セネカのレビュー一覧
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ストア派哲学者・政治家セネカの3篇。ひぐ的に響いたフレーズで振り返ってみよう。
『生の短さについて』
・生きることによっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である(p32)
・ただちに生きよ(p32)
『心の平静について』
・人に関しては、明らかに選択が必要であり、相手がわれわれの生の一部を費やすに値する人たちであるかどうか、われわれが自分の時間を費やしているという事実がその人の心に届くかどうかを考慮しなければならない(p93)
・自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。公平な心が慰めを見出せないほど過酷な運命などない(p104)
『幸福な生について』
・名誉あるものを唯一の善、恥ずべきものを唯一の悪とみなす精神(p141)
・真の幸福は徳に存する(p165)
2千年も読み継がれてきた名文。“今日という時を無にしない”ためには古典を読むに限る。 -
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時間は有限で、平等に与えられている。
それをどう使うかで、人生は変わってくる。
セネカが本書で語ることの1つに、「先のことばかり考えずに、今に集中して生きろ」ということがある。
まさにその通りだと思う。
未来に不安を抱くのは自然なこと。
だけど、不安を抱きすぎても、今が良くなることは少ないように思う。
それよりも、今できることを精一杯やり、楽しみ、充実した人生を心掛ける方が、未来は開けると信じている。
だからといって、日々気負いすぎても疲れてしまう。
自分を大事に、自分が良いと思うことに時間を使い、今を生きること。
それが、人生を短くも長くもするのだと思う。 -
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「われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのである。われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する」
古代ローマの哲学者セネカによる「生の短さについて」、「心の平静について」、「幸福な生について」の三篇が収められた本です。
最初は何となくパラパラと読んでいたものの、気がつくと片手にペンを持ち、あらゆる文章を蛍光に染めながらページをめくっていました。「生の短さについて」では、老後まで閑暇の時を先延ばしにせず、哲学を追求し偉人の思想に触れることで人生は長く充実したものになると述べています。丁度、併読していた「DIE WITH ZERO」というベストセラーとの比較でいうと、「老後に計画を先延ばしにするな」というメッセージは同じである一方で、哲学に時間を使うべきと述べている点で異なっています。
二千年以上前の哲学者の言葉に触れることが出来るという読書の醍醐味を再認識したことに加えて、翻訳者の教養の高さが窺える文体も印象深かったです。人生において指針としたい言葉が数多くあり、この本に出会えて本当に良かったと思えました。 -
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君たちは永久に生きられるかのように生きている。▼忙しさで心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。そして、すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまう。p.37▼生きることの最大の障害は期待である。それは明日に依存して今日を失うことである。セネカ『生の短さ』
無為に過ごした80年は何の役に立つというのか。その人は生きたのではなく、人生をためらっていたのだ。死ぬのが遅かったのではなく、長い間死んでいたのだ▼運命は望む(志ある)者を導き、望まぬ(志のない)者を引きずっていく▼どこにでもいる人はどこにもいない。旅に人生を送る人たちは、多くの歓待を受けるが、友情を結ぶことはひとつもない▼不要なものは一文でも高い(大カト)。セネカ『倫理書簡集』
人から命を奪うことはできるが、人から死を奪うことはできない。セネカ『フェニキアの女たち』
死後どこへ行くのか。まだ生まれない者たちのところへ行くのだ(2-30)。セネカ『トロヤの女たち』
怒りは必要である。怒りは気概に火をつける。ただし、怒りを指揮官ではなく、兵士として扱わねばならない(アリストテレス)。セネカ『怒りについて』
財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあるが、愚者にあっては支配者の地位にある。セネカ『幸福な生活について』
所有の少ない人が貧しいのではない。渇望が多い人が貧しいのだ。セネカ『手紙』
恩恵を施す者はそれを隠せ。恩恵を受けた者はそれを公にせよ。セネカ『恩恵について』
一度も不幸な目に遭わなかった者ほど不幸な者はいない(デメトリオス)。セネカ『摂理について』
難しいからやろうとしないのではない。やろうとしないから難しいのだ。セネカ
※セネカ。道徳哲学。皇帝ネロ(在位54~68)の先生。属州ヒスパニアのコルドバ生まれ。
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竪琴(たてごと)を弾いて歌う人は、自分独りで歌うなら不安を感じない。しかし聴衆の前に出ると、たとえ非常に声が良く、竪琴を見事に鳴らしても不安になる。なぜなら彼は見事に歌いたいだけでなく、拍手喝采もされたいから。しかし「拍手喝采」は彼がどうにかできるものではない。p.171.▼自分ではどうにもならない意志外のことには大胆に、自分の意志でどうにかなるものには細心であれ。死に対しては大胆に、死の恐怖に対しては細心であれ。p.125-127.▼君は私の足を縛ることができる。しかし私の意志はゼウスでも征服できない。p.17エピクテトス『人生談義』
自分自身を統治できない者は自由ではない。エピクテトス『断片』※ローマ帝政、ネロ時代。
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死を安らかな心で待て。死は生物を構成する要素が解体するにすぎない。万物の変化と解体は自然による。自然によることに悪いことは一つもない。私の魂も物質も消滅して無になることはない。私のあらゆる部分は変化して、宇宙のある部分に配分され、それが新たに宇宙のほかの部分に変えられる▼何かをしたために不正である場合だけでなく、何かをしなかったために不正である場合もある▼すべて君が苦手だと思うものに慣れよ。左手は習慣のないために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。これは慣れているからだ▼もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ▼得意にならずに受け、いさぎよく手放せ▼苦しみには限界があり、恐怖に想像を加えることしなければ、堪えられないことはなく、また永続するものでもない。マルクス・アウレリウス(121-180)『自省録じせいろく』 -
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ストア派の哲学者セネカの「怒り」に関する論考。
なるほど、これはいわゆるストイックというイメージにふさわしい「怒り」論だな。
ある意味、過激なまでのストイックさに恐れをなしてしまった。その分、読み物としては、思考を揺さぶる力をもっている。
この議論のある種の「過激さ」は、本物なのか、あるいはレトリックなのかというのも、ちょっと興味のあるところ。
セネカは、ローマの皇帝に近い上流社会に生きていて、最終的には肯定のネロに命令されて自死することになるわけだが、ある種の公共的な劇場空間のなかで、自己をどう演出するか、どうストア派的な言説を徹底するかというほうに向かっていたのかもしれないという感じもしなくもない。(解説もややそういうニュアンスで書かれている)
一見、なるほどと思わせるだけのインパクトをもちつつ、でもどうなんだろうか?と人を思考に誘っていく、そんな哲学の本。 -
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ネタバレ「生の短さについて」と「心の平静について」の2本立てで構成。
・人間は多くの時間を浪費する
・人間の生は、全体を立派に活用すれば十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている
・生は浪費すれば短く、活用すれば長い
・偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりともかすめとられるのを許さないこと。どれほど短かろうと、自由になる時間を自分のためにのみ使うからこそ、彼らの生は誰よりも長い。
・彼らは寸刻たりとも他人の支配に委ねられる時間はなかった。時を誰よりも惜しむ時の番人として、自分の時間と交換してもよいと思う価値のあるものは、彼らには何も見出せなかった。
・自分の生の多くの時間を人に奪い取られる者が生を不足とするのは理の当然
・何かに忙殺される人間には何事も立派に遂行できないという事実
・誰もが現在あるものに倦怠感を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧れにあくせくするのである。
・だが時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかも最後の日でもあるかのように管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐ることもない。
・未来のことは、時の運に決めさせればよい
・これ見よがしの見栄を排除し、装飾性ではなく実用性をもって物の価値を測ることに慣れよう。
・自然は我々人間に、災難の緩和剤として「慣れ」を見つけ出してくれ、耐えがたいほど過酷な艱難もすぐに馴染みになるように導いてくれる。
【幸福な生について】
・まず自分の求めるものが何かを措定する。次に周囲をよく見渡し、どの道をたどれば目的地に最も早く到着できるかを見て取る。
・どこを目指して進んでいくのか、どの道を辿るのかも決めなくてはならない。
・人生の旅は、最もよく踏みならされ、最も従来の激しい道こそ、最も人を欺く道である。
・だから何よりも肝要とすべきは、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないこと。
・群衆が殺到し、押し合いへし合いするとき、折り重なる人の山が出来る
・幸福な人とは、理性の恩恵によって欲望を覚えず、恐れを抱かない人。
・幸福な人とは、現在あるもので満ち足りている人、今ある自らの所有物を愛してる人。
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2022年最後の読書。
セネカはローマ帝国時代の政治家、哲人だそうな。
この文庫版は、
・生の短さについて
・心の平静について
・幸福な生について の3章を抜粋。
もっと若い時分に読めれば良かったかとも思う痛い内容であるも、今にならなければ感じ取れない部分も多々あろうかとも思う。
『人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟※、われわれは必然的に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享ける生が短いのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。』
『われわれが追及しようとするのは、どうすれば精神が平坦で楽な道をたどれるか、どうすれば精神がみずからと穏やかに折り合い、みずからの特性を喜びをもって眺め、その喜びを断たずに、有頂天になることもなく、かといって鬱屈することもなく、静謐な状態を保ち続けられるかという問題である。この状態こそ、心の平静というものであろう』
『なぜお前は自分の現実の生以上に威勢のいい話をするのだ。なぜお前は目上の者にはへりくだった言葉を使い、金を必要な手段とみなし、危害をこうむれば動揺し、妻や友人の訃報を聞いて涙し、世評を気にかけ、悪意の中傷に心を痛めたりするのだ。...』
訳者は、解説でセネカがヨーロッパに比べ日本で知られていないと嘆くが、本書も翻訳した後の単語があまりにも一般的表現でないことですんなり読みにくいというのも原因として少なくないのではと思わざるを得ない。
専門家が敢えて難しい表現を使っていると感じるのはワタクシだけだろうか。ここで★1個減。
※畢竟…つまるところ。結局。 -
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-摂理について-
世界が摂理によって導かれているのに、良き人々に数多の悪が生じるのはなぜか。
神は善き人にこそ試練を与える。まるで厳父のように。
古代哲学の運命論ゆえ、なるほどとはならないが、困難な状況を乗り越えることを称揚してくれる。
-賢者の恒心について-
ストア派の考える賢者が持ち合わせている大度について扱う。
不正とは悪をおよぼすこと、すなわち卑劣な心を呼び起こすことと定義される。賢者は徳で満たされているため、悪が入り込む隙がない。従って賢者に不正を与えることは不可能である。
賢者は徳以外に何も所有していないことを理解している。従って苛烈な目に遭わされても、運命が何かを奪うとは考えない。例として挙げられるスティルポーンのエピソードは強烈。
賢者は侮辱に関しては気にも留めない。赤ん坊が親の髪を引っ張る程度のことと考えている。
こうなれたら最強だよなーと思う。
読んでいる間、ちょっとしたことに心揺れる自分を思い起こし、その愚者っぷりを痛烈に感じる。
-怒りについて-
怒りとは、
・不正に対して復讐することへの欲望
・自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望
・害を加えたか、害を加えようと欲した者を害することへの心の激動である。
怒りについては学派によって扱いが分かれる。
アリストテレスは戦闘において必要と論じるが、セネカは否定する。いかなる場合でも怒りが有用にはなり得ないと論じる。
また、怒りは制御するのではなく除去してしまうのが良いとする。一度怒りに居場所を与えたら、増大するチャンスを与えることになる。
怒りはそれ自身で発するものでなく、こころが賛同してから生じる。つまり情念や反射のようにコントロール外のものではないとする。
怒りをなくす方法として、罪のない者は一人としていない、と思うことが重要。自分は何も間違っていないという思い込みがを捨てることが必要。
われわれは他人の悪徳に目をとめるが、己の悪徳を背に負っている。
そして怒りに対する最良の対処法は遅延である。
この本を読んでいた期間は、怒らないように自分を気遣えていた。読み終えた今も自分を気遣えるようにしていきたい。怒ってしまっているとき、この本の表紙を目にすれば怒りが抑えられる気がする。それくらい納得させられる内容だった。 -
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読みづらいけど、とても大切なことが書いてある。
最後の解説を読んでから読むとわかりやすい。
2000年前も人間や人生の本質的な部分は変わらないと実感した。
人生の短さについて
人生は無為に過ごすと何も出来ずに終わる
自分の時間を他人に奪われないようにする
時間を浪費してしまうのはやりたいことがないから
閑暇を持って目的のために時間を使う
心の安定について
自分の実力や得意なことを見極める
仕事は自分の能力に見合ったものを選ぶ
付き合う人を選ぶ。欲の少ない人が良い
質素な生活を心がける。足るを知る
疲れたら休息をとって精神を回復する。息抜き大事
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Posted by ブクログ
怒りは価値判断の誤り。怒るほど重大なことではない。傷つけられたプライドは、遠くから見ればたいしたものではない。
怒りは加減するのではなく、最初から入ってこないようにする。
怒りは強い心からは生まれない。心安らかでなければ、偉大とはいえない。
怒りの始まり、の原因と戦う=時間を置く。
怒る、ことを先延ばしする。一度に追い払おうとしない。
双方で衝突が起きたら、先に退いたほうが勝ち。
怒ったら鏡を見る=自分の姿を見れば驚愕する。
怒りの原因から遠ざかる。争い始めてから抜け出すより、最初から距離を置く。
怒りが面に出ようとしたら、その反対の様子を演じる。
毎日寝るときに、その日の自分の気持ちを問いただす。毎日審判を受けると知っていれば、その日に悪いことはだんだん少なくなるはず。
朝、一日を始めるときに、自分には我慢しなければならないことがたくさんある、と覚悟を決めておく。今日は、一歩下がる、と決める。覚悟しておいたことに対しては心は強くいられる。
日々は使い放題ではない。無駄にする時間などない。怒っている時間はない。残された時間を大切にして、静かに穏やかに過ごそう。
人間は必ず死ぬ。だから、怒りの相手も必ず死ぬと心得る。どうせそうなるのだから、必死にそれを祈るのは無駄。
怒りは一種の狂気。なぜなら価値のないことに莫大な代償を払っているから。
怒りは「価値判断の誤り」
相手の行為は、それほど重大なことか。
一歩下がれば笑える。相手の行為はたいしたことではない、それに対する反応が重要。
セネカは、ローマのカリグラの残虐さから学んだ。
怒りの衝動は、「人に罰を与えたいという欲望」である。
人は誰でも、カリグラとソクラテスの中間にいる。
その中で人を許す気持ちを育てる。
怒っている人は、精神が錯乱している人と同じように醜い。
怒りをコントロールするくらいなら、最初から締め出す。その方が楽。
怒りは復讐を求めるが、復讐は正しいからすること。怒りはふさわしくない。
感情を手なずけられる人はいない。曽倉でも、冷静になるまで行動を待った。
どんなものであれ、心安ら過でなければ偉大とはいえない。
恵まれているものほど怒りやすくなる。
時間をおく。1日たてば真実がわかる。安易に腹の立つことを本気にしない。
罰を与えてから取り消すことはできない。
私たちの誰一人として、罪のない者はいない。憤りは、自分が正しいという観念から生まれるが、それは間違い。
最良の治療法は、先延ばしにすること。
怒りっぽいのは、無知あるいは傲慢だから。
罰は、過去の為ではなく、未来を考えて与えるもの。過去の結果を罰するのではない。
怒りは嫉妬よりも罪深い。贅沢は自分の楽しみだが、怒りは他人の苦しみを望むものだから。
重すぎる荷物を持ってはいけない。自制心を失えば平穏を失い、重りをもつことになる。
怒りの原因に近づかない。穏やかな人に囲まれて暮らす。敵がいなければ喧嘩はできない。