリスが言ったとおり、「魂の座は内面世界と外面世界とが合致したところにある」のです。

    ・で、そういう再生の理念(煉獄や輪廻)はなにを暗示しているのでしょう。
    (キャンベル)だれでも自分でそう思いこんでいる<自分>以上の存在だということを暗示しています。自己存在には、自分についての観念には含まれない次元がある、自己実現の可能性がある、意識の可能性があるんです。あなたの生(life)は、いま自分で見ているものよりも、はるかに深く、はるかに広い。いまあなたが生きているその生は、げんにあなたの内にあるもの、あなたに生命を、呼吸を、深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影くらいに過ぎません。それでもあなたはその深みのおかげで生きられるのです。そして、もしあなたがその深みを経験できるならば、あらゆる宗教はそのことについて語っているという事実に突然目覚めるはずです。

    ・私の友人で、バンコックで開かれたローマ・カトリック黙想修道会国際会議に出席した人がいましてね。彼の言うには、カトリックの修道士は仏教の修行僧をなんの問題もなく理解できたのに、この二つの宗教の司祭や管長なんかは、おたがいに理解しあえなかったそうです。
    神秘的な体験をした人ならば、それの象徴的表現はすべて不完全だという事を知っています。シンボルは体験を説明するのではなく、それを暗示するのです。

    ・この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、電球を単なる道具として使っている光そのものか。
    老いに入るとき生じる心理的な問題の一つは、死に対する恐怖です。人々は死への扉をどうしても避けようとする。けれども、この肉体は意識を運ぶ手段に過ぎません。そして、もし人が自分をその意識と同一視したならば、この肉体が古い車みたいにだめになっていくのを見ることができます。今度はフェンダーがいかれた、次はタイヤ、そして次は、と続きますが、そうなることは予想できるのです。やがて、その全部が徐々に解体し、意識は意識の世界に戻る。それはもはやこの特定の環境には存在しない。

    ・われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思いこんでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。

    ・あなたが自分で欲しがっているもの、あなたが信じようと思うもの、あなたが自分に可能だと思うもの、あなたが愛すると決めたもの、あなたが自分は絶対こういう人間なんだと思っているもの、それがあなたの自我です。あまりにもちっぽけな自我だと、それはあなたを釘づけにするでしょう。

    ・ニーチェは、「人間は病める動物である」と言っています。人間は、自分をどう扱ったらいいのかわからない動物です。その精神は多くの可能性をもっているけれども、私たちはただ一度しか生きられません。

    ・あなたの敵はあなたの運命が操る手段です。だからこそ、それを愛さなくてはいけない。

    ・苦しまなくても生きていける、と言っている神話には、一度も出会ったことがありませんね。神話は私たちに、苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるべきかを語ります。しかし、苦しみがない人生がありうるとか、人生に苦しみはあるべきでないとか、そんなことは言っていません。

    ・でも、偶然はどうでしょうか。街角から飛び出してきた酔っ払い運転の車にはねられた。これは自分が悪いんじゃない。自分が自分にしたことではありませんね。
    (キャンベル)そういう見方から言えば、偶然に生じたのではないことが、あなたの人生にあるでしょうか。これは、偶然を受け入れることができるか否かの問題です。最終的には人生は偶然で成り立っている。例えば、あなたの両親が出会ったことも!偶然、あるいは偶然のように見えるものを通して、はじめて人生は理解できる。そこでの課題は、責任を追及したり説明したりすることではなくて、立ち現われてきた人生をどう扱うかということです。

    ・先生はご本のなかで、「出エジプト記」を引用しながら道徳的な矛盾を指摘されましたね。「殺してはならない。隣人の妻を欲してはならない」しかし、外国は別で、「あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たなければならない。ただし、女はすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる」それが堂々と旧約聖書に書いてある。それは女性について何を教えているのでしょう?
    (キャンベル)教えられるのは、女性についてというよりは、「申命記」の思想です。ヘブライ人は隣人に関しえては一切情け容赦を知りませんでした。だがこの一節は、社会性の強い神話の大半に本来存在するものを極端な言葉で述べたものに過ぎません。要するに、愛と慈悲はイン・グループのためにあり、ほかの物には攻撃と虐待が行われる。同族のメンバーだけが同情され、寛容に扱われる。アウト・グループは「申命記」に買いてあるとおりの扱いを受ける。
    ところで今日、この地球上に、もはやアウト・グループというものはありません。そこで、現代の宗教の課題は、そういう慈悲や思いやりを全人類のために働かせることです。では、攻撃の方はどうなるか。それは世界が直面しなければならない問題です。なぜなら、攻撃は同情と同じくらい自然で、そしてそれよりもいっそう直接的な本能で、いつでも見られるからです。それは生物的な事実です。

    ・それ以前の愛は単なるエロスでした。エロスは生物学的な強い衝動です。器官がおたがいを求めて燃えているのです。人格的な要素は関係ありません。アガペーは、あなた自身を愛するように隣人を愛しなさいという意味での愛、つまり、精神的な愛です。隣人が誰であろうと変わりはありません。
    …しかし、アモールの場合、私たちは純粋に個人的な理想を抱きます。吟遊詩人たちがその伝統的な詩のなかで表現しているように、目と目が合うことから生じる一種の発作は、個人対個人の経験です。
    ~
    こうして愛は目と目を通して心に至る、
    目は心の斥候だから、
    心が捕えて喜ぶものを捜して回る。
    そして二つの目と心と、その三つが和解し、
    しっかりとひとつの決心を固めるとき、
    そのとき、目が心のために喜び迎えたものから、
    完全な愛が生まれる。
    愛はそうやってしか生まれないし、
    本心から動かされぬかぎり、愛が始まることもない。

    これら三つの恵みと命令とによって、
    またその喜びから、愛は生まれ、
    その楽しい希望が友達を慰めに行く。
    ほんとうに愛し合っている人ならみんな知っているように、
    愛は限りない親切だからだ。そして
    それは―疑いもなく―心と二つの目から生まれる。
    目は愛の花を咲かせ、心は愛を養い育てる。
    自らの種から生まれた実にほかならぬ愛を。
    ~
    …心によってではなく、社会によって取り決められた結婚は、すべて精神的な結合を侵すものです。そこに、中世の騎士による宮廷風恋愛の意味があります。それは教会の思想に真っ向から反するものでした。アモール(AMOR)という語を逆に綴るとROMAに、つまりローマ・カトリック教会になる。その教会は単に政治的、社会的な性格を持った結婚だけを正当と認めていました。
    (近松門左衛門の忠をばらしてひっくり返して心中にした、のと同じだ!!)

    ・恋は重い病であると感じることこそ肝心な点の一つだったからです。人が経験しかけている相手との一体化、それをこの世で成就させることは不可能なのです。

    ・これは偉大な瞬間ですよ、ビル。私たちがなんとか努力しているのは、私たちの主題である原存在を、人間に許されている部分的な表現法を通して見せることです。

    ・ショーペンハウエルは、夢がその人自身の―自分では意識できない―ある一面によって作られるのと同じように、人の一生もその人の内なる意志によって作られるのではないかと言っています。ちょうど、偶然としか思われない形で出会った人が、のちに私の人生を構成する主要な働きをすることがあるように、私が知らずのうちに他人の人生を動かしたり、それに意味を与えたりすることもあるのでしょう。
    …そしてショーペンハウエルは結論として、われわれの人生は、たったひとりの人間が見ているひとつの巨大な夢のさまざまな様相のようなものであり、その夢の中に登場するものもすべてまた夢を見るから、あらゆるものは他のあらゆるものと結びついており、それらが一つの生命の意志、すなわり、自然の内なる宇宙意志によって動かされているのだ、と言っています。
    これは壮大な思想であり、インドで<インドラの網>の神話的イメージによって象徴されている思想です。インドラの網というのは宝石の網でしてね、縦糸と横糸が交わるところにはすべて宝石があり、その宝石のひとつひとつが他のすべての宝石の輝きを反映しています。
    (モイヤース)それでいて、私たちはだれでもある目的を持った生を営んできた。そう信じておられますか。
    (キャンベル)私は生に目的があるとは信じません。生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズムにほかなりません。
    (モイヤース)まさか…まさか、そんな。
    (キャンベル)ちょっと待ってください。純粋な生は、一つの目的を持っているとは言えません。…しかし、あらゆる生命体は、ある潜在能力を持っており、生の使命はその潜在能力を生きることだ、とは言えるかも知れません。そのためにはどうすればいいか。私の答えは、「あなたの至福を追求しなさい」です。あなたの無上の喜びに従うこと。あなたのなかには、自分が中心にいることを知る能力があります。自分が正しい軌道に乗っているか、そこからはずれているかを知る能力が。

    ・「アーウーム」誕生、生きること、そして循環を終わって解体すること。「アウム」は四元素の音節だと言われています。「アーウーム」、そして四つめの元素はなんでしょう。「アウム」がそこから出て、そこに戻る、「アウム」の底にある沈黙です。私の生は「アーウーム」です。そこの底流にも沈黙があります。それは不滅性と呼べるものでしょう。有限の生があり、その底に不滅の生がある。そして不滅なものがなければ死すべきものもないのでしょう。
    (モイヤーズ)その意味は、本質的に言葉を超越している。
    (キャンベル)そう。言葉はいつも限定であり、制約です。
    (モイヤーズ)それはそうですが、先生、しがない私たち人間に残されているのは、このみじめったらしい言語だけです。それは美しいけれども不十分なものだから、なにかを表現しようと思っても…
    (キャンベル)そのとおりですね。だからこそ、すべての言葉を超越することが絶頂体験なのです。折にふれてあらゆる言語を超えて悟る…「おお…ああ…」

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    2014年04月05日
  • 母なる夜

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    いやー!面白い
    ヴォネガットお得意のナンセンスな超展開でしょって思いながらも
    各展開ごとにいちいちわくわくしてしまった
    妻との再会では思わず泣いた・・・ それなのに!笑
    正直何も考えないで読んでもこれだけ面白い本はなかなか無い

    本当にストーリーだけでも最高の本ですが、メッセージもしっかりあります
    正義とか善意とか誠実さとかそいいったものの脆弱性
    生きるということ それと戦争

    こんなただ面白いだけの本なのに考えさせられることも多く、
    ただものじゃありませんカートヴォネガット
    彼の著作を全部読みたいと思いました

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    2012年12月30日
  • 母なる夜

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    本文より。
    “愛する人とできるだけいっしょに寝てあげなさい。それはみなさんにとってほんとうに好ましいことですから。”
    くぅ~!

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    2011年05月05日
  • ヴォネガット、大いに語る

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    ヴォネガットはニヒリストである。

    しかし、人間は、人間社会はどうしようもないものと思いつつも、正義あるいは神の名の下における持てるものの都合の良い理屈からなる運命論には屈しない。
    ヴォネガットは全体には絶望しているが各々の問題に対してのかすかな希望は捨てない。

    ヴォネガットは各種の講演やエッセイ、書評、インタビューが納められた本書で語り続ける。
    富はもっと公平に分配されるべきである。社会共同体を再構築し人々の絆を取り戻すべきである・・・
    それはかなわぬ夢であるどころか、そうした思想が返ってより悪い結果しかもたらさないこともヴォネガットは充分に知っている。

    だけど希望を繰り返す。
    人間は絶望的に愚かであるが、希望を語れなくなるほどの絶望はないから。
    むしろ肥大化した脳が、退化して動物になった方が人間は幸せだろうと思いつつも。

    笑いながらでも泣きながらでも希望を語り続けること。
    大いに語ることはとても健康的だ。

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    2009年10月04日
  • 母なる夜

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    自らを投影したハワードの葛藤。
    ドイツにルーツをもつアメリカ人として戦争に勝ったのか負けたのか分からなくなってしまう。

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    2026年07月11日
  • 浮世の画家〔新版〕

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    ネタバレ

    20260118ー0130NHKドラマで渡辺謙が主演。それが面白かったので原作を入手。心理描写が過去と現在を行きつ戻りつしながら、戦後の日常が淡々と進んでいく。

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    2026年02月01日
  • 浮世の画家〔新版〕

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    遠い山なみの光の主人公の父親と同じカテゴリーに属する、戦前にステータスがあって尊敬されていた男性が、戦後にそれまでの若者たちからの尊敬を一気に失って怒りと戸惑いの後に自分の中の落とし所を見つけていく物語

    どちらの男性も途中で子や孫に対して上っ面だけの論理でmanipulateしようとする場面が本当にムカついて、その父親をさらに上っ面だけの傾聴でmanipulateしようとする嫁や長女の姿が、つい最近の日本でもまだ女と役割として求められていた、あるいはまだ求められていることと合わせてさらに怒りを感じるとともに、これをもう亡き父にはしなくてよい/してあげられないことを虚しく思った

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    2026年01月24日
  • 浮世の画家〔新版〕

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    引退した心穏やかな画家の、内面に潜む葛藤を深く鋭く描いている。
    前作『遠い山なみの光』と同じく、地域や世代による認識の狭間で揺れる主人公だ。だがこの作品ではそれがより洗練されている。
    これをさらにキレイに纏め、舞台をイギリスに移したものが次作の『日の名残り』と言えそうだ。

    次の世代の方々との考え方の違いに、自分がどう上手に折り合いをつけていくかは、僕も常に向き合っている課題だ。
    主人公はその答えを
    『受け入れる柔軟性を持ちながらも、自己の本質的な考えは変えない』点に見出した。この回答は今後の僕に大きな示唆を与えてくれるだろう。

    カズオ・イシグロ作品の多くに言えることだが、活字を追うこと自体に幸せを感じた。文中の単語一つ一つに込められた著者の深淵な思いとか、そういうものをあれこれ詮索しながら読むのが実に楽しいのである。

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    2025年06月07日
  • 浮世の画家〔新版〕

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    主人公の思い出した通りに(時間軸が飛び飛びに)話が進んでいくので、少々読みづらく感じることもあったが、挫折することなく読み終えることができて良かった。次はメモをとりながら読み返そうと思った。
    本の内容とは全く関係ないが、この本を読み終わってから「無言館」に行った時に、絵で成功し、立場(階級、地位)を得たために、おそらく戦地に行くことはなかった主人公と、絵で生きていきたいという夢を持ちながらも戦地に行き、帰らぬ人となった若者たち。この2つを通して、戦争と芸術の関係は何だろうかと考えることができて、それも良かったと思う。

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    2025年06月06日