あらすじ
斬新な発想に視界がクリアになる
人気作家の書下ろしエッセィ。
思いついたことを話すと、「それ、書いちゃ駄目だよ」と言われる/
「自分との戦い」って何なの? そういうものが本当にあるわけ?/
ロシアがウクライナに侵攻したときに僕が思ったこと/
世間知らずのままでいたいし、誰かの友達になりたいと思ったことは一度もない/
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
森さんの著書はもう長く読んでいるので、どういう考え方の方だか分かっているつもりなので、どんなことが書いてあっても、読んでいて嫌だなと思うような感情は起こらず、むしろ襟を正さなくちゃ、みたいに感じるか、同感って思うか、どちらかのことが多い。今回は戦争のことや、コロナ関連の内容も多かった。スバルさん登場回数多めで微笑ましい。
Posted by ブクログ
クリームシリーズ11作目。100個のつぶやきが規定のレイアウトに収まるエッセィです。
「このクリームシリーズの百のエッセィには、抽象的かつ教訓的なテーマ、森博嗣の近況、言葉の意味や語源について、最近の社会動静、などがごった煮になっている。」と書かれている通り。笑
言葉についての考察が面白いですし、「妻は学びの宝庫」という土屋賢二先生の帯のコピィに然り「僕は奥様に育てられた」とあり、通称スバルさん(奥様のこと)の登場するエッセィも好きです。笑
「MTK=モリ・タイヤ・コーカン」にもほっこり。笑
社会に対する独自の見かたも、まとまった字数に収められた言葉に学びがあります。
隙間時間に、どの巻からでも、気軽に手に取って読めるシリーズです。装丁も可愛いらしいです。
Posted by ブクログ
ドライなという印象を受けざるを得ないが
もしかしたらこんなん全部嘘で、ほんとは奥様らぶの超絶腰低社交マンなのかも、とか無駄な想像をさせてくれるエッセイ
Posted by ブクログ
サラっと読めて、新しい知見が得られるのが森エッセイの魅力。
海外ではMacが文系、Winが理系という立ち位置はなるほどと思った。
役所からの手紙の話はよくわかる笑
単語の意味はわかるけど、くっついた時とか、それが何を指すのか、どの条件なのか、自分は当てはまっているのかが全然わからない。
スバル氏のキャラも相変わらずで面白い。イメージが簡単に湧くのが親しみやすいところ。
クリームシリーズは小説以外だと1番好きだからぜひ続いてほしい。
つづく。
Posted by ブクログ
森博嗣のエッセイを読むのは前作のものから2冊め。
なにより読みやすくすっきりしている点と、物事に対面する視点、姿勢が興味深いシリーズです。
話の全部に納得がいくわけではないけれど、「そういう見方もあるのか」という発見が面白いです。
専門的な視点から現実の出来事を冷静に見据えている作者の姿に、少し気持ちが楽になるような感じもあります。
現代に生きる仙人的な発想という感じ。
Posted by ブクログ
普遍的なテーマから趣味的なもの、時事的なものなど様々なテーマが集まったエッセイなので、読み手によって気付きや感じ方がかなり異なりそう。
自分は「痛いところ突くなー」という感じ。自戒できて良い。解説にもあった言葉だが、「拍案の個所しばしば…」というやつだ。
Posted by ブクログ
進化なのか退化なのか?分からないのだが、テレワークの方が効率的だという人たちがいる。対面でコミュニケーションをとるよりも空間を共有しなくても、言葉、意思が通じればそれで十分ではないかと。同じ空間で息遣いを感じることなく言いたいことが相互に伝われば良いのではないかと。
私はそれは本当のコミュニケーションではないと感じている。AIに関しても人間が本来感じるはずの息遣いが分からないではないか?人間は生物、動物だと思っている。機械ではない。五感、いや六感を全て繰り出して感じ合うものだと思っている。
森さんを含め、その違いへのこだわりの違いは文系と理系の違いだという人がいる。気持ちは分からないではないけれど、どちらの方が良いのだろう?私はin personの方が良い。
森さんはここで言う理系の人。自らそう述べておられるが、私は一般的にいう理系・文系にあまり違いはないように思える。もちろん個人個人で考え方やものの見方に違いはあるけれど、基本的な思考の過程は文系・理系で分かれるものではないと思っている。大学を出るときに、あるいは社会に出てからの学びによって専門的な知識や技術は異なることは事実だけれど。
今回のエッセイは森さんの作品の三冊目。初めに読ませていただいた「F」が衝撃だった。ほぼ同じ世代であるだけに作品の背景を含めて全てを理解できたと思っていた。面白かった。鮮烈な刺激を受けた。
今回、森さんのエッセイを初めて読ませていただいた。何となく、金銭的に餓えることなく引退モードに入って、というかそれを言い訳にして少し引いているような感じがした。
しかし、なるほど!と森さんの考え方に納得することが多かった。さすがです。
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今までよりも切れ味がなくなってきているように感じた。ただ、論理的思考は相変わらず端々に滲み出ている。毎年1冊は必ずエッセイが読めて、1年を振り返る機会になるのでよい。
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森博嗣氏の年いちのエッセイ集。
コロナ後に何かを感じたのか、少し変化した日本という国、世界を、理系的な独特の視点とシニカルな表現で綴る。
聖火リレーが近所に来たら、見に行ってしまう。これって、いった人に限ってスマホで撮っているので、実際に見たということは何が定義するのだろう。相変わらずの森さん節である。「○がしたいんだけれど、△なのでできない」と言うのは、△が理由になっていて、○が不可能な状況にあること。しかし、実際は理由を排除しても実現しない。お金がないから、時間がないから、と言うのが例だが、実際にはやりたくないからなのである。
日本でコロナが抑制された理由を、日本の個人主義に求めている。他人と関わり合いの多い、パーティー大好き系民族とは違って、核家族だけで過ごすことが多い。褒めて伸ばすと言うのも科学的には否定されている。どちらかというとメリハリこそが大事で、なんでもかんでも褒めまくる必要はない。愛情こそが大事だし、それを感じることはできるんだ。
全体にわたって、新しい価値観を感じているのは、日本人、日本という国が特殊であると言うことだ。他のコラムでも言われているが、孤独であること、孤独に強いことが挙げられている。また、アメリカ、ヨーロッパでは普通のことが普通ではない。アレルギーがあるので食べないのはチョイスであって、頑張って食べるとか、我慢して食べるという類のものではない。住民票、マイナンバ、いるのか?ということを考えていないので、まず作る、作った。あとはどう使うか、は別の人だろう。免許証、時々ソーシャルセキュリティナンバーでなんでもできる、アメリカの凄さ。一度も使ったことがないマイナンバ、システム代金を大量に払ったこと以外に、効果がなかったとしたら、悲しいなと思った。一方で、マイナンバー制度を導入することで、アイデンティティとなる1つのIDが決まる。税金、社会保障、安全保障の観点では意義ありと見るが、使い方次第か。
なぜ小説家、物書きになったのか、と言うのが垣間見えて面白い。科学者は、3度の飯よりも理が好きだ、真理を追求したり、なんで?を追求することで、将来それが何かの役に立つ、世界の中で一番最初に到達できるかもしれない、そのロマンが科学だとある方が本気で言っていた。きっと、そういうものが無かったことに、気がついたのかもしれないし、小説という世界で探究していく新しい文体がそうさせたのかもしれない。英語と日本語の違いからエッセイを組み立てるものも多い。I am sorryとお気の毒とか、Just Before、寸前、直前、間際。NYだと、reach outが本当に印象的だったが、ワールドカップ時期に、footballとsoccer という言い回しの違いを、chipsとcrispsの違いをベッカムとアメフト選手が言い合うLaysのCMは秀逸だった。言語は、非常に面白い。まだまだ、英語が真の意味まで理解できるところまで行っていないのだけど、コミュニケーションしながら学ぶことが非常に多い。直接的な表現ではない日本語の話が分かりにくいという森さんのショートもそうだなと本当に思うけれど、英語の表現も決して単純ではないことがわかった。
ストレスに感じることとして、「逆に言えば」と言いつつ、逆のことを言っていないというのがあった。これはそうだよね、と思う。私自身は、「変な話、、、」というのが本当に気になる。「変な話、部長に相談しながらやった方がいいと思う」とか、変でもなんでもないので、なんぜ変な話を持ち出しているのか、と思うならから。まあ、そういう意味、というか意味はないんだよねと聞き流すのだけど、言葉を大切にしている人にとっては、絶対音感のように気持ち悪さを感じるのだろう。