あらすじ
なんの脈絡もなく書いているシリーズの四冊めである。著者はあの森博嗣だ――。好みのデザートから安全保障、ミステリィのトリックまで、巫山戯たような表現の中に潜んでいるまったく新たな世界観&考え方。「小説を書くほうがずっと簡単」と断言するほど練りあげられた、目からウロコのエッセィ全一〇〇篇。
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いつも、ハッとさせられた言葉が載っているページは読んでいる最中に折って、読み終わったら別のノートに書き写すようにしているのですが、今回もたくさんのページを折りました。
特に心に残っているのは、「平和は複雑だ」という箇所。単純さを求め、単純であることを是とする風潮があるけれど、あれは一種の懐古主義なのかもしれません。不安定であること、複雑であることにこそ成熟を感じるという彼の意見に大いに頷きました。
誰かに面白いですよ!と無理やり渡すのではなくて、個々のタイミングで出会ってほしいなと思う本です。誰かとシェアしたくなるというよりは、自分と対話したくなる本。
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言葉遊びから小説の書き方、アイデアの出し方、哲学的なものまで幅広いジャンルのエッセイ。小説とは違った楽しみがある。森博嗣さんの顔も知らないが面白い人物であるのは間違いない。
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4作目は背中を押されることが多かったように思う。生活の中の、ちょっとした時間に一つ二つ読むというのが、なかなかに良い時間の過ごし方のように思える。大好きなシリーズ!
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森博嗣の考え方は、賛同するしないに関わらず勉強になる。尖りすぎてるところもあるけど、それでも多くは賛同できます。この方のように、世間や他者に自分を擦り減らすことなく、自分の決めたことは自信を持ってやり遂げるべきだって思う。
……と言いつつ、なんだかんだ他人の目を気にする人だなぁと感じるあたり、親近感が湧く(?)。
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大勢が自分の好きなことのために働けば、社会は平和で豊かになる!!子供の人生は僕の人生ではない!!自分とは違う意見の他者を認めることが。議論の始まり!!もう少し変でもいいし、今のままでも良い!!知的で簡潔な森ワールド!!
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『つぶやきのクリーム』『つぼやきのテリーヌ』『つぼねのカトリーヌ』に続くシリーズ四冊目『ツンドラモンスーン』
もうこのタイトルの時点でくすりと笑える。森先生は本当に知的な方ですね
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つぼねのカトリーヌとシリーズだと気付かずに読みました。。
森さんの思考を想像するのって面白い。
良し悪しでなく、ただ主張するだけ、というのは影響を受けているかもしれない。
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なんでしょう、いつもな感じでしたけど、71 人生という列車に乗っているっての印象に残ったかなぁ。歳とったからかなー。まだまだこれからこれから。
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森博嗣さんのエッセイ。小説はS&Mシリーズを読んでたんですけど、エッセイは初でした。考えさせられるものや、クスッと笑えるもの。いろんなお話がありました。一つ一つが短くて、タイトルから面白いものもあって、楽しめました♪
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違和感の温床 巫山戯て 大和書房 100の講義 脈絡のない 偏西風 疑問の氷解 頭脳の中でニューロンが新たな回路を築く 気づき=築き 駄洒落か 探索が必要だ 「検索」しているだけ 瞬時に遮断 柔軟性 コツ 嘴 同値 「自分は知らない」と思い続けることが、「知る」ことの原動力となる。これが好奇心というものだ。 中世的な感覚のリンチに近い そんな保身も働く 仄かに信じている 弱り目に祟り目 謙った言葉 「相手を上に見る視線」が、感謝というものである。 人に与えるものがあるかないか クロック信号 餓死するのが一番良い死に方 頭の良い子供は、これが社会なのだと気づき、自分を修正するだろう。今暫くは我慢をして、自分の力を蓄えるしかない。頭を下げていれば衝突はない。寧ろ、色々教えて貰えて得だ、と計算をする。 未知数というのは、既知数の反対で、値が未知の数のことだ。方程式に出てくるxなどがそれですある。 知識も必要だが、そこから育ってくる先にある人間性に近いものが「教養」であり、「楽しい生き方を知ること」とも換言できる。引用 権威づけ 行動のパターンを分析 苦心惨憺 それがスタイリッシュだという啓蒙をする 実現は覚束ない 先の心配をするよりも、今この瞬間を楽しもう、という馬鹿。よく言われる物言いだが、これといった理由がなく、単に動物的、本能的に行動しようという意味を、少し格好の良い言葉にしただけで、ようするに人間性を放棄しているように聞こえる。勿論、「無礼講」という言葉もあるとおり、人はあるときには馬鹿になった方が楽しいので、悪いわけではない。しかし、何を勘違いしたのか、これを座右の銘にしている人もいて、それは流石にちょっと馬鹿っぽい。 「先の心配」は、つまりは自分自身で放置して、大きく育ててしまった結果だ。「心配」がついには「絶望」になってしまうのである。 大変そうに見えても、それをやっているうちに、「それほどでもないな」という境地に至るものが多いのだろう。 顕著 青い鳥症候群を患っている 論理構築 「諦める」とは、ある種の悟りの境地とも言えるのである。「なんとなく」には、そんな仏教的な香りが漂っている(線香ではなくて)。 キラキラネーム イライラネーム juice汁 ルビ 槌はハンマで、杵はマレット 貴殿きでん 幾つにものYOUがある 読者は「ファン様」だろうかなんだか、韓流の響きであるが。 「豊かさ」の多くは借り物であり、いずれは返さなければならない。 自分が大切にしているものが消えていくのは悲しい現象だ。しかし、生まれたときから寿命は減っていく。それが生きていることでもある。いずれの場合も、少し考える、少し努力することで、一時的に盛り返すことは可能だ。老人になっても、新しい思い出を作ることができるし、若者も学んだり励んだりすれば可能性を高めることもできる。これらは、時間に対する抵抗のようなもので、言うなれば、「生き甲斐」かもしれない。 人生の始発は誕生で、終着駅は死である。 いつでも乗り換えることはできる。しかし、行き先は同じなのだ。途中で見られる景色が多少違うだけである。 オスプレィのラジコン 誘導尋問的な意味しかない 自説の補強 知識の幅は広がらない 偏った知識 大事なことは「これは見せられている仮想の環境」だという自覚だ 些細なものが「拘り」に見えるほど、自由な背景があって、そのバックグラウンドこそが素晴らしい世界なのである。 始めたときには難しかったものが、いつの間にか簡単になる。 何故簡単になったのかといえば、「始めた」からなのだ。 同じ解決であっても、自分から出る解決の方が、自分の将来には有利に働く。 バックグラウンドのない意見は、単なる感情と見なされる。 醸し出す やる気はあっても材料がなければ作れない 右に出させたら右に出る者がない 比類なきこと無類