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国家を考えることは、人間の根源的なあり方を考えることだ。第二次大戦後のリベラル・デモクラシー体制への違和を表明したアーレントや吉本隆明は「全体主義」の中に何を見て、いかなる国家を構想したのか。江藤淳や橋川文三、丸山眞男らは、ナショナリズムをめぐりいかなる思想的対決をくり広げたか。数々の名著から、ナショナリズムと無縁たりえぬ現代人の精神構造を明らかにし、国家の問題を自らの課題として引き受けることの重要性を提起する。注目の若手思想史家の論考。
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Posted by ブクログ
現代の思想家の中で頭一つも二つも抜けていると思っている先崎彰容氏のナショナリズム論。 江戸時代〜現代に至る日本の思想史論でもあり、氏がとにかく頭脳明晰の天才だと言うことがよく分かる著書。 その知識と熱量が、新書と言うフォーマットに収まりきっていない。 江藤淳も丸山眞男も未読なので、日本思想史もより深...続きを読むく学んでいきたい。 当時先崎氏は福島の大学に勤務されており、本書の執筆時は東日本大震災直後の仮設住宅という特別に極限の状況だったようだ。 さらに出版からも既に月日が経過しており、今この本に感想を書くのは適切ではないかもしれないが、読書メモとして下記を。 冒頭に、ナショナリズム=全体主義と誤解されている、との記述があり、後半章の中でも繰り返し述べられる。 しかし今の自分にはどちらかと言うと、ナショナリズムは、世界的な全体主義と標準化であるグローバリズムに対する、一国の伝統や国益の保持、というイメージが強い。 つまり、ナショナリズムは世界の多様性への道であると感じている。 また、全体主義=絶対悪という暗黙の前提も、そもそも自分にあまり馴染まない。 吉本隆明で言うと、「共同幻想に飼いならされた個人」というところに大きな共感を覚えたのは、先崎氏の解説の力だった。 だからこそ、わかりやすい過去の(既に失敗した)全体主義への批判が、かえって飼いならされっぱなしの現代日本を覆い隠すカモフラージュのように聞こえてしまうことがある。 抑圧的な全体主義は、抑圧の対象となる自由の存在が前提である。 もはや抑圧すべき自由すら見当たらなくなって初めて国家は悠々と自由主義を標榜できる。 秩序の反対は、無秩序ではなく虚無だ。 自分の捉え方とは少し違うところも感じたが、とにかく素晴らしい一冊だった。
最初の方は理解しやすかったけれど、途中から難しくてついていけなくなった。 とはいえ、ナショナリズムに対する誤解があること自体は理解できた。 ナショナリズムは、全体主義や擬似宗教、民主主義のいずれともイコールではないこと。 著者の言うとおりにまさに「誤解」していた私にとっては、勉強になった。資本主義は...続きを読む変化や移動、破壊や拡散が前提となっており、安定した世界とは程遠い。 拡大は帝国主義であり、収縮は独裁や擬似宗教。いずれにしても安定していない世界であり、価値観が変化し続けているから、物事の判断軸がぶれて自分自身が不安定になっている人が増えているのかもしれない。 だからこそ、反対に確固たる自分の軸を持つ必要があるのだが、確固たる自分軸も実は社会に形成されるものであるため、結局私たちの不安感や不安定さはなくならない。そういう時代だから、著者はナショナリズムの重要性をあらためて提唱しているのだろう。
この本から感じるのは、何よりも「思考の熱量の高さ」。新書という紙幅の制限の中に、葦津珍彦、ハンナ・アーレント、江藤淳、オルテガ・イ・ガゼットなどの思想を援用、敷衍しつつ、健全なナショナリズムの復権を説く。 個人的には、海外の左翼と日本の左翼との大きな差は、夫々の属する国への思慕の軽重にあるように思...続きを読むっていた。どうも日本の左翼には、「自分の国」を何とかしようという意識が薄すぎるのだ。 非常に多くの要素が熱く語られており、少々とっ散らかった印象を持ちつつも、最後半部に、高坂正堯の有名な「国家を形成する三つの要素」の話があり、何とかまとまった感がある。以下引用。 『国家には三つの要素がある。「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」この三つがからまりあって国家は出来上がっている。そして戦後の日本は経済成長=利益の体系だけを国家目標とし、一方で力の体系はアメリカの軍事協力にゆだねてきたのだった。そして、価値の体系を置き去りにしてきたのである。(p.220)』 未整理感はあれど、現状への率直な苛立ちが熱く表明されているところは、率直に評価したい一冊だ。
取り上げられる思想家の思想や哲学が私には難解なので、ちょっと難しかったけど、できるだけ易しく書こうとしてくれているのが伝わってくる。
著者は、ナショナリズムをめぐる三つの誤解があるといいます。まず、ナショナリズムを全体主義とみなす誤解、次に、ナショナリズムを宗教とみなす誤解、そして最後に、ナショナリズムをデモクラシーの帰結とみなす誤解です。 まず著者は、アレントが問題にした「モッブ」や、ゲルナーが問題にした「大衆」は、伝統から切...続きを読むり離されており、全体主義を招き擬似宗教的なポピュリズムに陥ることを明らかにしたうえで、ナショナリズムがそれらの立場とはっきり異なっていると論じます。 つづいて、吉本隆明の『共同幻想論』が、なにを問題にしたのかということに議論は進みます。吉本は、習俗に基づく「黙契」と、そのような背景をもたない「禁制」を区別します。そして、両者の区別に気づかないままにつくられた共同体が、全体主義と個人崇拝を生み出すと主張し、政治支配に絡みとられることのない文学の言語をつくっていく個人幻想を、全体主義的な個人崇拝から区別しなければならないと主張しました。 さらに著者は、アジールにおける自由を称揚した網野善彦と、うしなわれつつある「家」を見守ろうとした柳田国男を対比し、荻生徂徠の思想に「作為」の論理を見いだそうとした丸山真男と、新しい思想と旧来の伝統の摩擦のなかに身を置いた藤原星窩を高く評価する江藤淳を対比しています。著者の共感は、柳田と江藤のほうに置かれており、戦後になって外からあたえられた普遍的な価値観に飛びつく知識人たちを批判する視座を、彼らの思索のなかに見ようとしています。そして、伝統的な価値基準が崩壊した「戦後」という時代のなかで、われわれはその空虚を安易な輸入思想によって埋めようとするのではなく、まずはそうしたわれわれ自身のありかたを直視し、そこから国家について、伝統について、生死について、言葉を紡ぎ出していくべきだという考えが示されます。 新書という小さなサイズの本で、多くの重要な思想家たちの議論を紹介しているため、この本だけでは著者の考えの根幹にあるものが、十分に理解できなかったように思います。「戦後」という時代が価値観の空洞化を抱え込んでいるという診断には納得ができるのですが、すくなくとも本書を読んだかぎりでは、「田吾作」的なものに飛びついたところでそうした問題がどうにかなるとは思えず、もうすこし著者自身の考えをくわしく知りたいところです。
さまざまな思想家の著書をたどりながら、全体主義、宗教、民主主義とナショナリズムは区別されるべきであることを示し、筆者にとってのナショナリズムという言葉の定義を明確にしていく。
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