大西英文のレビュー一覧

  • 生の短さについて 他二篇

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    2000年前から届いた毒舌。刺さり過ぎて抜けないです。星なんか付けるのも烏滸がましい。。
    生きた年数ではなくどれだけ自分の意志で時間を使い充実感を得たかってね。善く生きたいものです。はあ、精進精進。
    と言っても愚かでどうせ忘れるのでせめて何度か読み返すようにします

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    2026年05月22日
  • 生の短さについて 他二篇

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    人生は、多くの時間を浪費してしまい、大切に生きなければ、短い。
    ローマ時代の哲学者セネカによるもの。内容は、一文一文難しいことはない。
    善く生きることの意味を考えさせられる。
    末尾の解説を読み、時の権力者との関係など、本人の人生が苦労に満ちたものであることも知った。
    約2000年後の現代でも読まれるべき名著であろう。

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    2026年05月06日
  • 生の短さについて 他二篇

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    古代ローマ時代の哲学者セネカ。
    訳者あとがきで、セネカがどれほど数奇な人生を歩んだかを知った。
    小さな頃から虚弱で病気がちで、病気のために命を落としそうになることもあれば、病弱を理由に死刑を免れることもあった。
    雄弁で博識がゆえに嫉妬されて抹殺されそうになったり、その知性を買われて要職に抜擢されることもあった。
    時の権力者たちの気の向くままにいとも簡単に人が暗殺された時代。
    周りのものは権力者の思惑に翻弄され、“悲劇的疎外状況の中で孤立し、唯一内なる自我へ眼差しを向けることで自由を得た“そんな過酷な日々の中で、人間とは、生きるとは、死とは何かといった根源的な問いに対する考えを深めていったセネカ。

    セネカが突然突きつけられた死を前にとった平常な態度は、この本を通して主張していることを体現していて、だからこそものすごい説得力を持って今日まで読み継がれてきたのだろう。

    読み始めて思わず線を引きたくなる文にたくさん出くわす。ただけっこう難解な表現も多く、いまいち意味を読み取れない箇所もあった。
    でも訳者あとがきでは、キケローに比べてセネカの文体はだいぶシンプルだと書かれていらから驚いた。いずれまた読み直そう。


    以下、心に残った言葉。(たくさんありすぎて、かなり抜粋)

    生きる術は生涯をかけて学び取らねばならないもの。死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものである。

    ただちに生きよ。

    英知(哲学)のために時間を使う人だけが
    閑暇の人であり、(真に)生きている人なのである。

    その資質を吟味して友を選ぶ場合も、できるかぎり汚れに毒されていない人を選べるよう最善の努力を傾けることになる。健康なものが病めるものと交わる、それが病の始まりなのだ。

    彼らは皆、(死という)ほんの刹那の時間を犠牲にして、永遠の存在となる道を見出し、死ぬことによって不死に到達したのである。

    最高善とは精神の調和である。

    悪しきものに直面するときも、善きものを享受するときも、常に不動であること、人の道に背かぬ範囲内で神を具現化すること。

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    2026年02月27日
  • 生の短さについて 他二篇

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    理解の整理↓

    ① 自分の人生の主導権を感情ではなく理性で握らなければならない。
    ② しかし、その理性が自己正当化(自分を説得する方向)に偏っていないかを常に疑わねばならない。
    ③ そして、その理性が現実(代償・他者への影響・自分の限界)を正確に把握し続けているかに絶えず注意を払わねばならない。
    ④理性判断は変化するので、生きている限り理性を監視し続けなければならない


    感情・衝動・外圧で動いた行為は、後から見ると、「あの時は仕方なかった、流されていた、忙しすぎて覚えていない」と人生の断片として散逸する。

    一方、理性に基づく行為は、「なぜそれを選んだか説明できる、他の選択との関係が分かる、人生全体の中で位置づけられる」。結果として、行為が人生の「構成要素」になる。


    人は、認識できた時間しか生きたとは言えない。「無自覚に過ぎた時間、主体が不在だった時間」それらは、存在はしたが、生ではない。
    理性に基づく生き方は、「自分がそこにいた、判断していた、選んでいた」という痕跡を、人生に刻み続ける。

    理性に基づく生き方とは、人生を消えない形で生きる技術である。

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    2026年01月16日
  • 生の短さについて 他二篇

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    ネタバレ

    SNSで見かけて気になったので読んでみた。
    本書には『生の短さについて』『心の平静について』『幸福な生について』の三篇が収録されている。
    このような哲学書を読むのは初めてだったが、思ったよりも読みやすくて驚いた。
    時間はかかったものの、最後まで読みきることができた。
    全てを理解できたとは言えないが、ストイックな自己啓発書のような読み心地で、サッパリした文章を読むのが楽しかった。
    しかし著者と自分の間に時間が空いているため、現代の自己啓発書のようなプレッシャーは感じなかった。
    いい意味で、好きなところを選んでいくことができる。

    言い回しがかっこよく、痺れた箇所がいくつもあった。
    訳者による『解説』は内容を理解する助けとなったので、ぜひ読んでほしい。

    三篇とも献呈相手への呼びかけで始まり、会話をしているかのような文章で進んでいく。
    その形式で読んでいくと、だんだんセネカと自分との会話になっていき、最終的には自分と自分との会話のような感覚になっていった。
    こうした形式だったからこそ、初心者の私でも読み進められたのかもしれない。

    タイムマシンで現代に飛んできたことがあるのでは?と思うくらい、現代の私たちと共通する部分があり、「今と何も変わらないなぁ」と感じることが多々あった。
    人間が抱える普遍的な悩みや葛藤について考える良い機会になった。
    そして、「今の自分の苦しみは、自分が特別劣っているせいではなく、人間ならば誰でも抱くものなのだ」と思えた。
    同じようなことを抱えていた人が過去にもいたのだという事実は、時に私たちを励ましてくれる。

    以下に、特に印象に残った箇所を引用する。

    .

    人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている。しかし、生が浪費と不注意によっていたずらに流れ、いかなる善きことにも費やされないとき、畢竟、われわれは必然性に強いられ、過ぎ行くと悟らなかった生がすでに過ぎ去ってしまったことに否応なく気づかされる。われわれの享(う)ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。
    (P12『生の短さについて』)

    君たちの生は、たとえそれが千年以上続くとしても、必ずやきわめてわずかな期間に短縮されるに違いない。君たちのそうした悪習がどの世紀をもことごとく食らい尽くしてしまうからである。実際、生のこの期間は、自然のままに放置すれば足早に過ぎ去り、理性を用いれば長くすることのできるものであるが、君たちから逃げ去るのは必然である。なぜなら、君たちはそれをつかまえようとも、引きとめようともせず、「時」という、万物の中で最も足早に過ぎ去るものの歩みを遅らせようともせずに、あたかも余分にあるもの、再び手に入れることのできるものであるかのように、いたずらに過ぎ行くのを許しているからである。
    (P24『生の短さについて』)

    時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。
    (P28『生の短さについて』)

    人は、これを、次にはあれを、と考えをめぐらせ、遠い将来のことにまで思いを馳せる。ところが、この先延ばしこそ生の最大の浪費なのである。先延ばしは、先々のことを約束することで、次の日が来るごとに、その一日を奪い去り、今という時を奪い去る。生きることにとっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である。君は運命の手中にあるものをあれこれ計画し、自分の手中にあるものを喪失している。君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。来るべき未来のものは不確実さの中にある。ただちに生きよ。
    (P32『生の短さについて』)

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    セレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ。これを喩えて言えば、静かな海にも立つ漣(さざなみ)、特に、嵐が過ぎて静まった海のそれのようなものである。だから、必要なのは、ある場合には自分の前に立ちふさがったり、ある場合には自分に怒ったり、ある場合には自分に対してつらく当たったりするといった、われわれがすでに卒業したかつてのあの厳し過ぎるほどの方法ではなく、最後にやって来る方法、つまり、自分を信頼すること、そして、ある者は正しい道に程近い道をさまよっているとはいえ、四方至る所で交錯している多くの者たちのたどる誤った道に決して惑わされることなく、自分が正道を行っていると信じることである。
    (P75『心の平静について』)

    さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。われわれの身体の場合でも、ある種の苦痛を感じながら、なおかつ喜びを覚えるものがある。
    (P80『心の平静について』)

    運命が優勢となり、行動の機会を断ち切ったからといって、即座に武器を投げ捨て、あたかも運命が追跡できない場所があるかのごとく、潜伏場所を求めて背走するようなことはすべきではない。義務的な仕事に精力を注ぐのを控えめにして、なすべき仕事を選択したあと、国家に役立てる何かを見つけ出すべきなのである。
    〈略〉
    たとえ他の人たちが最前線を占め、たまたま君が第三線の一員として配置されたとしても、君はその第三線から叫び声で、激励の言葉で、率先垂範で、勇敢さで戦うべきだ。両手を斬り落とされても、なおも踏みとどまり、叫び声で加勢しようとする者は、戦闘の中で味方に寄与できる自分の役割を見出したことになる。君も何かそのようなことをすべきなのである。
    (P86〜87『心の平静について』)

    生はことごとく隷属なのである。それゆえ、みずからの置かれた境遇に慣れ、できるかぎりそれを嘆くのはやめて、自分のまわりにあるどんな小さな長所をも見逃さずに捉えるよう努めねばならない。公平な心が慰めを見出せないほど過酷な運命などないのである。往々にして、わずかな敷地も、巧みに区分けすれば、さまざまな用途の道が開け、狭い空間も配置次第で居住できるものとなる。困難に対処するには理性をもってするがよい。過酷なものも緩和され、険隘(けんあい)なものも開かれ、過重なものも巧みに担えば苦しみも減る。さらに、さまざまな欲望には、遠くのものではなく身近にあるものを求めさせ、捌け口を与えてやるようにしなければならない。われわれの欲望は完全に閉じ込められることには耐えられないからである。実現不可能なもの、実現可能であっても困難なものは断念し、身近にあり、われわれの期待に望みをもたせてくれるものを追い求めるようにしよう。ただし、すべてのものは、外見は種々の様相を見せはするものの、内実は等しく虚しいものであり、由ないものであることを知っておかねばならない。
    (P104『心の平静について』)

    さらに、不安を生ぜしめる小さからざる要因となる例のものがある。多くの者たちの生がそうであるように、何とか世間体を繕おうとあくせくし、誰に対しても自分のありのままの姿を素直に見せようとはせずに、虚構の生、見せかけの生を送る場合がそれである。実際、絶えず自分のことを気にするのは苦痛以外の何ものでもなく、ふだんの自分と違った姿を見つけられるのではないかという恐れが常につきまとう。人に見られるたびに自分が評価されていると思うかぎり、われわれが心配から解き放たれることはない。なぜなら、嫌でも裸の自分をさらけ出さざるをえない事態が多々生じるからであり、また、たとえ自分を繕おうとするそれほどの熱意が功を奏するとしても、常に仮面をつけて生きる者の生は楽しくもなく、心穏やかなものでもないからである。それに反し、率直で飾らず、いささか自分の性格を覆い隠さない純朴さには、どれほど大きな喜びがあることだろう。もっとも、一つ残らずすべてを万人に開けっぴろげにしたりすれば、その純朴な生にも蔑視の危険が忍び寄る。何であれ、近しくなったものに対しては蔑みの念を抱く者がいるからである。だが、徳には、目を近づけて眺められても、安っぽく見られる危険はないし、また、絶えざる見せかけのために苦しめられるよりは、純朴さで蔑まれるほうがまだしもましなのである。ただし、これには節度を用いるようにしよう。純朴に生きるか、おざなりに生きるかでは、雲泥の差がある。
    (P124〜125『心の平静について』)

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    何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。さらに、多数の者が同意して受け入れたものこそ最善のものと考えて、事をなすに世評に頼ること、また、〈われわれには〉善きもの〈として通用している〉先例が数多くあるが、理性を判断基準にするのではなく、人と同じであることを旨として生きることほど、大きな害悪の渦中にわれわれを巻き込むものはないのである。
    (P134『幸福な生について』)

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    2025年05月15日
  • 生の短さについて 他二篇

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    哲学書を初めて読んだ。セネカのこの本は死ぬまでのお付き合いとなりそうだ。2000年前に書かれた内容が今の時代でも違和感がないことばかりだ。これって人間の本質が変わらない事を証明しているのではないかと思えた。
    「今」という時間をどう使うかで「浪費」になるか「活用」になるか。「活用」出来ていれば生は長くなる。と理解した。

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    2024年11月21日
  • 生の短さについて 他二篇

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    私の人生のバイブル。
    「人生は短いのではなく、本人がそれと知らずに浪費しているだけ。金銭のように自分の時間を確固として守り、より良い生き方のために使うべき。」
    まさに言うは易し、行うは難し。でも実践しなければ浪費する一方。やるしかない!

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    2024年09月15日
  • 生の短さについて 他二篇

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    ネタバレ

    政治家であり、ストア思想の代表者として数えられるセネカの書。
    ストア哲学はその実用性(?)がゆえに多くのビジネス書でも取り上げられるケースが多いですね(といっても、私はビジネスの領域で哲学の活用をうたう安直な言説には否定的なのですが。人間として日々の一瞬一瞬を哲学的に生きられない者が、ビジネスシーンで哲学的にふるまうことが可能なのでしょうか?)。

    本書は表題にある『生の短さについて』のほか、『心の平静について』『幸福な生について』の三篇で構成されます。そのいずれを読むにつけ、身につまされる思いになります。。。

    『生の短さについて』でセネカは、「我々にはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費する」のであり、「全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なことを完遂できるよう潤沢に与えられている」と説きます。
    時間がない(なかった)!と老齢になってから嘆く者についてセネカは言います。「彼は長く生きたのではなく、長く ”いた” だけのことなのだ」と。これはグサリときますね。。。
    「怠惰な忙事」に陥らないよう、我々は誰と付き合い何をなすべきか?その心構えや態度が説かれます。

    『心の平静について』は、セネカの弟子であり友人でもあるセレーヌスの悩みにこたえる対話形式で構成されます。
    セレーヌスは素朴で倹約家であるものの、周辺で繰り広げられる豪奢な催し(パーティーですね)に心をざわつかせ、また一時的な気分から気宇壮大な態度になってしまう自身の浮ついた性格に不安を覚え、これをセネカに相談します(真面目だねぇ)。
    これに対するセネカの助言や説明は非常に現実的であり、参考になります。
    「・・・そういう人々の身体はねセレーヌス、健康に問題があるのではなく、健康に慣れていないことに問題があるのだ・・・自分が正道を行っていると信じることである」とセネカは言います。
    国政に携わることは立派だが、「カルタゴの総監のような存在」のみが国事ではなく、「両手を切り落とされてもなお踏みとどまり、叫び声だけでも加勢しようとする者」も(なせる限りをなしているという意味で)立派である。
    学問研究は立派だが、「読み切れない万巻の書にあたること」のみがこれに該当するのではなく、「少数の著作家に身をゆだねる」ことの方がはるかにマシである。
    このような身の丈に合った現実的な思想は非常に参考になります。

    『幸福な生について』では、世間で流布される幸福の基準に振り回されるのではなく、何が幸福なのか?を自身で見つめなおすことの重要さを考えさせられます。
    「何よりも肝要とすべきは、羊同然に、前を行く群れに付き従い、自分の行くべき方向ではなく、皆が行く方向をひたすら追い続けるような真似はしないことである。」
    一方でセネカは、富や名声を否定しませんし、むしろ肯定します。「賢者は財産に執着しないが、財産を持たないよりは持つに越したことはないと思うのである。・・・それを保管し、みずからの徳を涵養するためのより大きな資源として役立てようと望むものである」と。ここでもセネカの現実的で堅実な思想が読み取れますね。

    本書を読んで感じたことは、まず自分の日常生活に照らして考えやすい、という点です。そもそもセネカも(古代ローマの生活を前提としていますが)日常生活に照らして思考や行動のあり方を説いていますので。
    そして背伸びせず、今の自分にできる範囲での改善を説いている(と私には感じられました)点もとっつきやすいと思います。
    自身の今後の「生のあり方」を見つめなおすのに、まず最初に触れていただきたい一冊だと思います。

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    2024年02月11日
  • 生の短さについて 他二篇

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    生は浪費すれば短いが活用すれば長い…スマホに時間を溶かされている現代人必読の書。
    古代ローマの歴史ややギリシャ哲学についてもう少し勉強してから読み直したら、もっと面白いんだろうな…

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    2023年12月04日
  • 生の短さについて 他二篇

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    本棚整理していたら懐かしいと思って、以下感想(思い出し)

    「ジャネーの法則」、一生における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというというものや、「光陰矢の如し」と言われる通り、月日や人生の流れが早い様をあらわす言葉や考えはこの世にたくさんある。
    本書でセネカは、「われわれが人生を短くしているのだ。」、「われわれが人生を浪費しているのだ。」と述べている。
    人生をどう捉えるかは本人次第、加えて、運命の支配下にある未来に何もかも託したり、そのような未来のために今多忙を極め、月日を無駄にするのではなく、確定した過去と向き合い、今を生きる大切さを説いているように感じた。
    未来への自分への投資も立派だが、今自分が何をしたいか、それに時間やお金を使うことは全くもって人間の性たる軽忽な行いのひとつではないことが分かる。

    キリスト教や古代ギリシア・ローマに文化的背景をもつ欧米圏の人々と違って、仏教や儒教の影響を受けてきた日本人からすると、アジアとヨーロッパとで分けてしまう人もいるかもしれないが、それらは全く対極にあるというわけではなく、むしろそれらで通ずるところは多いにあって、「無為自然」を説いた「老荘思想」なんか特にそれ自体にこういう考えを見出すことができる
    決して、流れに身を任せて生きるという部分だけを強調するのではなくて、(難しくなりそうなので簡単に言うと)今の自分を生きて、その後のことを流れに任せようということ

    古い道徳感を今更押し付けるなよとか、2000年も前の哲学に興味ある方にはオススメ

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    2023年11月17日
  • 生の短さについて 他二篇

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    生は浪費すれば短いが、活用すれば長い。人は、時間が無形であるため、時間の価値を見誤り、浪費してしまうことがほとんどである。
    ここまでの主張はとても刺さる。心に留め置きたい。
    しかし、真に生を活用できるのは哲学のために時間を使う人のみというのはどうだろう。90歳になっても弁護士をしている人も、他人に時間を奪われているとバッサリ切り捨てられていたが、本当にそうだろうか。最後まで人の役に立つことを願って生き続けるのも、案外悪くないんじゃないかと思うが、この答えは実際に死期を迎えないとわからないことだ。
    いずれにせよ、今を主体的に、大切に生きるということは忘れないようにしたい。

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    2023年11月04日
  • 老年について 友情について

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    好きな本Top10のひとつ。
    キケロが細平たい木の板で脛を思いっきり叩きにきます。痛いってば。嫌じゃないけど。

    訳の分からない本や新聞、ネットニュースを読む時間と手間はこの本を繰り返し読む事にこそ費やすべき。そんな本のひとつ。

    【日常生活で使えるサーカズム】
    もし誰かが「若い時はこんなんじゃなかった。今では(筋肉が衰えて)死んだも同然だ」と嘆いたなら、「可哀想なクロトナのミローだね」と言う。(心の声 愚か者め。死んだも同然はお前の筋肉などではなくお前自身だ。お前が有名なのはお前のおかげでなく、若い頃の筋肉と体力のおかげだ。)美貌や知力でも使えそう。

    屁理屈、生まれつきの性格によるなど、反論はいくらでも出来そうなものの彼の主張は聞いといた方が得。

    老人にとっての不幸は4つあるとし(仕事が出来なくなる、体が弱くなる、快楽が失われる、死に近づく)それぞれを「老人は頭を使う仕事がある」「老人に若者の体力は要らない」「老いは快楽の欲望から解放してくれる」「死を恐れるな」と唱える。

    特に4つめは「最大の悩みですよね」としているが、「若いからって夕方生きてると思い込むなんて無邪気すぎ。若い方が事故とか病気とかある。」「老人は望みがない?若者が望むものを既に手に入れたのだ。長生きを。」「魂がなくなるなら怖くないしなくならないならベターじゃん」「終わりがあることに長さを求めるなんてナンセンス」「過去は戻らず未来は分からない、だから与えられた寿命に満足するしかない」「青年期と違って終わりがない」

    死を軽視しろ、忘れろ、ある程度の金は持て、賢くいろ、出来もしないことを嘆くな
    そしたら大丈夫。

    そのまんまは無理だとしても、読む前と読んだ後ではマインドセットがほんの少し変わるかも。
    最後の「魂が不滅だって信じてるし。これでいい。違ってもいいけど僕が生きてる間はそう信じさせてくれよ。」もいい。

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    2023年07月24日
  • 生の短さについて 他二篇

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    光文社の古典新訳文庫版を読みましたが、とてもわかりやすい訳でした。2000年前以上前の先人達の言葉にたくさんのヒントを得るなんて素敵なことだと思います。ギリシャ古典文学も色々読んでみたいと思いました。

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    2023年05月27日
  • 生の短さについて 他二篇

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    生は浪費すれば短いが、活用すれば十分に長いと説く『生の短さについて』。心の平静を得るためにはどうすればよいかを説く『心の平静について』。快楽ではなく徳こそが善であり、幸福のための必要十分条件だと説く『幸福な生について』。実践を重んじるセネカ(前4頃―後65)の倫理学の特徴が最もよく出ている代表作3篇を収録。

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    2023年04月01日
  • 生の短さについて 他二篇

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    育児、仕事に追われてあっという間に過ぎていく毎日にふと疑問を感じてこの本を読んでみた。

    気づいたこと。
    ・人生はあっという間ではなく、人生の時間を自分だけに使えばとても長く、人生で偉業も成し遂げることも可能。
    ・時間は人間が平等に与えられた財産である。しかも、金等と違って増えることはなく減る一方の貴重な財産なのだ。
    ・金や大事な物、車や家等の財産を他人に奪われたら抵抗するだろう。しかし、時間については他人に奪われても平気でいるのはなぜか。進んで自ら人に捧げたりもする。仕事をするということは他人に時間という貴重な財産を与えているのだ。
    ・そんな貴重な時間をどうしたら有意義に過ごせるか。明日死ぬかもしれないという気持ちを持って一瞬一瞬を大切に過ごすことだ。
    ・更に過去を振り返ってみることもいい。過去は誰にも奪えない自分だけの財産である。いい思い出ならその思い出に浸ってみるのもいいし、悪い出来事なら今後も繰り返さないように振り返り反省してみると良い。
    ・過去を振り返る点で言えば、哲学を学び人生とはなにか内省することはとてもいい。読書は過去の偉人と会話できるタイムマシンみたいなもので、いつでも助言をくれる。哲学と読書はいい人生を送るのに最高だ。

    今後。
    時間=財産という認識を日頃から頭に叩き込んで置く必要がある。ついつい、無駄に過ごしてしまったり、仕事を優先して他人に時間を捧げてしまったりするからだ。
    また、哲学を学び続けて、読書をして過去の偉人と会話することで人生を内省してさらに良くしていくように努めたい。

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    2023年01月15日
  • 老年について 友情について

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    p18「善く生きたという自負心と数多くの善行の思い出は無上の喜びとなるものだ」
    p27「無謀は華やぐ青年の、知慮は春秋を重ねる老年の特性」
    p36「力を適切に用い、各人がもてるかぎりの力で努力しさえすればいいのだ」「君たちの、その善きものを、それがある間は使えば良いし、ない時は求めてはいけない」「人生の走路は定まっており、自然の道は一本道で折返しがない。生涯のそれぞれの時期に、その時期にかなったものが与えられている」「それぞれに、その時期に収穫しなければならない自然の恵みとも言うべきものがあるのだ」
    p40「常に孜々として携わって生きる者には、老年がいつ来たか分からない。そのような人生は、それほど緩慢に、それと感じることなく老いを重ねていのであって、突然、老年に打ち砕かれるのではなく、長い歳月を経た後に寂滅するのだ」
    p59「老人は偏屈で、心配性で、怒りっぽく、気難しい。さらにあら探しをすれば欲深くもある。だが、それらは性格の欠陥であって、老年の欠陥ではない」
    p60「老人の欲深さに至っては、私には理解不能だ。旅路がますます残り少なくなっていくというのに、なおさら路費を得ようとすることほど、理不尽なふるまいがあろうか」
    p61「老人の置かれている状況のほうが青年のそれよりはましなのだ。青年は長生きしたいと願うが、老人はすでに長生きしている」
    p66「熱意をもって取り組むすべての営みの満足感が、生の満足感を生む。青年期には青年期だけに見られる一定の営みがある。しかし中年期と呼ばれる安定した年代が、それを再び得ようとするだろうか。老年期にも、ある種の最後の営みがある。それゆえ、以前の、それぞれの年代の営みが終わりを迎えるように、老年の営みもまた終焉を迎える。この終焉が訪れたとき、生の満足感が機の熟した最期の時を運んでくるのだ」
    p72「生きたことを後悔することもない。なぜなら私は無駄に生まれてきたと思うことがないような生き方をしてきたし、それに、この世の生を去るにあたっては、いわば、我が家から去るのではなく、宿から去るという心づもりでいるからだ。というのも、自然がわれわれに与えた住まいは、住み続けるための家ではなく、仮寓するための宿にすぎないのだからね」
    p73「たとえ我々が不死の存在とはならないにしても、人間にとって各々に与えられた時にこの世を去るのは望むべきことなのだ。なぜなら、自然は他のすべてのものと同様、生にも限度というものを定めているからだ。生涯の終幕は、うんざりするのは避けなければならない。とりわけ満足感が伴っている場合にはね」


    ソポクレスの嫌老の詩
    「この世に生を享けないのが、
    すべてにまして、いちばんよいこと、
    生まれたからには、来たところ、
    そこへ速やかに赴くのが、次にいちばんよいことだ。
    青春が軽薄な愚行とともに過ぎ去れば、
    どんな苦の鞭をまぬがれえようぞ。
    どんな苦悩が襲わないでいようぞ。
    嫉妬、内紛、争い、合戦、
    殺人。かの憎むべき、力なき、無慈悲な、
    友なき老年がついに彼を
    自分のものとし、禍いの中のあるとしある
    禍いが彼に宿る。」高津春繁訳

    老いが惨めな理由→対する反論
    ①仕事や活動から身を引くのを余儀なくされるから
    →鍛錬と節制を怠らなければ精神は維持できる。老人の賢慮でしかなし得ない、国家、若者の育成という名誉な仕事がある。世代交代のために、農業をしたり木を植えたりする。若い人よりも分別、熟考があるのでむしろ偉大な事業を行える。
    ②肉体が衰えるから
    →体力は求めるものではなく馴染むもの。
    ③快楽が減るから
    →過度な快楽はむしろ毒。思索、理性、観相の時間が増える。老年の適度な快楽=「私は日々、多くのことを新たに学び知りながら老いていく」。よく手入れされた農園以上に、有用性において豊穣、景観において美麗なものはありえない。
    ④死が間近だから
    →そもそも死は若い人にも訪れる。けれど老人のほうが先が短いのは確実。長い生を求めてはいけない。人間の中に長く存在するものはむしろ不自然。過去は全て消え去り、豊かな善行だけが記憶に残る。その善行を積んだ者が迎える死は、火が自ずと消えるごとく、りんごが自然に落ちるごとく、成熟した実にうれしいもの。

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    2022年06月04日
  • 老年について 友情について

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    セネカと同じく、一部の屍(老人)に鞭を打つようなフレーズにビビる本です

    キケローが友人に向けた、書簡
    「年取ることって悪くない」
    「友達っていいものだね」 という2つのテーマで語る空想対話本です。

    ギリシャ哲学と聞くとハードルが万里の長城クラスのようですが、対話篇になるとその高さはだいぶ下がります。
    ただ話の流れを掴むのであれば(注釈まで読み込まないのであれば)ソクラテスの弁明や、生の短さについて、のように楽しみながら読むことができるでしょう。

    40代で読んで良かった。そう言い切れる一冊です。
    特にすきなフレーズはここ

    「老化による愚痴?物忘れ、不健康?それのほとんどはその人の不摂生と、個人の習慣、生活の問題だ。老化のせいにしないでね」

    最近の若者、と十把一絡げで若年者をまとめられないように、老人も良い人、悪い人がいる。当たり前の事実が染み渡ります。

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    2022年03月14日
  • はじめてのラテン語

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     西欧語を深く理解するにはラテン語の知識は不可欠なので少しずつ他の語学書も使ってラテン語の勉強をしています。
     本書は新書なので持ち歩いて隙間時間に好きなページを開いて読んだり時には名詞や動詞の語形変化を唱えて覚えたリしています。
     未読の若桑みどり著「クアトロ・ラガッツイ天正少年使節と世界帝国」の少年たちは時のローマ法皇とラテン語で話したのだろうかと興味がつきません。

     Audiは創業者が社名を考えていたとき、小学生の息子の何気ない「Audiはどう?」という提案が採用されたものです。理由はいたって単純で、創業者の名はHorch(ホルヒ)と言い、horchはドイツ語のhorchen(ホルヘェン)聞くの命令形、つまりラテン語に直せばaudī(聞いて!)だから。(本書p119)

     未完了幹を作った-baのbは、印欧祖語のbheu-、bhu-にさかのぼります。これに過去の意味を表す接辞-aを添えたものがbhua-、つまり-baで、ラテン語はこれを未完了の時称接辞として用いたのです。ところで、元のbhu-はどんな意味かといいますと、「ある、存在する、なる」!英語の「『で』ある」という意味がなぜbe動詞なのか、独語の「『で』ある」という意味の動詞の不定法はsein、他の人称はist, sind, seid(これらはすべてラテン語のes-、s-と同系)なのに、ichはbin、duはbistなのか、合点がいくでしょう。 b-系統のものはすべてこのbhu-に由来します。何のことはない、bhu-はes-、(s-)と同義語で、ba-は「あった」という意味だったのです。(本書p129)

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    2020年06月04日
  • はじめてのラテン語

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    ネタバレ

    Its' Greek To Meについての説明があった。
    ギリシャ語の話であって、ラテン語の話ではないと思ったが。
    珍文漢文なので、なるほどとも思った。

    ラテン語を勉強しはじめるきっかけになるかもしれない。

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    2012年01月21日
  • はじめてのラテン語

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    以前にローマ法に興味を持った折にラテン語の必要性を感じて、手軽にラテン語全体を見通せる文法書がないか探したことがありました。新書としての特性を生かした本書は、そんな目的にぴったりの良書です。つまり、ラテン語で原書を解読する必要まではない方、あるいは将来的にその必要はあるものの何の知識もないような初学者の方が、格、変化、語順などのラテン語の文法的特徴を大雑把に把握するのに最適だと思います。
    単なる教養だけでなくある程度使いこなせるようになるには、2冊目以降の学習が必須なのは言うまでもありませんが、その際の理解を容易にする一冊になるでしょう。

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    2011年11月12日