p18「善く生きたという自負心と数多くの善行の思い出は無上の喜びとなるものだ」
p27「無謀は華やぐ青年の、知慮は春秋を重ねる老年の特性」
p36「力を適切に用い、各人がもてるかぎりの力で努力しさえすればいいのだ」「君たちの、その善きものを、それがある間は使えば良いし、ない時は求めてはいけない」「人
...続きを読む生の走路は定まっており、自然の道は一本道で折返しがない。生涯のそれぞれの時期に、その時期にかなったものが与えられている」「それぞれに、その時期に収穫しなければならない自然の恵みとも言うべきものがあるのだ」
p40「常に孜々として携わって生きる者には、老年がいつ来たか分からない。そのような人生は、それほど緩慢に、それと感じることなく老いを重ねていのであって、突然、老年に打ち砕かれるのではなく、長い歳月を経た後に寂滅するのだ」
p59「老人は偏屈で、心配性で、怒りっぽく、気難しい。さらにあら探しをすれば欲深くもある。だが、それらは性格の欠陥であって、老年の欠陥ではない」
p60「老人の欲深さに至っては、私には理解不能だ。旅路がますます残り少なくなっていくというのに、なおさら路費を得ようとすることほど、理不尽なふるまいがあろうか」
p61「老人の置かれている状況のほうが青年のそれよりはましなのだ。青年は長生きしたいと願うが、老人はすでに長生きしている」
p66「熱意をもって取り組むすべての営みの満足感が、生の満足感を生む。青年期には青年期だけに見られる一定の営みがある。しかし中年期と呼ばれる安定した年代が、それを再び得ようとするだろうか。老年期にも、ある種の最後の営みがある。それゆえ、以前の、それぞれの年代の営みが終わりを迎えるように、老年の営みもまた終焉を迎える。この終焉が訪れたとき、生の満足感が機の熟した最期の時を運んでくるのだ」
p72「生きたことを後悔することもない。なぜなら私は無駄に生まれてきたと思うことがないような生き方をしてきたし、それに、この世の生を去るにあたっては、いわば、我が家から去るのではなく、宿から去るという心づもりでいるからだ。というのも、自然がわれわれに与えた住まいは、住み続けるための家ではなく、仮寓するための宿にすぎないのだからね」
p73「たとえ我々が不死の存在とはならないにしても、人間にとって各々に与えられた時にこの世を去るのは望むべきことなのだ。なぜなら、自然は他のすべてのものと同様、生にも限度というものを定めているからだ。生涯の終幕は、うんざりするのは避けなければならない。とりわけ満足感が伴っている場合にはね」
ソポクレスの嫌老の詩
「この世に生を享けないのが、
すべてにまして、いちばんよいこと、
生まれたからには、来たところ、
そこへ速やかに赴くのが、次にいちばんよいことだ。
青春が軽薄な愚行とともに過ぎ去れば、
どんな苦の鞭をまぬがれえようぞ。
どんな苦悩が襲わないでいようぞ。
嫉妬、内紛、争い、合戦、
殺人。かの憎むべき、力なき、無慈悲な、
友なき老年がついに彼を
自分のものとし、禍いの中のあるとしある
禍いが彼に宿る。」高津春繁訳
老いが惨めな理由→対する反論
①仕事や活動から身を引くのを余儀なくされるから
→鍛錬と節制を怠らなければ精神は維持できる。老人の賢慮でしかなし得ない、国家、若者の育成という名誉な仕事がある。世代交代のために、農業をしたり木を植えたりする。若い人よりも分別、熟考があるのでむしろ偉大な事業を行える。
②肉体が衰えるから
→体力は求めるものではなく馴染むもの。
③快楽が減るから
→過度な快楽はむしろ毒。思索、理性、観相の時間が増える。老年の適度な快楽=「私は日々、多くのことを新たに学び知りながら老いていく」。よく手入れされた農園以上に、有用性において豊穣、景観において美麗なものはありえない。
④死が間近だから
→そもそも死は若い人にも訪れる。けれど老人のほうが先が短いのは確実。長い生を求めてはいけない。人間の中に長く存在するものはむしろ不自然。過去は全て消え去り、豊かな善行だけが記憶に残る。その善行を積んだ者が迎える死は、火が自ずと消えるごとく、りんごが自然に落ちるごとく、成熟した実にうれしいもの。