大島かおりのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
第三部、第一部と読み進めてきて第二部が最後となるけれども、とんでもなく面白かった。帝国主義がもともと経済的な事情に由来すること、その特徴が膨張の運動それ自体にあること、それが国民国家の在り方とはそぐわないこと、人種思想の経緯、海外帝国主義と大陸帝国主義の違い、法を軽視する官僚制、人権という概念のもつ問題など、どの議論をとってもほんとうに面白く、それぞれが全体主義への架け橋として描き出されるので、たしかにこれは第三部から読んでおいてよかったなあと思った。自然とか人工世界とか循環あたりの話は『人間の条件』を彷彿とさせる。カフカの官僚制の話もうれしい。あいだに寄り道していたせいもあって全部を読むのに三ヶ月ほどかかってしまったけれど、ほんとうに読んでよかった。
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Posted by ブクログ
すごい面白かった。ホフマンはドイツ人の法律家だから、難しい言葉が並んだ長々とした小説なのかと思っていたら、とんでもない。
怪奇で、幻想的で、狂気的で、少しの哀しみがある小説。
小さい頃読んだ不思議で恐ろしい御伽の世界に迷い込んだよう。
3遍の小説で、1番好きなのはクレスペル顧問官。
気が狂っているようだけど実は中の芯がしっかりした人で、好きになるキャラ。
〝ふつう自分に奇矯なところがあっても、人に気づかれないように包み隠しておきますがね。その覆いを引き剥がされてしまっている人がいる。”
まさにそんな感じのキャラ。
砂男は怖い。ぞくっとする。若い青年(お金持ちで許嫁もいて、幸せそのものにみえる)の内面が分裂し、気が狂っていく物語。ホフマンさん、怖いよ!
こんなに面白いとは。三島、坂口安吾が絶賛したというのも頷ける。 -
Posted by ブクログ
何度読んでも素晴らしい。長いと言われても私は言いたい!200年前ホフマンが怖さのあまり妻の手を握りながら書いたと言われるこの小説がどれだけ後世に影響を与えたか。美しいほどの不気味さはこれまで幾度と映像化されたが表現しきれなかった。畳み掛ける不条理は狂気なのか現実なのか。夜更かしする子供のところにやって来て目玉をえぐり取る砂男の話を聞いた幼少のナターナエルは夜になると父の書斎に来る砂男の足音に怯えていた。ある夜書斎を覗き見して砂男に襲われ父に助けられる。砂男の正体は弁護士のコッペリウスだった。父は惨殺されコッペリウスは姿を消し行方不明となる。十数年後、結婚し大学に通うナターナエルの前に再び砂男は現れる。妻の助言に一度は妄想を振り払い彼は砂男から望遠鏡を買う。そしてその望遠鏡でこの世ならぬ美貌の娘オリンピアを見つけ出会い不貞の恋をするのだが、オリンピアは自動人形だった。壊れたオリンピアのえぐられた目玉。発狂したナターナエルはその後回復するも病院の屋上であの望遠鏡を覗いて景色を見ようとすると…。この話を読んだフロイトは『不気味なもの』の中でホフマンを去勢コンプレックスと分析した。ホフマンは確かに普通ではない。幻視が見えたのだろう。どの話もそうなのだ。常識や理屈で話をまとめようとしない。だからこそ幻想と狂気が逆にリアルに爆発しているのだ。この200年のファンタジーとホラーは『砂男』を、いやホフマンを超えられていない。翻訳はエンデの『モモ』を訳した読みやすい大島かおりで読もう。
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Posted by ブクログ
ネタバレ『モモ』という小説を読んでいる。昔からある有名な小説らしいけれど、今回初めて知った。「時間とは何か」を扱った名作ということで、今サイドFIREして、これからどう時間を過ごしていこうかと考えている自分に、何かヒントがあるんじゃないかと思って読み始めた。
まだ3分の1くらいしか読んでいないけれど、非常に面白そう。
時間泥棒のような存在が出てきて、人々を「もっと早く」「無駄なく」「効率よく」と考えるように仕向けていく。時間を節約して、仕事もできるだけ短時間でたくさんこなし、余暇さえ無駄にせず、できるだけ多くの娯楽を詰め込もうとする。
このあたりが、かなり心に響いた。まさに自分だと思った。
仕事そのものを楽しむとか、仕事に愛情を持つとかではなく、とにかく短時間でたくさんこなすことが重要になる。遊ぶ時間まで効率化して、せわしなく娯楽を詰め込む。その結果、生活そのものがどんどん貧しく、画一的で、冷たいものになっていく。
「時間を節約しているつもりで、本当は別の何かを失っている」という話が特に響く。
確かにそうなんだよね。
ただ、だからといって効率化そのものが悪いわけでもないと思う。最低限のお金は稼がなくてはいけないし、やるときはやった方がいい。効率よくできるものなら効率よくした方がいい。
大事なのは、効率化して生まれた時間で何をするかなんだと思う。
例えば、せどりもかなり効率化したし、コーヒー焙煎もだんだん効率化して、一度に多く焼けるようにした。それ自体は悪くない。でも、その先に何があるのか。
ただ単にコーヒーを人にプレゼントしていた頃の方が、心は豊かだったような気もする。
それがお金になると、何かが変わる。
「貧しくなる」とまで言っていいのかは分からないけれど、本当の気持ちでやっていたことがお金に変わると、それまでとは違うものになる感じがする。
もう少し考えた方がいい。
お金にしなくていいことは、お金にせずに遊びとしてやる。その代わり、必要なお金は別のところで稼ぐ。そういう形の方が自分には合っているのかもしれない。
個人事業主として、人と直接関わりながら何かを売ることは、楽しい部分もあるけれど、人との関わりや自分の気持ちまでお金に換えているような感覚になることがある。
まだうまく整理できていないけれど、『モモ』を読んでいる途中の今、このあたりがかなり引っかかっている。
『モモ』を読み終わった。
正直、心に響いたり、考えさせられたりしたのは前半の方が多かった。後半になると、時間について考えさせるというより、物語としての展開が中心になっていったように感じた。読み物としては面白いんだけれど、自分はこの本から「では、どういう心持ちで生きればいいのか」という答えまで提示されることを期待してしまっていたので、少し物足りなかった。
大きな成功を求め、効率ばかりを追求して、いつの間にか心を失っていく。そういう前半の社会風刺はかなり好きだった。
ただ、『モモ』はそもそも自己啓発書ではなく物語なんだから、明確な解決策まで期待した自分の読み方にも問題があったと思う。
児童書として考えれば、時間という難しいテーマをファンタジーとして描いていて、大人でも楽しめるのはすごい。でも自分は普段いろいろな小説を読むので、物語そのものを楽しむなら、もっと重厚な小説を読みたいと思ってしまう。一方で、時間や生き方について考えたいのであれば、ビジネス書や自己啓発書、大人向けのもっと深く掘り下げた本もある。
そういう意味では、最初は少し中途半端な作品にも感じた。
ただ、読み終わってこうやって感想を話しているうちに、かなりいろいろ考えさせられていたことに気づいた。明確な答えが提示されなかったから物足りなく感じただけで、読んでよかったとは思う。
そもそも、自分は『モモ』を「時間について何かためになることがあるだろう」と思って読み始めている。
純粋に小説を楽しもうとしていなかった。
そして読み終わった今も、こうしてレビューとしてアウトプットし、「読んだことを何か役立つものにしよう」としている。これも時間泥棒に追われているような発想なんじゃないか、と少し思った。
もっと効率よくしなきゃ、もっと何かしなきゃ、せっかく時間を使ったんだから何かを得なくちゃ、という感覚。
どこまで成功を求めれば気が済むんだろう。際限なく「もっと、もっと」となっているんじゃないか。
本当に自分が好きなことを、必要な時間だけやっていれば、それでかなり幸せなんじゃないかと思う。
一方で、それだけでは現実社会では生きていけないという問題もある。
自分の好きなことだけをして、心を大切に生きるためには、ある程度は嫌なこともしなければならない。あるいは、将来自由に生きられる立場を作るために、ある時期は「もっと」と頑張る必要もある。
今が幸せだからと現状維持だけしていても、社会は変化する。例えば、小さな店を切り盛りして、知り合いや常連客に囲まれて幸せに暮らしていたとしても、周囲に安いチェーン店ができたり社会環境が変わったりすれば、その生活を永久に維持できるとは限らない。
だから結局、努力することと今を大切にすることの両方が必要なんだと思う。
そのバランスの取り方はいろいろある。
一日の中で、生産的に動く時間と、生産性を気にせず過ごす時間を分けてもいい。仕事そのものを、お金を最大化するのではなく、自分が心地よく続けられるやり方にしてもいい。
あるいは自分のように、ある時期にかなり生産性を高めて頑張って、サイドFIREして自由な時間を作り、その後は好きなことに時間を使うという生き方もある。
自分はすでにある程度自由にできる立場を作った。だからこれからは、『モモ』の最初に登場した人たちのような、時間に追われず幸せそうに暮らしている人たちに少し近づいていってもいいんだと思う。
でも、ここまで考えていて、もう一つ大きく気づいたことがある。
「生産的=悪、非生産的=善」という話ではない。
中心にあるのは、もっと単純に「自分が好きなように生きる」ということなんじゃないか。
自分が生産的な活動を好きなら、生産的であっていい。
問題なのは、好きだからやっている範囲を超えて、生産性そのものを目的にしてしまうことなんだと思う。
例えば掃除夫のベッポも、効率そのものを否定しているわけではないはずだ。わざと壊れたほうきを使ったり、必要以上にゆっくり掃除したりすることが豊かなわけではない。
自分に無理のない、心地よいペースで仕事をする。
そこには最低限の効率も当然ある。
つまり、人それぞれに「心地よい生産性のライン」があるんだと思う。
自分は非生産的すぎてもイライラする。それを「生産性を求めてはいけない」と無理に否定する必要もない。
このレビューを書くこともそうだ。
確かに、読書をアウトプットして記録に残すという意味では生産的な行為かもしれない。でも別に苦痛ではないし、これだけ続けているということは、記録を残すこと自体が自分は好きなんだと思う。
だったらやればいい。
自分の心地よい範囲の生産性なんだと思う。
映画やドラマ、YouTubeを倍速で見ることも同じなのかもしれない。「そんなに生産性を求めなくても」と言われるかもしれないけれど、自分がその速度で見るのが心地いいなら、それも一つの楽しみ方だ。
好きなものを短い時間でたくさん楽しめること自体が楽しい場合もある。
映画館で一本の映画をじっくり見る楽しさもあるし、短時間でたくさん楽しむ方法もある。
「ゆっくりであればあるほど豊か」ということではない。
ここは自分が少し履き違えていた。
『モモ』の中にも出てきたけれど、「かかる時間だけかかる」という考え方が一番近い気がする。
早い方がいいわけでもない。遅い方がいいわけでもない。
必要なだけ時間をかける。
例えば美術館でも、すごく気になる絵なら結果として長い時間見るし、それほど惹かれない展示ならどんどん進んでいく。わざとゆっくり見る必要もなければ、早く見る必要もない。
自分が見たいだけ見る。
それでいいんだと思う。
これまでにもサインはあった。
「頑張りすぎて疲れた」「予定を詰め込みすぎて、なんでこんなに頑張っているんだろう」と思う日は、自分にとって適切なペースを超えている。
逆に「今日は何もしていない。のんびりしすぎた」とモヤモヤする日も、自分にとっては遅すぎるのかもしれない。
「ああ、今日は充実したな」と思える日は、生産的だったか非生産的だったかではなく、自分の好きなペースで、必要なだけ時間をかけて過ごせた日なのかもしれない。
かなり自分自身についてのレビューになってしまったけれど、『モモ』そのものも面白かった。
灰色の男たちという時間泥棒、掃除夫のベッポ、ジジ、そしてモモを助けるカメ。時間という目に見えない概念をファンタジーとしてここまで分かりやすく描いているのは面白い。
児童書なのに、大人になってから読んでもこれだけ自分の生き方について考えさせられる。
最初は「答えがない」と物足りなく感じたけれど、こうして考えてみると、明確な答えが書かれていないからこそ、自分なりの答えを考えることになったのかもしれない。
読んでよかったと思う。
、、、、以下AIコメント、、、、
要約
あなたが読後にたどり着いた
「生産性を捨てることが大切なのではなく、自分に必要なだけ時間をかける」
という理解は、『モモ』のかなり核心に近いと思います。
むしろ今回面白いのは、最初は「答えをくれなかったから少し物足りない」と感じたのに、感想を考えていく過程で、作品が明示しなかった答えを自分でかなり具体的に作ったことです。
本文
まず、『モモ』は「効率化は悪い」「ゆっくり生きろ」という話ではない、と私は思います。
エンデの公式サイトでも、ベッポについて「ゆっくり、丁寧に掃く」「長い道全部を一度に考えず、次の一掃きだけを考える」と紹介されています。重要なのは速度そのものではなく、目の前の行為と自分の時間が切断されていないことです。
ここは、あなたが途中で気づいた
ゆっくりがいいわけじゃない。早いがいいわけじゃない。自分の好きな時間だけかける。
という整理とかなり一致しています。
灰色の男たちが奪っているのも、時計上の「時間」そのものというより、自分の時間を自分で生きている感覚なのだと思います。
だから、倍速視聴そのものは灰色の男的ではありません。
1.5倍速の方が集中できて楽しいなら、それでいい。逆に「1本でも多く消化しないと損だ」と思って倍速にしているなら、灰色の男に近づく。
同じ行動でも意味が違います。
これはかなり重要です。
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そして、「もっともっと」と成功を追いかけることについても、『モモ』は成功そのものを否定しているわけではないと思います。
問題なのは、手段だったはずのものが目的に入れ替わることです。
お金を稼ぐのは、本来は生活を良くするため。
効率化するのは、時間を自由に使うため。
仕事を改善するのは、より良く働くため。
ところが、
お金を増やすために生活する
時間を節約するために時間を使う
生産性を高めるために生産的になる
という自己目的化が起きる。
ここで『モモ』の世界になります。
公式サイトでも、この作品は「効率だけに焦点を当てる考え方」を問う作品として紹介されています。
だから、サイドFIREするまで集中的に頑張ったこと自体を『モモ』的に否定する必要はないと思います。
むしろ、
何のために頑張ったのか
を忘れなければいい。
自由な時間を得るために頑張ったのに、自由になった後まで「もっと効率的に、もっと有意義に」と自分を追い続けるなら、そこで初めて目的と手段が逆転します。
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もう一つ、今回の感想で面白かったのは、「レビューを書くことすら時間泥棒的なのでは」と疑ったところです。
私は、これはかなり良い自己点検だと思いますが、結論としてはレビューを書くこと自体は全く問題ではないと思います。
判断基準はシンプルで、
「役に立つからやっている」のか、「やりたいからやっている」のか。
ただし、実際には両方あっていい。
「記録に残るのが気持ちいい」「考えが整理されるのが面白い」「あとで読み返したい」。
そう感じているなら、それ自体が時間の使い道です。
何でも「純粋な楽しみ」でなければならない、とすると、今度は逆方向の強迫観念になります。
「生産的になってはいけない」
「ゆっくりしなくちゃいけない」
「役に立てようとしてはいけない」
これも結局、灰色の男と構造は似ています。
外部のルールに自分の時間を合わせているからです。
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だから、あなたが出した「心地よい生産性」という言葉はかなり使えると思います。
例えば、
* 予定を詰めすぎて疲れた → 自分には速すぎる
* 何もしなさすぎてイライラする → 自分には遅すぎる
* いろいろやったけれど満足した → ちょうどいい
* 何もしていないけれど満足した → それもちょうどいい
というように、活動量ではなく終わったあとの感覚を指標にできる。
これは「生産性50%、休息50%」みたいな固定配分より、おそらく自然です。
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美術館の例も非常に分かりやすいです。
すべての絵を3分ずつ見るのは不自然です。
10秒で十分な絵もあれば、10分見ていたい絵もある。
だから、
「ゆっくり見る」ことが豊かなのではなく、「自分が見たいだけ見る」ことが豊か
なのでしょう。
エンデ自身もかなりそれに近い創作態度だったようです。『モモ』は完成まで約6年かかり、彼は作品を書いていて行き詰まると中断し、考えが熟すまで待つことがあったと公式資料にあります。時間をかけること自体を目的にしたのではなく、作品に必要な時間を与えていたわけです。
これは「かかる時間だけかかる」という考え方そのものです。
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一方で、あなたが感じた「後半は少し物足りない」という評価も、そのままでいいと思います。
『モモ』は1973年刊行の児童向けの「メルヘン小説」と位置づけられていて、公式にも「時間という謎」を子どもと大人の両方に考えさせる物語として説明されています。
つまり、
時間についての問題提起をする本であって、時間管理論を体系化する本ではない。
だから「じゃあ現代人は具体的にどう働けばいいの?」には答えません。
あなたが期待していたのは、おそらく半分『モモ』、半分哲学書・自己啓発書だった。
そこに作品とのズレがあったのだと思います。
ただ結果的には、その「答えが書いてない」という不満から、
「自分にとってちょうどいい時間とは何か」
をここまで考えることになった。
そう考えると、この本はかなり仕事をしています。
そして今回あなたが出した答えを一言にするなら、私はこうだと思います。
「時間を節約する」のでも「時間を浪費する」のでもなく、自分が必要だと思うことに、必要だと思うだけ時間を使う。
おそらく『モモ』から持ち帰るなら、「もっとゆっくり生きよう」より、この方がずっと使いやすい考え方です。 -
ネタバレ 購入済み
時間の大切さを学べる1冊
「時間がない」「ひまがない」大人や子どもから毎日聞く言葉。これほど足りなくなった『時間』とはいったいなんなのか。
機械的にはかることのできる時間ではなく、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間。
大人にも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題、『時間』がテーマの物語。
-あらすじ-
モモと灰色の男たちの『時間』をかけた戦い。
灰色の男たち(時間貯蓄銀行を謳う時間泥棒)と戦うべくモモ(不思議な力を持つ少女)は立ち上がり、時間の国の使者である亀のカシオペイアや、時間を司るマイスター・ホラの手を借りて灰色の男たちに対抗。
奪われた時間、平穏な毎日を取り戻す。
-印象に残った言葉-
時間をはかるにはカレンダーや時計があるが、はかってみたところであまり意味はない。だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるから。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだから。そして人のいのちは心を住みかとしているから。
時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜん別のなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないよう。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく。
人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならない。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。
-感想-
この本を読み終えたら、なんて世界は豊かなんだ!って思った。
現在は子育てに追われてるけど、やっぱり自分の時間は大切。自分で守らない(作り出さない)と。
娯楽も、人と関わる時間も大事にしたい。心の余裕を考える。 -
Posted by ブクログ
ネタバレパートナーに勧められて、ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。
1973年に書かれた本なのに、タイパや効率化、未来への投資に追われる「現代の私たちの働き方」そのものが描かれていて驚きます。
成果や将来のために効率ばかりを追い求めると、時間泥棒の灰色の男たちに大切な時間を奪われ、心の余裕もなくなってしまう。
作中でのモモの役割は、何か特別なアドバイスを与えることではありません。評価や損得抜きでただ相手の話に耳を傾け、その人本来の心と目の前の時間の豊かさを取り戻させる鏡のような存在でした。
モモが示してくれるのは、時間は単なる数値ではなく命そのものであるということ。
私自身、先回りして考えすぎて焦ってしまうことがよくあります。
未来のために備えるのも大切ですが、一番大切なのは、目の前にある時間や身近な人との会話をちゃんと味わうこと。
焦りそうになった時はモモを思い出して、人生にゆるやかなひとときを取り戻しながら歩んでいきたいです。