まずは、「パイロットフィッシュ」「アジアンタムブルー」の著者、
大崎善生氏の解説を抜粋されたい。
読む側の空想の空をどこまでも広げてくれる、物語の中に入り込み考える
自由を与えてくれる、そしてわたしたちはコンテナのように小説という広
大な海の中に浮かんでいればよい。
小手鞠るい氏のことを、自由を与えてくれる作家、だと賞賛している。
考える余地を、そっと、置いてくれているのだと喩えている。
恋愛小説なのに、恋愛小説のような感じがしない。
そもそも、恋愛とは何なのか。評者はわからない。
燃え滾る欲望を持つことなのか、
何かも捨ててしまっていい気持ちになることか・・・。
ある場面で、かもめが思い馳せているように、
好きな人の一部でありたい、全部でありたい、
そう思うことが恋愛なのかもしれない。
恋愛=恋に愛するのか、愛に恋するのか。愛+恋なのか。
わからないが、恋に恋すると、若かりし頃の恋愛(純愛)が
そのように喩えられ、昔話のひとつとして語られる場面に遭遇する。
好きな人の一部でありたいと思う気持ちは、
恋に恋している瞬間感じると評者は思う。
何も周りは見えていないのだ。
いや、見えている。あなたとわたしの世界は。
≪以下、抜粋≫
・むかしむかし、好きになった人たちを思い出すとき、 わたしはいつも、弟のことを思うような優しい気持ちになる。
・わたしが怖かったのは、それは、自由、ということだった。
・闇のなかでわたしを待っている黄色い車を見つける瞬間が、わたしは好きだった。
・「おう、きょうはかもめちゃんとデイトや」
・どうしても、その小包を開封する気力が湧いてこなかった。 開封して本を取り出す、ページをめくる、そこに書かれている言葉を読む、 読んで何かを考える、何かを感じる、何かを思う、そういった行為のすべてが、 わたしにはけだるく、空しく、鬱陶しいことのように思えていた。
・あのころの自分と、今ここにいる自分を、うまく結び付けることができない、と、私は思った。
・わたしの心のお葬式。これはわたしが男らしい人から愛されるために、どうしても必要な儀式なのだ、と。
・わたしたちはふたりとも無言だった。けれどもその無言は生きていた。運転手と助手席のあいだで、 言葉にならないくらいたくさんの言葉がゆき交っていた。男らしい人は何かを必死で伝えたがっていたし、 わたしも必死でそれに答えたがっていた。
・あなたの一部でありたい、同時に、全部でありたい。あなたの触れるすべてのものに、わたしはなりたい。
・あなたが身体で、わたしが心。あなたが海なら、わたしは潮騒。あなたが空なら、わたしは夕焼け。 あなたが問いで、わたしが答え。愛することしかできない。それがわたしの答えなのだ。
・四条から山科に戻るとき、タクシーで蹴上の坂を登りますやろ。あの坂を登るときには、うちは母親になるんです。 そうして翌日の夕方、店に出るためにあの坂を下りてきますやろ。そのときにはうちは、女になるんです。」
・「もう行かなきゃ、遅れてしまう」と、言うのはいつもわたしのほうだった。
・「幹彦さんにとっては突然でも、わたしにとっては突然じゃないの」
・この世の中には、すべてを手に入れてもなお不幸な人間がいるように、 すべてを失ってもなお、幸福でいられる人間もいるのだと思った。