あらすじ
豊かな海をはぐくむサンゴ礁にも、日夜潮だまりで砂を噛むナマコにも、あらゆる生きものには大切な意味がある。それぞれに独特な形、サイズとエネルギーと時間の相関関係、そして生物学的寿命をはるかに超えて生きる人間がもたらす、生態系への深刻な影響……。技術と便利さを追求する数学・物理学的発想ではなく、生物学的発想で現代社会を見つめ直す画期的論考。
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生物学からみた文明論。還暦をすぎたら、本書を入門書に生物学を学ぶのがよい。生態学のところで、サンゴと褐虫藻の共生の描写は、とても美しい。生物のサイズと時間の関係は、目からうろこの感動を覚えました。アロメトリ式(べき乗の式)がちょっと面倒でした。心臓の鼓動15億回、生涯に消費されるエネルギーは30億ジュール。これがほとんどの生物において共通しているとは。
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非常に興味深く、知的好奇心をくすぐられる一冊だった。
筆者が研究の専門としている海洋生物・ナマコの話はもちろん、個人的には動物同士の共生や珊瑚の話が面白かった。また、ミミズやイソギンチャク等の無脊椎動物が有する静水力学的骨格の話にも大変刺激を受けた。
生物を知っていく上で、今後もこの本はバイブルにしていきたいと思う。
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◯自然から意味を剥奪してしまって、単なる事実に還元してしまったのが、科学というものです。それはそれで結構な物の見方ですが、それでは子供たちや一般の人々は、どうしても、とっつきにくくなってしまうでしょう。(116p)
◯四角で硬い直線的なものが機能的で良いという美意識に、私たちは慣らされすぎているのではないでしょうか。(136p)
◯伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮を行って、そっくりのものに建て替える。こうして1300年たった今も木の香も新しく、現役で機能しています。(177p)
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本川達雄著「生物学的文明論」新潮新書(2011)
*今の世は、マネーが万事のお金の世。この貨幣経済の背景にあるのも、数学・物理学的発想です。つまり数学・物理学的発想が、この便利で豊かな社会を創り、同時に環境問題などの大問題を生み出しているというのが生物学で世の中を見る著者のスタンスです。
*珊瑚礁にはさまざまな生物がすんでいます。生物多様性が非常に高い場所です。面積では世界の海の「0.1%しか占めていませんが、海水魚の三分の一は珊瑚礁の種です。漁業でも、世界の漁獲高の10%を珊瑚礁が占めています。それだけ生物多様性が高い珊瑚礁なのですが今は世界でも四分の一だけが健全なもので、のこり四分の三は危機的状況にあります。
*生物多様性という言葉には「多」という形容詞が入っているが、多い事がいいことなんだ、だったらどれだけの多さが必要なのか、どれだけ減少したら問題になるのか、量の問題としてとらえたくなるかもしれませんが、そうではなく、多様だということはそれぞれの生物がかけがえない、質がみな違うのだと、質の問題としてとらえたほうが良いです。(1)多様性とは、つまりかけがえのない生物達が互いに関係を持ち合って複雑に絡み合ったシステムをつくっているものです。(2)また、多様な生物たちとつながっていなければ人間はいきていけない、そもそも生物は単独では生きて行けない。という考え方が大切です。
*質と量という話がありましたが、科学は基本的に質を扱わない物です。量だけで考える。すると数式が使えて極めて客観的に見える学問になってくる。経済学もそうです。すべてのものは同じ質であり、違いは多いか少ないかだけ。つまり価値をはかるモノサシはただ一本。すると量の多い方がより豊だ、より良いのだという価値観になりやすい。だからより幸せと思えばどんどん量を増やす。
*科学的発想の問題点はまだあります。科学は普遍性を大切にします。いつでもどこでもあてはまる法則、それが科学では重要です。ところが性粒は個別主義でご当地主義です。異なる環境ごとにそれに適応した異なる種がいます。そしてそういう種は、進化の長い歴史の産物なのであり、歴史には偶然がからんできます。だから多様な生物はそれぞれが特殊なのであって、普遍性を大切にする科学の目からみるとそんなものは重要性が低いと思われがちです。かけがえのないとは特殊だということです。長い歴史をもった特殊なもの、そういう物に価値があるという発想が、生物多様性を大切にする根底にあるものです。
*さらに科学について一言いえば、科学は世界を単純かして眺める物です。世界の構成要素も単純化し、要素間の関係も単純化します。科学が質を問わないのは、構成要素を単純化するためです。ところが生態系は、質の異なる非常に多くの生物達が相互に複雑な関係を結んで出来上がっている物です。
*科学の立場では、見る物と見られる物の間がきっぱりと分かれています。私という見る主体があり、見られる物という客体が別にあるのです。私という主体は、物たちの遥か上方から、いわば神様の視点で物と見て操作します。私と物との間には、距離がありますから、こちらが何をやってもやられた相手がやり返して来て、こっちが危険に陥るなんでことは考えなくてよい。こういうタイトに慣れてしまうと、自然に対して何をやっても自由だし安全だと考えがちになります。それが、自然から大きなしっぺ返しを受ける今のような自体をつくってしまいました。
*考えようによっては、企業と生物は良く似ている。生物とは生き残って子孫を増やすという目的を持ってエネルギーを使いながら、身体や群体という複雑なシステムを動かし維持している物です。そして企業だって、生き残って利益をあげるという目的をもって、エネルギーを使いながら複雑なシステムを動かし維持している物と言えるでしょう。つまり、生物も企業も「目的をもって、エネルギーを使って動いている複雑系」という点では同じとみなせます。だからそれらにおいて、システムのサイズとその構成員の活動度との間ににたような関係が見られても不思議ではないと思います。サイズの生物学は、人間のつくるシステムにもヒントを与えてくれそうです。
*政治や経済のいろいろなことがらについてアロメトリー式をつくってみると面白いと思います。GDPの四分の三乗に比例するもの、三分の二乗に比例する物などの例が出てくるでしょう。
*恒温動物は、エネルギーを投入することにより、即座に早く正確に動けるようにあんり、現在の反映に至っています。ただし、非常に多くのエネルギーを必要とします。一方で変温動物は逆です。つまり、同じもと出て高性能の機械を1台つくるか、それほどでもないものを何台もつくるかという選択です。どちらも選択してもちゃんと生き残っています。ただし、単純に肉の生産装置としてみるならば、変温動物のほうが効率が良いのは確かです。
*いろんなサイズのほ乳類で、心臓一泊分の時間をはかった人がおり、それによると「動物の時間は体重の4分の1乗に比例する」と一般化できそうです。象の時間、ネズミの時間というのがあります。体重の四分の一乗ですから、体重が10万倍違えば、時間は18倍違うという計算になります。象では時間がネズミよりも18台ゆっくりと進んでいるのかもしれません。
*心臓時計は、15億回で泊る。動物は、一呼吸の間にほぼ4回、脈をうちます。これは象でもネズミでも成り立ちます。こうすると、ネズミの寿命は2〜3年、インド象は70年近く生きる物です。時計の時間で比べれば、象は桁違いに長生きですが、一緒に心臓がうつ数はどちらも同じ15億回なのです。体重辺りのエネルギー消費量が、体重の四分の一に反比例している事実が有る結果、心臓一泊の時間をとり、これに体重辺りのエネルギー消費量を掛けると答えは2ジュール。つまり、生涯エネルギーは30億ジュール。一緒の間に、象もネズミも心臓は15億回うち、どちらも30億ジュールの仕事をして死ぬということになります。
*個体一生の時間は、一方向に流れて行き、もとに戻りません。でも世代交代という視点でみれは時間はくるくると回ってもとに戻ります。生物の時間には二面性があります。つまり、一回きりの個体の命、そして親から子へとずっと受け継がれて行く継続する命。
*動物においては、時間の測道と、体重辺りのエネルギー消費量とが比例しています。これを人に当てはめると、体重辺りのエネルギー量は、赤ん坊は非常い大きく、成長するに従って、20歳まで急速に減って行き、20歳を過ぎてからは緩やかに減り続けていきます。これは、子供の時間は早く、老人の時間はゆっくりだということを意味します。エネルギー消費量は、子供の2.5分の1ですから老人の時間は子供の時間の2.5倍ゆっくりだということになります。まてよ、年を取ってきたら、1日も一年も早くたつ。時間が早くなるんじゃないの?と思いますが。なぜ実感は逆になるのでしょうか?時間は、その中に入っているときとあとから振り返った時とでは、感覚が逆になるのではと思っている。
*広い意味での生殖活動。生物は子供を生んでなんぼというものです。子供を生んでずっと子孫が続いていく。そのようにできているのが生物です。身体も行動もそうできるようになっています。生物にとって、生殖活動がきわめて大きな意味を持ちます。ですので老後においてもそれは大切です。しかし、なまなましい生殖活動ができなくなるのが老いです。そこで直接的な生殖活動はできなくても、次世代のためにはたらくことを、これを広い意味での生殖活動ととらえる。これに老後の意味を見つけてきたい。具体的には、老人が子育てを支援し、若者が子育てを行いやすくする環境を整える。身体も脳も日々よく使い自立した生活をして老化をおくらせ、できるだけ次世代の足を引っ張らないようにする。年金があるのだから利益なしで世のために働く。儲からないから誰もやらないが本当は大切な仕事がたくさんあるはずだ。
*今の世は万事お金であり、お金を稼ぐために忙しくビジネスにいそしんでいます。なんでそうするのかに生物学的に応えれば、利己的遺伝子がそうさせているのです。うまいものをたべ、精力をつけ、格好つけてよい子を産みそうな相手をほれさせ、いい家に住んで安全に子を育てながら良い学校にいかせて自分の子孫の反映を図る。これらすべては、利己的遺伝子の欲求です。生殖活動を卒業したとは、このような利己的遺伝子の支配から解放されたことを意味します。だから定年後にまで利己的な価値観や、それから出てくる経済至上主義に縛られる事はないでしょう。つまり、定年後はそれまでとは時間が異なる事を認識する必要があります。ビジネスとはエネルギーを注ぎ込んで時間を早くして、金を儲ける事です。現代社会の時間が以上に速いのは、ビジネスの時間が基調となっているからです。ビジネスではもたもたしていれば負けてしまいます。心を滅ぼしてでも金を稼がなければいけないのが若いときです。でも定年後は、そんな忙しい時間につきあう必要はなくなるのです。人間らしい時間速度にもどれる定年後。この特権を利用しない手はないでしょう。
Posted by ブクログ
推薦理由:
1992年に出版されて大きな話題となり、今や必読書と言われている『ゾウの時間ネズミの時間』の著者が、生物学者の立場から述べた文明論であり、環境破壊や資源枯渇などの問題の解決策として、多様性を大切にする生物学的価値判断を提案している。
我々人間も生物のひとつであり、「私」を引き継いでいく子も孫も、自分の周りの環境もみな「私」の一部だと理解すれば、利己的な開発で地球環境を破壊する事はないはずだという言葉には納得させられる。
内容の紹介、感想など:
物質的に豊かな社会を築くために科学や技術を発展させてきた人類は、現在、環境破壊による生物多様性の損失や資源枯渇などの深刻な問題に直面している。これまでの文明は、全てを「量」で扱う数学、科学、経済学的発想にもとづいて、「量が多い=豊か」という価値判断で豊かさを追求してきたが、これからは、「様々な質がある=多様である=豊か」という基準で豊かさを判断する生物学的発想が必要である。
豊かな海を育んでいるサンゴの生態は、エコシステムの素晴らしさと生物多様性の重要性を教えてくれ、砂の上に転がっているだけのナマコの驚くべき生態は、多様な生物はそれぞれにかけがえの無い独自の個性を持つことを示してくれる。生物が基本的に円筒形である理由、生物には多くの水が含まれている理由など、興味深い話題も豊富に盛り込まれている。
そして、『ゾウの時間ネズミの時間』で述べられている「サイズの生物学」については、本書でも改めて述べられている。ネズミの寿命は3年、ゾウは70年。それでも、生涯で使うエネルギーは30億ジュールで同じであり、その一生に心臓が拍動するのは同じ15億回である。拍動も行動も素早いネズミとゆっくりのゾウは、それぞれ別の生物的時間を生きているという説明は、改めて読んでも大変興味深く、物事を色々な視点で見ることの大切さを教えてくれる。『ゾウの時間ネズミの時間』と合わせて是非読んで欲しい。
Posted by ブクログ
人間とネズミや微生物の間に流れる時間は等しいものであるが、『体感時間』には大きな違いがあるという話にはわかっているようでわからないとても面白い話であった。生物学の観点から様々な物事をみることの面白さを知れました。
Posted by ブクログ
生物学の視点を通して現代社会に生きる人間のあり方を見つめ直す。なかなか良いことを仰っている。
サスティナブル社会を考えていくのに生物の知恵を知るのは重要。
Posted by ブクログ
例え話などをうまく使って、生物の性質をコミカルに説明する一方、時間や命など大きな観念を捉え直そうとする大胆さもあり、面白かった。
印象的だったのは、時間とエネルギーに関する記述。現代は、石油を燃やしてエネルギーを使い、恒常的な環境(温度も明るさも一定の環境)を作り出して生産性を高めている。しかし実はこの恒環境をひとつの環境問題と捉えるべきではないか(著者はこれを「時間を速める」と表現する)。私たちは、時間を速めることもゆっくりすることもできる。時間を意図的にデザインできる。私たちは時間というベルトコンベアに乗って運ばれているだけの存在ではなく、自らのエネルギーを使ってベルトコンベアを回す主体なのだ、と
Posted by ブクログ
本川達雄(1948年~)氏は、東大理学部生物学科卒、東大助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授、東工大教授を経て、東工大名誉教授。専攻は動物生理学で、棘皮動物、特にナマコを主な研究対象にしている。「アロメトリー」(動物の各部分の大きさや機能を示す数値の間に成立する「べき乗」の関係)という、日本でなじみの少ない学問分野を平易に解説した『ゾウの時間、ネズミの時間』(1992年)はベストセラーとなった。
本書は、著者が大学の一般教養科目で行ってきた生物学の講義をベースに、NHKラジオで連続講演を行った内容をまとめ、2011年に出版されたもの。著者の専門分野の研究内容を取り上げつつも、エッセイ風のとても読み易い文体・内容となっている。
目次は以下である。
第1章:サンゴ礁とリサイクル 第2章:サンゴ礁と共生 第3章:生物多様性と生態系 第4章:生物と水の関係 第5章:生物の形と意味 第6章:生物のデザインと技術 第7章:生物のサイズとエネルギー 第8章:生物の時間と絶対時間 第9章:「時間環境」という環境問題 第10章:ヒトの寿命と人間の寿命 第11章:ナマコの教訓
前半の共生、生物多様性、水資源、生物の形などの話も面白いのだが、私が特に興味深く読んだのは、後半の「スケーリング」(動物の、大きさが変わったら、体の各部分の大きさや機能がどのように変わるのかを調べる学問で、上記の「アロメトリー」とは、そこから導き出された一定の関係式のこと)を手掛かりにして、著者が展開した、以下のような生命観・文明論的な言説である。(私は『ゾウの時間、ネズミの時間』は既に読んでおり、そこにこそ本書の付加価値が見出せるし、著者が書名を「~文明論」とした意図もそこにあると思われる)
◆時間とエネルギー消費量の関係(エネルギー消費量に比例して時間が速くなる)から、生物は皆(ゾウもネズミもヒトも)、一生の間に心臓は15億回打ち、30億ジュール分のエネルギーを消費して死ぬ。それに基づけば「ヒト」の本来の寿命は40年で、事実、江戸時代の寿命は40歳代である。よって、ここ数十年で寿命は急激に伸びたが、それは技術が作り出した「人工生命体」とも言えるものである。
◆上記の1サイクルは全ての動物に均しく、親→子→孫という世代交代の繰り返しの単位が寿命と見ることができ、それは真っ直ぐに流れ去っていく物理学の直線的時間とは別の、生物の「回る時間」と捉えられる。
◆上記より、直接的生殖活動を終えた老後においては、広い意味での生殖活動、即ち、次世代のために活動をすることに意味を見出すべき。
◆現代人は、社会活動において、エネルギーを使って(便利なものを作り、動かして)時間を速めているという意味で既に「超高速時間動物」となり、更に、エネルギーを使って環境条件を一定に保つ(クーラーや24時間営業のコンビニなど)という意味で恒温動物ならぬ「恒環境動物」となりつつある。
◆現代人の大きなストレスの原因のひとつは、昔から変わらない体の時間と、桁違いに速くなっている社会生活の時間のギャップによるものと考えられる。社会的時間の考え方を見直すことができれば、精神的な健全性を取り戻すと同時に、温暖化・エネルギー問題の解決にもつながる。
生物とは如何なるものか、生物的に生きるとはどういうことかを、改めて考えさせてくれる良書と思う。
(2022年8月了)
Posted by ブクログ
生物からみた人間への視点、生物の多様性と偉大さ、リサイクル性、ゾウの時間とネズミの時間の進み方の違い、世のために働くとはどういうことかと色々なことが書かれている一冊であった。体重の3/4乗、時間は体重の1/4乗、生物学的時間、生物は円柱形、水の大切さ、食物連鎖、生物学的に考えるとはどういうことか?3000万種の生物、水で化学反応、ATP、共生等我々が生物から見習うところは実に多くあると感じた。
Posted by ブクログ
固いタイトルとは裏腹に、読みやすくて分かりやすい良著。
「生物学的発想で現代社会を批判的に見た」という著者の試みは成功していると思う。
後半は、著者が「説教じみてしまいました」と少し反省するほど批判に熱が帯びてきているけれど、まぁそれもアリ。
Posted by ブクログ
生物の持つデザイン、量(数学・物理学的)よりも質(生物学的)という提言や相対的な時間の考えに納得。中盤は生物の時間・寿命から、ヒトの人生に関するやや哲学的な話に感心した。後半は、また著者の研究対象であるナマコを例にとって締め括られたが、ヒトとして進化してしまった以上、ナマコのような生活もできないし……本書を読みながら思い出した。若い頃、空力デザインの国産車が没個性的で嫌いで、角ばった四駆に惹かれ20年近く乗り継いだ。これも工業的思考に毒されていたのかなぁ?
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「ゾウの時間 ネズミの時間」の著者による、現代社会への警鐘。生物学の視点から、私たちが直面する環境問題、資源の問題に対してどうあるべきかを説いている。
全体を通して、柔らかな語り口。やはり、「ゾウの時間~」でされた、展開動物のサイズの章が秀逸。
本来の寿命以上の生を獲得した人間が、どう生きるべきかの提議は、示唆に満ちている。
(2015.3)
Posted by ブクログ
物理学的思考観点で物事は評価されがちだし、文明はそうやって進んできたが、生物学的観点から眺めてみるとそれは進歩ではなくスピードを早めているだけなのでは、という論点。単なる生物学の紹介ではなく、社会のあり方や生きることへの意味など幅広い分野に生物学の観点から論じていて面白い。人工物は四角く固い、という見方はちょっとハッとした。
Posted by ブクログ
生物の成り立ち、時間に関する考え方について書かれている。
本来人間が動物であること、自分が何ものなのか知るため読むことをおススメする。
そして老いかたや生き方のエッセンスとしてもう少し深く読みたい
Posted by ブクログ
実に興味深い本。色々な視点から書いてあるのだが、やはり動物の時間の部分が印象的だ。
動物の寿命は、ハツカネズミで2-3年、ゾウで70年。ところがどちらも心臓は15億回ほど打つのだという。ゾウはゆっくりと心臓が動き、ハツカネズミの心臓はゾウの18倍速く打つということ。要はハツカネズミの心臓時計はもともと速く、ゾウのは遅い。我々は常に絶対時間を基準に考えて、ネズミは早死だなどと思っているが、もともとネズミの時間は我々の時間とは違って速く、ネズミにして見れば何も早死にしているわけではない。犬や猫しかりということなのだ。
これが人間となると40歳と少しで心臓の打つのが15億回に達する。かつては人生40年とか50年とかいわれていたのは生物学的には正しいわけで、良くも悪くも医療技術によって人間が動物的寿命を越えて長生きすることになったということ。本来は50歳を越えたら姨捨山行きのところなのに、膨大なエネルギーを消費しながら高齢者は何のために生きるのかという命題を突きつけられたとも云える。団塊世代としては辛いところだが。
大げさに云えば、キリスト誕生からカウントするニュートン以来の西欧式数学・物理学に依拠した絶対的時間の概念に新たな見方を提示したものとも云えるのではなかろうか。時計が刻む絶対的時間とは本質的に異なる本来の時間の捉え方、個々の人間に適用される時間の概念が哲学の考え方の中にもあるが、底辺では何か共通するものがあるようにも思える。たかが動物の話とはいえ、「生」というものの根源にも関わりそうで、これまた色々と考えさせられると云えそうだ。
Posted by ブクログ
『ゾウの時間 ネズミの時間』の人の新書。巻末には自作の「ナマコ天国」という歌が楽譜付きで付いている。。。!
サンゴ礁を例に共生について
生物多様性について
生物は(四捨五入すると)水である
生物の基本は円柱形
生物は柔らかく、活発←→人工物は固く、反応しないようにできている
一番なるほどなーと思ったところ→「続くものをデザインしようとすれば、回せばよいのです。生命は回るデザインを持つことにより、ずっと続くことを可能にしているのですね。」
Posted by ブクログ
「ゾウとネズミではお互いの時間の感覚が異なっている」という本川氏の本を読んで目からウロコが落ちたのが10数年前のことです。人間は生物学的寿命をはるかに超える年月を、エネルギーをより多く消費することで生きていることを知り、人間も少しは謙虚に生きる必要があると思いました。
人間の本来の寿命は40歳程度のようです、織田信長が「人生50年」と言ったのも頷けます。
医療技術の発達や「飢えの心配のない世界」で長く生きることのできる現代に感謝し、自然や他の生き物と共生する方法を考える時期に来ているのではないかと思いました。
また、この本を通して、私たちに身近に存在する「水」の持つ特異性(分子量が低いのに室温で液体、氷が水よりも軽い)を再確認しました。本当は高校時代に学習したはずでしたが。
子供の頃と今と比較して、時間の経過する感覚が違うことに関して、この本にヒントがありました、”時間の質が違う中での経験できることに違いがあり、生きている質そのものにも時間によって違いが生じてくる(p197)、体重当りのエネルギー消費量は20歳まで急速に減ってそれ以降はゆるやかに減る、20歳を1(時間の進む速度)とすると、10歳は0.6、40歳で1.1、70歳で1.2(p209)”
以下は気になったポイントです。
・海水が透明ということは、水中に食用となる有機物の粒子もあまり含まれていないことを意味する、サンゴ礁やそれを取り巻いている外洋の海水中には、栄養となるものが乏しい(p15)
・肥料の三大要素が、窒素・リン・カリウム、海水中にカリウムがたくさん含まれているので、残りのリンと窒素は、サンゴは動物性プランクトンを食べることで補う(p25)
・サンゴ礁が危機に瀕していることは、藻類が繁殖すること、生活排水等に養分(リンや窒素)が含まれているため、大型の藻類が育ってサンゴを覆い隠して光を奪ってしまう(p51)
・サンゴの白化は、夏に海水温が高くなると、サンゴの体から共生している褐虫藻が抜け出るから(p53)
・南北問題の一つとして、生物多様性条約(目的:遺伝資源の利用から生じる利益を公正に分配する)がある。生物の提供国である貧しい南の国にも、新薬からあがった利益を提供しようとするものだが、アメリカは承認していない(p67)
・科学が質を問わないのは、構成要素を単純化するから、ところが生態系は質の異なる非常に多くの生物たちが相互に複雑な関係を結んでいて科学が苦手とする相手である(p71)
・木は何十メートルもの高さに生長するが、体の高い部分まで水を運び上げるのにも水が必要。植物は水を押し上げるポンプの原動力として水の蒸散を使っている、蒸散する際に、下の水を上へと引っ張り上げる(p76)
・水の沸点が高いのも特徴、水の分子は18なので、通常はマイナス80度程度のはず。室温では気体になっているのが普通だが、水は分子同士が引きあっているから気体になりにくく、室温でも液体のまま(p82)
・氷が水より軽いということも水素結合が関係している、水が液体の状態でも水素結合により分子同士が結びついて構造をつくっており、この構造が氷の構造よりも密に分子が詰まっているから(p85)
・生まれたばかりの赤ん坊は体の80%が「水」だが、成人では60%になる、細胞内部が40%、外部が20%、水分含有量は20歳を過ぎても減少し続けるが、細胞外の水は30代以降はほぼ一定で、内部にある水が減る(p87)
・動物の進化として、球から変形して、強さを保ちながらも表面積を確保するために、丸い断面のまま細長くなる円柱形になった、中心に一本、太い神経やラインを通せば、円周上の各点は中心から等距離で輸送が楽(p108)
・体重は体の長さの3乗に比例し、面積は2乗に比例する、なのでゾウは足の裏の面積を大きくして体重を分散させる(p140)
・エネルギーの元は、炭水化物・脂肪・タンパク質であり種類によって得られるエネルギー量が異なるが、どの栄養分を燃やしても、同量の酸素を使えば、ほぼ同量のエネルギーが得られる。なので酸素消費量を知ると、エネルギー使用量が算出できる(p144)
・基礎代謝率(安静状態のエネルギー消費量)と体重の関係は、基礎代謝率は体重の4分の3乗に比例する、つまり、体重が10倍になると、基礎代謝率が5.6倍(p147)
・4分の3乗とは、システムのサイズが大きくなると、そのシステムを構成している1匹のエネルギー消費量が減るということ、あまり働かなくなる、大きい組織の中の構成員はサボっている(p153)
・恒温動物は変温動物の30倍ものエネルギーを使っている、一方で一日平均のエネルギー消費量は、約15倍、違いが半減したのは、安静時のエネルギーの使い方が異なる、恒温動物は変温動物よりも15倍たくさん食べる(p157)
・サイズの大きい動物ほど心臓一拍の時間が長くなる、心臓の時間は体重の4分の1乗に比例する、つまり、体重が10倍になると、時間は1.8倍ゆっくりになる(p167)
・30グラムのハツカネズミと3トンの象は体重が10万倍異なるので、時間は18倍違う(=18倍ゆっくり進んでいる)、18倍のスローモーションの映像を見ると、画面は殆ど止まって見える、逆に18倍速くすると、何が起きているのかわからない程度に速く動く(p168)
・時間は体重の4分の1乗に比例、体重あたりのエネルギー消費量が体重の4分の1に反比例、両者をかけあわせると一定値がでてくる、すると一生の間に使うエネルギーは30億ジュール(心臓は15億回鼓動する)となる寿命が計算できる、ヒトの場合は、41歳となる(p171、205)
・個々の生物の時間とは、心臓が繰り返し打っている1回分の時間のこと(p173)
・生物は伊勢神宮方式、ガタがきたら元通りにならないので捨てて新しくそっくりのものを作ってしまう、それが子供を作るということ(p177)
・時間は動物によって変わる、つまり、エネルギー消費量に比例して時間が速くなる、例として、車やコンピュータを使うと時間が速くなる(p183)
・人間は、体が使うエネルギーの、40倍ものエネルギーを使っている(p191)
・速い時間と「ゆっくり」の時間とでは、時間の質が違う、そしてその時間の中での経験できることに違いがあり、生きている質そのものにも時間によって違いが生じてくる(p197)
・寿命が延びた原因として、1)子供や青年が死ななくなった(60年代までの延び)、2)老人が死ななくなった(70年代以降の延び)であり、医療の進歩のおかげであり、体そのものが丈夫になったわけではない(p207)
・時間の進む速度が年齢によって遅くなる(時間がゆっくりになる割合が大きくなる)、これは子供の時間は速く、老人の時間はゆっくりだということを意味する(p209)
・老人と子供は同じ期間でも、その間に子供は2.5倍もエネルギーを使う(時間が2.5倍速い)ので、あとから振り返ると、できごとがぎっしり詰まっていて夏休みは長く感じる。時間は、その中に入っている時と、あとから振り返るときでは、感覚が逆になる(p210)
2012年10月17日作成
Posted by ブクログ
生物の多様性はイコール豊かさである。
豊かさイコール量の時代から豊かさイコール多様性の時代へ変化せよ、と説く。
生物の様々な特徴を描きつつ、どう生きるべきか、についても言及していく。
食糧問題にも触れ、変温動物(主に魚など)を食べるのが効率的であると説いています。
ポイントポイントで、うーんなるほど、と言わせてくれる話が盛りだくさん。
物事を見る視点が広がるので、一読の価値ありだと思います。
Posted by ブクログ
生きるために進化した生物は、美しい。書いたのは生物学者で、書いてある内容は人がなぜ円柱の組み合わせで成り立っているのかや、物理的時間の不確かさといったものだが、まるで高校生向けの詩でも読んでいるかのように分かりやすく、美しかった。
Posted by ブクログ
生物学の専門家ということで全体に占める研究対象の話は多かったのですが、それが社会とどう結びつき、生物的な考え方を社会にどう活かすのか?
という点がいくつかのセクタに分かれており考えされられました。
Posted by ブクログ
数学・物理学的発想が、便利で豊かな社会を作り、同時に環境問題などの大問題をも生み出している。しかも、問題は解決されないばかりかどんどん深刻化していく一方である。しかし、生物学的発想をすれば解決の糸口がつかめるのではないか、という視点で考えが進んでいく。
技術と便利さを追求する数学・物理学的発想よりも生物学的発想という提言や相対的な時間の考え方には納得させられる。やや哲学的ではあるが、生物の時間・寿命から、ヒトの人生に関する話には感心させられる。
生物の本質を理解し、生物学的発想で現代社会を見つめ直してみてはいかがだろうか。
(第2閲覧室 460.4||M)
Posted by ブクログ
一〇月に名古屋で「生物多様性条約第10回締結国会議」(COP10)が開かれました。生物多様性の減少に、何とか手を打たなければ、という会議です。 現在、知られている種の数はほぼ一八〇万種。それが、毎日、約一〇〇種ずつ絶滅していっている。
多様だ、というのは質がいろいろあるということです。量はほどほどでいいから、質の違ったものがいろいろあることが豊かなのだと、豊かさの定義を変えればいい。
ごはん一膳で風呂二・五杯分の水が使われています。
生きものは丸くて角がなく、人工物は四角くて角張っています。なんで人間はこうも四角いものばかり作りたがるのだろうか
「便利」とは速くできることと言い替えられますから、結局、エネルギーを使って時間を速めるのが文明の利器なのですね。
体の時間は昔と何も変わっていないのに、社会生活の時間ばかりが桁違いに速くなっているのが今の社会です。つまりみんな疲れているんです。社会の時間に追いつこうとして、疲れ果てている。
Posted by ブクログ
環境問題や資源・エネルギー問題、超高齢化社会といった、現代文明が直面している問題を、生物学者の視点から考えたエッセイです。
著者は、現代文明の背後には数学・物理学的発想があると主張し、それが現在の私たちの豊かな生活を可能にする一方、さまざまな深刻な問題を引き起こしていると言います。そして、数学・物理学的発想一本槍で進むのではなく、生物学的な発想を取り入れることが、これらの問題の解決の緒を与えてくれるのではないかと論じられます。
著者の考える生物学的発想とは、生物多様性や生態学的条件などを考慮するということを意味しており、その文明批判は養老孟司の「脳化社会」批判を思わせます。
Posted by ブクログ
地上の生き物の心拍数は15億回が寿命と云う。
とすると人間は15億回打つ頃は41歳だ。
それ以降は医学や利器によって生かされている
「余命」なワケか...。
Posted by ブクログ
理科は苦手なんで、この読みやすい新書を興味深く読んでいる。
生命の維持にいかに水が必要か、というくだりで、ご飯一膳の米を作るのに、なんと風呂2.5杯分の水が必要(!)なんだそうな…
理科が苦手な大人と、理科が苦手な子供たちに。Googleさんによると、お受験でも出題率高いようです。
Posted by ブクログ
とても面白い。
本書のなかの色々な箇所が示唆に富んでおり、その部分部分を抜き出して紹介することは難しい(全文引用になってしまう)。
はじめにに書かれているように、現代社会は数学・物理学の考え方をベースに築かれており、そこに生じる環境問題その他山積する問題を、数学・物理学的発想を元に解決しようとするから、いつまでたってもうまくいかないのではないか?本書では、生物学者である筆者が、生物学的視点から現代社会を分析している。実に面白い。
生物学的に見れば、次世代を育て上げたり、次世代を作れなくなった親は、存在価値がなくなるのではないか?無駄に生き残った老人は、社会の財をこれからの存在である子供たちと奪い合って生きることになるのではないか?では、生物学的に存在価値がない老人が生きる意味は、どこにあるのか?
Posted by ブクログ
サンゴとクマノミの共生の話しから始まり、自然が作る仕組みやデザインについて、様々な話題を集めた本で、なぜ自然のデザインは円柱形が基本になっているのか、などとても興味深い話しが、生物学的な切り口でたくさん紹介されている。
「文明論」というほどのところにまでは昇華されている感じがせず、なんとなく、生物学の雑学入門といった内容だった。
しかし、著者自身が、生物というものを通じて、人間を含めた生命の意味のようなものを、俯瞰の視点で哲学的に考え続けてきた跡が感じられて、その点がとても響いた。
基礎代謝率を、同じ体重の恒温動物と変温動物とで比べると、恒温動物は変温動物の30倍ものエネルギーを使います。一方、一日平均のエネルギー消費量で比べると、約15倍。違いが半減した原因は、安静時のエネルギーの使い方が異なるからです。恒温動物は何もしていない時にも、かなりの量のエネルギーを使い続けています。それに対して変温動物は、安静時にはエネルギーをあまり使わず、活動するときに集中してエネルギーを使います。(p.157)
私たちをはじめ、生物というものは、こんなに複雑な体をもっています。そういう体をもったものがずっと続いていく。どうやったら、ずっと続く体を作ることができるでしょうか?
体は構造物だから、建物を例にとって考えると分かりやすくなるでしょう。ずっと続く建物をどうやったら作れるのか。単純に考えれば、絶対壊れないように作ればいいということになりますが、それは不可能だというのが熱力学の第二法則です。秩序だったものは、時が経てば無秩序になっていく。すなわちエントロピーは増大する。形ある物はいつかは壊れるのです。絶対壊れない建物をたてることはできません。
じゃあ、壊れたら直し直しいけば、ずっと続くだろう、という考えは、当然出てきます。こうやって法隆寺などは続いています。でも古いものは世界遺産や国宝というような形で、腫れ物にさわるように扱っているのが現状でしょう。それに対して、生物の体は、跳んだりはねたりと、いつも現役で激しく働く必要があるのですから、直し直しというやり方も、なかなか実現性の乏しいやり方です。
とすると、ずっと続く建物を作るのは無理かというと、やり方があるのですね。伊勢神宮です。形あるものは壊れるに決っている。だったら壊れる前に、定期的にまったく同じものを建て替えていけばいい。伊勢神宮は20年ごとに式年遷宮を行なって、そっくりのものに建て替える。こうして1300年たった今も、木の香も新しく、現役で機能しています。これはずっと続いていく建物を作る、じつに優れたやり方です。生物は伊勢神宮方式を採用しているのですね。(p.176)
必ず死ぬものでありながら、ずっと続いて行きもするもの。その両面を、この私という命は持っているのですね。死ぬにもかかわらず生き続ける。完全に矛盾するものが同居しているのが私というものです。西田幾多郎的に言えば「絶対矛盾的自己同一」。現代は、個体のこと、つまり一直線に進んで必ず死で終わる時間しか考えない傾向がありますが、生命の時間には、回って続くという側面のあることを、忘れないようにしたいものです。(p.181)
長い老いの時間は、医療をはじめとする技術が作りだしたものだと言えるでしょう。だから私のような還暦を過ぎた人間は、技術の作り出した「人工生命体」なんですね。人生の前半は生物としての正規の部分、後半は人工生命体という、二部構成でできているのが、今の人生なのでしょう。この二つの部分は大いに異なるのだと、きっちり覚悟して生きていくべきものだと私は思います。(p.208)