坂井豊貴のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
副題にもある「社会的選択理論」というものを、本書で初めて知った。
人々の意思を集約するルール、方法を考える学問である由。
三つ以上の選択肢があるとき、多数決は必ずしも人々の意思を反映しない。
そこで、さまざまな方法が考えられ、いくつもの条件の下で強度が試されてきた。
有力な2つの選択肢に対し、第3の選択肢が表れて票が割れることで結果が変わってしまう。
このような不合理への頑健性を試す条件として「ペア勝者規準」「ペア弱者規準」などが考えられている。
ここだけでも、「ほほお」である。
スコアリング・ルール(選ぶ順位に応じ点数配分をして集計する)、ヤング・コンドルセの最尤法(複数選択肢からペアを作り、ペアごとに多数決を取ったデータから選択肢の選ばれた順序を求める)などが紹介される。
なるほど、方法も洗練されて行っているということか…と思う一方、ベースはボルダとか、コンドルセという18世紀の理論であることにも驚く。
20世紀には「中位ルール」というものが発見される。
これは段階的に並ぶ複数の選択肢に山形の順位づけができるとき、真ん中の選択肢を選ぶというものだそうで、票の割れにも、自らの意向を偽って投票して対立候補をつぶすような戦略的操作にも強いとのこと。
政策を評価する投票などでは効果はあるようだ。
自分などは、議員の選挙のイメージがつい出てしまうので、最初どういう活用ができるか、なかなかイメージがしづらかった。
が、たしかに有権者に熟議により論点を評価する観点にある程度の共通認識があれば、よい方法なのだということが経験的にも理解できる。
どちらかというと、職場での意思決定に活用できるのではないかという気がする。
最後の章ではメカニズムデザイン(集約の制度設計)の話が取り上げられていた。
公共財の使い方を自律・分権的に決められるよう、制度を作っていくという考え方のようだ。
ここではクラークデザインを取り上げていた。
近年研究が進んでいる分野だそうなので、また別の本で読む機会があればと思う。 -
Posted by ブクログ
"民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を容易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種である。(p.6)"
普段私たちが集団で何かを決めようとするとき、特に何も考えず「多数決」という方法をとるだろう。しかし、この「多数決」は手放しで信用できるものなのだろうか? 実は、多数決は完全からはまったく程遠い、いや程遠いどころかむしろ多くの欠陥を抱えた信用のならないルールなのである。
最も理想的な意志集約の形は、もちろん「満場一致」であろう。全員が同意しているのだから、一番平和な解決だ。だが、現実には至るところに意見の対立が存在する。そこで、多数の人間の意思をなんとかうまくひとつに集約するルール(=「意思集約ルール」)を考え出す必要に迫られる。
多数決の長所は、仕組みが単純明快で理解しやすく、しかも集計が容易なところにあると思う。だが、そもそも多数決は必ずしも多数派の意見を実現するわけではない(!)。例えば、A, Bの2人が立候補している選挙を考えてみる。支持率はそれぞれ60%, 40%とすると、この2人に対して多数決を行えばAが勝つ。だが、ここに3人目の候補者Cが現れた。CはAと似た政策を掲げていたために、元々Aの支持者だったうち半分がCに流れてしまった。すると、支持率はA, B, Cで30%, 40%, 30%となって、多数決の結果Bが勝利することになった。こうして、多数派が支持しているはずのA(またはC)の政策が多数決で選ばれないという事態に陥る。(2000年に行われたアメリカ大統領選挙で同様の状況になったそうである。)つまり、多数決は、候補が3つ以上あるとき「票の割れ」に脆弱なのだ。また、多数決は有権者の判断のうち、「誰を一番に支持するか」という一部分しか表明できないという欠点もある。
本書の副題にもある「社会的選択理論」とは、意思集約ルールが備えているべき性質を数学的に定式化する学問である。18世紀から様々な意思集約ルールが検討されてきたが、その一つが「ボルダルール」である。それは"例えば選択肢が三つだとしたら、1位には3点、2位には2点、3位には1点というように加点をして、その総和(ボルダ得点)で全体の順序をきめるやり方で(p.14)"、票割れの問題を解決している。本書では、他にもコンドルセ・ヤングの最尤法、決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルールなどが紹介されている。
そうなると、問題なのは、多数決より色々な点で優れた様々な意思集約ルールが提案されているにもかかわらず、社会でそれらがほとんど認知されていないということである。多数決で決まったことに、なぜ皆が従わなければならないか。それは、本来であれば多数決の意思集約ルールとしての妥当性からその正当性が保証されるはずだ。しかし実際には、多数決を用いることは多くの場合妥当とは言えない。このような民主主義の根幹に関わる事実は学校教育で教えてほしかったが、「多数決」という自分の固定観念に穴をあけてくれたその一点だけで、本書を読んだ価値があった。
本書の後半では、民主主義に関するルソーの議論を参照しつつ、投票について考察を深めている。フランス革命の思想的土台を作ったルソーは、人民は一般意志に基づいた熟議的理性を働かせて投票しなければならず、その限りにおいて少数派が多数派の投票結果に従うのが正当になると述べた。ここで一般意志とは、"自己利益の追求に何が必要かをひとまず脇に置いて、自分を含む多様な人間がともに必要とするものは何かを探ろうとすること(p.76)"である。だが、これは現代の民主主義国家における実際の投票の姿とは異なるもののように僕には思える。それは、有権者たちは(少なくとも僕は)「公」の利益より「私」の利益を最大化してくれそうな候補者に投票しているからだ。そうであるならば、「少数派は多数派の投票になぜ従うべきか」という倫理的な問題は結局、依然として未解決のままなのだろう。一方で、ルソーの構想したような投票は実現がかなり困難そうだ。一般意志に従って投票する(あるいは、投票しようとする)集団があったとして、その中に一人、個人の利益のために投票する人がいれば、彼は僅かかもしれないが他の人より得をするはずだからだ(従って、ルソーの構想した投票を実現しようとするなら、「裏切り者」の得が得ではないような仕組みを作らなければならないだろう)。
民主主義と切っても切れない「投票」というものが、かなり根本的なところで未完成であることがよく分かった。
1 多数決からの脱却
2 代替案を絞り込む
3 正しい判断は可能か
4 可能性の境界へ
5 民主的ルートの強化
読書案内 -
Posted by ブクログ
まず多数決の限界を説き、ではそれに取って代われる集約ルールやメカニズムには何があるか?を単なる机上論に済ませず、現実的に考え抜いている書籍。
多数決って微妙じゃない?
投票制度って破綻してない?
とぼんやりとした自分の思考を、スッキリしてくれたように思う。
多数決は候補が1vs1の際にしか機能せず、それ以上となると「票の割れ」問題などが発生してしまう。ちなみに自分はボルダルールが一番分かりやすくて最適だと感じる。
本書は社会契約論についても簡潔に纏められており、ルソーもいつか読んでみたいといった気持ちになった。
ーー「自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」(ルソー/『社会契約論』)
小平市の都道328号線問題はまさにこれ。
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Posted by ブクログ
多数決な民主的な決め方だという説がまかり通っているが、この本は書題のとおり多数決のあやしさを論破していく内容(だと思われる)。悲しいかな、論が難しくて私は途中で理解不能になってしまった。でも、こういう世間で当たり前となってしまっていることをつくものであり、多数決が「民主的なもの」としてはあやしいことは明らか。
ルソーの提唱した一般意志の考え方とかもわかりやすく解説されていた。ちょっと利口になれた。論の組み立て方も筆致も落ち着いていて良書のにおいがプンプンする。自分には哲学とか思想に関する体系的な知識とか知識をもとに考える能力が欠けているんだよなー。こういう本をちゃんと理解できるようになりたいなー。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ多数決制度だけでは民意を拾い上げたことにならない、多数決には欠陥がある。というのが大体の主な主張です。それに代わる意見集約の仕組みとして、ボルダルールとか、コンドルセルールなど、様々なやり方が提案されていました。
そして、そもそも多数派の意見になぜ従わなくてはならないか、というところはルソーの一般意志の話が出てきました。簡単に言うと一般意志に基づいて社会は運営されるべき、多くの人が支持する意見が一般意志とみなされるという論理から、多数決が正当化されています。この本でも主張されていましたが、多くの人とは誰か?が重要な気がしました。選挙で当選したから、自分たちの意見が民意なんだというのは乱暴で、一般意志にそっていくよう不断に確認する振る舞いが求められます。この辺りのルソーの話はもう少し勉強しないとな、と思いました。 -
Posted by ブクログ
暗号通貨の基本をわかりやすい例えを交えながら紹介来てくれている。初学者に大いに勧められる一冊。
難しいことを簡潔に表現できるのは筆者の暗号通貨への理解の深さや表現者としての技法が存分に発揮されているところだろう。
また、巻末の方に「とはいえ世の中はそんなに変わってないよ」と釘を刺しているのもニュートラルな姿勢があって良い。もっと早く読みたかった。
億り人は江戸時代よりも重税 最大55%
誰かが儲けてら税金として無条件に回収。一番儲かったのは国家(国民全体)かもね
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ルソー、社会契約論 奴隷は鎖の中で全てを失ってしまう、そこから逃れたいと言う欲望までも
国家は、国内には警察を持ち、国外には軍隊を持っている。物理的に最強だから、法律を通用させられる。そんな国家が決済サービスと結びつくと、気に食わないものをお金の利用から締め出されてしまう。
通貨の本質は「交換の媒体」
今日使おうとする通貨は明日も使えるものであること、明後日も使えるものであること、以下循環
国家が発行する通貨も将来にわたり交換の媒体たりうるという信頼がなければ価格はつかない
国家→一定の領土を治め、暴力を集中管理 内部は警察外部は軍隊
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Posted by ブクログ
多数決は票割れに弱い。1位に1点、他は0点。
ボルダルールは、1位に3点、2位に2点、1位に1点をつける。票割れには強い。ダウダールルールは、1位に1点、2位に1/2,3位に1/3・・とする。これらはスコアリングルール。ボルダルール以外は、ペア敗者基準を満たさない。
持ち点を分散させる方法は、分散したほうが不利=多数決と同じになる。
ボルダルールには、クローン問題がある。クローンを立候補させると、複数当選者がいる場合には操作が可能。
是認投票も同じ。ただしクローン問題を考えなくてよい場合は、是認投票はいい方法といえる。
ペアごとの多数決で勝つ選択肢をペア勝者という。ボルダルールはこれを満たせないことが、コンドルセの批判。
パリには、ボルダ通りとコンドルセ通りがある。
コンドルセの2者に分けて判断する方法では、サイクルのパラドックスが発生する可能性がある。その中で、正しい可能性が低いペアを棄却すれば、決められる=コンドルセの方法。最尤法を使う。
マルケヴィッチの反例によれば、多数決、ボルダルール、コンドルセ・ヤングの最尤法、決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルール、のどれでもバラバラな結論になる。
ペア敗者基準とペア勝者基準は、票の割れ煮対する頑健性の基準。ペア勝者基準は、ペア勝者が一位になるべき、と考える。ペア敗者基準は、ペア敗者が1位にならなければよい、と考える。ペア敗者基準のほうが満たしやすい。ペア勝者基準は、厳しいので、ペア敗者が最下位にならなければよい、と弱める。
その結果、ボルダルールと、コンドルセヤングの最尤法が有力。実際には、最尤法は納得感を持ちにくい。
棄権のパラドックス=棄権したほうがそのことで自分に有利に働かせられること。コンドルセ・ヤングの最尤法は棄権防止性を持たない可能性がるが、ボルダルールは棄権防止性を持つ=棄権したら損になる。
サッカーの勝ち点は、スコアリングルールの一種。小選挙区制の国会議員などは、これのほうがよい。
陪審定理=陪審員の数が増えるほど、正しい結論に近づく。対数の法則の応用。扇動するものがいないという前提。平均してコイントスより正しい判断ができて、判断の独立性が高いことが前提。
ルソーの社会契約論にある、一般意志に従うこと。
多数派の横暴を防ぐには、憲法による抑制、複数の機関を通す、ハードルを過半数より高くする、ボルダルールを採用する。
代表制と直接民主制では、結論が違う結果になる場合がある=オルソロゴルスキーのパラドックス。
多数決の難点=新たな選択肢ができると票割れが起きて、別の選択肢が勝つ可能性がある。=単峰性が成り立たない場合。
中位ルール=真ん中の意見を選ぶルール。票割れは怒らない。単峰性がある場合は、正直は最善の策。棄権のパラドックスも生じない。
アローの不可能性定理=二項独立性を満たす集約ルールは存在しない。二項独立性と、満場一致性を満たすルールは独裁制のみである。
2大政党制では、政策が中位選択肢に向かわせる。
現行の憲法改正条項は、小選挙区制では硬性性が弱い。過半数の有権者が望めば、小選挙区制では2/3を確保できる。
現行の行政権の強さは、民主的ではない現状を現実化している。都道328号線問題。一般の人がおかしいとかんじても、現実には阻止できない。行政機関は国民に由来する正統性を持っているか。行政が権限を持つ利便性と相克する。
メカニズムデザイン=公共事業などの正しい執行のための仕組み、制度設計のこと。クラークメカニズムなど。
周波数オークションなどに応用。先進国で導入していないのは日本だけ。 -
Posted by ブクログ
著者はマーケットデザインを専門とする気鋭の若手経済学者。最近、不動産オークションを業とする会社のチーフエコノミストに就任したとのニュースに接し、興味を持ち購入(ただこの不動産オークション会社は前身会社がリーマンショック前に実質的に行き詰まっている。その時は単なる普通の民間オークションを不動産に適用しただけ、という感じだった。今回の著者の就任でビジネスモデルは大きく変わるのだろうか)。
現在の民主主義で自明視されている「多数決」。民主主義の誤作動が指摘されることが多い昨今、著者は民主主義ではなくこの多数決に問題ありとする。民主主義の萌芽となったフランス革命前夜、ボルダとコンドルセが提示した民意集約ルールの数理的分析によれば、単純な多数決は数ある選択肢の一つでしかない。集約のどの側面を重視するかで最適解が変わってくるのだ。ペア敗者を選んでしまうという致命的欠点のある多数決を闇雲に選択するのではなく、各種集約ルールのプロコンを比較考量し重視すべき概念を予め確定させておいて、それに沿った集約ルールを採用しようというのが著者の主張。間接民主制と多数決の併用は、ルソーの「社会契約論」が主張する「直接民主制の間接民主制に対する優越」の原則に反しており、現行ルールのリデザインが必要だと説く。
面白いのは、投票者がある政策について「単峰的(最も好ましい政策から離れるにつれ低い評価を付与)」な選好性を持ち、なおかつ「中位ルール(全ての峰の中で真ん中に位置する峰を選択)」を採用する場合、票割れや操作、棄権による影響を受けない意志集約が可能だという点。ここにコンドルセのいう「熟議」には論点の明確化により人々の選好性を単峰化する作用があるという研究結果を考え合わせれば、適切にデザインがなされればとの留保つきながら、ルソーの「一般意志」の実現は可能なのかもしれない。
終章で触れられる有名な小平市の事例が示すとおり、行政府という執行機関が介在する現行レジームにおいては、主権者たる国民の委託は立法府に対してなされるところ、実質的に無権限であるはずの行政府が裁量を有している。行政サービスの範囲が格段に広がったため、個々の住民が直接の利害関係をもたないサービスが増えた現代社会では、「自分たちのことは自分で決める」という民主制の原則がどこまで貫徹できるかは個人的には疑問に思う。サービスの便益の度合いを金銭に換算して行政に移転し、採算が合う事案のみ執行するという「クラークメカニズム」は面白いとは思うものの、これはストイック過ぎて現実的には行政から完全に裁量を奪うに等しいのでは?と思った。とはいえ著者の問題提起には共感できる。他の著作をいくつか読んでみたい。