アストリッド・リンドグレーンのレビュー一覧
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前回は、どこか気の優しい泥棒たちに城跡に閉じ込められる程度で済みましたけどね、
いやぁ、今回はおだやかでないわあー!びっくりしちゃいました。
白バラ団と赤バラ団は、長い長い夏休み、聖像をかけたバラ戦争とプレーリーを駆け回ることに費やしていたっていうのに…
それにしても、エヴァロッタ、カッレったらいつも本当に素敵ね〜
二人がシックステンによって地主館の小部屋に閉じ込められた時も、見事な探偵の仕事っぷりだったわよねー。
それから、白バラ団の身につけた、山賊言葉も最高だった!
まさかあなたがあんな事件に巻き込まれるとは思わなかったけど…
おだやかでない事件はあれど、白バラ団と赤バラ団は、何よりも素晴らしい友情で結ばれているし、心が本当に美しい子どもたち。
エヴァロッタが傷ついていることも、シックステンの大切な犬、ベッポがいなくなった時も、みんな心から心配して何かしてあげようとする。
そういう子どもたちの素直な心を描いてくれるのが、リンドグレンなんですね -
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やまかし村はやっぱりいいなあ。
湖でたべものをちょっぴりお母さんから奪ってきて(全然奪ってないとこがまた可愛い)晩ごはんとか憧れるなあ。またこの晩ごはんの美味しそうなこと!
よろこんでもらうって、たいへん!の章も心が溶けた。リーサのお母さんの返事がよすぎて幸せになった。
結婚の話も可愛すぎて、この子たちは大きくなったらどうなっているんだろうと、思わず考えずにはいられなかった。男の子たちは照れながら、なんだかんだで女の子たちにおされてくっついたりしてたらいいのに。
おじいちゃんの
「おまえさんたちが、できるかぎり子どもでいられるのは、すばらしいことなんだよ」
という言葉がとても印象に残っている。これは物語だけど、いつまでもこの可愛いやかまし村の子どもたちが子供たちであれますように。世の中にこういう世界がいっぱいあればいいのに。
そんな優しい気持ちになった。 -
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カッレ、エヴァロッタ、アンデッシュの3人は白バラ軍として赤バラ軍のシックステンたち3人と「聖像」をめぐる戦争をしていた。6人ともこのバラ戦争が気に入って、夏の間の定番の遊びとなっていた。ある夜、古城で赤バラと対決した帰り道、白バラ軍は怪しい車を目撃する。「名探偵」として事件を解決したことのあるカッレたちがその車を見張っていると、なんと悪党たちは有名な科学者とその息子のラスムスを誘拐しようとしていた!
手に汗握る誘拐犯との攻防!カッレたちは無事に悪党たちを出し抜いて人質を救出できるのか、ハラハラしながら最後まで目が離せない物語。スウェーデンの国民的作家リンドグレーンの大人気探偵小説の新訳。 -
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とても懐かしかった。
やかまし村の子どもたちの映画も大好きで、何度も見たことを思い出す。あの生活は本当に憧れで、私も干し草小屋で寝たかったし、手紙のやりとりがしたかったし、野イチゴ食べたいし、あんな楽しそうな登下校がしてみたいと思った小さい頃のままの気持ちが蘇ってきた。
そういえば忘れていたけど、リーサと私の名前が似てるからそれも好きなポイントだったなあ。
イングリッド・ヴァン・ニイマンの挿絵もとても可愛くて、ほっこりするし、小さい頃のわくわくを思い出させてくれる。
いまとても満ち足りている。いい本を読むってなんて幸せなことなんだろう。 -
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あー、これまたあらためてすばらしい。子どものころさんざん読んであこがれたけど、今回は大人目線で。
事件は、1巻の宝石泥棒から殺人へと深刻さを増し、3人の直面する危機もさらに大きくなる。
そして、前回は現行犯逮捕だったのが、今回は、容疑者として逮捕→否認→動かぬ証拠を突きつけられて自白、というステップを踏んでおり、そのすべての過程にカッレたち(+赤バラ軍の友達)ががっつりからんでいる。聖像さまも。
カッレたちが全身全霊で遊び、その遊びが事件を解く鍵につながる。これがおもしろくないわけがありましょうか。しかも今回は、敵方の赤バラ軍とも協力しあっているところがいいんだよね。シックステンの愛犬ベッポをみんなで探しにいくところとかも、ほろっとさせる。(ただし、ヒ素以前に犬にチョコレートはそもそもあかん)
あと、カッレたちもシックステンたちも、家は金持だったり貧乏だったりいろいろ。たとえば赤バラ軍ベンカの父さんは医者だし、ヨンテは貧しい人たちの多い〈おんぼろ丘〉に住んでいる。カッレの盟友アンデッシュのうちは父親が横暴で、アンデッシュはしょっちゅうなぐられている。そんな背景もさらりと描きつつ、でも子どもたちがまったく気にせず同等に遊びくるってるのがすごくいい(笑)
平澤朋子さんの挿絵は、とにかくかわいい。エヴァロッタの愛らしさときたら(でも賢そうだし、強そう)。ちゃんと服も着かえるしね。あと、カッレはいつもぴったりサイズのこざっぱりした服を着ているけど、アンデッシュはお下がりか、または大きくなっても着られるだぶだぶの服を与えられて、袖口やズボンの裾を折りあげてるのもリアル。そういう細かい描き込みで、リアリティが増してるんだろうな。 -
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あれっと思ったけど、あのリンドグレーンだった。“ピッピ”や“カッレくん”を書く前の家庭の主婦だった頃の第二次大戦記録。手紙の検閲という臨時業務で得られる情報の他は、新聞とラジオだけで戦争全体を客観的に論評できるリンドグレーンの慧眼はすばらしい。中立国としてのスウェーデンのしたたかさと、冷酷にも感じる立ち回り方を客観的に捉えながらも、戦火に巻き込まれる他の北欧国、特に独ソ及び連合国に蹂躙されたフィンランドに対する深い同情と戦争に対する憎しみが切実に記録されている。
人はだれもが、酢漬けニシンのサラダやバターがたっぷり乗ったパン、記念日のお菓子、家族で映画やサイクリングに行くことで十分な幸せを得ることができる。その幸せは、他人から略奪したり殺しあったりしなくても世界中でわけあう余裕がこの地上にある。先の大戦でなぜそれができなかったのかを再度真剣に考えるべきだろう。
ナチスは合法的に権力を掴んでいる。選出したドイツ国民に罪はなかったのだろうか?国民として、限られた情報であっても国民として何をなすべきかの的確な判断はできるはずである。リンドグレーンはそれができている。どうすれば戦争が起きなかったのか、何をなすべきであったか過ちを繰り返さない為にも現代の日本国民こそ常に考えていかなければならない。 -
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40年ぶりに読んだ
小さな引き出しのいっぱいあるキャビネットや、床でこねて作るクッキーがなつかしい~。あれ、すごくうらやましかった。
子どものころ、わたしはピッピになりたかったわけじゃなかった。隣にピッピが住んでるトミーとアニカがうらやましかった。
ふたりともどちらかといえば「おりこうさん」。自分がまさに「おりこうさん」タイプで、そこから抜けられないことも感じていて、それが一種のフクザツな劣等感のようなものにもなってた。でも、ピッピは、いつもきちんとした格好をしてまじめに学校に通うトミーとアニカとも、心の底から楽しんであそんでくれるし、思いがけないプレゼントで驚かせたりもする。
するとアニカたちもいつの間にか、服をどろどろにして帰るので、母親からピッピの家に行くときは一番いい服を着て行くことを禁じられられる(笑)。「おりこうさん」の範疇から外れることはないけど、いつの間にか少しづつピッピのほうへ近づいていく。
そこらへんがすごくよかったなあと。痛快無比な女の子を描きながら、おとなしい、おりこうな子どもたちへもたっぷり愛を注いでくれるリンドグレーンが好きです。
あ、あと、わたしはもちろん大塚勇三訳で育ったのだけど、この菱木さんの新訳もめっちゃいい。読みやすいし、ぜんぜん違和感がない。ニイマンの挿絵もいいし、こぶりな本の形もいいし、しっかり売れてシリーズぜんぶちゃんと出てほしいです。 -
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『何より恐ろしいことに、いまやもう、みんなドイツの敗北を願っていないのだ。理由は、いよいよロシアが再び動き始めたからだ』―『六月一八日(1940年)』
自身の性格として物事に白黒つけたがると自覚しているが故に、なるべく自分自身の判断ではなく他人の主張を総合して結論付けるように心がけている。それは様々な人々が出入りしながら一つの目的を達成するという仕事のやり方、環境の下で働いてきたことによる癖でもあると思う。その癖を多様性という言葉に託して必要以上に肯定的に捉える傾向も、ついでに言えば、ある。しかし多様性の重要性が声高に叫ばれるようなご時世とはいえ、多様性を功利に結び付ける話ばかりが目立つ現実を考えると、逆に余り多様性だのダイバーシティだのと言いたくはない。本当の意味で多様性の意義が問われる話には滅多に出会わないし、単にビジネスモデルが、強いリーダーシップという考え方から、イノベーションにシフトし、その流れで既成概念に囚われないことの効用が取り上げられているだけに過ぎないようにも思える。ついでのついでに言えば、強いリーダーシップというのも全体主義の影がちらつくので好きではないけれど。
ホームズが読書の世界への入り口だった者にとって、長靴下のピッピの著者というよりは、名探偵カッレくんの著者と言われた方がピンとくるリンドグレーンの日記。これは作家が作家となっていく時期に書かれていた日記としても興味深いのだろうけれど、第二次大戦が始まった日から終わるまでの六年間に当事国としては戦争に関与しなかったスウェーデンの一人の主婦によって綴られた日記という側面から読み取ることの多い日記であると思う。もちろんこの一主婦は非凡な才能を持ち、戦時下における政府の特殊な任務を熟すような主婦ではあるけれど、多くの隣国との関係性を基盤としたモノの捉え方が、政治家でもジャーナリストでもない主婦によって綴られている事実に接する時、本当の意味での多様性という考え方に触れたような思いがする。
その端的な例が、ロシアの脅威に対する過剰な警戒心と、それに対抗する為になら忌むべきヒトラー率いるドイツ軍への協力も容認するようにも読める発言。もちろん戦争初期のこの発言は後々明らかとなるナチズムの非道さによって徐々に変わっては行くものの、北欧人として心情的には親独(少なくとも一人ひとりのドイツ人に対しては)であり続け、その挾間で思い悩む。そこに北欧の地政学的地位の複雑さが市井の人々にも浸透している様子がうかがい知れ、ヨーロッパ的な多面性を見る思いがする。第二次大戦といえばヨーロッパの全ての国が取ったり取られたりの白黒模様の世界地図を思い浮かべがちな自身の不勉強を棚に上げて言うのだが、翻って我々の隣国、他国への感情は、余りにも単純化され過ぎてはいないかと反省するより他ない。
少し前に内田樹が尖閣諸島問題について書いていたことだけれど、今すぐ解決出来ない事を焦って解決しようとしてはならない、現状を維持する事も解決策の一つである、という言葉に思わず肯首してのを思い出す。それはどちらかと言えば東洋的知であると思うが、どこかで西洋的知にも繋がるように思う。平面上を複雑に埋め尽くす図柄に正解はないとも言え、歴史上のある断面で正解を定義することは無意味であるだろう。やはり一番良くないのは近視眼的で単視眼的になることなんだろうね。 -
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「長くつ下のピッピ」の作者アルスレッド・リンドグレーンは、1978年にドイツ書店協会平和賞を受賞しました。
授賞式でのスピーチがこの「暴力は絶対だめ!」です。
1978年のスピーチですが、2015年の今の世界の状況や、日本の政治状況、家庭、教育現場や、職場の人間関係など、悲しいほどに当てはまることだらけです。
まずは、このリンドグレーンのスピーチを読みあわせて、家族で、今国会でおこっていること、沖縄の基地のこと、シリアの難民のこと、ISのこと、はなしあってみたらどうかな?とおもいました。
「暴力は絶対だめ!」が、大前提になれば、たいがいの社会問題は、解決できるような気がします。
ユートピアかもしれないけど。 -
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スウェーデンのストックホルムのマンションの一室に両親と兄姉と暮らすリッレブロールは7歳。
このマンションの屋根の上には小さな家があってそこにはおなかのボタンをひねって空を飛べるおじさんカールソンが住んでいた。
犬が飼えなくて落ち込んでいた夜、リッレブロールは窓の外を飛ぶカールソンと出会う。そして、リッレブロールの部屋で遊んで、大切な蒸気機関車を爆発させてしまった。どころがカールソンは「そんなことなんでもないや」と言い、自分のプロペラを修理に出すからと去ってしまった。
カールソンのことを話してもだれにも信じてもらえないリッレブロールだったが、リッレブロールは彼に会いたくてたまらなくなる。その後も予告なくあらわれるカールソンといたずらや冒険を楽しむのだった。
少年と子どものように生きる自由なおじさんとの交流を描いた物語。
******* ここからはネタバレ *******
なんとまあ、自由なおじさんです。
子どもから食べものやお金を巻き上げ、いたずらをし、泥棒を追い払ってしまいます。
よくわからない理屈で人を騙してしまったり、お菓子ばかりを食べたがる様子には気分が悪くなりましたが、それでも次に何をするのだろうと気になってしまいます。
まあ、大きな悪事を働かないから愛されるのでしょうか。
ラストでリッレブロールが子犬を手に入れました。
それと引き換えにカールソンとは会えなくなるかなと心配しましたが、とりあえず一緒に誕生日を祝えてよかったです。
主人公は7歳。低学年さんですが、文章量多いですね。
急いで読んだせいか、私は読み進めるのが苦痛でした。
でも、内容的には中学年だと思います。
親の立場とすれば、カールソンにはうちの子に近づいてほしくありませんが(笑)、子どもたちは、こんなおじさんがいることで気が楽になることもあるのでしょうね。