あらすじ
だれもが必要とされる組織へ――真の「共創」への道を示す
集団での活動を通じて人は、しばしば個人では到底至らないような優れた知恵を発揮することがある。互いに耳を傾け、考えや思いを共有し、連帯を深める中で生まれる「集合知」。それを生み出すことができたとき、チームや組織は大きく前進する。だが一方で、人は集団になると傲慢になったり、不毛な対立を始めたりしがちなのも事実だ。この「衆愚の罠」に陥ることを避け、「集合知」を生み出すにはどうすればいいのだろうか? 本書は、企業改革、開発援助、スポーツ、医療、文芸、政治、宗教、文化人類学など、極めて多岐にわたるエピソードや知見をもとに「集合知」の謎を探究する。その中で見えてくるのは、だれもが互いに支えられ、互いに必要とされる集団の在り方だ。人と人とは切り離されて別個に存在しているのではない。――普遍的な人間性に目を向けて語られた味わい深い組織論。
人々の間の相互作用から生み出される優れた洞察、「集合知」。奇跡のような瞬間と、人と関わる喜びを伴うこの「知」は、「知らない」ことを受け入れることから始まる……。人はなぜ支え合うのか。集団に潜む罠をいかに回避するか。組織と学習の在り方を根本から問い直し、知と人間の本質を探究する一冊。
「集合知とは、集団やコミュニティ内での相互作用を通じて獲得される知識や洞察のことだ。さらに掘り下げて考えるならば、そこにあるのは人と人との“生きた結びつき”であり、地域や組織や世界における“頼り合い”である」(本文より)
「“知らない”ということこそが強みであり、表面的な答えを出す力よりも問う力のほうが大切であり、想像力とコミットメント、忍耐力、そして心を開き互いに信頼する力のほうが、長い目で見れば単なる“頭の良さ”に勝るのだ」――ピーター・センゲ(「序文」より)
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Posted by ブクログ
「対話」関係の本。
最近、本当に沢山ある「対話」の本で、何か新しいことが書いてあるわけではない。
手法的な新しさはほとんどない。
どちらかと言えば、思想的というか、集合知と衆愚がどのようにして生じるかといういうことが中心かな?
という話しは、実は「U理論」で、思想的に、これでもか、というまで深められているので、そういう意味でも新しくはないかな?
「U理論」が難しすぎるので、その「対話」に関する部分を実例を踏まえながら、比較的分かりやすく説明してある、ということかな。
とかなり客観的なコメントではあるが、これだけ同じような本があるなかで、直球勝負で、かなり読ませてしまうところは、著者たちの長年の「対話」活動の実践からくるものであろう。
一読の価値はある。
Posted by ブクログ
集合知を生み出すには、対話と傾聴が必要。
一方、自分が正しいと主張を譲らなければ衆愚となる。衆愚を生み出すのは何も構成メンバーの能力が低いからではない。
Posted by ブクログ
集合知は魔法の薬だと考えてみよう。
一口、口に含むと、私たちは意識と認知の変化を体験する。
問題にとらわれたり、小さく分割して考えたりするのではなく、その結びつきと複雑さに気づく。見えているものが全体像とは限らないと理解する。多くの情報に目を向けるようになり、同時に、他者の視点に好奇心を持てるようになる。
集合知の薬を二口飲めば、これまでとは異なる形で身体を意識するようになる。頭だけを働かせて問題を解決したり、交渉したりするのではなく、心と直感に耳を澄ませ、身体のさまざまな部分からわきあがる感覚のシンフォニーに気づく。恥ずかしさ、プライド、愛情、怒りといった感情の繊細さ、複雑さが見えてくる。
三口飲めば、聞く力が変わる。声や雰囲気を察する力が強まる。人の声音に言葉と同じゆたかな意味が感じられ、言葉は詩のような響きを放つ。アイデア、思想、感覚、恐れ、憧れの連なりが聞こえてくる。真っ白な雪にもいろいろな姿があるように、沈黙も多様な形をなし、それぞれ深みをはらむようになある。
四口目。孤立からは何も生まれないが、何らかの秩序やパターンがあれば、そこには行動を起こすための意味と意義が生じている。一長一短にとらわれ続け、最終的に外から答えがもたらされるような判断プロセスでなく、集団の中にこそ気づきが生じる。
最後の一口。強い確信がたちのぼる。-人と人は切り離されて別個に存在しているのではなく、大切な目的のためには全員の力が必要とされるのだ、と。
(以上引用。終章「誰もが必要とされている」P239-P240)
最近の自己成長や組織変革に関する理論って、ユング心理学や東洋哲学がベースになっているものが多いね。
Posted by ブクログ
集合知の力と衆愚の罠というソーシャル時代にふさわしいタイトルととてもよさげな装丁に惹かれて購入。
みんなの意見は案外正しいなど、Web2.0以降のインタラクティブなインターネット空間には様々な情報が転がっている。
大枠で見れば正しいのかもしれないが、なかなかそうではないケースや、そもそもカオス状態になり集約できない場合もあるだろう。
そういう見解を得たくて読んでみた。
本書を読んで思ったのが、「衆愚」について。
このワードの具体例は「空気」で語られるように、過去の日本の戦争の事例などがあげられる。山本七平の空気の研究よろしくだ。
つまり、民衆の総意は得られたが、そもそものベクトルに問題があるということである。
これは一概には言えないが、なかなか防ぐことは難しい。
そうである事実をまずは客観的に捉え、その上で慎重に対応せねばならないからだ。
最近twitterのTLで情弱やらバカ発見器だのといった発言もあるが、
こういった要素も少なからず含むだろう。
最後に、本文の一部を引用してしめよう。
"集合知とは、集団やコミュニティ内での相互作用を通じて獲得される知識や洞察のことだ。さらに掘り下げて考えるならば、そこにあるのは人と人との「生きた結びつき」であり、地域や組織や世界における「頼り合い」である"
内容よかったんだけど、読み進めにくかったので、星は4つで。
目次
序章 集合と知が変化を生む
第1章 集合知とは何か
第2章 集合知の出現を促すには
第3章 異なる世界観を生きる
第4章 集団を愚かにするもの
第5章 極性化した集団の悲劇
第6章 合意の幻想
第7章 無限の共創力
第8章 集合知を呼ぶ意識
終章 誰もが必要とされている
Posted by ブクログ
未曾有の危機である。このような有事の際には、強いリーダーシップの必要性を感じる一方で、強すぎるリーダーシップには警戒心を払わなければならないのではないかとも思う。「悪魔は救世主の顔をしてやってくる」とは、よく言ったものだ。むしろ今、必要とされるのは、有能なファシリテーターの方であろう。例えそれが小さな集団の中での出来事であろうとも、ファシリテーターの間接的な関与によって形成された連帯感や共有感覚こそが、集合知を開花させ、通常では為しえないパワーを生み出す。本書はその「集合知」をテーマに描かれた一冊であり、今まさに読むべき一冊でもある。
集団から生まれる大きな力も、一歩間違えると衆愚の罠へと陥る。愚行が生じる危険性を察知するには、二つの大きな動きに注目するとよいそうだ。一つは「分断と細分化」という動きである。認知科学で「確証バイアス」と呼ばれるこの行動は、既存の先入観を裏付ける形で情報を求め、自分が知るものと違うものは、すべて「身内でない」「私には関係ない」と排除してしまうことを指す。もう一つは「いつわりの合意、見せかけの団結」という動きである。集団が沈黙と服従を選び、その結果として現実の正確な理解に結びつくデータや視点の検討を避けてしまうことを意味する。
それでは、いったい集合知はどのような状況で出現するのか、具体的には以下のようなステップである。
◆集合知の出現を促すためには
①傾聴する
その集団の中で何がほんとうに起きているのか好奇心を持つ行為。ただ単に聞く・記憶するのとは異なり、他者と真の意味で対峙する。
②確信を保留する
個人や集団が「わからない」という事実を認めることができれば、その先を行くひらめきが生じる可能性ははるかに高まる。皆で何かを生み出せるかどうかは、個人または小集団の「自分はつねに正しい」という意識を保留できるかどうかにかかっているのだ。
③システム全体を見る、多様な視点を求める
注意の対象を個人から集団へとシフトする。情報はすべて貴重だ。そしてどんな情報も単独ではなく、全体の一部として存在している。
④他者への敬意を持ち、差異を識別する
意見の相違を新たな学びの機会と捉えること。そして、集団に差異を識別する力があれば、新しい考えや、可能性に対する新しいイメージの出現を許すことができる。
⑤生じるものすべてを歓迎する
歓迎のスタンスとは、「異なるニーズを理解し、差異に敬意を払い、共通の人間性を喜ぶ」、これを意識することである。
⑥「大いなるもの」に対する信頼
大いなるものへの信頼とは、人の旅路が刻まれる自然の世界そのものを、広く視野に入れようとすることだ。その信頼があれば、足元が不確かな状況でも揺るがされない。
ボストン・フィルハーモニーの指揮者ベン・ザンダーは、ある時ネルソン・マンデラをシンフォニーに例えたそうである。昔ながらの上から下への統率ではなく、すべての声を響かせることを重視していたからである。ネルソン・マンデラの周囲の人々は、自分自身からわきおこる感覚のシンフォニーに気づき、秩序を理解しようとする努力し、それがやがて全体に広がっていったのだろう。
「基本的な安全の確保」という条件のもと、人は他者と結び付き、相手を認識し、相手の才能に敬意を払うことができる。安全という基本的希求が満たされない場合には、いくら専門知識があっても、全体を構成する身体、認知、精神、真理を組み合わせることができず、自閉症患者の脳のような働きを示してしまうという。
安全という当たり前のはずのものが、当たり前でなくなった今、我々は衆愚の罠に陥りやすい状況下にある。しかし、せめてコミュニケーションを行う際の「安全」だけでも、もう少し確保できないものだろうか。ここ数日、マスコミやTwitterで、少し理解に苦しむやり取りを見かける。相手の意見に耳を傾け、自分が絶対とは思わず、差異を認識しながらも、相手への敬意は失わない。差異を認識することと、その差異を攻撃することは大きく違う。
直接的に被災を受けなかったり、支援に関わっていないマジョリティ達が、どのような振る舞いを行うのか、今後の再建に向けてその担う役割は大きい。
Posted by ブクログ
アメリカの面白さは、ひとえに政治経済のメインストリームに対してのカウンター・カルチャーであるような気がする。それは親子や男女、人種の問題などにも置き換えられるだろう。
カール・ロジャーズの思想などもそういう土壌に育ったものではないだろうか。本書をよみながら彼のエンカウンター・グループに思いを致すのは自然ななりゆきだった。
つまるところ、理想と現実、理想対理想、現実対現実というあらゆる個人、集団、社会がはらむ対立軸にどうむきあってゆくかが問題の根源と捉えることはそうあやまってもいないと思われ、そのためのアメリカは格好のテキストたるのかもしれない。
自己を捨てよ、そして自己を語れ。