サンゴとクマノミの共生の話しから始まり、自然が作る仕組みやデザインについて、様々な話題を集めた本で、なぜ自然のデザインは円柱形が基本になっているのか、などとても興味深い話しが、生物学的な切り口でたくさん紹介されている。
「文明論」というほどのところにまでは昇華されている感じがせず、なんとなく、生物学の雑学入門といった内容だった。
しかし、著者自身が、生物というものを通じて、人間を含めた生命の意味のようなものを、俯瞰の視点で哲学的に考え続けてきた跡が感じられて、その点がとても響いた。
基礎代謝率を、同じ体重の恒温動物と変温動物とで比べると、恒温動物は変温動物の30倍ものエネルギーを使います。一方、一日平均のエネルギー消費量で比べると、約15倍。違いが半減した原因は、安静時のエネルギーの使い方が異なるからです。恒温動物は何もしていない時にも、かなりの量のエネルギーを使い続けています。それに対して変温動物は、安静時にはエネルギーをあまり使わず、活動するときに集中してエネルギーを使います。(p.157)
私たちをはじめ、生物というものは、こんなに複雑な体をもっています。そういう体をもったものがずっと続いていく。どうやったら、ずっと続く体を作ることができるでしょうか?
体は構造物だから、建物を例にとって考えると分かりやすくなるでしょう。ずっと続く建物をどうやったら作れるのか。単純に考えれば、絶対壊れないように作ればいいということになりますが、それは不可能だというのが熱力学の第二法則です。秩序だったものは、時が経てば無秩序になっていく。すなわちエントロピーは増大する。形ある物はいつかは壊れるのです。絶対壊れない建物をたてることはできません。
じゃあ、壊れたら直し直しいけば、ずっと続くだろう、という考えは、当然出てきます。こうやって法隆寺などは続いています。でも古いものは世界遺産や国宝というような形で、腫れ物にさわるように扱っているのが現状でしょう。それに対して、生物の体は、跳んだりはねたりと、いつも現役で激しく働く必要があるのですから、直し直しというやり方も、なかなか実現性の乏しいやり方です。
とすると、ずっと続く建物を作るのは無理かというと、やり方があるのですね。伊勢神宮です。形あるものは壊れるに決っている。だったら壊れる前に、定期的にまったく同じものを建て替えていけばいい。伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮を行なって、そっくりのものに建て替える。こうして1300年たった今も、木の香も新しく、現役で機能しています。これはずっと続いていく建物を作る、じつに優れたやり方です。生物は伊勢神宮方式を採用しているのですね。(p.176)
必ず死ぬものでありながら、ずっと続いて行きもするもの。その両面を、この私という命は持っているのですね。死ぬにもかかわらず生き続ける。完全に矛盾するものが同居しているのが私というものです。西田幾多郎的に言えば「絶対矛盾的自己同一」。現代は、個体のこと、つまり一直線に進んで必ず死で終わる時間しか考えない傾向がありますが、生命の時間には、回って続くという側面のあることを、忘れないようにしたいものです。(p.181)
長い老いの時間は、医療をはじめとする技術が作りだしたものだと言えるでしょう。だから私のような還暦を過ぎた人間は、技術の作り出した「人工生命体」なんですね。人生の前半は生物としての正規の部分、後半は人工生命体という、二部構成でできているのが、今の人生なのでしょう。この二つの部分は大いに異なるのだと、きっちり覚悟して生きていくべきものだと私は思います。(p.208)