【感想・ネタバレ】悪名高き皇帝たち──ローマ人の物語[電子版]VIIのレビュー

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経験と理性

一部ご紹介します。
・偽善とは、演技をすること。フリをすること。
・全てを所有する人にとっての最大の恐怖は、現に所有しているものを失うことである。
・最も有効な外交は、軍事力を使って脅したあとで握手をすることだ。なぜなら、人間とは、理(ことわり)によって眼を覚ます場合は少ないのに、武力を突きつけられれば眼を覚ますものだからだ。
・システムとは、現状に適応するように修理修復さるべきものである。それを怠ればシステム自体に疲労をもたらし、終には崩壊する。それは、長期的に見て大変に非経済的なことである。機能性の不断の追求は、持てる力の効率的な活用の巧みさによって、はじめて可能となる。
・組織とは、いかに良く作られていても、それを機能させるのはやはり人間なのである。
・不確かなことは運命の支配する領域。確かなことは、法という人間の技の管轄。
・「改革」よりも「手直し」とする方が妥当と思われるようなことであろうと、定めただけでは充分ではなく、定めたことがどう実施されているかを監視し、その成り行き次第ではさらなる「手直し」を加える必要がある。そこまでやってはじめて成果を期待できる。
・歴史に関心を持つことは「人間性」に関心を持つということに他ならない。更に、自分を含めた個々の人間の独創力に全面的な信用を置かないことでもある。換言すれば、「歴史は人間たちが創る」と思う立場でもある。だからこそ、先人たちの示してくれた例を参考にするのにも抵抗を感じないのである。
・書物から得た知識は、現実とのつき合わせを経て、つまり経験を通してはじめて認識になり得る。何が重要かを理解できるようになる。
・旅とは、情報を得るよりも、現地を自分の眼で見て、空気を吸い、それによって土地鑑を養うのに役立つ。
・旅は未知との遭遇である。必ず予定外の事に遭遇する。
・反体制は、ただ反対するだけでは自己消耗してしまう。それを防ぐには、現体制にとって代わりうる新体制を提案しなければならない。これをやってこそ、反体制として積極的な意味を持つことができる。

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2022年09月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この第七巻の副題が「悪名高き皇帝たち」となっている。 よく聞かれるのは暴君ネロなどであるが、実際にどのようなものであったのだろうか。

まずはティベリウスであるが、最終的にはローマ市民には不評であった皇帝であるが、市民に人気はないが、政治の中身はアウグストゥスの意思をひたすら受け継いでいくというものであった。

カプリに隠遁して文書のみでの支持というのが不評の原因であるが、現代でもマスメディアに顔を出しているほうが人気があり、票が集まるもの同様である。

つづいてのカリグラはアウグストゥスの血のつながりだけで皇位についたようなもので、金銭感覚がなく、外交に関しても経験不足であった。

今でいうところの二世政治家といったところか。
元老院は即位直後にすべての権限を授与したことが問題であろう。 抑止力がなくなってしまった。

結局、カリグラはもっとも身近な近衛軍団大隊長に暗殺されるが、この暗殺を実行した者がカリグラ憎しというよりは、著者のいうところの「不肖の息子を殺す父親の気持ち」で、と私も考える。

そして四代目の皇帝クラウディウスの登場であるが、無理やり担がされた感のある彼だが、歴史を学び続けてきた彼ならではの政治は、ローマ帝国を盤石なものにしたのではないだろうか。

庶民からは敬意を払われることはあまりなかったようだが、カエサル、アウグストゥスの考えたローマ帝国を作ったのは彼ではなかったか。

残念なことにメッサリーナ、アグリッピーナという欲望のかたまりのような女を妻に迎えたこと、政治以外の疎すぎたことが彼の人気がなかった要因であろうが、私個人的には好きな皇帝である。

そしてこの巻最後に登場するのが暴君で名の知れたネロ。

母・アグリッピーナの欲望のために16歳にして皇帝にさせられた、という感じの彼である。
いくら古代といえども16歳では遊びたい盛りであったろう。
それに軍事・政治経験もなし。

側近として優秀な人材がいたにしろ、あの広大なローマ帝国の皇帝をやるにはすべてにおいて幼すぎたのではないか?

結局は、母、妻を殺し、有名なキリスト教へ罪をかぶせての虐殺と悪いイメージばかりであるが、彼ならではの奇抜な発想は、今までの皇帝にはなく、現代のわれわれには好感のもてる部分も多かったように思う。

しかし、古代ローマでは皇帝は市民の「安全」と「食」を維持するものと考えられていたわけで、皇帝の座を他者に譲って・・・というわけにはいかなかったか。

しかしネロ=暴君というイメージは多少変わった。
若気の至りという感じさえある。

ここまで来るとローマ帝国のイメージもずいぶんと変わってきた。
寡頭政と君主制。 やはりどちらがいいのかは難しい問題であることは変わりはないが。

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2012年11月20日

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