怒りは価値判断の誤り。怒るほど重大なことではない。傷つけられたプライドは、遠くから見ればたいしたものではない。
怒りは加減するのではなく、最初から入ってこないようにする。
怒りは強い心からは生まれない。心安らかでなければ、偉大とはいえない。
怒りの始まり、の原因と戦う=時間を置く。
怒る、ことを
...続きを読む先延ばしする。一度に追い払おうとしない。
双方で衝突が起きたら、先に退いたほうが勝ち。
怒ったら鏡を見る=自分の姿を見れば驚愕する。
怒りの原因から遠ざかる。争い始めてから抜け出すより、最初から距離を置く。
怒りが面に出ようとしたら、その反対の様子を演じる。
毎日寝るときに、その日の自分の気持ちを問いただす。毎日審判を受けると知っていれば、その日に悪いことはだんだん少なくなるはず。
朝、一日を始めるときに、自分には我慢しなければならないことがたくさんある、と覚悟を決めておく。今日は、一歩下がる、と決める。覚悟しておいたことに対しては心は強くいられる。
日々は使い放題ではない。無駄にする時間などない。怒っている時間はない。残された時間を大切にして、静かに穏やかに過ごそう。
人間は必ず死ぬ。だから、怒りの相手も必ず死ぬと心得る。どうせそうなるのだから、必死にそれを祈るのは無駄。
怒りは一種の狂気。なぜなら価値のないことに莫大な代償を払っているから。
怒りは「価値判断の誤り」
相手の行為は、それほど重大なことか。
一歩下がれば笑える。相手の行為はたいしたことではない、それに対する反応が重要。
セネカは、ローマのカリグラの残虐さから学んだ。
怒りの衝動は、「人に罰を与えたいという欲望」である。
人は誰でも、カリグラとソクラテスの中間にいる。
その中で人を許す気持ちを育てる。
怒っている人は、精神が錯乱している人と同じように醜い。
怒りをコントロールするくらいなら、最初から締め出す。その方が楽。
怒りは復讐を求めるが、復讐は正しいからすること。怒りはふさわしくない。
感情を手なずけられる人はいない。曽倉でも、冷静になるまで行動を待った。
どんなものであれ、心安ら過でなければ偉大とはいえない。
恵まれているものほど怒りやすくなる。
時間をおく。1日たてば真実がわかる。安易に腹の立つことを本気にしない。
罰を与えてから取り消すことはできない。
私たちの誰一人として、罪のない者はいない。憤りは、自分が正しいという観念から生まれるが、それは間違い。
最良の治療法は、先延ばしにすること。
怒りっぽいのは、無知あるいは傲慢だから。
罰は、過去の為ではなく、未来を考えて与えるもの。過去の結果を罰するのではない。
怒りは嫉妬よりも罪深い。贅沢は自分の楽しみだが、怒りは他人の苦しみを望むものだから。
重すぎる荷物を持ってはいけない。自制心を失えば平穏を失い、重りをもつことになる。
怒りの原因に近づかない。穏やかな人に囲まれて暮らす。敵がいなければ喧嘩はできない。