先崎彰容のレビュー一覧
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本居宣長の「もののあはれ」論を、自我論としてではなく、男女の恋愛を基礎にした人間関係論として、つまりは倫理学であり日本語学として更新する試み。
著者は言う。
宣長にとって自然の風景には、それをどう見るのが適切なのか、古典をふまえた感性の基準が堆積している。人が風景を見て、そこに伝統の息づかいや、古代日本人の感じ方を発見し、それを言葉に発することが歌を詠むことなのだ。「もの」それぞれが含みもつ色あい、味わい、手ざわりを歴史と呼んでも伝統と呼んでも差しつかえない。その歴史と伝統への共感こそ、「もののあはれをしる」ことなのである。宣長は決して個人の内面など重視していない。過去の人びとの感性に共 -
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「やまと」とは、「山処」のこと。
山がたくさんある処だから、やまと。
国の成り立ちを語るにはあまりに単純。
けれど、そもそも何故、単純な話を人々は慕わないのか?その理由は、「対外的な権威を求める政治的意図があるため」に他ならない。
記紀編纂の当時、隋や唐よりも国家としての威厳を際立たせるためには、人々に頷かせる伝説が必要だった。
そのために、難しい話をあえて脚色した。
本来は、やまがある。だからやまと、で事足りたはずなのに——————
記紀をはじめとして、古来から多くの思想家たちが批評、推察を繰り返してきた名著の歴史とは、理性的で、冷たく、鋭い、男性的なもの -
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例外状態の常態化
遅さよりも速さを
独裁すらない民主主義
リベラリズム、レーガン的保守主義の克服
⚫︎物理的に子どもを産んでない父親が、共同体を維持するためのフィクションとしての物語
男は物語を生む?
共同体が都市国家になる。
血縁関係としての父は、王に代わられる。
家族共同体が都市共同体になる。
そこで、所属意識を失った個人によって民主主義が生まれる。
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民主主義とは、そのイメージとは反対に、集団化が希薄になり、個人がバラバラな存在になることで始まったからです。
民主主義はバラバラの個人の衆愚政治にすぎないということ。攻撃性を抱えた個人が、王に私利私欲の実現を要求し、受け入 -
購入済み
今の時代に必要な処方箋
『違和感の正体』と合わせて読みました。私も感じている、今の時代の違和感、閉塞感を鋭く診療し、その処方箋を与えてくれる一冊です。たくさんの思想家、文学者の紹介もあり、合わせて読みたくなる本がたくさんありました。
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新書だから気楽に読めるかな、と思ったけど、3回読んでようやく大まかな内容が理解できた。
この本をなぜ読もうと思ったかは言うまでもない。安保法制をめぐる国会前のデモや、沖縄の基地移転をめぐる知事の発言、在特会などのヘイトスピーチ、いじめ自殺やモンスターペアレンツによる教育現場の疲弊。報道に接していて常々思っていたことは、なんでそんなに簡単にレッテルを貼って、事を単純にしようとするんだ、ということ。
これらの事象を読み解くカギとして著者はふたつのキーワードをあげる。ひとつは「ものさしの不在」もうひとつは「処方箋を煽る社会」
「ものさしの不在」というのは、以前は信頼するに足る権威 -
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ネタバレ国学者として有名な本居宣長の前半生を辿り、彼が研究活動の上で、和歌の中に見出した日本の伝統的思想とはいったい何であったのかを解説する一冊。
宣長は勧善懲悪・当然之理といった唐心を基に和歌を製作、解釈することを嫌った。唐心は大陸から渡ってきた思想体系であるため、和歌本来の伝統的な親しみ方とは異なる。あるモノと対峙した時に「ああ」と心が動かされることをあはれとよび、それらを洗練された詞で自由に表現することこそが和歌の本質として存在する。また、伝統的な時間の流れを感じながら当時の人々と共鳴することが本来の楽しみ方であると宣長は主張する。儒教的教えが流行していた当時の傾向に流されることなく、日本特有 -
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もののあはれとは何かとここ数年気になっていて、その言い出しっぺについての最新の本なので読んでみた。
本居宣長の生涯、ちょうど大河ドラマでやっている時代と重なっているので、その時代背景がリンクして勉強になる。
もののあはれ論の最大の発見は色好み、すなわち男女関係と国家のかかわりを論じたこと。恋愛と国家の関係を論じた思想家は近代以降でも折口信夫や柳田国男、三島由紀夫といった系譜がある。
男女の恋の駆け引きがおびただしい数の和歌を生みしずかに降り積もった。そして源氏物語の時代になるとその詞の伝統に耳を傾け、共鳴することが日本人としての生き方となったのであって、それがもののあはれをしることなのだと宣長 -
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ネタバレ「ものさしの不在」「処方箋を焦る社会」をキーワードに、二項対立や型にはまった価値観に対して筆者が覚えた違和感について、歴史や思想家のことばを参照しながら考える。
現代日本は「普遍的な価値や真理」が存在しない相対主義の時代、各人バラバラに正解を導き出す必要がある。その困難と不安に耐えきれず、「反原発」や「アメリカ批判」といったわかりやすいスローガンについ飛びついてしまう。そして、友と敵を明確に分け、敵対する勢力を排除することで友=つながりを強固にしようとする。しかし、自分の考える「正義」を声高に叫ぶのではなく、微妙な均衡点を探りだし新たな秩序をつくりあげるために、理解困難な他者と粘り強く交渉を -
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「知の巨人」ともいえる国学の大成者、本居宣長の前半生とその和歌論、源氏物語論を中心とする著作に焦点を当て、宣長の儒教や仏教等の「西側」の普遍的価値との葛藤を明らかにするとともに、これまでの「もののあはれ」論の更新を目指し、宣長は恋愛や女性的思考を重視し、「肯定と共感の倫理学」を提起したと主張する、宣長の実像に迫る論考。
単なる本居宣長の伝記というのではなく、日本文学史や日本思想史を縦断する重厚な中身の作品で、本居宣長の思想にとどまらず、江戸時代の儒学の展開、和歌論、源氏物語論、日本の国号論などのトピックも含め、とても勉強になったし、考えを深められた。
原典も豊富に引用しつつ、丁寧に読み解かれて -
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何せ取り上げる思想家の数が多いから、一人一人の浅い紹介だけで、しかもそれの参考図書をつけてのレビュー本に見えるが、全く違う。一人一人の紹介も浅くないし、全編通し、一冊を読み込んで見えてくるものがある。この本には近代日本思想における「巨人の肩」がしっかりとある。
思想家とは時代を診る医者である。これは、著者先崎彰容の言葉だが、であれば時代に巣食う病理とは何か。その処方箋たるは、近代日本ではどう自覚的に変遷したのか。本著は、価値の転変、過去の思想たちの言葉の世界に没入すると決めた先崎が日本人の思考の足跡を追いかけ、結晶化された思想史だ。
大衆はいまだに「ワンフレーズ」で、集団化する。集団化した -
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現代の思想家の中で頭一つも二つも抜けていると思っている先崎彰容氏のナショナリズム論。
江戸時代〜現代に至る日本の思想史論でもあり、氏がとにかく頭脳明晰の天才だと言うことがよく分かる著書。
その知識と熱量が、新書と言うフォーマットに収まりきっていない。
江藤淳も丸山眞男も未読なので、日本思想史もより深く学んでいきたい。
当時先崎氏は福島の大学に勤務されており、本書の執筆時は東日本大震災直後の仮設住宅という特別に極限の状況だったようだ。
さらに出版からも既に月日が経過しており、今この本に感想を書くのは適切ではないかもしれないが、読書メモとして下記を。
冒頭に、ナショナリズム=全体主義と誤解され -
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最初の方は理解しやすかったけれど、途中から難しくてついていけなくなった。
とはいえ、ナショナリズムに対する誤解があること自体は理解できた。
ナショナリズムは、全体主義や擬似宗教、民主主義のいずれともイコールではないこと。
著者の言うとおりにまさに「誤解」していた私にとっては、勉強になった。資本主義は変化や移動、破壊や拡散が前提となっており、安定した世界とは程遠い。
拡大は帝国主義であり、収縮は独裁や擬似宗教。いずれにしても安定していない世界であり、価値観が変化し続けているから、物事の判断軸がぶれて自分自身が不安定になっている人が増えているのかもしれない。
だからこそ、反対に確固たる自分の軸を持