西田佳子のレビュー一覧
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グレイソンは、頭の中で、自分はスカートを履いている、と思っている。
落書きした絵も、頭の中で補完して、お姫様だと思っている。
でも、現実は、「僕」は「男の子」で、履いているのはバスケの短パンとTシャツ。
そんなグレイソンが、学校演劇に出ることになった。
ペルセポネ、つまり、女性の役で。
指導してくれるフィン先生は始めこそ少し驚いていたが、グレイソンの心を見透かしたかのように、今まで通り、でもグレイソンを尊重してくれた。
とても良い先生に出会えた。
けれども、現実はそんなに良い人ばかりではない。
焦る叔母夫婦、亡くなった母親のこと、友達との関係。
いろいろな問題が山積み。
だが、グレイソンは勇気を出した。支えてくれる人たちと一緒に。
私には当事者たちの気持ちはわからない。
だが、当たり前と思われたことを壊すのはとても怖いことは知っている。
今度新しくなる制服の帽子を、女性用ではなく男性用を選んだだけでも心が揺らいだのだ。
「え?女なのに?もしかして?」と思われるのが怖くて。
みんなが「女性用」だった形を選んでいるだろうから。
全然別の理由でも、いろいろ言われるかもしれない。
それを完全に無視できるほど私の心は強くない。
でも、それが何?
私は私、と言えるのならば、どんなに楽だろう。
どんなに晴れやかになれるだろう。
本書はLGBTQの人はもちろん、「私は私」と言いたいすべての人に捧げる物語だ。
自分を受け入れられたら、他人も受け入れられる。
それが結局は、win-winの世界、生きやすい社会につながるのだ。 -
Posted by ブクログ
「ジョージと秘密のメリッサ」で初めてLGBTをメインテーマにした児童書を読んで、これが2冊目です。
ジョージを読んだ時も思ったけど、LGBTについて子どもたちがどう受け止めるのか、こういう本がないとなかなか考える機会がないので、大人にとっても子どもにとっても、とても良い本だなと思いました。
ジョージが小学生の高学年向け、こちらの本は中高生向けかなと思いました。
ジョージでは悩みながらも、周りに理解者が多く出てきて、読むと勇気を持てるような優しい物語でした。
でもこの本はもう少し複雑。優しいだけじゃない世間が出てきます。
自分がどうしたいのか葛藤する様子や、なかなか周りに理解されない苦しみの他、どう向き合えば良いか悩む大人たちの姿も丁寧に描かれていて、色々考えさせられました。
表紙が可愛くて手に取りましたが、読んでみて良かったです。 -
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本棚を人に見られるのは、自分の頭の中を見られるみたいで恥ずかしい。本の感想をSNSに投稿するようになってから、本を選ぶときに「この本の感想をアップしたら人からどう見られるか」を頭の隅で考えるようになった。
本屋でこの本が目にとまったときも、私が求めていた本だなと思うと同時に「でも、こんな本の感想をアップしたら根暗だと思われそう」と考えてしまった。無意識にそう考えていたことに気づいたとき、私はあえてこの本を選ぶべきじゃないか! と思った。いいところだけ見せたって意味がないし。今年読んだ本は全部公開するって決めたし。頭の中をさらけ出せる場をせっかくつくったんだから、それなら自分の弱いところを見せるような本があってもいいじゃないか。
「内向型」とは、本文中では「ひとことで定義づけられるものではありません」とあるけど、要は「一人で過ごす時間が好きな、おとなしい人」を指す心理学用語だ。この本には目次より先に「内向型のための10の声明」がある。その10番目に書かれている言葉はまさに私が探していたものだった。
「ガンディの言葉です。『穏やかな方法で、世界を揺るがすことはできる』」(本文から引用)
全然強くないし、強い言葉も吐けないし、大きなリーダーシップを発揮するだとか、誰もやっていないことに挑戦して突破口になるだとかは苦手だけど、そういう人間にも世界を動かす方法はあるんじゃないかと思っている。あってほしいなあと願っているわけではなく、ただ漠然と、でも結構本気でそう信じている。この本を通じてそのヒントというか手がかりというか、巨大なふろしきの一端を掴めたような気がした。
それからこの一文。
「わたしたち内向型は、味や、音や、人付き合いといった刺激を、外向型の人よりも強く感じるのです」(本文から引用)
私が今いろんなことを感じて、傷ついたりつらくなったりすてきだと思ったりそれを言葉にしたいと思ったりするのは、この性質のおかげだなあと思う。自分のそういうところはちゃんと大事にしていきたい。
【読んだ目的・理由】「おとなしさ」を長所にする方法を知りたかった
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.0
【一番好きな表現】
世間には、あなたが思っているよりたくさんの内向型がいるのです。人口の三分の一は内向型。つまり、じつはすごくたくさんの内向型が、人が多くて騒々しい廊下を我慢して歩いているということです。内向型のあなたにも、できないことはなにひとつありません。(本文から引用) -
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ネタバレ〈それにしても、21世紀になって、これほど面白い小説は書かれていないのではないか〉
帯のアオリであり訳者あとがきの一説でもある。その言葉を信じて、いや、真偽を確かめるべくこの本を手に取った。なるほど、あながち嘘ではないようだ。まあ、他にも面白い小説はありそうだが。YAのような装丁だが、これは中高生には向かないのではないか。ていうか、大人向けでしょ、これ(きわどい描写もあるし)。
1935年アメリカ。大恐慌から6年が経っている。ウェストヴァージニアの小さな炭鉱町に住む若い夫婦が主人公だ。妻のエルシーはハイスクールを卒業後、しばらくフロリダのオーランドに住んでいたことがあって、炭鉱の砂埃だらけの町で一生を終えるのなんて真っ平ごめんと考えていた。というのも、オーランドでハンサムで脚の長いダンスの上手な男に恋をしてしまったからだ。でもその男は俳優を目指してニューヨークに行ってしまった。故郷に戻ったエルシーは高校の同窓生のホーマーから熱烈なプロポーズを受けていたけれど、炭鉱夫の妻になるのがいやさで断り続けていたが、ホーマーの上司が仲を取り持って二人はいっしょになる。その結婚祝いに、エルシーの元彼から結婚祝いのプレゼントに贈られたのが、一匹のワニ。物語はこのワニをフロリダに帰してやるための旅で起こった、奇想天外な出来事を綴ったものだ。
著者はこの夫婦の息子(次男)。父と母からの聞き書きをもとにこの物語を書き上げた。本当の話か作り話かはさておき、若い夫婦がお互いの心の中にあるものに気づくまでの数々の遣り取りや心の動きは、いちいち身に覚えがあってちくちくと突き刺さる。二人は千キロの道のりをビュイックで走っていく。後部座席にはたらいに乗せた120cmにも成長したワニのアルバート。そしてねどこからともなく飛び込んできた名前のない美しい雄鶏。アルバートはエルシーにとってわが子も同然。いや、ここではないどこかへ自分を連れ出してくれるはずだった、かつての恋人の忘れ形見みたいなものだ。エルシーにとってこの旅は「あったかもしれないもうひとつの人生」を探す旅だったが、ホーマーにとってはエルシーの心を取り戻す賭けだったのではないだろうか。いずれにせよ、これは〈宿命〉(キスメット)だった。
旅の果てで二人が手に入れたものはなんだったか。人生という名の冒険はに終わりはないのかもしれない。
最後に。これ、きっと映画化されると思いますよ(笑)。 -
Posted by ブクログ
若くして結婚した二人が旅で様々な出来事に遭遇し、自分のいるべきところを見つけ出すロードムービー物。
かなり面白く読めたが、遭遇するたくさんの奇想天外なエピソードに興醒めすることもあった。やり過ぎじゃないかなと。
それにめげさせずに最後までぐいぐい読ませたのは、ワニ、雄鶏、旦那さん、奥さんの描写が秀逸で、それぞれが物語に欠かせない役割を持っていることにあると思う。
子供だけどいざという時助けてくれたワニ、神のように俯瞰して世界を見ているかのような雄鶏、真面目で誠実でたくましい夫(作者の父)、何より奥さん(作者の母)の生き生きとした描写には、読んでいて何度も笑顔になることができたし、頭の中に色々な場面の情景が何度も浮かんできた。
しょうもないと思う部分は確かにあったが、そのあたりはとても素晴らしいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレラストが、それまでの『ぼく』から『わたし』になっている。けど、これ……英語だと同じなのでは?と思ってしまった。いや。違うのか?うーん。よくわからない。
でも、この最後の訳がすごくいいなと思った。
いくつか女子トイレに入りたいというシーンがある。結局は入らないけれども。
これがよく分からない。ただ『女の子の場所に入って、自分が女の子である』と確かめたいという事にしか見えない。しかし、大半の女性にとって、別にトイレは『自分が女の子と自覚するための場所』ではない。ただの『排泄場所』であり、男性用と分かれていることで『安全に』使える場所であるというだけでしかない。
つまり女性であるという事は『男性への脅威』を常に感じるという事で……別にスカートはきたいとか、三つ編みしたいとかではないんだよな。
たぶん、私がトランスジェンダー……特にトランス女性が理解できないと思うのは、その辺りなのかもなと思った。
女性の服を着たいけど、それが出来ないから色々と工夫する点はいいなと思った。
思春期のこじれていく人間関係とか、新しく結ばれる友情とか、近しいわけじゃないけどそれほど遠いわけでもないみたいな中途半端な距離感とか……そういう繊細な空気感みたいなのは好みだった。
思春期のあれこれと思って読むとそれほど気にならない。ただこれを『トランスジェンダーの話』と思って読むと、細部がもやもやする。
でも作中では誰も『トランスジェンダー』とは言わないし、本人もそうだとは言わない。
ただ『女の子の格好をして、女の子として扱ってほしい男の子』として書かれている。服装に関しては『何も言わない』キャラもいるけど、主人公は『自分がおもちゃになっている』自覚がある。可愛く髪を編んでくれるのも、女の子たちは面白がっているだけだと。
それはそうだな……と思うけど、それは年少の女の子にも同じ対応だと思うので『男の子だから』というものでもない。女の子の側にはそれを楽しむ余裕があるというだけの事。
女子トイレまで入りたいって言ったらドン引きされることがわかっていて、主人公も言わないまま物語が終わる。女子トイレの扱いだけが気持ち悪い。
トイレも大用トイレと女性用は同じ形なのでなぜ『女子トイレ?』
これ、男性用トイレの大用に入って『女性気分を味わう(座って行う)』ではダメなの?
それとも、女子トイレに入れないので女性用トイレの形を知らない……という話だったのだろうか?いや、それはないよね。女性の気分を味わうために服装ではあんなに創意工夫していたのにトイレになると途端に『女子トイレに入る』になるの不思議。
でも、こう書くと差別なのだろうな……。 -
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『ぼくと秘密のメリッサ』も演劇が使われていましたので、イメージがダブってしまいました。
LGBTQテーマの物語。
生まれつき女の子と思っていた男の子。想像の世界で自分の洋服をスカートだと思って過ごしていたが、その空想の力が追いつかないのを感じ始めていた。でもやっぱりスカートに憧れる。女の子の着ている明るい色の服や長い髪にも目がいってしまう。
この話では、主人公グレイソンのありのままを支持する人と、自分の価値観・信念を主張してしまう人もいます。それはきっと、現実の世の中を楽観視せず、それでも勇気を持って自分らしく生きて欲しいというメッセージを送っています。
読んだ皆が、何かしら考えたり印象に残ったりする部分があるだろうと思える物語でした。
自分の性に悩む人に、これで良いのだと力を与え、自分の周りにもグレイソンか、それとも違うタイプの悩んでいる人がいるかもしれないと想像できる。そんな一冊でした。
読みにくくはないですが、小学生には少し長く、どうして?と思うことも多く、しんどいかもしれません。
皆が普通の事として互いを尊重できる世の中になれば、グレイソンばかりでなく、サリー叔母さんやジャック、さらにはライアンも苦しまないのかな?と思いました。 -
Posted by ブクログ
途中、読むのつらかったなぁ
特におばさんがダメ
でもこういうひとは現代の日本にもまだまだたくさんいるのだろうし、当事者が周りにいなかったり知識が足りないこともあって、理解がないよなあ
そもそもこれまで生きてきた価値観の刷り込みによって嫌悪感や拒否反応に繋がるわけだろうけど、宗教上の理由がある場合を除いてむしろ理解ができない…
一歩を踏み出すことは怖いしリスクが伴うし不安だし、人は現状維持を望んでしまうものだけど、でも自分をなかったことにする、見ないふりをする、考えないように感じないようにしたって、主張は湧き上がってくるものなのだろうな
ちかくにそっと寄り添ってくれる人がいるかいないか、環境がそのひとの今後の人生を大きく左右する この本を読んだら、今まであまり理解がなかったひとも、少しは歩み寄ることはできるだろうか いやきっともっと論理的な理詰めの本のほうがいいんだろうな、そういうひとには
自分がマイノリティなんじゃないか?と悩むひとが読んで、少しでも救われるといいんだろうなあ
でもそもそも、これは誰向け?とか少しでも考えているのがおかしいな トランスジェンダーであることに悩む子どもが主役の物語 他の小説でこんなこと考えない 自分でこれはLGBT関連の書籍だ、とカテゴライズしてしまっているのがよくない -
Posted by ブクログ
4歳のとき両親を交通事故で亡くしてから、シカゴで、伯父の家族と暮らす12歳のグレイソンは、鏡の中の自分が日に日に女の子らしさを失っていくことに落胆していた。学校でも孤立している彼は、近くに引っ越してきた転校生のアミリアと親しくなり、一緒に古着屋に行く。しかし、彼が欲しいのは女の子の服だった。アミリアとの仲も長続きしないと落ち込んだ彼は、たまたま演劇の出演者の募集チラシを見てオーディションに申し込むが、チャレンジした役はヒロインのペルセポネ役だった。素晴らしい演技をした彼に、先生はペルセポネ役を与えるが、伯母やその子どもジャックの大反対、学校内のいじめに遭う。
自分は女の子だと思う少年(少女?)が、周りの反応に怯えつつ、理解者を得て、少しずつ自己表現する勇気を持っていく物語。
*******ここからはネタバレ*******
冒頭から、女の子に憧れるグレイソンの気持ちが溢れていて、胸が痛くなります。
普通の家庭にいても自分が見かけの性に違和感を持っていることを告白するのは非常に勇気がいることだと思えるのに、それが伯父夫婦で、同じ年頃の男の子がいるなんて、どんなに息苦しいことでしょう。
最後は、自分の着たい服を着る選択をした彼。でも、どっちのトイレに入るのか?という問題も残っていて、この先にも壁があることが暗示される。
自らの性に違和感を持つ思春期の心情を細やかに表現している作品ですが、納得できないところも多々あります。
2年生まで親しかったエマは、前半の思い出の中でしか語られていず、具体的に何があったのか不明で、消化不良感が残ります。
最初に親しくなったアミリアとは、古着屋に行って、女の子の服を着たグレイソンの姿を見てから疎遠になったが、その後もそのままだ。彼女は、グレイソンを理解するキーパーソンになりそうだったのに、後半はその他大勢になってしまった。
グレイソンの理解者フィン先生も不可解。ゲイとの噂もあるらしいが、それについては言及されていない。グレイソンをヒロイン役に抜擢したことで退職させられたと言われていたが、これについてもちゃんと説明されていない。先生が、自分の希望で退職するのであれば、校長が、先生とグレイソンが1対1で話をするのを禁じる理由がないと思うのだが。
伯父の長男ジャックは、昔は優しかったのが、今はいじめっ子だ。この変容の理由にも触れられていない。
ジャックの弟のブレットがいい味出してます。ペルセポネ役のことで家庭内で揉めているとき「なんでグレイソンがペルセポネをやっちゃいけないの?だって、劇は劇じゃないの?」
クラスメートや演劇仲間など登場人物は多いが、そのほとんどとはあまり密接に関わりがない。名前が多い分だけ、追うのに疲れる。
でもきっと、こういう方が現実的なのでしょうね。
グレイソンの語りとして描かれている物語だが、最後に「わたし」というまでずっと一人称は「ぼく」だった。彼の用いる言葉も、ほぼジェンダーレスで女言葉は使われていない。「ぼくは女の子だ」と行った具合に。これは訳者の意図なのか?
表紙の絵が可愛らしすぎて、日に日に女の子を失いつつある悲しみからは程遠く感じます。
物語と言う面からはちょっと不満が残る作品ですが、グレイソンの苦悩はよくわかりました。
いろいろな気持ちを持つ人たちに優しい社会を作っていけたらいいなと思える作品です。
表現は平易なので、内容を理解できるのなら、中学年からでもイケます。