政治家であり、ストア思想の代表者として数えられるセネカの書。
ストア哲学はその実用性(?)がゆえに多くのビジネス書でも取り上げられるケースが多いですね(といっても、私はビジネスの領域で哲学の活用をうたう安直な言説には否定的なのですが。人間として日々の一瞬一瞬を哲学的に生きられない者が、ビジネスシーン
...続きを読むで哲学的にふるまうことが可能なのでしょうか?)。
本書は表題にある『生の短さについて』のほか、『心の平静について』『幸福な生について』の三篇で構成されます。そのいずれを読むにつけ、身につまされる思いになります。。。
『生の短さについて』でセネカは、「我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費する」のであり、「全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている」と説きます。
時間がない(なかった)!と老齢になってから嘆く者についてセネカは言います。「彼は長く生きたのではなく、長く ”いた” だけのことなのだ」と。これはグサリときますね。。。
「怠惰な忙事」に陥らないよう、我々は誰と付き合い何をなすべきか?その心構えや態度が説かれます。
『心の平静について』は、セネカの弟子であり友人でもあるセレーヌスの悩みにこたえる対話形式で構成されます。
セレーヌスは素朴で倹約家であるものの、周辺で繰り広げられる豪奢な催し(パーティーですね)に心をざわつかせ、また一時的な気分から気宇壮大な態度になってしまう自身の浮ついた性格に不安を覚え、これをセネカに相談します(真面目だねぇ)。
これに対するセネカの助言や説明は非常に現実的であり、参考になります。
「・・・そういう人々の身体はねセレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ・・・自分が正道を行っていると信じることである」とセネカは言います。
国政に携わることは立派だが、「カルタゴの総監のような存在」のみが国事ではなく、「両手を切り落とされてもなお踏みとどまり、叫び声だけでも加勢しようとする者」も(なせる限りをなしているという意味で)立派である。
学問研究は立派だが、「読み切れない万巻の書にあたること」のみがこれに該当するのではなく、「少数の著作家に身をゆだねる」ことの方がはるかにマシである。
このような身の丈に合った現実的な思想は非常に参考になります。
『幸福な生について』では、世間で流布される幸福の基準に振り回されるのではなく、何が幸福なのか?を自身で見つめなおすことの重要さを考えさせられます。
「何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。」
一方でセネカは、富や名声を否定しませんし、むしろ肯定します。「賢者は財産に執着しないが、財産を持たないよりは持つに越したことはないと思うのである。・・・それを保管し、みずからの徳を涵養するためのより大きな資源として役立てようと望むものである」と。ここでもセネカの現実的で堅実な思想が読み取れますね。
本書を読んで感じたことは、まず自分の日常生活に照らして考えやすい、という点です。そもそもセネカも(古代ローマの生活を前提としていますが)日常生活に照らして思考や行動のあり方を説いていますので。
そして背伸びせず、今の自分にできる範囲での改善を説いている(と私には感じられました)点もとっつきやすいと思います。
自身の今後の「生のあり方」を見つめなおすのに、まず最初に触れていただきたい一冊だと思います。