あらすじ
広大な版図を誇り、平和と安定を享受した五賢帝時代。その掉尾を飾り、「哲人皇帝」としても名高いマルクス・アウレリウスの治世は、配慮と協調を尊んだことで、後世からも高い評価を得てきた。しかし、その彼の時代に、ローマ帝国衰亡への序曲が始まっていたのだとしたら……? 現代にも通じる鋭い洞察に裏打ちされた、一級の指導者論。 ※当電子版は単行本第XI巻(新潮文庫第29、30、31巻)と同じ内容です。
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Posted by ブクログ
塩野七海のライフワークとも言える15年をかけたローマ人の物語のうちの11巻が本作「終わりの始まり」になる。取り上げるのは、五賢帝最後の皇帝であるマルクス・アウレリウスから息子のコンモドゥスそして、内乱を経ての軍人皇帝セプティミウス・セウェルスまでだ。
本作における作者の問題意識はかなり明確で、5賢帝の後に訪れるローマ帝国の衰退は、実はマルクス・アウレリウスの時代に始まったのではないかというものだ。
彼女の描く『ローマ人の物語』は、経営者層をはじめとして、いわゆるおっさんたちに大ヒットをしたことでよく知られている。一方で、学会からは歴史の描写が不適切であるとか、勉強が不十分であるといった批判が多く寄せられている。
彼女の本を長年読んでいる自分からすると、彼女の作品は歴史を正しく伝える教科書ではなく、彼女が取り上げたいと抱えた人間を中心とした「男の生き方」を描くものが多い。もちろん彼女の作品には女性も出てくるのだが、何せ取り上げる対象が古代だったり中世だったりするので、主要なキャラクターが男性になってしまうのは仕方がない。
そういう補助線を引いておくと、本作での問題意識というのは結局のところ「統治者は現場情報なしで統治が可能なのか?」という問題意識だったのだろうと想像がつく。そしてこのように問題を定めれば、これは現代の組織の問題に対しても応用が可能だ。そしてこの問いに対する答え、少なくとも塩野七生の答えは、現地経験こそ統治においては必要不可欠であるというものだ。
その観点で言うと、マルクス・アウレリウスは皇帝になった段階では、十分な統治をなすだけの経験がなかったと言える。しかしその皇帝統治期間の後半が、現ドイツの防衛線に張り付き、最終的にはその地で没したことからもわかるとおり、自らが足りなかった経験を埋め合わせるための努力をしたことは十分にわかる。そもそも彼の現地経験が足りないのは、彼のせいではなく、彼の先帝となるアントニオ・ピウスがローマにて統治をすることを好み、またそこで十分だったことが挙げられる。
また、彼の後に皇帝を継いだコンモドゥスにより帝国は大きく揺らぐことになるのだが、これも自らの子供が一人しかいないというところにおいては、選択肢を取ることができず、彼のせいであると言い切ることには難しい。そもそも14人の子供がいたにもかかわらず、男子が一人しか生まれなかったのは、帝国においても不運だったとしか言いようがない。
そう考えると、この『終わりの始まり』という巻は、人間がどれほどその現場で努力しようとも大きな流れが傾いた時には、立て直すことができないということを示し始めた一冊目ということで、少しずつ暗いトーンがこの物語を覆い始めたのを実感してしまうのだった。
新ローマ帝国衰亡史
一部ご紹介します。
・内戦は悲劇である。これさえ起こらなければ国家という「共同体」に貢献できた多くの有能な人材が、ただ単に敗者になったというだけで消されてしまうのだから。内戦とは、自分で自分の肉体を傷つけ、自らの血を流すことなのだ。出血多量は、死に至らなかったとしても、体力の減退は避けられない。
・一般の人より強大な権力を与えられている指導者の存在意義は、いつかは訪れる雨の日のために、人々の使える傘を用意しておくことにある。
・思考も筋肉と同じように絶えざる鍛練を必要とする。思考も使わないとカンが鈍ってくる。
・戦略が確立していないと、戦争の長期化に繋がりやすい。戦争は、攻められる側だけでなく、攻める側にとっても悪である。従って、早く終わらせることが何よりもの「善」となる。
・哲学は、正しい生き方は教えても、人間社会の現実までは教えてくれない。それを教えてくれるのは歴史。
・書物と違って映画では背後関係の詳細な解説は許されない。映像は、文章では表現困難な事柄まで一瞬のうちに伝達する力を持っているが、伝え得る情報の質と量になると、映像よりも文章の方が断じて優れている。
・善意は必ずしも良い結果に繋がらない。
・セプティミウス・セヴェルス「わたしは全てをやった。元老院議員でもあった。弁護士もやった。執政官も務めた。大隊長もやった。将軍でもあった。そして、皇帝もやったのだ。つまりは、国家の要職は全て経験し、しかも充分に勤めあげたという自信ならばある。だが、今になってみると、その全てが無駄であったようだ。」
Posted by ブクログ
五賢帝の最後を飾るマルクス・アウレリウス。しかし、著者はハドリヤヌス、アントニヌス・ピウスの時代に遡ってとき始める。なぜマルクス帝の時代にローマが没落し始めるのか、それは彼の息子が愚帝であったためだけなのか、マルクスの時代がハドリヤヌス、ピウスの時代とどのように異なるのか、詳しく書いており納得性に富みます。そしてなぜ哲人皇帝が後継者に失敗したのか、やはり息子への偏愛に眼が曇ったのか?著者の説明はこれまでの常識に対して挑戦するように、ピウスに厳しかったり、マルクスの悩みに焦点を当てたりと極めて飽きさせない推理に富んだ素晴らしい歴史でした。映画「グラディエーター」をこの執筆のために何度も見たということ。私自身も見たことがあり、あの戦争シーンについて「確かにあのような戦争だったのかも知れない」という説明に頷けます。