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Posted by ブクログ
小鳥と熊の互いの小説がパラレル?リンク?したあたりから一気に読んでしまった。主人公たちより20年ちょっと歳を重ねている私でもキュンとしてしまう展開と文体に酔いました。
一人の作者が小鳥と熊のそれぞれの小説を書き分けていて、それぞれの思いや性格や視点、人生までをもありありと感じられたのがスゴイなと。呻吟と推敲の賜物なのか?観察力と想像力・創造力と文章力。小説を書く講義を通して私も勉強になったし、そう言う視点でこの物語を読み進めてみても面白い。
恋愛小説って久しぶりに読んだけど、設定年齢が年下でも結構楽しめるんだな、と。読まず嫌いにならないように、ビビッと来て出会った本はどんどん読もうと思います。
Posted by ブクログ
展開も先読みができたし恋に落ちるスピードも早いと思ったけど、大学生だった頃を思い出し、あの時は真っ只中で気づかなかったけど、自分も主人公達みたいにキラキラしてたのかなぁなんて振り返りながら読み進めました。
主人公の元カレは酷い奴だなと思ったけど、自分が相手を想う気持ちと、相手が自分を思う気持ちの熱量は同じじゃない。思い出を大切にしている気持ちの深さも同じじゃない。20年経ってもそんなもんのままだったなと自分の経験を再認識して虚しい自己憐憫に浸ってしまった。
とはいえ、この本自体は若い二人のこれからの幸せが予想されるラストなので青春万歳!と純粋に思えました。
Posted by ブクログ
詩吟じゃないの、呻吟。
意味は、苦しんで、呻くこと。
うんうん唸ること。
小説家の仕事は、ほとんどこれだけに終始すると言っても、過言ではない。
しかも、できあがった作品には、呻吟のあとを、ほんの少しでも残してはいけないの。
苦しんで、苦しんで、その苦しみが透明になるくらいに苦しむの。
だけど、読者にはその苦しみは見えてはいけない。
見えてしまったら、それは失敗作よ。
むしろ、楽しんで、笑いながら、らくらくと書いているように見えていなくちゃだめなの。
言葉はね、生き物なの。
使い方によっては美しくもなるし、醜くもなる。
マジとか、チョーとか、めっちゃとか、エグいとか、ヤバいとか、そういう言葉がそこにあるだけで、ほかの素敵な言葉が汚く見えることだってあるの。
使ってはいけない、とは言わない。
けれど、使うときに、きみたちはそのことに自覚的でなくてはならない。
つまり、この言葉を自分は使う必要があるから使うのだ、という自覚です。
何を発見したのかというと、それは、恋と、愛と、恋愛の違いについて。
知りたいか、きみたち。
そうか、わかった、じゃあ、教えるぞ。
まず、恋。
午前三時にするもの。
それこそが恋なんだ。
宙ぶらりんで、どっちつかずで、不敵で不遜であいまいで、手なずけるのが難しくて、理解に苦しむもの、それが恋だ。
違うか?
愛は、午前三時にするものじゃない。
その時間帯、愛はひとつのベッドの中で、仲良く肩を並べてすやすや安らかに眠っているものだ。
幸せな夢を見ながら。
な、愛って、そういうものだろ?
じゃあ、恋愛はどうなんだよ?
恋愛はさ、だいたい午前五時過ぎから始まるんだよ。
東の空が少しずつ明るくなってきて、夜明けはもうそこまで近づいてきている。
あと一時間もすれば本格的な朝だ。
さんさんと輝く太陽の光を浴びながら、元気いっぱい外へ飛び出す。
そこには大好きなきみがいて、きみは両腕を広げて、僕が外に出るのを待ってくれていて、僕は「わあ、待っててくれたんだ」ってうれしそうに言って、それから僕らは見つめ合う。
きらきらと輝くきみの瞳と、きみの瞳に映っている僕がいて…。
あのな、若さっていうのはさ、失われていくものじゃないんだ。
使い果たすためにあるんだよ。
そもそも人生って、苦いものだろ。
甘いものじゃないはずだ。
だけど僕は恐れない。
絶対に怯まない。
飲み干してやる。
生きるって、そういうことだろ。
恋をすると、時間に色がつく。
それは桜色だったり、すみれ色だったり、ラベンダー色だったりする。
時間に淡いきれいな色がついて、空気にはきれいな香りがつく。
書くという行為が人に及ぼす影響は、きみたちが考えている以上に大きいものなのよ。
人は、書くことによって、何かについて考えたり、あるいは、自分がどう考えているのか、どう感じているのかを、知ったりすることができる。
つまり、きみたちは書くことによって、自分を知ることができる。
自分を知る、ということは、人間を知る、ということなの。
どんなに多くの人とつきあっても、人間を知ることはできない。
たったひとりの人間、つまり自分を深く知ることによってこそ、人は人を知ることができる。
書くという行為は、それを可能にしてくれる。
書くということは、それだけの力があるの。
生意気なことを書かせてもらうと、自分のことならある程度はわかるけれど、他人のことは、まったくと言っていいほどわかっていないんじゃないかと思うんだ。
自分のことはせいぜい八十パーセント。
他人のことはせいぜい二十パーセント。
それくらいしか、理解できていないんじゃないかと。
自分の内面にも、自分でも理解不能な部分が三十三パーセントくらいはあると思うし、他人について理解できているのは、多く見積もっても二十二パーセントくらいじゃないか。
しかも、他人に関するその二十二パーセントの中には「誤解」だって含まれている。
だから、恋に落ちた人と人は、なんとか、分かり合おうとする。
その努力を重ねる。
しかし、それにも限度がある。
限度があるってことをあらかじめ認識しておきたいと、僕は思うんだ。
要は、僕の人生哲学とは「人と人は分かり合うことなどできない」ということ。
なんだけど、だからこそ、人は人に惹かれるのだし、わからない部分があるからこそ、わかりたいと思うんだし、わかりたいという欲望から、愛がめばえる、ってこと、なんではなかろうか。
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