【感想・ネタバレ】怒りについて 他2篇のレビュー

あらすじ

動乱のローマ帝政初期、皇帝ネローの教育係となったストア派の哲学者セネカ(前4頃-後65)は、のちにネローの不興を買い、自決せねばならなかった。ストア派の情念論を知るうえで重要な「怒りについて」と、「摂理について」「賢者の恒心について」を収録。白銀期ラテン語の凝集力の強い修辞を駆使した実践倫理の書。新訳。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

表題の他に「摂理について」「賢者の恒心について」の二篇収録。
前1年頃~65年のローマの哲学者

まず、全文読んでの感想は「それが出来たら苦労しないな」である。

「賢者の恒心について」では「賢者に不正は届かない」と述べている。
つまり、暴力も、悪意も賢者を害しようとするもの全ては賢者の持つ何物も奪えないということ、それは例え吊し上げられ、家、肉親全てを失おうとも賢者からは何も奪ったことにはならないというのである。
なぜなら賢者は全てを自らの内に託し、自らの善きものを盤石のうちに保ち、徳に自足しているから。と述べる。
しかし、では、そんな人が存在し得るのかという問いにセネカは「おそらく、それはごく稀に、長い年月の隔たりを置いて一人しか出てこない」と言うわけで理想的に過ぎるかと感じてしまうのが本音。

賢者について言えばこれまた理想論過ぎると思わずにはいられないが、それでも凡人が学ぶに当たって参考になるのは、最終盤の侮蔑への軽蔑には良識の人であれば済むというところだろうか。
セネカは言う「私にそうしたことが降りかかるのは至当なのか、それとも不当なのか。至当なら、侮辱ではなく判定である。不当なら、恥ずべきは正しくないことを行っている者のほうだ」。

至当か不当かの判断はとても難しい事ではあるが、何故私はそんなこと言われるのだろうと、一呼吸置いて冷静に省みることは良識の人でありたいならば必須に思える。

 そして本書の半分を占める「怒りについて」だが、セネカは怒りを「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」としている。
「賢者の恒心について」と絡めて言えば、自身が不当に害されたということへの復讐、報復の欲望ということになろうか。

長くなるので気になった点を拾うことにするけど、怒りは生来のモノでは無いけれど誰もが持つモノであるとしている。自分は怒らないと真面目に言う人は案外要注意かも。
まあ、簡単に言えば怒りの衝動を認めなさいということなのだが、怒りというのは何かを言われた、聞いた瞬間に起きる興奮のことでは無くその後に沸き起こる感情を指している点に留意。
カッとなってやったは興奮状態であり、怒りとは分ける。興奮から覚めた時にもあいつをどうしてくれようと思う感情(欲望)が怒り。

似たようなことは現代でも度々聞くように思うけど、言ってることは大差なくて怒る前に怒りを「遅延」させろと言う。
セネカから言えば怒りや怒りから発せられたものは悪徳以外の何ものでもない、それを「理性」によって立ち止まらせてみようということ(だと思う)。

怒りの衝動(欲望)のままに行動しても良いことなんて何もないよということ。

あとは簡単に要旨だけ
・時に怒りが勇気ややる気をくれたりするのではないか?という問いに対して断固としてそれは違うと言う
・怒りは自身を正当化する道具にも化すし自らを凝り固まった信念を持つ人にしてしまう。さらに「善意」も怒りから生じた善意は自己満足に過ぎない。

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2011年11月28日

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