あらすじ
人生は浪費すれば短いが、過ごし方しだいで長くなると説く表題作。逆境にある息子の不運を嘆き悲しむ母親を、みずからなぐさめ励ます「母ヘルウィアへのなぐさめ」。仕事や友人、財産との付き合い方をアドヴァイスする「心の安定について」。2000年読み継がれてきた古代ローマの哲学者セネカの“人生の処方箋”。
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Posted by ブクログ
人生は自分が上手く管理すれば、長い。
他人へ阿れば、短い。
自分自身を顧みず、他人に自分を気にかけてもらいたい、評価してもらいたいと依存してはいけない。自分の人生は、自分と共に歩みたい。
「おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだから。」(p.16)
Posted by ブクログ
私にとっては難しいなと思う部分が多々ありました。
しかし、昔と今で繋がるところもあって興味深かったです。
▪︎印象に残ったフレーズ
・『長く続いた幸せに甘やかされて、力を失った精神の持ち主は、いつまでも涙を流して嘆いていればよい。最も軽い災難の一撃で、崩れ落ちればよい。しかし、生涯にわたって災厄に見舞われ続けてきた精神の持ち主には、最も重い災難にも、強靭で確固とした不屈の心で、耐えていただきたいのです。』
・『悲しみというものは、まぎらわせるよりも、克服してしまうほうがよい』
・『信頼に満ちた心地よい友情ほど、心に喜びを与えてくれるものはない。』
→はるか昔にも友情とかあったんだなと思い、ホッコリしました。
Posted by ブクログ
お金のように、時間にケチになることを薦めた本。
自分の時間を見直したい。
人間の誤りを乗り越えた偉大な人物は、自分の時間から、何一つ取り去られることを許さない。
あなたの人生の日々を監査してみなさい。あなたの手元に残る日々は、ほんのわずかな残りかすにすぎない。
全ての時間を自分のためにだけ使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。
Posted by ブクログ
光文社古典新訳文庫の訳のおかげなのか、プルタルコスやキケロよりだいぶ読みやすい。読みやすいけど、内容は哲学というより自己啓発的な内容でちょっと退屈でもあった。
「われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ」という「人生の短さについて」はなかなか耳の痛い話だ。過去の哲人の英知により打ち立てられたものこそ(世俗の名誉と違って)永遠である、という部分はちょっとプラトンの「饗宴」を思い出した。多忙な仕事に追われることをやめ、そのような過去の英知を知り求める事が真の閑暇である、とセネカは言う。そうして永遠につながることができる、というのはなかなか美しいと思った。しかし、当時のセネカのような裕福なローマ人は奴隷がいるから生活のためにあくせく働く必要がなかったわけで、そこは考慮に入れる必要があるとは思うが…。
「薄くなった髪を、あちこちから前のほうに寄せ集めたりしている」という一文には、2000年前もそういうことしているんだなあとちょっと面白くなってしまった。
Posted by ブクログ
【背景】
ストア派のエリートであったセネカだったが、色々なことに巻き込まれ流刑にあった。その後ローマ皇后によって、息子の教育係となることを条件にローマに戻してもらった。その息子ネロは後に暴君となってしまい、セネカは政界から身を引いた。その後、働きすぎの穀物管理責任者である男に向けて書かれたのがこの作品である。
【要約】
金や土地といった財産については皆必死に守るのに、時間という財産については皆簡単に浪費してしまう。
浪費というのは、欲望に溺れること、仕事に追われること、怠惰に過ごすこと、他人の目を気にして神経をすり減らすことである。今までにどれくらいの時間を他人に掠め取られてきたか?
君は自分は永遠に生きられると勘違いしていないか?長生きできる保証はどこにもないし、老いてからやりたいことを始めるのでは遅い。「生きる」という最も難しい学問を自分で学べ。
人生の時間とは、どれだけ時間を自分だけのために割くことが出来たかどうかである。だから寸暇を惜しみ、一日一日を人生最後の日だと思って生きよ。人生は急ぎ旅のようなものだ。
過去とは、唯一運命の力を受けない、動かしようのない神聖な時間だ。その全てが所有物で、好きな時に好きな分だけ取り出すことが出来る。
だからこそ、過去を振り返る時間的余裕を持ち、良き過去を作ることができるよう日々を生きていくことによって、いつ最後の日が来ても躊躇うことなく死へと向かうことが出来る。