【感想・ネタバレ】怒りについて 他2篇のレビュー

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Posted by ブクログ

「怒りをコントロールする」にて、「心を困難に苦しませるのではなく、芸術の楽しみにゆだねようではないか。」とある。現代社会において"良い大人"とは、自分が所属する集団社会に貢献する者で、"良い子"とは、学校で良い成績を残す者であることと同義になっているように思える。しかし、そういった価値観を追い求めすぎるせいか、それらに悩む人は自己を苦しませ、また、社会はそこから逸脱しようものなら厳しく当たる。他人を気にしすぎ、また、怒るのではなく、現実を忘れて芸術にふれ寛容になることが今の時代も大切なのではないか。

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2023年11月14日

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怒りについて、ここまで詳細に綴られるとは思わなかった

怒りの発生、怒りを抱え続ける事の危険さ
怒りなくすことは出来ないがいかに平穏に暮らすか

あらゆることを想定し、怒りが起きても猶予を与える
今まで自分自身が犯した不正も顧みて、他者をすべて許せれば許す

かぎりある時間のなかでつまらないこと(怒り)に時間を使うより
常に楽しい事や有意義な事に全力で時間を使うことを意識したい

つまらないことでイライラする時間は減るだろうし
もし、怒りそうになってもこの本の内容を思い返して
怒りの感情に対して心に余裕を持って対応できればと思う

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2022年06月27日

Posted by ブクログ

自分の中に湧いてくる怒りという感情をうまくコントロールできないことを自覚するようになったため、古典の中にその解決法を求めて本書を手にとった。怒りという感情が倫理の上では無意味であり、一種の欺瞞ですらあるとの趣旨だった。怒りという感情を思考するのに良い手助けとなったし、それでも日々湧いてくるのこ厄介な感情とうまく付き合えるようになって来たと思う。

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2020年08月27日

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俗っぽく紹介するなら「2000年以上読まれ続けるアンガーマネジメントの金字塔!」とでも言おうか。

不可避的な災厄、苦痛と向き合う「摂理について」。
賢者は不正を受けることがない、と主張する「賢者の恒心について」。
そして、怒りという情念の恐ろしさと、そこから逃れる術を説く「怒りについて」。

どれも、自らの働きかけでは御しがたいものとどう向き合うのかということに集約される。
賢者の恒心における、ある種の「上から目線」で接するという態度などは文面だけを読むと驚いてしまうが、心を平静に保ちながら徳を保つには有効な手立てだろう。

怒りという情念は破滅的なもので、そもそもそこからは逃れられるなら逃れるべきだ。
しかし怒りというものはそこかしこで発生し、我々は日々過ちを起こす。
その現実と向き合い、いかによりよくあるべきかを論じた本書は現代に置いても共感する箇所が多い。

怒りに任せて話し相手を切り殺すような人間は現代にはいないが、怒りが破滅をもたらすものであるのは今も昔も変わらない。
怒りのもつ恐ろしい副作用を自覚し、距離をおいてアンガーマネジメントするためのヒントはこの古典にぎっしりと詰まっている。

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2020年06月06日

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◯摂理について
・善き人たちが苦労し、汗を流し、険峻な途を登攀するのに対して、劣悪な連中が自堕落に暮らし、快楽に酔いしれているのを目にしたときは、「息子は厳格な訓練で律せられるのに対して、奴隷の身勝手は育つがままにされるものだ」と考える。

・障碍を知らぬ幸福は、どんな打撃にも耐えられない。だが、絶えず逆境と格闘した者には、受けた不正で厚い皮が育ち、いかなる悪にも屈しない。

◯賢者の恒心について
・彼が所有のうちに置いているのは唯一、徳だけであって、ここからは何一つ奪い取ることはできないからである。

・犯罪は、遂行の結果以前に、範囲が十分である限り、すでに完了しているのである。

・人からの侮辱を賢者が児戯とみなすのも、至当というより他はない。

◯怒りについて
・最善なのは、怒りの最初の勃発をただちにはねつけ、まだ種子のうちに抗い、怒りに陥らないように務めることである。

・それは有益だとか不可避だとか言って自分の弁護と身勝手の口実を求めてよいわけはない。

・怒りに陥らないようにすること、それから怒りの最中に過ちを犯さないことである。

・子どもを早いうちから健全に躾けることこそ、何よりもためになる。

・モノは我々の怒りに値しもせず、それを感じもしないのに、怒るとは何と愚かなことだろう。
・われわれのうち、罪のないものは一人としていない。

・全部取り去ろうとしてはいけない。一部ずつ摘みとっていけば、怒り全体を征服できるだろう。

・「思っていなかった」とは、人間にとって最も恥ずかしいいいわけだと思う。あらゆる事態を思い、予期しておきたまえ。

・怒っているとき、鏡を見たことが役立った。

・何かを試みるときはいつも、あなた自身の力と、あなたが準備していてあなた自身がその準備になっている計画と秤にかけたまえ。

・あなたの中でどこが弱いか、そこを最もしっかり守るために知っておかねばならない。

・誰でも気持ちを傷つけられた時はいつでも、自分にこう語りかけるといい。「私にピリッポスより強大な力があるとでもいうのか、彼ですら、黙って悪口を浴びた。私がふるう力は神君アウグストゥスが全世界にふるった力より大きいとでもいうのか。彼ですら、自分に罵言を浴びせるものから遠ざかることで満足したのに。」

・夜の眠りへ退くとき、己の心に向かって尋ねる。「今日、お前は己のどんな悪を癒したか。どんな過ちに抗ったか。どの点でお前はよりよくなっているのか。」

・死の定めを思うこと。「気高い喜びに費やすこと許されている日を、他人の苦痛と呵責へ移して、何が楽しいのか。」

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2010年08月28日

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人間について、医学的なことは少しは進んだのかもしれないが、人間じたいについての考察は、ここから、一歩もすすんでいない。

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2010年04月03日

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怒りはダークサイドの第一歩だと言います。セネカは、実はジェダイの思想を私たちに伝えているのかもしれない。そのくらい普遍的な感情コントロール法を伝えています。

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2009年10月04日

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ストア派の哲学者セネカの「怒り」に関する論考。

なるほど、これはいわゆるストイックというイメージにふさわしい「怒り」論だな。

ある意味、過激なまでのストイックさに恐れをなしてしまった。その分、読み物としては、思考を揺さぶる力をもっている。

この議論のある種の「過激さ」は、本物なのか、あるいはレトリックなのかというのも、ちょっと興味のあるところ。

セネカは、ローマの皇帝に近い上流社会に生きていて、最終的には肯定のネロに命令されて自死することになるわけだが、ある種の公共的な劇場空間のなかで、自己をどう演出するか、どうストア派的な言説を徹底するかというほうに向かっていたのかもしれないという感じもしなくもない。(解説もややそういうニュアンスで書かれている)

一見、なるほどと思わせるだけのインパクトをもちつつ、でもどうなんだろうか?と人を思考に誘っていく、そんな哲学の本。

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2023年02月18日

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ローマ時代に書かれたアンガーマネジメントの本。職場の机の引き出しに入れておきたい。
人生は短い。協働的な怒りに支配される時間があったら、怒りを打ち負かして他に時間を割いた方が格段によいと改めて痛感した。

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2022年12月09日

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-摂理について-
世界が摂理によって導かれているのに、良き人々に数多の悪が生じるのはなぜか。
神は善き人にこそ試練を与える。まるで厳父のように。
古代哲学の運命論ゆえ、なるほどとはならないが、困難な状況を乗り越えることを称揚してくれる。


-賢者の恒心について-
ストア派の考える賢者が持ち合わせている大度について扱う。
不正とは悪をおよぼすこと、すなわち卑劣な心を呼び起こすことと定義される。賢者は徳で満たされているため、悪が入り込む隙がない。従って賢者に不正を与えることは不可能である。
賢者は徳以外に何も所有していないことを理解している。従って苛烈な目に遭わされても、運命が何かを奪うとは考えない。例として挙げられるスティルポーンのエピソードは強烈。
賢者は侮辱に関しては気にも留めない。赤ん坊が親の髪を引っ張る程度のことと考えている。

こうなれたら最強だよなーと思う。
読んでいる間、ちょっとしたことに心揺れる自分を思い起こし、その愚者っぷりを痛烈に感じる。


-怒りについて-

怒りとは、
・不正に対して復讐することへの欲望
・自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望
・害を加えたか、害を加えようと欲した者を害することへの心の激動である。
怒りについては学派によって扱いが分かれる。
アリストテレスは戦闘において必要と論じるが、セネカは否定する。いかなる場合でも怒りが有用にはなり得ないと論じる。
また、怒りは制御するのではなく除去してしまうのが良いとする。一度怒りに居場所を与えたら、増大するチャンスを与えることになる。
怒りはそれ自身で発するものでなく、こころが賛同してから生じる。つまり情念や反射のようにコントロール外のものではないとする。
怒りをなくす方法として、罪のない者は一人としていない、と思うことが重要。自分は何も間違っていないという思い込みがを捨てることが必要。
われわれは他人の悪徳に目をとめるが、己の悪徳を背に負っている。
そして怒りに対する最良の対処法は遅延である。

この本を読んでいた期間は、怒らないように自分を気遣えていた。読み終えた今も自分を気遣えるようにしていきたい。怒ってしまっているとき、この本の表紙を目にすれば怒りが抑えられる気がする。それくらい納得させられる内容だった。

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2022年12月01日

Posted by ブクログ

怒りがいかに不要なものか、様々な視点から長々と説明されます。

冗長な部分もありますが、これからは怒らないようにしようという気にさせてくれます。

特に怒りっぽい人に効果があるのではないでしょうか。

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2019年03月02日

Posted by ブクログ

著者は恐らく当時(ローマ帝国初期)の最高レベルの教養と頭脳の持ち主。さすがと言うべきか、現代にも通じる本質的な議論を展開している。

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2017年01月16日

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古代の王がどんなに残酷な仕打ちをしていたかということがよくわかった。
王を諌めた家臣が、自分の息子を殺され、その肉体を饗応されるに至っても、なお怒りを持つことを自重する。
とても自分にはできそうにないけれど、そんな心持ちも必要なのだと訴えかけられる。
古代ローマも現代も、人間の本質的なところはあまり変わっていない。

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2014年07月22日

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ちっぽけなことに心を乱されないように力をつけたい。

『摂理について─摂理が存在しながらも、なぜ善き人に災厄が起きるのか』 
『賢者の恒心について─賢者は不正も侮辱も受けないこと』
『怒りについて』

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2012年04月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

表題の他に「摂理について」「賢者の恒心について」の二篇収録。
前1年頃~65年のローマの哲学者

まず、全文読んでの感想は「それが出来たら苦労しないな」である。

「賢者の恒心について」では「賢者に不正は届かない」と述べている。
つまり、暴力も、悪意も賢者を害しようとするもの全ては賢者の持つ何物も奪えないということ、それは例え吊し上げられ、家、肉親全てを失おうとも賢者からは何も奪ったことにはならないというのである。
なぜなら賢者は全てを自らの内に託し、自らの善きものを盤石のうちに保ち、徳に自足しているから。と述べる。
しかし、では、そんな人が存在し得るのかという問いにセネカは「おそらく、それはごく稀に、長い年月の隔たりを置いて一人しか出てこない」と言うわけで理想的に過ぎるかと感じてしまうのが本音。

賢者について言えばこれまた理想論過ぎると思わずにはいられないが、それでも凡人が学ぶに当たって参考になるのは、最終盤の侮蔑への軽蔑には良識の人であれば済むというところだろうか。
セネカは言う「私にそうしたことが降りかかるのは至当なのか、それとも不当なのか。至当なら、侮辱ではなく判定である。不当なら、恥ずべきは正しくないことを行っている者のほうだ」。

至当か不当かの判断はとても難しい事ではあるが、何故私はそんなこと言われるのだろうと、一呼吸置いて冷静に省みることは良識の人でありたいならば必須に思える。

 そして本書の半分を占める「怒りについて」だが、セネカは怒りを「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」としている。
「賢者の恒心について」と絡めて言えば、自身が不当に害されたということへの復讐、報復の欲望ということになろうか。

長くなるので気になった点を拾うことにするけど、怒りは生来のモノでは無いけれど誰もが持つモノであるとしている。自分は怒らないと真面目に言う人は案外要注意かも。
まあ、簡単に言えば怒りの衝動を認めなさいということなのだが、怒りというのは何かを言われた、聞いた瞬間に起きる興奮のことでは無くその後に沸き起こる感情を指している点に留意。
カッとなってやったは興奮状態であり、怒りとは分ける。興奮から覚めた時にもあいつをどうしてくれようと思う感情(欲望)が怒り。

似たようなことは現代でも度々聞くように思うけど、言ってることは大差なくて怒る前に怒りを「遅延」させろと言う。
セネカから言えば怒りや怒りから発せられたものは悪徳以外の何ものでもない、それを「理性」によって立ち止まらせてみようということ(だと思う)。

怒りの衝動(欲望)のままに行動しても良いことなんて何もないよということ。

あとは簡単に要旨だけ
・時に怒りが勇気ややる気をくれたりするのではないか?という問いに対して断固としてそれは違うと言う
・怒りは自身を正当化する道具にも化すし自らを凝り固まった信念を持つ人にしてしまう。さらに「善意」も怒りから生じた善意は自己満足に過ぎない。

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2011年11月28日

Posted by ブクログ

以前読んだけれど考えさせる言葉が多い。たとえば、「他人の悪徳に目を留めるが、己の悪徳を背に負っている」、夜の眠りに退くとき、己に尋ねよ「今日、お前は己のどんな悪を癒したか。どんな過ちに抗ったか。どの点でお前はよりよくなっているのか」。怒りを感じたとき、自分を省み状況を見守る
、あるいは故意に遠ざかる、そんな気持ちの間合いを持とうと思った。

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2010年05月23日

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