あらすじ
人生は浪費すれば短いが、過ごし方しだいで長くなると説く表題作。逆境にある息子の不運を嘆き悲しむ母親を、みずからなぐさめ励ます「母ヘルウィアへのなぐさめ」。仕事や友人、財産との付き合い方をアドヴァイスする「心の安定について」。2000年読み継がれてきた古代ローマの哲学者セネカの“人生の処方箋”。
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素晴らしかった。
哲学に素人で全くセネカ、古代ローマについての知識がなくてもスラスラと感銘を受けながら読み進めることができる。
閑暇。どのように過ごすべきか。
生の短さだけでなく、他2篇も非常によかった。
内容がとてもよかったので、次は岩波文庫のものを読もうと思う。
古代ローマは過酷な時代だったようだ。それにしても文明とは一体なんだろう。人の悩みも忙しさも2000年経ても変わっていない、寧ろ加速している。
読書リレー:森の生活→本書→生の短さについて(岩波文庫)
2025.12.2
Posted by ブクログ
人生の時間の使い方、重要性についてセネカの考え方がまとめられている。2000年前に生きた人の考えを知るだけでも素晴らしいことだが、現代人にも刺さる考え方である。お金をケチることはあっても、時間をケチる人はほとんどいないように時間というものを軽視しすぎている、という考え方はすぐにでも取り入れる必要がある。
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終始、多忙であるな閑暇であれ、が飛び交っていたが、言わんとしていることはよく分かった。要は、「振り返らなかった過去に、現在の瑕疵が隠れているのだから、振り返る時間を確保した人だけが、人生を謳歌している」という事だと解釈した。
この本の中でめちゃくちゃ皮肉っているのが、遊び回っている人のことを「多忙」と呼称しており、こいつらは軒並み「からっぽで無生産な人生を過ごしている」そうだ。
セネカさん、贅沢が死ぬほど嫌いだったんだなぁ。
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面白かった....!2000年前とは思えない。
セネカの言葉はストイックで厳しいな〜と思いながら読み始めたが、かといって頭でっかちなわけでもなく、現代人が読んでも響く言葉がたくさんある。
「心の安定について」での青年のお悩み相談も、現代のお悩みコーナーなんだろうか...と思えたくらい、人の悩みはこうも変わらないのかと驚いたし、興味深く、なんだか感慨深くもあった。
セネカはカリグラ、クラウディウス、ネロなどいわゆる悪帝で知られる皇帝の時期に政治生活を送っており、そのあたりも今後もう少し知ってみたいと思った。
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私はセネカ先生的には宙に浮いた存在かもしれない。人生において私は何の組織にも適せないのではないか…と悩むこともあるが土地よりも自分の欠点について考えるべきという言葉が響いた。構成は”セネカの人と思想を理解してもらう”というのがコンセプトらしいがすごく良かった。人間の生活に関わってくる実践的な哲学なので今の時代でも響く所が多いと思う。「心の安定について」にいたってはアドバイスですし結構具体的で面白いです。人間って変わらないね
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人生は自分が上手く管理すれば、長い。
他人へ阿れば、短い。
自分自身を顧みず、他人に自分を気にかけてもらいたい、評価してもらいたいと依存してはいけない。自分の人生は、自分と共に歩みたい。
「おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだから。」(p.16)
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もっと早くこの本を読んでおけばよかったと後悔するくらいに、素晴らしい本だった。これから先の人生で折に触れて読んでいきたい本になった。
「人生の短さについて」を始めに3編の作品が収録されているが、どれもどう生きていくか、困難に直面したときどう対処すれば良いかという実践的な知についてのエッセンスが散りばめられていると思った。
どの作品からも読み取れるセネカの考えは は、2000年経っても色褪せることはないと感じた。比喩や例え話こそ当時のものだが、その主張自体は現代でも十分に通用するものだと思う。どれも古典として読み継がれてきた所以をはっきりと見せつけられる作品だった。現代の自己啓発本もセネカの作品を焼き直した陳腐なものに思えてしまうほどだ。
Posted by ブクログ
一言でいうと
【人生が短いのではなく、自分の行いが人生を短くしてると分かる本】
本書は2000年前、皇帝ネロを育て上げる役として仕事に就いたセネカが晩年に書いた本であり、内容は仕事に埋もれる若い一人の男性に当てて書かれた手紙だ。
古代のアリストテレスから、現在その辺にいる見知らぬオジちゃんまで誰もが「人生はあっという間で短い」と嘆く。
しかし、セネカによれば「人生は本当は長いもので、短くしてるのは自分のしょうもない行いに費やしてるからでしよ?」と迫ってくる。
私が本書からセネカのいう、しょうもない時間を現在にあてると下記リストが浮かぶ。
・自分以外でも出来る仕事時間
・惰眠時間
・性欲にふける時間
・物欲にふける時間
・酒にふける時間
・相手に話しかけられる時間
正直、他の誰かができる帳簿をつけながらそれに必死になるばかり時間をとられ、疲れ果てた故に休日は惰眠に時間をとられ、性欲や物欲にふけってスマホを片手に時間をとられ、あげくの果てに馴れ合いの飲み会やに時間をとられ、ラインでくる通知や電話の返答に時間をとられる。
一日の何時間を、それらに費やしているのか。仮に寝る時間を除いた半分の時間を費やしてると考えれば、80歳までの人生の人は、40年しかないのだ。あなたは、私は今何歳??ほとんどないのではないかと私は焦った。
自分にとっての内省や、成したいことに時間を注ぐべきだと感じる。ユダヤ人である哲学者ハンナ・アレントのいう「鑑照生活」の時間をいち早く獲得する必要がある。
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たまに居る、多忙をステータスだと思ってるような人間がいかにダサいかよく分かる。読みやすいし全体的に火力高くて良かった。きちんと自分の人生を生きられるようになりたい。
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これまで哲学書を読んだことがない自分でも理解しやすく、現代にも当てはめやすい内容になっている。古典新訳文庫のコンセプトがとても活かされていると感じた。特に、時間を奪われることに無頓着になりがちである話は共感できる人が多いような気がした。出会えて良かったと思える本だった。
Posted by ブクログ
本編を読んでいるかぎりは、何か頭を上滑りしていくようで、あまりよく理解出来なかったのだけれど、翻訳者の丁寧な解説を読んではじめて、ああ、なるほどなと思った。
セネカ自身が言っているように、ストア派のいう賢人などはこの世に存在しないのだろう。勿論その賢人が持つとされる徳に満たされるような人物になろうとしているのだけれど、なれるかどうかではなくて、その過程のうちに死を迎えるのが大事なのだろう。
未来、ではなく現在に向き合うために、過去をつまり歴史の英知を学び、人類全体の幸福を追求しようとしたのがこのストア派なんだという解説をみて、他の本も読んでみたくなった。
確か、松井秀喜がストア派の本の帯で勧めていたのを記憶しているが、あの長嶋茂雄さんとの1000日計画において、過去の英知にそれこそ、浸れたのだろうと思うと、凄い時間だったんだろうなと思う。
Posted by ブクログ
いかに生きるべきかを哲学者のセネカがズバッと述べている本だ。人生は使い方次第で長くなる、浪費して短くしてしまう、現在は短い、アウグストゥス、キケロ、ソクラテス、エピクロス、ガリア、セレヌス、ヘラクレイトス、デモクリトス、カトー、哲学も少しは知っておく必要がある。
Posted by ブクログ
セネカの哲学から人間いかに生きるかを学ぶことができる本。
人は人から時間が欲しいと言われるとすぐに使ってしまう、そして自分の時間がなくなっていく、時間は目に見えないもので一見多く残されるように見えてしまうからであると言えるが、自分の時間を大切にし時間にけちであることも大事であると学ぶ。
また多忙であることにも注意が必要である。忙しいとは心が奪われている状態であり、自分に向き合えていない状態と言える、そして過去を振り返ることも嫌い、今を多忙に過ごしている人たちもいる。しっかりと自分自身に向き合い、多忙ではない閑暇な時間を作ることも生きる上で重要であると学ぶ。
時間の長さは時間で測ることができるものでなく、時間の過ごし方の質で変わるということ。一見おかしな解釈に聞こえるが、過去に向き合い今の時間を大切にすること、物事を先延ばしにして未来の時間を奪うことなく今の時間を大切にすることが重要であり、その質が高く生きていれば人生は十分に長いと言える、感じられるということと理解する。
その他、このセネカという人物の教えはストア派という自然哲学の思想からきている。財産や地位といった世俗的で人為的なものを排除し自然的なものを価値のあるものとして受け入れる考え方である。こういった哲学、それを取り入れている背景を学ぶことがまた重要である。
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人生は長いようで短く、短いようで長い。それは自分の時間を善く丁寧に生きれば、充分に充実した時間を得られるだろうと説く良書である。
セネカの死生観や哲学は現代でも活かされており、時代や国、文化を超えて問いかけと生き方を教えてくれる。
さて、人生は有限だ。だが、時間は無限のようにあるように体感してしまう。だから、時間を浪費してしまうのだろう。現代では時間を溶かすコンテンツはありふれている。これからもそれらは増え続けていくだろう。1日は24時間しかない。使える時間はもっと限られる。その中で、どう生きればいいのかわからないときは、自分の死をイメージして行動せよとセネカは説く。死を意識することで視点は大きく変わる。人生は何が起きるかは誰にも自分でもわからない。今日死ぬかも知れない。そう意識いして生きるだけでも悔いの残らない善く充実した人生になりえよう。
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時間は有限で、平等に与えられている。
それをどう使うかで、人生は変わってくる。
セネカが本書で語ることの1つに、「先のことばかり考えずに、今に集中して生きろ」ということがある。
まさにその通りだと思う。
未来に不安を抱くのは自然なこと。
だけど、不安を抱きすぎても、今が良くなることは少ないように思う。
それよりも、今できることを精一杯やり、楽しみ、充実した人生を心掛ける方が、未来は開けると信じている。
だからといって、日々気負いすぎても疲れてしまう。
自分を大事に、自分が良いと思うことに時間を使い、今を生きること。
それが、人生を短くも長くもするのだと思う。
Posted by ブクログ
古代ローマの哲学者セネカの思想がわかる本。題名に惹かれて前から読みたかった。暴君で有名な皇帝ネロの教育係だったセネカ。激動の人生から迸るローマ帝国の重責の任に就くバウリヌスへ宛てた手紙。
人生は短いが過ごし方次第では、長くなると言うセネカ。人々はあまりにも忙しく過ごしすぎていると。「未来に頼らず、現在を逃さず、過去と向き合う」未来は不確かで現在は流れがあまりにも早くあっと言うまに過ぎさっていく。過去と向き合えと言う箇所は新しい発見。言い換えれば、いい思い出が作れるように今を生きろと言うことかな。
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「あなたは、どこを見ているのか。あなたはどこを目指しているのか。これからやってくることは、皆不確かではないか。今すぐ生きなさい。」
約2000年前のローマ時代 ストア派の哲学者セネカによる実践哲学書。
妻の近親者(?)・母・友人へ宛てた手紙、3篇。
人生の時間の過ごし方、不運への立ち向かい方、毅然とした心の持ち方を説いている。
2000年前と現代では娯楽も増え、生き方も変わっているとは言え現代にも思想は通じる。ビジネス書のように読みやすかった。
時間という財産の浪費、自分自身を見直すきっかけになる。
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今こうしている時間も全て浪費なのだろうか
やりたいことを出来ていない時間は浪費なんだそう
人生は何かを成すには短いなんてよく言うけれど、
セネカに言わせれば浪費してる時間を無くせば、
何かを成すには十分すぎる時間があるそうで。
ただただ、この世に存在するのではなく、
私は「生きてる」って胸を張れたらいいな。
Posted by ブクログ
時間の篩にかけられた古典は、一文一文が金言ですね。自分の時間を他者に奪われることなくいかに生きるかについて、そして人生について、その他生きていく上で大切なことが沢山学べます。本当に素晴らしい内容です。
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人間の悪しき習慣やその原因等について述べ、本質的な言葉でその解決策を述べている。分かってはいるけど、なかなか改善できないんだよな〜と思いながら読み耽っていた。
Posted by ブクログ
私にとっては難しいなと思う部分が多々ありました。
しかし、昔と今で繋がるところもあって興味深かったです。
▪︎印象に残ったフレーズ
・『長く続いた幸せに甘やかされて、力を失った精神の持ち主は、いつまでも涙を流して嘆いていればよい。最も軽い災難の一撃で、崩れ落ちればよい。しかし、生涯にわたって災厄に見舞われ続けてきた精神の持ち主には、最も重い災難にも、強靭で確固とした不屈の心で、耐えていただきたいのです。』
・『悲しみというものは、まぎらわせるよりも、克服してしまうほうがよい』
・『信頼に満ちた心地よい友情ほど、心に喜びを与えてくれるものはない。』
→はるか昔にも友情とかあったんだなと思い、ホッコリしました。
Posted by ブクログ
読みづらいけど、とても大切なことが書いてある。
最後の解説を読んでから読むとわかりやすい。
2000年前も人間や人生の本質的な部分は変わらないと実感した。
人生の短さについて
人生は無為に過ごすと何も出来ずに終わる
自分の時間を他人に奪われないようにする
時間を浪費してしまうのはやりたいことがないから
閑暇を持って目的のために時間を使う
心の安定について
自分の実力や得意なことを見極める
仕事は自分の能力に見合ったものを選ぶ
付き合う人を選ぶ。欲の少ない人が良い
質素な生活を心がける。足るを知る
疲れたら休息をとって精神を回復する。息抜き大事
Posted by ブクログ
お金のように、時間にケチになることを薦めた本。
自分の時間を見直したい。
人間の誤りを乗り越えた偉大な人物は、自分の時間から、何一つ取り去られることを許さない。
あなたの人生の日々を監査してみなさい。あなたの手元に残る日々は、ほんのわずかな残りかすにすぎない。
全ての時間を自分のためにだけ使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。
Posted by ブクログ
光文社古典新訳文庫の訳のおかげなのか、プルタルコスやキケロよりだいぶ読みやすい。読みやすいけど、内容は哲学というより自己啓発的な内容でちょっと退屈でもあった。
「われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ」という「人生の短さについて」はなかなか耳の痛い話だ。過去の哲人の英知により打ち立てられたものこそ(世俗の名誉と違って)永遠である、という部分はちょっとプラトンの「饗宴」を思い出した。多忙な仕事に追われることをやめ、そのような過去の英知を知り求める事が真の閑暇である、とセネカは言う。そうして永遠につながることができる、というのはなかなか美しいと思った。しかし、当時のセネカのような裕福なローマ人は奴隷がいるから生活のためにあくせく働く必要がなかったわけで、そこは考慮に入れる必要があるとは思うが…。
「薄くなった髪を、あちこちから前のほうに寄せ集めたりしている」という一文には、2000年前もそういうことしているんだなあとちょっと面白くなってしまった。
Posted by ブクログ
Twitterでたまたま見かけて手に取った。
古代ローマの哲学者の本なんて理解できるのか…と不安だったけど、とてもわかりやすい訳で驚くほどすんなり読めた!
表題作よりは「心の安定について」が一番面白く読めた。「人生の短さについて」は他の文章より例えの連続という感じで、読んでいて退屈なときもあった。
紀元1世紀のローマの人の例えが時代や国が違う自分にも共感できること、文章がしっかり残っていること、日本語訳ができていることなど、全てが新鮮で驚きの連続だった。
セネカ自体が大昔の人なのに、セネカが例え話に出す人物が紀元前5世紀…みたいな感じで、セネカの時代はどうやって過去の人物のことを勉強してたんだろうとか、どんな形でこの文章は残っているんだろう、原典はあるのか、とかいろんなことが気になった。
さすが今の時代にまで残っているだけあって、普遍的で理解しやすい考え方だと、ただただ感心した。
Posted by ブクログ
【背景】
ストア派のエリートであったセネカだったが、色々なことに巻き込まれ流刑にあった。その後ローマ皇后によって、息子の教育係となることを条件にローマに戻してもらった。その息子ネロは後に暴君となってしまい、セネカは政界から身を引いた。その後、働きすぎの穀物管理責任者である男に向けて書かれたのがこの作品である。
【要約】
金や土地といった財産については皆必死に守るのに、時間という財産については皆簡単に浪費してしまう。
浪費というのは、欲望に溺れること、仕事に追われること、怠惰に過ごすこと、他人の目を気にして神経をすり減らすことである。今までにどれくらいの時間を他人に掠め取られてきたか?
君は自分は永遠に生きられると勘違いしていないか?長生きできる保証はどこにもないし、老いてからやりたいことを始めるのでは遅い。「生きる」という最も難しい学問を自分で学べ。
人生の時間とは、どれだけ時間を自分だけのために割くことが出来たかどうかである。だから寸暇を惜しみ、一日一日を人生最後の日だと思って生きよ。人生は急ぎ旅のようなものだ。
過去とは、唯一運命の力を受けない、動かしようのない神聖な時間だ。その全てが所有物で、好きな時に好きな分だけ取り出すことが出来る。
だからこそ、過去を振り返る時間的余裕を持ち、良き過去を作ることができるよう日々を生きていくことによって、いつ最後の日が来ても躊躇うことなく死へと向かうことが出来る。