クライマックスには演劇のシーン。主役のペルセポネを演じるグレイソン。
この本のストーリー構成から、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を連想した。
フレディ・マーキュリーの半生が描かれた後、クライマックスのライブエイドのステージで「エィヨ、イーヨ、オールライト!」と観客にコールするフレディ。「ありのまま
...続きを読む」に生きようとフレディが宣言するかのような名シーンだと思う。
グレイソンにとって、ライトの光が当たる学校の舞台に、ペルセポネとして黄金色のドレスを着て観客の前に現われたときも、同じような心境だったのかもしれない。
グレイソンもフレディも、「ありのまま」であり続けるための悩みや葛藤を多く経験し、そして舞台に立って多くの人の前で、自分が望む姿や生き方であり続けることを“宣言”した。
日常で異質とみられているものこそが、自分自身の自然体だと表明する場面に、舞台という“非日常”が効果的に使われ、異質から自然体への劇的な変換を演出している。
ただしロックスターとして日々非日常を生きていたフレディと違い、グレイソンは12才の少年にすぎない。舞台を降りれば再び日常に覆われてしまう。だけどグレイソンは非日常から日常に戻っても「ありのまま」でいたいという望みをかなえるため、ある一歩を踏み出そうとする。そこまでこの本では描かれている。
私たちが暮らす日常では、男の子が女の子の服装をすることはまだ一般的には許容されていない。この作品では、まるで微細なカメラワークによって細やかに記録して繋げ合わせた映像作品のような丁寧な描写が印象的だ。だから読者はグレイソンの心理を違和感なくgraceful(=優美)だと自然に感じられるような仕掛けになっている。
それと、「まめふく」さんが描いた表紙の絵が素晴らしい。グレイソンの心のうちに隠された憧れをビジュアル化した構図がとてもよい。ちなみに裏表紙のイラストもいい。紙の本の表紙を前にして自分の本棚に飾るのも悪くない。