先崎彰容のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
もののあはれとは何かとここ数年気になっていて、その言い出しっぺについての最新の本なので読んでみた。
本居宣長の生涯、ちょうど大河ドラマでやっている時代と重なっているので、その時代背景がリンクして勉強になる。
もののあはれ論の最大の発見は色好み、すなわち男女関係と国家のかかわりを論じたこと。恋愛と国家の関係を論じた思想家は近代以降でも折口信夫や柳田国男、三島由紀夫といった系譜がある。
男女の恋の駆け引きがおびただしい数の和歌を生みしずかに降り積もった。そして源氏物語の時代になるとその詞の伝統に耳を傾け、共鳴することが日本人としての生き方となったのであって、それがもののあはれをしることなのだと宣長は定義した。
日本は常に東として西側(それが中国なり西洋なりと時代で変わる)との関係の中にあったということと、日本という国家は本来男女の恋愛という関係の中に成り立っていたという2つの大きな視点が面白かった。
特に古今和歌集が編纂されたのは、唐が崩壊し西側によるグローバルな秩序が衰退していくなかで、自分たちの言葉で混乱に秩序をもたらそうとする試みだという定義は面白い。また、紅葉を錦とするのは古今集以降は常識だが、漢詩では錦とは二月早春の花を詠む言葉だったというのも、最近読んだ漢籍伝来などとも重なるところがあった。
「日出づる処の天子」という国書が中華秩序に対抗し仏教的国際秩序観を持ち出したものだったり、日本という国号がいつ頃始まったのかといった話も今まであまり意識しなかったけど知ると面白い。
もののあはれについて、和辻哲郎はかけがえのない時間が永遠に続けばいいのにと願うがそれが絶対にかなわないこと、この事実を感得した際に溢れでる嘆息をもののあはれといっている。
哀れだな、悲しいなと思うとは心が動くこと、その心の動きが物の哀れをしるということだと宣長は源氏物語蛍巻に対する解釈で示している。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「ものさしの不在」「処方箋を焦る社会」をキーワードに、二項対立や型にはまった価値観に対して筆者が覚えた違和感について、歴史や思想家のことばを参照しながら考える。
現代日本は「普遍的な価値や真理」が存在しない相対主義の時代、各人バラバラに正解を導き出す必要がある。その困難と不安に耐えきれず、「反原発」や「アメリカ批判」といったわかりやすいスローガンについ飛びついてしまう。そして、友と敵を明確に分け、敵対する勢力を排除することで友=つながりを強固にしようとする。しかし、自分の考える「正義」を声高に叫ぶのではなく、微妙な均衡点を探りだし新たな秩序をつくりあげるために、理解困難な他者と粘り強く交渉を続けなければならない。
本書で紹介されている思想家のなかで、「自分の価値観の主張はエゴイズムである」と自己の限界を意識した「現実主義者」高坂正曉、自分の正義感を自問し続けた吉本隆明、日々の生活のなかで問題を解決し続けること、秩序を維持し続けることこそが「政治」であると考えた江藤淳に興味を覚えた。 -
Posted by ブクログ
「知の巨人」ともいえる国学の大成者、本居宣長の前半生とその和歌論、源氏物語論を中心とする著作に焦点を当て、宣長の儒教や仏教等の「西側」の普遍的価値との葛藤を明らかにするとともに、これまでの「もののあはれ」論の更新を目指し、宣長は恋愛や女性的思考を重視し、「肯定と共感の倫理学」を提起したと主張する、宣長の実像に迫る論考。
単なる本居宣長の伝記というのではなく、日本文学史や日本思想史を縦断する重厚な中身の作品で、本居宣長の思想にとどまらず、江戸時代の儒学の展開、和歌論、源氏物語論、日本の国号論などのトピックも含め、とても勉強になったし、考えを深められた。
原典も豊富に引用しつつ、丁寧に読み解かれていて、その部分はむしろ読み進めやすかったのだが、著者の文体自体が文学的で、縦横無尽に先行研究も踏まえて深く思索されているため、「肯定と共感の倫理学」という本書のキーワードも含め、自分にはちょっと難解に思うところもあった。 -
Posted by ブクログ
現代の思想家の中で頭一つも二つも抜けていると思っている先崎彰容氏のナショナリズム論。
江戸時代〜現代に至る日本の思想史論でもあり、氏がとにかく頭脳明晰の天才だと言うことがよく分かる著書。
その知識と熱量が、新書と言うフォーマットに収まりきっていない。
江藤淳も丸山眞男も未読なので、日本思想史もより深く学んでいきたい。
当時先崎氏は福島の大学に勤務されており、本書の執筆時は東日本大震災直後の仮設住宅という特別に極限の状況だったようだ。
さらに出版からも既に月日が経過しており、今この本に感想を書くのは適切ではないかもしれないが、読書メモとして下記を。
冒頭に、ナショナリズム=全体主義と誤解されている、との記述があり、後半章の中でも繰り返し述べられる。
しかし今の自分にはどちらかと言うと、ナショナリズムは、世界的な全体主義と標準化であるグローバリズムに対する、一国の伝統や国益の保持、というイメージが強い。
つまり、ナショナリズムは世界の多様性への道であると感じている。
また、全体主義=絶対悪という暗黙の前提も、そもそも自分にあまり馴染まない。
吉本隆明で言うと、「共同幻想に飼いならされた個人」というところに大きな共感を覚えたのは、先崎氏の解説の力だった。
だからこそ、わかりやすい過去の(既に失敗した)全体主義への批判が、かえって飼いならされっぱなしの現代日本を覆い隠すカモフラージュのように聞こえてしまうことがある。
抑圧的な全体主義は、抑圧の対象となる自由の存在が前提である。
もはや抑圧すべき自由すら見当たらなくなって初めて国家は悠々と自由主義を標榜できる。
秩序の反対は、無秩序ではなく虚無だ。
自分の捉え方とは少し違うところも感じたが、とにかく素晴らしい一冊だった。 -
Posted by ブクログ
最初の方は理解しやすかったけれど、途中から難しくてついていけなくなった。
とはいえ、ナショナリズムに対する誤解があること自体は理解できた。
ナショナリズムは、全体主義や擬似宗教、民主主義のいずれともイコールではないこと。
著者の言うとおりにまさに「誤解」していた私にとっては、勉強になった。資本主義は変化や移動、破壊や拡散が前提となっており、安定した世界とは程遠い。
拡大は帝国主義であり、収縮は独裁や擬似宗教。いずれにしても安定していない世界であり、価値観が変化し続けているから、物事の判断軸がぶれて自分自身が不安定になっている人が増えているのかもしれない。
だからこそ、反対に確固たる自分の軸を持つ必要があるのだが、確固たる自分軸も実は社会に形成されるものであるため、結局私たちの不安感や不安定さはなくならない。そういう時代だから、著者はナショナリズムの重要性をあらためて提唱しているのだろう。 -
Posted by ブクログ
「ものさし不在」で、さまざまな「正義」が跋扈し、騒々しいまでに「処方箋を焦る社会」に対する違和感を先崎先生が斬る。
東日本大地震後の原発反対運動、安保法制反対デモ等が激しかった頃、著者が感じた違和感をベースに論じられる日本の姿は、驚くまでに今、コロナ禍で感じられる違和感とも相似している。
自らの正義を疑わず、「〜であるべき!」「反◯◯」を唱える人々。権力を持つものは悪で、民衆は善であるという決めつけ。
我が正義こそが普遍的であると押し付け、人の意見に聞く耳を持たない人たち。相手の尊厳をも尊重しない言葉の暴力が溢れた社会に疲れ果てている私に、この著書は静かに語りかけてくれる。
この本に引用されている、敗戦時、寄るべきものを失った時代に江藤淳や吉本隆明らが著した本を是非読んでみたくなった。
今こそ、文学(言葉)の力が必要だという著者の言葉に納得。 -
Posted by ブクログ
この本から感じるのは、何よりも「思考の熱量の高さ」。新書という紙幅の制限の中に、葦津珍彦、ハンナ・アーレント、江藤淳、オルテガ・イ・ガゼットなどの思想を援用、敷衍しつつ、健全なナショナリズムの復権を説く。
個人的には、海外の左翼と日本の左翼との大きな差は、夫々の属する国への思慕の軽重にあるように思っていた。どうも日本の左翼には、「自分の国」を何とかしようという意識が薄すぎるのだ。
非常に多くの要素が熱く語られており、少々とっ散らかった印象を持ちつつも、最後半部に、高坂正堯の有名な「国家を形成する三つの要素」の話があり、何とかまとまった感がある。以下引用。
『国家には三つの要素がある。「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」この三つがからまりあって国家は出来上がっている。そして戦後の日本は経済成長=利益の体系だけを国家目標とし、一方で力の体系はアメリカの軍事協力にゆだねてきたのだった。そして、価値の体系を置き去りにしてきたのである。(p.220)』
未整理感はあれど、現状への率直な苛立ちが熱く表明されているところは、率直に評価したい一冊だ。 -
Posted by ブクログ
あくまで夜店的対談であるため内容も取り留めなく幅広く話し合われていて、感想を書くとなると悩ましい。
まずは個別内容から。
「国産はある程度依怙贔屓すべき」という主張には首がもげるくらい激しく同意。
SNSは墓標であり、やがては死者の名残の方がネット上に増えて石油化するという視点は新鮮な驚きだ。
全体を通して刺さったのは歴史との接続という点。
研究の世界ではもちろん先人の研究を踏まえて知識の円の拡張を目指すし、芸術も同じだ。過去になされていない新規性を追求する。技芸・クラフト・武道の世界でも守破離は基本になるので、歴史との接続性は要になる。
自分のこれまでの活動がどうだったかと振り返ると、どれも浅かったなと反省する点が多々ある。AIを使うようになった今になって、先立つ研究やワールドワイドでの情報収集がしやすくなり、表現にも生き方にも意味を持たせやすくなった。
ただ、やはりある程度の時間と労力をかけたものは重みが、密度が違う。
説得力を持たせるためにも、今一度自分の行動の、歴史や権威との接続という視点はないがしろにしないようにしていきたいものだ。 -
Posted by ブクログ
YouTubeで先崎さんが話されている動画を見て、この方の考えに触れてみたいと思い読んでみた。
日本古典というものは、学校の古文の授業で触れた程度。本居宣長という人物もテスト勉強で名前を覚えた程度の人。
そんな私にはなかなか難しく、堅苦しいものではあったが、こういう種類の本は読んだことなかったので新鮮だった。
何が言いたかったのかは正直よくわかってはいないが、日本の人々はこんなにも昔から「西側」の普遍的価値観との間に揺れていて、揺れたときには自分の起源や根元的なものへ遡りたくなるのだなと思った。外国と対峙しなければそんな必要もなかったのかもしれないけど、対峙したそのときから自分と相手を比較し始め、自分とは?と定義したくなるのかもしれない。
この本では、本居宣長という人物への評価をいろんな学者が論じている内容を取り上げた上で、「私はこう思う」と先崎さんの主張が書かれているのだと思うが、その主張への持っていき方が、あらゆる方面からの見方を一つ一つ紐解いた上で、異議が上がりそうな部分を潰し込んでいくような、すごく丁寧に諭してくれてるような印象だった。
よくわからないけど、いろんな見方や考え方の可能性があることに触れさせてくれたというか。
とても濃い読書体験となった。
先崎さんが使う言葉の表現も私には新鮮な部分が多々あり、その中でも“古典を手ですくい、飲み干す”という表現は素敵だなと思った。
-
Posted by ブクログ
「西郷隆盛」という存在に何をみたのでしょう?
著者は私たちが抱く「維新の英雄」という記号化された西郷像を5人の思想家を通じて鮮やかに解体してみせます。本書の核心は、西郷を「巨大な矛盾を内包した人物」として捉え、近代化の光と影の狭間で藻掻く姿を描き出した点にあります。
明治維新という時代の転換は、単なる政治体制の変化ではなく、価値観の根本的な断絶をもたらしました。特に印象的なのは、「経済に政治が飲み込まれる」過程への指摘です。合理性や富国強兵が優先されるなかで、西郷は取り残される者たち、すなわち「滅びゆくものへの愛」を貫こうとしました。彼はロマンチストであり、大久保利通とは異なり、冷徹な計算に基づくリアリストにはなりきれませんでした。その不器用な誠実さが、彼を時代の寵児に押し上げ、同時に破滅へと誘うのです。
この矛盾は、西郷の精神を「自殺願望」とも言える自己破壊的な情動へと追い込んでいきます。西南戦争への道程は、勝算のない戦いに身を投じることで、自らのアイデンティティを完結させようとする悲劇的な幕引きに見えます。また、本書は当時の「極論・極端に動かされる大衆」の存在にも光を当てます。煽るマスコミと大衆の熱狂に押し上げられ、同時にその期待という重圧に押し潰されていく西郷の姿は、SNS時代のポピュリズムに揺れる現代の鏡像のようです。
先崎氏の筆致は、未だ語られ続ける西郷像の「未完」さこそが、日本人が近代化の過程で切り捨ててきた「心」の象徴であると示唆するようです。経済的な成功の陰で私たちが失ったものは何か。効率重視のシステムが人間を疎外する現代において、西郷の抱えた孤独と断絶は、決して過去の遺物ではないと思います。
英雄の物語としてではなく、一つの魂の苦悶として西郷を読み解く本書は、読者に「正解のない問い」を突きつける。理屈では割り切れない矛盾を抱えたまま生きることの難しさと尊さを、改めて深く考えさせられる一冊でありました。