【感想・ネタバレ】神話の力のレビュー

あらすじ

世界中の民族がもつ独自の神話体系には共通の主題や題材も多く、私たちの社会の見えない基盤となっている。神話はなんのために生まれ、私たちに何を語ろうというのか? ジョン・レノン暗殺からスター・ウォーズまでを例に現代人の精神の奥底に潜む神話の影響を明らかにし、綿々たる精神の旅の果てに私たちがどのように生きるべきか、という答えも探っていく。神話学の巨匠の遺作となった驚異と感動の名著。/掲出の書影は底本のものです

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Posted by ブクログ

神話それ自体の話が多いのかなと思っていたが、私たちがいまこの人生をより良く生きるためにどうすればいいのかみたいな内容が結構あってよかった。「あなたの至福を追求しなさい」ということを忘れずにいたいと思う。

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2024年08月15日

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聞き手であるジャーナリストのビル・モイヤーズと、語り手である神話学の権威であるジョーゼフ・キャンベルとの対話を通して、神話に対する疑問や現代社会における神話の存在意義や影響等について考察した、両者の深い知識量による示唆に富んだ一冊。

神話は詩であり、隠喩である。
そして神話とは究極の心理の一歩手前の心理である。
人生のマイナス面やマイナス時期だと思われるものや時の中にプラスの価値を認めることを神話から学ぶのだと。

しかし双方の知識量の豊富さに圧倒されて、まだ断片しか咀嚼できてないと思うので、また読み返さないといけななと。

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2020年06月08日

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具体的な神話について詳細が語られるような本ではなく、インタビュアーに応える対話形式。

この本を読もうと思ったのは、令和元年を迎えるにあたって、天皇家ってなんだ?という疑問から古事記の解説本を読んで、その本のコラムに、古事記と共通する他国の神話の話が幾つも紹介されていて世界の神話の共通性に興味が湧いたのと、並行で読んでいた西洋美術の本でも、神話画がヒエラルキーの頂点とか、人間の歴史の中に神話が欠かせないものなのかなぁと漠然と思ってたところにちょうど手に入った。

神話の共通性って、人間の形、男女の違いなどが影響してたりするのをみると、ホムンクルスじゃ無いけど、身体と脳の関係性が思考に影響しているんだろうなぁとか、色々と思索ができる。
そして、この本の中で感銘を強く受けたのは、キリスト教である教授が話す仏教との親和性。

神という存在をどこに置いているかが最も違う点だと思うけど、何が正しくて、何が正しく無い、ではなくて、人間の思考って様々だし、共通項もあるねという認識が出来る。
やはり、身体の形から思考は作られるのかな?なんて。

それぞれの人が色々な示唆を受けられるのでは無いかと思う本でした。

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2019年11月23日

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神話学者との対談を書き起こした書籍。世界各国の神話から人類の普遍的なイメージや価値観を探っていく。いわゆる「悟りの境地」をここまで明文化できるのかと驚嘆した。体験をもって、時間・空間や存在・非存在を心から超越した境地。

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2018年10月27日

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世界中に、インターネットなど情報を伝達する共通の科学的基盤が無い時代に、神話という形で世界各地に共通する要素を持つ物語が存在している。

そういった神話の人間への意味合いを、そこに存在する隠喩を繙くことで人間を導く力があるということを述べている。こどもから大人への転換、英雄物語、等人生のなかで生きる指針を与えてくれている。

また、それらを踏まえて、現在の世界には地球規模の神話が必要であると述べられている。

今後宇宙での生活を行う人間たちはどういった精神性を持つのだろうか、と途中から考えてしまっていた。国境や人種の隔たりや地面に縛られないなか、そういった環境で生まれた人間はどういう感覚を持つのだろうか。宇宙のなかにも結局はコミュニティができていくのだろうか、そうなった際にはどういった「神話」が必要なのだろうか。

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2018年10月21日

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アイゼンハワー大統領がコンピューターでいっぱいの部屋に入り、並んでいる機械に向かって「神は存在するかね」と質問した。
するとあらゆる機械が動き出し、ライトが点滅し、歯車が回り始め、しばらくすると声が聞こえたーー
"Now there is." (今いる)と。

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2017年06月04日

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神話はどうやってできたか?この問いを考えると、人が肉体的にも精神的にも何か超越したものを言語でどうにか表すために、作られてきたことがわかるだろう。世界に神話は数あれど、似たような話が多数存在するのはなぜだろう。はたして神話は今現代に生きる人に何を教えてくれるのだろう。神話の話から人生の哲学の話に変わっていく。対話形式で分かりやすく説明された名著。

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2017年02月07日

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「ストーリー・ウォーズ」からのジョーゼフ・キャンベル。世界共通の神話母型があり「スターウォーズ」はそれに則っている、と知っているつもりだったが、ちゃんと書籍で読んだのは初めてでした。いま自分にとって必要な時に必要な本、というか必要な読書体験だったような気がしています。次は「千の顔を持つ英雄」に行くしかないかも。人が成長するためにどんな旅に飛び込まなくてはならないのか?巡り合わなければならないのか?とても沁みてくるものを感じます。聴き手のビル・モイヤーズも素晴らしい知性の持ち主で見事にキャンベルのビジョンを引き出しているのですが、微妙に自分だったらここ聴きたいのに!みたいな流れもあって、自分が直接インタビューしたい!みたいな大それたこと考えたりしました。さてさて、今年12月公開のディズニーのスターウォーズはどんな神話を世界に提示するのでしょうか?

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2015年09月06日

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どうして世界にはこんなにも神話があるのか? どうして、これほどに形を変えて、類似した神話が存在するのか? そのようなありふれた疑問に対して、比較神話学の『ひ』の字も知らない素人にも興奮と驚きをもたらしてくれる示唆に満ちた一冊。数年ごとに繰り返し読んでいけば、また新たな発見があるだろう。

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2015年03月29日

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世界の捉え方が変わる種類の名著。たとえば、
アダムとエバは対立観念を知ることで追放された。つまり超越者とは対立観念では認識することができないものであって、一の世界においてしか感知できないもの。我々が言葉や感覚で捉え認識することすらできないもの。
訳本が書店で見つからないのが難点

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2014年11月29日

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神話を題材にしつつ、筆者は生きることそのものを祝福している。P99〜のインディアン部族の首長の言葉があまりに美しく、英語本と日本語本を交互に何度も読んだ。

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2014年08月01日

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キャンベル氏の本。内容が盛りだくさん。物語を書く上で、参考になるかと思い、読んでみた。

これは、再読しないといけないなぁ。

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2014年02月02日

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付箋でいっぱいに。

・そして私がキャンベルに、私を生徒にしたことからどんな結果がしょうじてもそれに責任を取ってくださいよと言うと、彼は笑って古代ローマ人の言葉を引用した。「運命は、歩む意志ある者を先導し、意志なき者を力ずくで引き立てる」

・なぜ神話を、という疑問から始めましょう。いまどき、なぜ神話のことなど考える必要があるんでしょう。神話は私生活とどう関わっているのでしょうか。
(キャンベル)答えとしてはまず、「どうぞそのままあなたの生活をお続けなさい。それは立派な人生です。あなたに神話の知識などいりません」と言いたいですね。どんなことでも、他人が重要だと言ってるから興味を向けるなんて、賢明なこととは思えません。ただ、どういう形であろうと、その問題のほうから私をとらえて放さない場合には、まともに受け止めるべきでしょう。

・トーマス・マンは、「作家は真理に対して忠実でなければならない」と言っています。だが、それは一種の殺し屋になることを意味します。なぜなら、ある人間を忠実に描く唯一の方法は、その欠点を並べ立てることだからです。完璧な人間なんて面白くありません。俗世間から離れてしまったブッダみたいなものです。生身の生活のいろいろな欠点こそ愛すべきものです。ですから、作家が真実の言葉という矢を放つとき、人は傷つきます。でもその矢は愛情をもって放たれるのです。トーマス・マンが「エロス的なアイロニー」と呼んだものの意味はそこにあります。それは、自分が冷酷で分析的な言葉によって殺す相手に対する愛情という意味です。

・ヘビは生命力のせいで脱皮をします―ちょうど月がその影を捨てるように。

・創造の物語を最初に語った人々は、そういう物語の寓話的な性格を意識していたと、そうお考えですか?
(キャンベル)そうです。彼らは、あたかもそのようであった、と言ったのです。

・シェイクスピアは、芸術とは自然に向けて掲げられた鏡だといいましたが、神話もまさにそうです。ここでいう自然(nature)とはあなたの本性(nature)であり、神話のあのすばらしい詩的イメージはあなたの内のなにものかを映しているのです。もしあなたがそこにあるイメージにこだわりすぎて、それが自分自身を指していることに気づかなければ、あなたはそのイメージを読み損ねているわけです。
内面的な世界というのは、外面的な世界と結びついたあなたの諸要求、あなたのエネルギー、あなたの構造、あなたの可能性などの世界です。そして、外界はあなたの肉体的な顕現の場です。そこにあなたは存在しています。あなたはその世界を二つとも働かせなければなりません。ノヴァーリスが言ったとおり、「魂の座は内面世界と外面世界とが合致したところにある」のです。

・で、そういう再生の理念(煉獄や輪廻)はなにを暗示しているのでしょう。
(キャンベル)だれでも自分でそう思いこんでいる<自分>以上の存在だということを暗示しています。自己存在には、自分についての観念には含まれない次元がある、自己実現の可能性がある、意識の可能性があるんです。あなたの生(life)は、いま自分で見ているものよりも、はるかに深く、はるかに広い。いまあなたが生きているその生は、げんにあなたの内にあるもの、あなたに生命を、呼吸を、深さを与えているもののうち、ほんのわずかな影くらいに過ぎません。それでもあなたはその深みのおかげで生きられるのです。そして、もしあなたがその深みを経験できるならば、あらゆる宗教はそのことについて語っているという事実に突然目覚めるはずです。

・私の友人で、バンコックで開かれたローマ・カトリック黙想修道会国際会議に出席した人がいましてね。彼の言うには、カトリックの修道士は仏教の修行僧をなんの問題もなく理解できたのに、この二つの宗教の司祭や管長なんかは、おたがいに理解しあえなかったそうです。
神秘的な体験をした人ならば、それの象徴的表現はすべて不完全だという事を知っています。シンボルは体験を説明するのではなく、それを暗示するのです。

・この私はなんだ?私は光を運ぶ電球なのか、それとも、電球を単なる道具として使っている光そのものか。
老いに入るとき生じる心理的な問題の一つは、死に対する恐怖です。人々は死への扉をどうしても避けようとする。けれども、この肉体は意識を運ぶ手段に過ぎません。そして、もし人が自分をその意識と同一視したならば、この肉体が古い車みたいにだめになっていくのを見ることができます。今度はフェンダーがいかれた、次はタイヤ、そして次は、と続きますが、そうなることは予想できるのです。やがて、その全部が徐々に解体し、意識は意識の世界に戻る。それはもはやこの特定の環境には存在しない。

・われわれはただ英雄が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に会うと思っていたところで神に出会うだろう。そしてかつては他人を殺すべきだと思っていたところで自我を殺すことだろう。まだ遠くまで旅を続けなければと思っていたところで、われわれ自身の存在の中心に到達するだろう。そして、孤独だと思いこんでいたのに、実は全世界が自分と共にあることを知るだろう。

・あなたが自分で欲しがっているもの、あなたが信じようと思うもの、あなたが自分に可能だと思うもの、あなたが愛すると決めたもの、あなたが自分は絶対こういう人間なんだと思っているもの、それがあなたの自我です。あまりにもちっぽけな自我だと、それはあなたを釘づけにするでしょう。

・ニーチェは、「人間は病める動物である」と言っています。人間は、自分をどう扱ったらいいのかわからない動物です。その精神は多くの可能性をもっているけれども、私たちはただ一度しか生きられません。

・あなたの敵はあなたの運命が操る手段です。だからこそ、それを愛さなくてはいけない。

・苦しまなくても生きていける、と言っている神話には、一度も出会ったことがありませんね。神話は私たちに、苦しみにどう立ち向かい、どう耐えるか、また苦しみをどのように考えるべきかを語ります。しかし、苦しみがない人生がありうるとか、人生に苦しみはあるべきでないとか、そんなことは言っていません。

・でも、偶然はどうでしょうか。街角から飛び出してきた酔っ払い運転の車にはねられた。これは自分が悪いんじゃない。自分が自分にしたことではありませんね。
(キャンベル)そういう見方から言えば、偶然に生じたのではないことが、あなたの人生にあるでしょうか。これは、偶然を受け入れることができるか否かの問題です。最終的には人生は偶然で成り立っている。例えば、あなたの両親が出会ったことも!偶然、あるいは偶然のように見えるものを通して、はじめて人生は理解できる。そこでの課題は、責任を追及したり説明したりすることではなくて、立ち現われてきた人生をどう扱うかということです。

・先生はご本のなかで、「出エジプト記」を引用しながら道徳的な矛盾を指摘されましたね。「殺してはならない。隣人の妻を欲してはならない」しかし、外国は別で、「あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たなければならない。ただし、女はすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる」それが堂々と旧約聖書に書いてある。それは女性について何を教えているのでしょう?
(キャンベル)教えられるのは、女性についてというよりは、「申命記」の思想です。ヘブライ人は隣人に関しえては一切情け容赦を知りませんでした。だがこの一節は、社会性の強い神話の大半に本来存在するものを極端な言葉で述べたものに過ぎません。要するに、愛と慈悲はイン・グループのためにあり、ほかの物には攻撃と虐待が行われる。同族のメンバーだけが同情され、寛容に扱われる。アウト・グループは「申命記」に買いてあるとおりの扱いを受ける。
ところで今日、この地球上に、もはやアウト・グループというものはありません。そこで、現代の宗教の課題は、そういう慈悲や思いやりを全人類のために働かせることです。では、攻撃の方はどうなるか。それは世界が直面しなければならない問題です。なぜなら、攻撃は同情と同じくらい自然で、そしてそれよりもいっそう直接的な本能で、いつでも見られるからです。それは生物的な事実です。

・それ以前の愛は単なるエロスでした。エロスは生物学的な強い衝動です。器官がおたがいを求めて燃えているのです。人格的な要素は関係ありません。アガペーは、あなた自身を愛するように隣人を愛しなさいという意味での愛、つまり、精神的な愛です。隣人が誰であろうと変わりはありません。
…しかし、アモールの場合、私たちは純粋に個人的な理想を抱きます。吟遊詩人たちがその伝統的な詩のなかで表現しているように、目と目が合うことから生じる一種の発作は、個人対個人の経験です。

こうして愛は目と目を通して心に至る、
目は心の斥候だから、
心が捕えて喜ぶものを捜して回る。
そして二つの目と心と、その三つが和解し、
しっかりとひとつの決心を固めるとき、
そのとき、目が心のために喜び迎えたものから、
完全な愛が生まれる。
愛はそうやってしか生まれないし、
本心から動かされぬかぎり、愛が始まることもない。

これら三つの恵みと命令とによって、
またその喜びから、愛は生まれ、
その楽しい希望が友達を慰めに行く。
ほんとうに愛し合っている人ならみんな知っているように、
愛は限りない親切だからだ。そして
それは―疑いもなく―心と二つの目から生まれる。
目は愛の花を咲かせ、心は愛を養い育てる。
自らの種から生まれた実にほかならぬ愛を。

…心によってではなく、社会によって取り決められた結婚は、すべて精神的な結合を侵すものです。そこに、中世の騎士による宮廷風恋愛の意味があります。それは教会の思想に真っ向から反するものでした。アモール(AMOR)という語を逆に綴るとROMAに、つまりローマ・カトリック教会になる。その教会は単に政治的、社会的な性格を持った結婚だけを正当と認めていました。
(近松門左衛門の忠をばらしてひっくり返して心中にした、のと同じだ!!)

・恋は重い病であると感じることこそ肝心な点の一つだったからです。人が経験しかけている相手との一体化、それをこの世で成就させることは不可能なのです。

・これは偉大な瞬間ですよ、ビル。私たちがなんとか努力しているのは、私たちの主題である原存在を、人間に許されている部分的な表現法を通して見せることです。

・ショーペンハウエルは、夢がその人自身の―自分では意識できない―ある一面によって作られるのと同じように、人の一生もその人の内なる意志によって作られるのではないかと言っています。ちょうど、偶然としか思われない形で出会った人が、のちに私の人生を構成する主要な働きをすることがあるように、私が知らずのうちに他人の人生を動かしたり、それに意味を与えたりすることもあるのでしょう。
…そしてショーペンハウエルは結論として、われわれの人生は、たったひとりの人間が見ているひとつの巨大な夢のさまざまな様相のようなものであり、その夢の中に登場するものもすべてまた夢を見るから、あらゆるものは他のあらゆるものと結びついており、それらが一つの生命の意志、すなわり、自然の内なる宇宙意志によって動かされているのだ、と言っています。
これは壮大な思想であり、インドで<インドラの網>の神話的イメージによって象徴されている思想です。インドラの網というのは宝石の網でしてね、縦糸と横糸が交わるところにはすべて宝石があり、その宝石のひとつひとつが他のすべての宝石の輝きを反映しています。
(モイヤース)それでいて、私たちはだれでもある目的を持った生を営んできた。そう信じておられますか。
(キャンベル)私は生に目的があるとは信じません。生とは自己増殖と生存持続の強い欲求を持った多くのプロトプラズムにほかなりません。
(モイヤース)まさか…まさか、そんな。
(キャンベル)ちょっと待ってください。純粋な生は、一つの目的を持っているとは言えません。…しかし、あらゆる生命体は、ある潜在能力を持っており、生の使命はその潜在能力を生きることだ、とは言えるかも知れません。そのためにはどうすればいいか。私の答えは、「あなたの至福を追求しなさい」です。あなたの無上の喜びに従うこと。あなたのなかには、自分が中心にいることを知る能力があります。自分が正しい軌道に乗っているか、そこからはずれているかを知る能力が。

・「アーウーム」誕生、生きること、そして循環を終わって解体すること。「アウム」は四元素の音節だと言われています。「アーウーム」、そして四つめの元素はなんでしょう。「アウム」がそこから出て、そこに戻る、「アウム」の底にある沈黙です。私の生は「アーウーム」です。そこの底流にも沈黙があります。それは不滅性と呼べるものでしょう。有限の生があり、その底に不滅の生がある。そして不滅なものがなければ死すべきものもないのでしょう。
(モイヤーズ)その意味は、本質的に言葉を超越している。
(キャンベル)そう。言葉はいつも限定であり、制約です。
(モイヤーズ)それはそうですが、先生、しがない私たち人間に残されているのは、このみじめったらしい言語だけです。それは美しいけれども不十分なものだから、なにかを表現しようと思っても…
(キャンベル)そのとおりですね。だからこそ、すべての言葉を超越することが絶頂体験なのです。折にふれてあらゆる言語を超えて悟る…「おお…ああ…」

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2014年04月05日

Posted by ブクログ

対話形式の本のお手本のような出来。

他の神話物語でもそうだが、旧約聖書の記述は世界がどう作られたかを寓話的に説明しているにすぎない、という記述には驚いた。だとすれば聖書の記述は文字通りの真実だとする原理主義者は…。

日本のイザナギとイザナミの物語も、世界がどうできたかを説明する寓話であって真実そのものではないことを疑う人はいないだろうが、世界的に力を持っているキリスト教に関してはそうではないと考える人が多くて。真実っぽく感じてしまうのかな。物語・ストーリーの説明もある。小説家志望の人も読んでみたら参考になるのではないか。

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2011年12月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 最高!神話を心理分析の観点から語った対話本だけど、解釈が非常にロマンチック。たとえそれがJ・キャンベルの一考察にすぎないとしても、読者がそこから得るものは大きい。神話はあくまでも物語であり、それゆえに私たちが理解するうえでは必ず個人的な解釈が介入することになる。ただそれを前提にしないと、この本は単なる著者の夢物語としか感じられないだろう。

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2011年03月30日

Posted by ブクログ

結構なボリューム。
対談形式で進むから読みやすさはある。
カトリックの素養を持ったキャンベルではあるが、東方仏教やインド哲学への傾倒など、一元的な偏りには左右されない柔軟な思考の持ち主だと感じた。
神話や宗教関連の書籍を読み漁る中でもキャンベルの名前は頻出してたが、こうして初巡り合わせできて嬉しい。
主著である『千の顔を持つ英雄』も読みたい。

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2023年09月30日

Posted by ブクログ

過去の神話から学び、より高次の視点から人生を歩める資となる本
内容についても対話形式で章立てのため読み進めやすい。
ボリュームはそこそこある

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2021年08月28日

Posted by ブクログ

世界の神話を比較して読み解く対談本。

対談者がキリスト教徒ということもあり、必然的にキリスト教の話が多い。それでもこれだけ比較して話せる知識量がうらやましい。

生まれた時から自分の信じる宗教が決まっているというのはどのようなものなのだろう。ニーチェは苦しんだあげくにそこから抜け出せず終わった。
キリスト的世界観を捨てよ、という言葉にたどりつくまで、キャンベル氏にも様々な葛藤があったのだろうと感じた。

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2018年03月27日

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人々を説得によって信仰に導こうとするからうまくいかない。むしろ自分自身の発見の輝きを示すべきだ。世界中で最善のものと認められ考えられている物事を知り、それをまた他者に知らせることによって真実のまた新鮮な思潮を創造すること。

世界の神話に共通した要素を発見し、人間の心理の奥底には絶えず中心に近づきたい、つまり深い原理に近づきたいという要求があることをしてきすること.
人生の意味の探求が必要なのではなく生きているという経験を求めること。

スペシャリストとジェネラリスト
自分自身の神話を見つけようと思ったらどういう社会に所属しているか知ることが大事。遊牧民族か、農耕民族か。
日本はまだ内面的には自然と調和している。

一神教グループは争いあって未来に対する自分たちの能力を自ら否定している。ー個々人を地域グループではなく惑星全体と同一視するような神話が必要。

そういう神話の雛形はアメリカ。13の異なる植民国家がどの一刻の利益も無視住まいと努力しながらも共同利益のために協力して活動しようと決心していた。アメリカは単なる戦争でなく、理性を基礎として築かれた最初の国家。

どの集団も皆、自分たちは選ばれた民だと思っている。彼らが自分たちにつけた名前が、大抵は<人間>を意味するものだというのはちょっと面白い。他の人々には変な名前をつけている。

愛はたくさんの機能のうちの一つ。本来なら全体の秩序に奉仕すべき一つの機能がシステム全体を支配すると物事は狂ってしまう。

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2016年10月24日

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 人々はよく、われわれは生きることの意味を探っていると言いますが、人間がほんとうに探求しているのは、たぶん生命の意味ではありません。人間がほんとうに求めているのは、<いま生きているという経験>だと思います。
純粋に物理的な次元における生活体験が、自己の最も内面的な存在ないし実体に共鳴をもたらすことによって、生きている無上の喜びを実感する、それを求めているのです。

 もし人生の途中でなにが案内標識の役をしているか、それがわからないければ自分で作り上げるしかありません。ところが、もし神話というテーマが自分をとらえた場合は、こうした伝統のあれこれのおかげで、言い換えれば、人生を豊かにし、活性化してくれるような深みのある情報のおかげで、もうそれを手放したくないと思うものです。
(第一章 神話と現代の世界より)

 
 神話は詩です、隠喩ですよ。神話は究極の真理の一歩手前にあるとよく言われますが、うまい表現だと思います。究極のものは言葉にはできない、だから一歩手前なんです、究極は言葉を超えている。イメージを超えている。その生成の輪の、意識を取り囲む外輪を超えている。神話は精神をその外輪の外へと、知ることはできるがしかし語ることはできない世界へと、放り投げるのです。・・・そういう経験とともに、ということはその神秘とあなた自身の神秘を知りつつ人生を生きるのは、大事なことです。それは人生に新たな輝きを、調和を、大きさを、与えてくれる。神話的にものを考えることは、あなたがこの「涙の谷」において避けられない悲嘆や困苦と、折り合いをつけて生きるのを助けてくれます。あなたの人生のマイナスメンだとかマイナスの時期だと思われるもののなかに、プラスの価値を認めることを神話から学ぶのです。大きな問題は、あなたが自分の冒険に心からイエスといえるかどうかです。
(第五章 英雄の冒険)


 神話とは、人間の夢。もっといえば、世界の夢である。人間の肉体という器は古来より全く変化していない。したがって、神話は原初的な人間の生のモチーフとして、決して色褪せるということが起こらないのである。
 

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2012年08月12日

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神話の具体例と、そこから導かれるキャンベル師の人生訓の繰り返し。
個人主義的な、あるひとつの時代の言説だなぁ、という印象。
しかし大変前向きで励まされるところも多い。

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2012年10月17日

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読んでいる時は神話についての話だと思っていたけれど、気になった箇所のメモを取ってみたら、これは神話を拠り所にした現代への教えの本なのだと気づいた。読み応えあり。

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2011年11月30日

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「1000の顔を持つ英雄」の著者、ジョゼフ・キャンベルと、著名ジャーナリストであるビル・モイヤーズの対談。世界各地の神話の共通点からの学び、スターウォーズやジョン・レノン暗殺など、最近の出来事にも、神話のエッセンスが底通しているとう。やや極端な解釈もあるが、英雄(個人の仕事に無理やり結びつければ起業家や経営者)の成長の旅や子育てに関することなど、なるほどと思うことも少なくない。旅立ち、試練、なんらかの支援や啓示、脱出、日常への帰還、というサイクル。ただ、対談とはいえ内容は難解で本当に理解しているかと言われると怪しい。

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2025年06月13日

Posted by ブクログ

本文の「現代の若者は、ただ有名になりたいという人が増加している」みたいな文章から、現代の人には英雄の精神が不足していると感じた。英雄は、社会のために自己犠牲してこそ英雄になるわけで、「ただ有名になりたい」は自己犠牲せずに社会から称賛されたいというもの。
フォロワーが何万人いてもなお、承認欲求に飢えて幸福になれていない人を見ると、人は他人や社会のために自己犠牲することで満たされるのではないかと仮定した。

自己犠牲なくした承認欲求には幸福は訪れない

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2024年03月23日

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読み始めると著者らのバックボーンの違いか時代背景の違いなのか、本編と違うところが気になって集中出来なかった。

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2022年04月15日

Posted by ブクログ

スターウォーズや鬼滅の刃など、現代でもヒットする作品は世界のあらゆる文化の中で生まれた宗教や神話を参照しながら作られていると言われている。「神話」と聞くと普段の生活に馴染みがないように思うけれども、意外と普段意識しないところまで浸透しているのかもしれない。

世界各地の神話を比較して研究してきた著者が、「男女」「結婚」「生死」「英雄・冒険」など、重要なキーワードをもとに様々なエピソードを紹介。キリスト教やイスラム教、仏教などはもちろん、南米の山奥で根付いている宗教からアフリカの村に伝わっている神話など、世界の端から端まで網羅されていて、その情報量に圧倒された。国だけでなく、神話がユングなどの心理学や哲学といった普遍的な学問とも密接な関係もあり、神話はただの作り話ではなく、ある程度の根拠をもとに作られ、社会の規範になるものなのだということは気づきだった。特に、神は自分の中にいるということ、神話は個人の夢に対して言わば「社会の夢」であることなど、神話に対する見方が変わった。(ただ、色々なエピソードから別のエピソードに飛ぶので、たまにわかりづらくなることもあったが…。)

東洋の思想と西洋の思想が根本のストーリー、時代が似ていることもとても興味深かった。発見が多い一冊だった。

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2021年04月23日

Posted by ブクログ

神話の冒険の構造と精神的な意味は、原始的な部族社会の思春期儀礼やイニシエーション儀礼に先取りされている。[5章265頁]

おとぎ話は子供のためのもので、大人の女性になりたくない女の子の話が多い。グリム童話は、あらゆる障害を乗り越えてやってきた王子様が、向こう側の世界もなかなかよさそうだと思わせてくれるまで待つ行き詰った女の子を描いている。龍退治や入口をまたぐ話は、行き詰まりの打開と関係している。[5章291頁]

大河の流域に文明が生まれたが、そこは女神の世界だった。BC4000年頃、羊飼いのセム族や牛飼いのインド=ヨーロッパ民族が侵略した。どちらも元はハンターで、殺すものがいるため、他の人々と抗争し、攻め入った地域を征服する。この侵略者たちがゼウスやヤハウェのような戦いの神、稲妻を投げる神などをもたらした。[6章360頁]

エーゲ海からインダス川まで、母なる女神が支配的な存在だった。その後、インド=ヨーロッパ民族が入ってきて、男性中心の神話が広がった。BC7世紀頃に女神が復活する。ウパニシャドでは、ヴェーダの神々に力と存在の究極的な基盤と源泉がどこにあるかを教える教師として、生命付与者たる女神にして形象の母という意味のマーヤ=シャクティ=デヴィが現れる。[6章381頁]

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2018年10月31日

Posted by ブクログ

元々は6回シリーズで製作されたテレビ番組であり、日本でもNHK教育テレビで90年代半ばに放映されている。そしてこの本はその”ノーカット版”といえるものだ。ところどころ断定的で納得の行かない部分もあるが、とても面白く読めた。機会があったら元の番組をもう一度見たいとすら思った。巻末の解説では翻訳された飛田氏のキャンベル氏への思いが伝わる興味深いものなので、あわせて読んでみたら良いと思う。

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2016年12月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 現代社会を神話という切り口から分析する。ジョーゼフ・キャンベルの膨大な知識を聞き手のビル・モイヤーズがうまく引き出す。観念的な話が多いので、さくさくは読めなかったが、難解でもなかった。ただキャンベルの主張はよく理解できない、納得できないところも多々あった。宗教の話題も多いので、価値観が合わないことは当然あるのだが、根拠が神話に依っているのが原因ではないか。
 神話は確かに過去の人類から受け継がれた宝で、現代でも通じるものがたくさんあるだろう。しかし、相互に矛盾しているし同じテキストがまったく異なる意味に解釈されることもある。牽強付会とまでは言わないが、主張に合致するテキストのみを持ち出して反例は黙殺している嫌いがある。さらにキャンベルの主張も一つの解釈なので、それが全て正しいというものではない。神話というマテリアルから何を学べるのかはそれぞれ異なるため、自分の解釈を見つけて人生を考えるツールの一つにしたい。

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2016年06月12日

Posted by ブクログ

スターウォーズもこのキャンベルの神話のストーリーから生まれている。すべてのストーリーの元型を求めた著者が、スカイウォーターランチというスターウォーズの聖地でおこなった対談。興味深い話が多い。

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2015年08月07日

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