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Posted by ブクログ
自分は立場や年齢的にサリーおばさんが一番近い立場なんだけど。この本の登場人物の中でサリーおばさんが一番理解できなかった。
「どうしてこんなにもグレイソンを否定するんだろう?」「なぜ、グレイソンのチクチクしている気持ちに気がつかないのだろう?」「自分の価値観を押し付けて振り回し、グレイソンの世界をメチャクチャにするのはなぜ?しかも、PTAを巻き込むとか。この行動力なんなの?」と。わからない事だらけで。
なので、まあ、サリーの立場とサリーを俯瞰した視点で考えてみたんですが。
サリーは「グレイソンが否定的な目で見られることはかわいそう」と言っていますが、サリーの一番の不安は「否定的な目で見られるグレイソンの保護者である私がかわいそう、だし、私が周りからどう思われるか怖い」が正直なところだと思う。つまり、自分がつらい立場に立ちたくない。それは、グレイソンがつらい思いをしている現状よりも未来につらい立場に立つ可能性がある自分の方が大事ってこと。(注目したいのは、現在つらいのはグレイソンだけであって、サリー自身は現在つらくはなく、劇が行われる未来に向かって可能性がある というだけ。しかも、自己中心的な自分の思いに気がついていない。)
まあ、子育てをしている母親にはありがちな「転ぶ前から転ぶよ!気つけて!を連呼する」(この声かけ謎すぎる)「石橋を叩いて叩いて、叩き割ってどこにも行けなくなる」てな感じの。視野が狭く、自身の保身の為になら周りの気持ちなどお構いなしに発言し行動する人のすごさを感じました。
グレイソンがいままでも、これからも、たたかっていかなければいけないのは。こんな、自己中心的で視野の狭い人なんだろうなぁと思いました。
Posted by ブクログ
クライマックスには演劇のシーン。主役のペルセポネを演じるグレイソン。
この本のストーリー構成から、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を連想した。
フレディ・マーキュリーの半生が描かれた後、クライマックスのライブエイドのステージで「エィヨ、イーヨ、オールライト!」と観客にコールするフレディ。「ありのまま」に生きようとフレディが宣言するかのような名シーンだと思う。
グレイソンにとって、ライトの光が当たる学校の舞台に、ペルセポネとして黄金色のドレスを着て観客の前に現われたときも、同じような心境だったのかもしれない。
グレイソンもフレディも、「ありのまま」であり続けるための悩みや葛藤を多く経験し、そして舞台に立って多くの人の前で、自分が望む姿や生き方であり続けることを“宣言”した。
日常で異質とみられているものこそが、自分自身の自然体だと表明する場面に、舞台という“非日常”が効果的に使われ、異質から自然体への劇的な変換を演出している。
ただしロックスターとして日々非日常を生きていたフレディと違い、グレイソンは12才の少年にすぎない。舞台を降りれば再び日常に覆われてしまう。だけどグレイソンは非日常から日常に戻っても「ありのまま」でいたいという望みをかなえるため、ある一歩を踏み出そうとする。そこまでこの本では描かれている。
私たちが暮らす日常では、男の子が女の子の服装をすることはまだ一般的には許容されていない。この作品では、まるで微細なカメラワークによって細やかに記録して繋げ合わせた映像作品のような丁寧な描写が印象的だ。だから読者はグレイソンの心理を違和感なくgraceful(=優美)だと自然に感じられるような仕掛けになっている。
それと、「まめふく」さんが描いた表紙の絵が素晴らしい。グレイソンの心のうちに隠された憧れをビジュアル化した構図がとてもよい。ちなみに裏表紙のイラストもいい。紙の本の表紙を前にして自分の本棚に飾るのも悪くない。
Posted by ブクログ
子どもが借りた本。表紙の絵とタイトルに惹かれて手に取った。
これは、トランスジェンダーと思われる12歳の少年の目線で、彼の学校での日々や心に降り積もる思いが書かれた物語だ。
日本では、多感な中高生時代にLGBTの当事者がカミングアウトするということは、ほとんどないだろう。その多くはきっと誰にも心の内を話せないまま、自分にも周りにも違和感を抱えながら学校という狭い枠の中で苦しい毎日を過ごしているのだと思う。
主人公のグレイソンは、一番の理解者であったはずの両親を幼い頃に亡くしており、心の支えがない中なんとか周囲に怪しまれないように、自分を殺して通学している。しかし、あるきっかけにより、校内の演劇活動の女神の役のオーディションを受けることを決意する。そして本当の自分になる勇気を演劇を通して育てていく。
アメリカのシカゴが舞台だが、アメリカでもこうなのか(ある意味日本より保守的なのかもしれないが)、と思う。日本でも、LGBTと呼ばれる少数派の人たちが注目され、その法的権利を守る活動などが盛んになってきている。私の務め先でもNPOによる生徒、職員それぞれに向けた講演があったが、このような小説が身近になることで、より当事者に寄り添うことができるようになるのではないかと思う。
先日読んだ、夏川草介さんの本にもあったが、本は、様々な人の生き方や考え方に触れることができる、それは人を思う気持ちを育ててくれることでもある。2019.8.18
Posted by ブクログ
グレイソンは、頭の中で、自分はスカートを履いている、と思っている。
落書きした絵も、頭の中で補完して、お姫様だと思っている。
でも、現実は、「僕」は「男の子」で、履いているのはバスケの短パンとTシャツ。
そんなグレイソンが、学校演劇に出ることになった。
ペルセポネ、つまり、女性の役で。
指導してくれるフィン先生は始めこそ少し驚いていたが、グレイソンの心を見透かしたかのように、今まで通り、でもグレイソンを尊重してくれた。
とても良い先生に出会えた。
けれども、現実はそんなに良い人ばかりではない。
焦る叔母夫婦、亡くなった母親のこと、友達との関係。
いろいろな問題が山積み。
だが、グレイソンは勇気を出した。支えてくれる人たちと一緒に。
私には当事者たちの気持ちはわからない。
だが、当たり前と思われたことを壊すのはとても怖いことは知っている。
今度新しくなる制服の帽子を、女性用ではなく男性用を選んだだけでも心が揺らいだのだ。
「え?女なのに?もしかして?」と思われるのが怖くて。
みんなが「女性用」だった形を選んでいるだろうから。
全然別の理由でも、いろいろ言われるかもしれない。
それを完全に無視できるほど私の心は強くない。
でも、それが何?
私は私、と言えるのならば、どんなに楽だろう。
どんなに晴れやかになれるだろう。
本書はLGBTQの人はもちろん、「私は私」と言いたいすべての人に捧げる物語だ。
自分を受け入れられたら、他人も受け入れられる。
それが結局は、win-winの世界、生きやすい社会につながるのだ。
Posted by ブクログ
「ジョージと秘密のメリッサ」で初めてLGBTをメインテーマにした児童書を読んで、これが2冊目です。
ジョージを読んだ時も思ったけど、LGBTについて子どもたちがどう受け止めるのか、こういう本がないとなかなか考える機会がないので、大人にとっても子どもにとっても、とても良い本だなと思いました。
ジョージが小学生の高学年向け、こちらの本は中高生向けかなと思いました。
ジョージでは悩みながらも、周りに理解者が多く出てきて、読むと勇気を持てるような優しい物語でした。
でもこの本はもう少し複雑。優しいだけじゃない世間が出てきます。
自分がどうしたいのか葛藤する様子や、なかなか周りに理解されない苦しみの他、どう向き合えば良いか悩む大人たちの姿も丁寧に描かれていて、色々考えさせられました。
表紙が可愛くて手に取りましたが、読んでみて良かったです。
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