角田安正のレビュー一覧
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君主は頭。元老院は心臓。財務官は胃腸。裁判官は目耳舌。兵士は武装した手。役人は武装していない手。農民は足。国家は身分秩序の下、共通の目的のために協働している。ソールズベリのジョン『ポリクラティクス』1159
唯一最高の普遍的な政治的権威・世界帝国が秩序を生む。ダンテ・アリギエーリAlighieri『帝政論』1312
サン・バルテルミの虐殺(1572)。宗教による暴力が横行。悲惨。無秩序。秩序を取り戻すため、何者にも(ローマ教皇にも)依存従属しない主権者が必要だ。主権者は絶対であり、いかなる抵抗も許されない▼国家を国家たらしめるものは、主権的権力であり、それは絶対・永続・不可分である▼主権者は臣民の同意なしに法律を作ることができる。主権とは何よりもまず立法権。主権者こそが法の源泉であり、主権者自身は法に服さない。ジャン・ボダンBodin『国家論』1576
人間は自分の生命を保存・発展させる権利(自己保存の権利)をもつ。人間は他人と自分を比べ「もっと、もっと」と自分の利益を追求し続ける▼しかし富は有限なので、パイを奪い合うことに。個人はばらばらに自分の目的を追求している。無秩序で、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、皆がお互いに戦争状態。悲惨▼そこで、人々は自分の生命を保存・発展させる権利を放棄して、国家を作る。私も放棄するから、君も放棄してくれ。国家に全権委任。絶対権力下での平和・秩序が達せられる。ルールを破る人間には国家権力(主権者)が刑罰を与える。その力がないと社会は成り立たない。剣なき法律は、ただの紙切れにすぎない。国家が怪物リヴァイアサンになるのもやむを得ない。権力は必要悪▼法は国家の主体(主権者)の命令であり、主権者が自由に改変でき、主権者自身を拘束しない。ただし主権者自身も神の僕なので、自然法を遵守することを義務付けられる(21章)。臣民の自由は臣民それぞれの私生活など主権の及ばない(法によって不問に付されている)範囲に限られる。トーマス・ホッブズHobbes『リヴァイアサン』1651
■自然権。各人がそなえている自由。自らの裁量・理性に照らして最適なことをやる自由(14章)。
■自然法。理性によって発見された普遍的な行動規範。例えば、人の生命を害したり、生存の手立てを奪い取ることは禁じられている。人の生命の維持に役立つと分かっていながらそれを怠ること(不作為)も禁じられている(14章)。
■共通の権力がないところに法はない。法がないところに不正はない。人間の欲望や情動はそれ自体としては罪にならない。情動を動機とする行為もそれを禁ずる法律がない限り犯罪にはならない(13章)。
■あなたは就寝するときに、(家の)ドアを施錠しないだろうか(13章)。
教皇(カトリック教会)の権威を再認識し、教皇が各国の君主の主権濫用を監視すべき。ド・メストルde Maistre『教皇論』1819
平時は法で統治できる。しかし危機(例外状態)が必ず起きる。戦争、国家崩壊的危機、憲法が想定しない状況。非常時は法律は機能しない。それでも決断が必要。その決断者が主権者。主権者とは例外状態について決定する者▼ただし、法は例外を排除できないが、例外を「想定構造」として内包している。主権者は決断者だが内容決定者ではない。例外時の決断は秩序を維持するための行為。カール・シュミットSchmitt『政治神学』1922
古代ローマ法。「ホモ・サケル」とは、殺されても法的には罪に問われないが、宗教的儀式の犠牲にはできない存在。法秩序の内側にも完全な外側にも属さないという奇妙な位置に置かれた人間。人間の生には単なる生物学的生命(ゾーエー)と、政治的・社会的に資格づけられた生(ビオス)があり、ホモ・サケルとは後者を剥奪され、前者に還元された「剥き出しの生(bare life)」▼主権とは誰を法の保護圏から排除するかを決定する権力。単に秩序を維持する力ではなく、ある人間を法の内と外のあいだに宙吊りにし、保護されない生として生かし続ける力▼ 現代政治において例外状態は一時的な非常事態ではなく、むしろ常態化している。法の外部に追放された存在は特殊な例外ではなく、統治構造の中で継続的に生産される。収容所や難民の状況はその極端な例であり、そこでは人間は法的主体性を剥奪されたまま、生物学的生命としてのみ管理される。ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』1995 -
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アメリカ人と仕事をすることが多く、自分の行動原理や観念的な素地がそもそも米国人と違うことを日々感じていた。
ただそれを言語化できず認知できていなかった今の自分に必要な本だった。
本稿の中でベネディクトの示す「恩の貸借」の概念はとても納得感があった。
また「日本人の特性を子育てから見る」くだりも、なるほど全く同じではなくとも伝統的に親から受ける教育には戦前戦後共通項があり、それが日本人らしさに還元されているという考えは私たち20代にも共感できる部分があったと思う。
方法論的にもコロンビアのフランツ・ボアズから受け継いだ比較論がとても興味深かった。
国外に向けて仕事をする人は、まず日本をよく知るべきだと思いここ数年は「日本」について考えることが多かったが日本人としての自分の視座は「当たり前」の範疇を客観的に特性として認識できなかった。
だから、ベネディクトの米国人からみた日本人という客観性は非常に有益だと感じた。
訳者があとがきで述べる『アメリカで借金の返済に向けて強制力が作用しているのと同様に、日本では恩返し(義理を果たすこと)を促す力が働いている。その強制力とは「恥」である。義理を果たさないと、恥を知らない人間として世間の嘲笑を買う。だから、日本人は義理を尽くす─』という要約は、端的かつベネディクトの意を簡易的に汲むにはすばらしい要約。 -
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日本人が相対的価値観にとらわれる理由
この本は日本人が相対的価値観(世間の目、人からの評判、身分、貧富の差等)に囚われがちであり、だからこそ相対的価値観とは逆の絶対的価値観(自分の軸で生きる)を説いている自己啓発本が人気が出る理由が分かった。
気付き
・恩と愛の違い
恩は返さなければならない、または返したい
愛は見返りを求めない
日本人は恩のほうが強い。これは義務感的な役割も持つ。
・恥の文化
日本人は自分が馬鹿にされたり、けなされたり、恥をかくことを気にする。
これは道徳心が自分の中にあるか、外にあるかが大きな要因。
キリスト教ならば、自分は常に神に見られているので自分の中に道徳を置く
日本は神の教えがないため、世間の目が道徳となる。だから空気を読むとか、同調圧力が一層強い。
評価の基準を外に置くことが多い理由が分かった。
このように本で書かれてしまうと、国民性なので仕方ないとも思える。
ならば、なおさら相対的価値観を持つのではなく、自分の軸で生きていく絶対的価値観で生きていくことの重要性が理解できた。 -
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面白かったー
訳も読みやすかった。
特に第12章の子育てと第13章(終章)の戦後日本についてがいい。
第12章では西洋人から見れば矛盾している日本人の態度の豹変ぶり(戦時中の愛国精神から戦後の占領統治に従い得ないと予想されていたが、的外れに終わったなど。他にも多々ある。)の謎が解ける。
第13章は戦後日本の平和主義への方向転換に矛盾はないことを本書を通したまとめとして書く。よい。
個人的に、先日まで試験に合格するかしないかでかなり気を揉んでいたのだが、これが日本人的な思考だと論じられて、世界には同じ局面に対峙してもこんなに精神をやられないんだなと、自分が小さく見えたし、気持ちが軽くなった。 -
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プーチンが横暴なロジックでウクライナに侵攻する今、ロックの著書を読むことの意味とはと思ってしまう。
本書でロックは、民主主義と自由主義についてその正統性を説く。市民は自由に財産・生命・自由を自らの意志に従って保全する権利があるということ。そして立法権や執行権は一度社会契約として権力側に引き渡しているが、権力は市民の所有権を保全する形で権力を行使する必要があること。市民は権力が市民の権力を犯していると判断した場合には戦う権利を持っていることを論ずる。
それにしてもこの著作が書かれ、イギリスで名誉革命が起こったのが17世紀であることを考えると人類の進歩のなさに驚きを感じる。この思想を実現するためには数世紀を経ないとダメであり、自由民主主義陣営にいる日本も一歩間違うとどうかという危うさを感じる。その他の権威主義的な国なもっとだめだ。そんなことを言っていたらアメリカでもトランプの様な人が出てきているし、これほどまでに自由と民主主義は併立しないものなのか思ってしまう。結局は所有権の保全をどのように考えるのかという点で、他人の権利を犯す可能性がある時にどこまで所有権を主張できるのかということなんだと思うけど、ロックもこの点は論述に苦労している様には思えた。
また解説で本書は『統治二論』のうちの第二編であり、第一編では王権神授説の否定に当てられているという。日本はこの点かなり危ういのでそれはそれで興味深かったりもする。
いずれにしてももっと読まれてもいい本だと思う。 -
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ネタバレ太平洋戦争終結時に敵国日本がどのような態度に出るかを予想するために、アメリカ軍情報局が文化人類学者に指示し編纂された軍事報告書が元になっている本書。
当時、アメリカ軍は不可解な敵国「日本」に困惑していた。
最高の礼節を身に着けている にもかかわらず 思い上がった態度の大きい国民である など、これほど「~にも関わらず」という言葉が多用された民族は他にない。
極めつけは、戦争終結前に国民の大半が徹底抗戦を肚にくくっていたのに、戦争が終結するや否や、進駐軍に笑顔を振る舞いている。
この急激な態度の変化にアメリカ軍は面食らった。
以上のような状況を踏まえ、日本人がそのような態度を取るもしくは取り得る文化的背景を解明し、今後の占領計画に反映するというのが本書制作の背景である。
内容は
・戦時下の日本
・応分の場を占める事
・明治維新
・過去と世間に負い目があるもの
・万分の一の恩返し
・義理ほどつらいものはない
・汚名をすすぐ
・「人間の楽しみ」の領域
・徳目と徳目の板挟み
・鍛錬
・子供は学ぶ
・敗戦後の日本人
で構成されている。
ルース先生自身、日本に来ることなく本書を書き上げている。
よって日本人からするとさすがにそこまで社会的圧力によってばかり生きているわけではないよ。
と反論したくなる部分はあるものの、中にいるからこそ
見えない視点も多く、学ぶところの多い書だった。
70年近く前に書かれた本だけあって、現代日本人に当てはまらない部分も多いが、当てはまる部分もある。
私たち日本人は大きな変化を経験したが、完全に入れ替わったわけではない。
日本人という民族として連綿と続いていると改めて実感した。
だからこそ、悪習も残ってしまっているのだが。。
以下、簡単な論旨。
・日本は古来、階層社会である。
・侵略戦争を経験しなかったため、周りとうまくやり、役割を回すことが生き延びる上で最善であった。(だから土着信仰である神道が今に至るまで根付いている)
・社会構成員にとって重要なのが「義理」と「恥」である。
・社会的規範を遵守する外への義理がある。基本的には恩の授受をバランスよく行う事と、義務を果たすことである。
・もうひとつ、自分の名誉を守る内への義理がある。これは強烈な攻撃性を発揮してでも守らねばならない。
・以上の義理を守れないものは「恥さらし」「恥知らず」として最低位の非難を受け、これは母集団からの排除につながる。これは個人的な死より恐ろしい。
・このように制約ばかりであるが、人間的な楽しみで義務に反しない限りは大いに自由が認められている。
・ある義理が義務と対立するとき、注意深く両方の義務を全うするか、片方の義務を全うできなかった責務を受け入れる(自害)のが美徳とされた。
・目的が明確でない苦難を日本人は「修行」という見方で捉え、何をするにも役立つという見方をすることにより耐えている。
【ここが一番大事】
・日本人は幼少期に自由で奔放に育てられる。だから家族が大切な拠り所になる。
しかし家族は同時に義理や義務を強制する。それを放棄すれば居場所を失う。その恐れから困難な義務や義理を受け入れる。
・この自由奔放な幼少期と緊張と規律ばかりの青年期の大きなギャップが日本人独特の2面生を形成する元となっている。
以上の理屈を現実に応用すると、過去の振る舞いもだが、現代日本人の振る舞いにもある一定の説明が付く。
最後にしびれたのが表題。
菊から制約となる針金の輪を外す
錆に侵されやすい身内の刀を錆びつかせないよう
作者の一番の願いが表題に現れていました。 -
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元祖 民主主義・社会契約論である
イングランドのホッブズ著の『リヴァイアサン』
1651年に刊行。
まず言えることは、
この古典がなければ恐らく、
ジョン・ロック『市民政府論』、トーマス・ペイン『コモンセンス』、ルソー『人間不平等起源論』などの、民主主義を振興した古典達は生まれなかったであろうということ。
ということは、
名誉革命も、アメリカ独立戦争も、フランス革命もあの時期にあのように起こりはしなかっただろう。
歴史に「If」はないというのはもはや陳腐な言い方かもしれないが、このホッブズの『リヴァイアサン』に関してはそれほどのインパクトを与えた、今の世界を構成している民主主義国家の礎となる概念、自然法や人権というものを生み出していくきっかけとなった本だ。
人間というのは、自然状態、つまり原始の状態では、互いに争いを行うということが、ホッブズの論理の前提となっており、
それを表す著名な言葉が「万人の万人に対する闘争」
それが故に、人間は国家で法律を決めてきちんと管理されなきゃならんと言う。
ホッブズは、
なぜ自然状態では万人の万人に対する闘争になるのかというメカニズムを、
国家を構成する人間の本性にまでさかのぼって論じている。
この光文社のリヴァイアサンは2巻あるが、この1巻はほぼ全てをその論証に使って、緻密に論理を組み立てていっている。
この緻密さがまた、この古典を古典たらしめた所以だろう。
人は論理的に説明されるからこそ、
ちゃんと腹に落ち、深く腑に落ちるからこそ、
その論理は残るのだから。 -
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500P超えの大著。
アメリカの文化人類学者ベネディクトによる『菊と刀』
アメリカとの第二次世界大戦中に、
敵国日本の情報収集の意を担ったこの研究は、
表層的な日本の軍事行動ではなく、
日本人の行動原理を深層から理解するために、日本人の文化発祥から当時に至るまでの歴史的観点で、日本人ならではの文化特性を鋭く考察した著書だ。
この本は1996年の時点で日本語版だけで230万部を売る、1946年からのロングセラーとなっている。
1945年第二次世界大戦終結の翌年に出版されている。
日本人をアメリカ人の社会文化構造の価値観の中から判断するのではなく、
日本人の社会文化構造の根底からの理解に努め、その流れや枠組みを汲み取り対象を見ようとしており、だからこそのアメリカとの違い、日本人であるからこその様々な特徴が浮き彫りになって見えてくる。
日本人とはこうゆうものなのか、逆に日本人が日本人を理解するような、非常に腑に落ちる感覚になる。
秩序と階層的な上下関係を重んじる日本人。
自由と平等を重んじるアメリカ人。
ジョン・ロックの『市民政府論』などに見える「自由」、「平等」の自由主義や民主主義的なバックボーンをもつアメリカとは、日本は背景が違うのだ。
戦後70年以上たつ今観るからこそ、
アメリカナイズされた日本、だがアメリカナイズしきらない日本、どこに日本人本来の特性があるか。その一点が眼前に観えてくる。
時を経ても「忠臣蔵」に対する義理を重んじる姿に感銘を受けずにはいられない。
今もまだ日本人には「義理」の心が息づいている。
こういった日本とアメリカの本質的な違い
ということをテーマにおかれた主題
アメリカ人にとっては理解不能な、一見矛盾しているように見える日本人の行動原理には、日本人には矛盾ではなくそこに秩序があり
そういったようなことを真に理解していくには
物事の表層的なことだけを捉えても理解は浅く、
歴史、宗教、政治、経済などのあらゆる全人間的知識を総動員して読み抜く必要がある。
そういった気概で向き合う価値のある骨太な良書である。
本質を見抜くには、多角的視点は不可欠だ。 -
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イングランド生まれのジョン・ロックによる政治論・国家論『市民政府論』
この書はのちのアメリカ独立宣言やフランス革命思想の元になった歴史的名著である。
ホッブスの『リヴァイサン』に対して、
ロックは人間は本来ほっておいたら仲良くしているという前提に立っているところが一番の相違点。
自由主義や民主主義の父といえる存在である。
また、ロックは別の著書『寛容についての手紙』で政教分離という極めて明瞭な思想を展開しこれもまた非常に面白い本だが、聡明な人物だ。
人民と国家との在り方を書いたこの本には、
今読んでも古びていない内容であり、
欧米の国家の様相はこの本抜きでは語れないといえるだろう。
万人は本来的に平等であり、自身の自由、財産、生命を所有し守る権利。
古代ローマのカエサルの時代にはこのような概念がまだなく、膨張する国家に対して帝政なる国家体制を敷いていったが、
それでもやはり一人の人間に権力が集中し世襲していくタイプの政治では、遅かれ早かれ愚帝が現れた時点で衰退に向かっていくのだろう。
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社会主義関係の本といえば、マルクスにしろ、エンゲルスにしろ、とても難しくて、とても読みにくい。
用語が難解なこともあるけれども、なんだかこれらの本には、現代史上の思想的・政治的格闘による怨念がとりついているようで、おどろおどろしいところがある。
ロシア革命の立役者であるレーニンの書物も、もちろんそんな中の一つ。
有名な「帝国主義論」だから、読むには心してかからなければならない。
社会主義関係の本に共通なのは、本文が始まる前の「序文」がやたらと長くて煩雑なことで、「フランス語版への序文」とか「ドイツ語版への序文」だとか、「第1版への序文」とか「第2版への序文」とか「第3版への序文」とかいっぱいあって、こっちがまだ右も左も分からないでいるのに、すでに3回は読んでいるはずだという顔をして知らない人名や地名が多数出てくる難解な注釈をたくさんつけてきたりするので、そこでもうメゲてしまうのである。
序文なんか飛ばしてしまえばいいようなものだが、有名な本なので、一応はじめからキチンと読まなければならないと思うし、それに、訳者には申し訳ないが(注の作成はご苦労様でした)、もう二度と読むことはないだろうから、せめてすべてのページに眼だけは通しておこうと考えて、律儀に最初から読んでしまうのである。
ところが、本書を読んでびっくりした。
予想に反して、驚くほど平明なのである。
本書の「序文」はこうである。
本書は、一九一六年春にチューリヒで執筆した。執筆の場がチューリヒだっただけに、当然のことながらフランス語と英語の参考文献がいささか不足した。ロシア語の参考文献は、はなはだしく不足した。しかしそれでも、英語で書かれた帝国主義に関する重要文献、すなわちJ・A・ホブソンの『帝国主義論』は利用した。同書の扱いには、細心の注意を払った。それだけの価値があると確信したからである。(p11)
歯切れのいい文章だ。
序文は二つしかなくて、すぐに本文だ。
その出だしはこうである。
工業が飛躍的な成長を遂げている。また生産が大企業に集中している過程が、いちじるしく急速に進んでいる。そして、それら大企業の規模は拡大の一途をたどっている。
これは、資本主義の最大の特徴の一つである。この過程を示す遺漏のないデータは、現代の工業統計の中に見出せる。(p34)
まるで雑誌かなにかの経済記事を読んでいるみたいだ。
本書はこうした簡潔な文章で書かれている。
「帝国主義論」の正式な書名は「資本主義の最高の段階としての帝国主義ー一般向け概説書ー」である。概説書と言うからには、レーニンの立場と主張を分かりやすく説明して一般に普及させるのが目的だろうから、もともと原著そのものがやさしく書かれているのだろう。しかし飜訳された日本語の書物がそうなるとはかぎらない。防衛大学校教授の角田安正訳によるこの本は、その点でまったく素晴らしい。もしこれほど分かりやすい飜訳が50年前に出版されていたら、日本のマルクス・レーニン主義者はきっと倍ぐらいに増えていたに違いない。
こういうふうにスラスラ読めるせいか、レーニンの著作というのは、理論書というより、意外とジャーナリスティックな文章なんだということがわかる。雑誌の経済記事みたいといったけど、たしかに、エコノミストとか文藝春秋とかに連載されていてもおかしくない感じだ。当時のさまざまな社会経済情勢を取り上げ、批判と分析を行い、たたみこむように自説を展開している。論旨の明快さやスピード感はきわめて現代的だ。
考えてみれば革命の実践家レーニンにとっては、他の人々に自己の革命理論を学んでもらい、それに賛同して革命の戦線に参加してもらうことがなによりも重要だったはずだから、読んでもらいたいのかもらいたくないのか分からないようなヒトリゴト的プチブル的(この言葉を一度使ってみたかった!)文章を書くひまはなかったはずで、とにかく読んで理解してもらうことを目指していて、そして取りあげる対象が現実の社会の出来事ということになれば、スタイルが現代のジャーナリズムに近づくのも当然だろう。
そして有能な革命家として、優れた扇動家でもあったはずのレーンの文章だから、読んでいるこちらが次第にワクワクどきどきしてきて、いっちょ革命でも起こしてやろうかという気になってくるのも当然だろう。それは大げさだけど(この書物では革命についてはほとんど触れられてない)、たいへん面白い読み物であるのは間違いない。
ところで、この書物では、レーニンは資本主義の最高の段階として独占的資本主義=帝国主義が現れることを説いている。
この書物では触れていないが、そこからプロレタリアートによる革命→プロレタリアート独裁という道をたどって社会主義国家の実現をめざすということになるのだろう。
本書で述べられている、資本主義が最初の自由経済からはじまって、金融独占による帝国主義にまで至る道筋の説明は、きわめて説得的で反論の余地がないように思える。
ではどうして、それから先が彼の説いたとおりにならなかったのだろう。
つまり資本主義の最終段階である帝国主義から、社会主義に転化しなかったのだろう。転化するどころか、いまでは社会主義国家は消え去ろうとしている。生き残っているのは、レーニンやマルクスやエンゲルスが見たら恥ずかして首をくくりそうな国家ばかりである。
すなわち、どの資本主義国家よりも搾取と抑圧と貧富の差が激しいのではないかと疑われる中国。国民はお金儲けが大好きだ。独裁国家のカリカチュアとしての北朝鮮(漫画的なだけに現実の隣人には恐るべき存在である)。それに社会主義国の最長老カストロ議長がひきいるキューバ。
キューバの内情はよく知らないので除くとして、中国や北朝鮮のような国家ができたのは彼らの著作のせいだと言ったら、三人とも前非を悔いて頭を剃って出家するかもしれない。
現実の世界がかってレーニンが予測したとおりにならなかったのは、訳者があとがきで書いているように、ソ連という社会主義国が成立し、危機感を抱いた資本主義側が自らを修正して社会主義的要素を取り入れ、延命に成功したせいかもしれない。それは正しいのかもしれないが、では、資本主義の問題はそれで解決したのだろうか?
資本主義の最終形態が独占であり、それに一定の修正を施したのが現在のわれわれの社会だとして、はたしてこれで終わりなのだろうか。
まさか現在の状態が人類のめざした最高の段階だという人はいないと思う。
ではこの次の展開は?
現在、それを誰か語っているのだろうか? -
Posted by ブクログ
[なれの果てに]ロシア革命において主導的な役割を果たしたウラジーミル・レーニンが、第一次世界大戦中にチューリッヒにおいて脱稿した著作。資本主義が高度に発達すると独占が必然的に起こり、それが即ち帝国主義となることを主張し、社会主義や帝国主義を考えるに当たり大きな影響を与えた作品です。訳者は、身構えることなく本書を手に取ってもらえる訳を目指したという角田安正。
その使用に伴っては、常に何らかの政治的意図が見え隠れしてしまう「帝国主義」という言葉/考え方ですが、レーニンが喝破したその経済的な発生の仕組みには改めて注目する価値があるように思います。ソ連の崩壊に伴い、レーニンと言うといわゆる「過去の人」といった感がありますが、国際社会が刻一刻と変転する今日だからこそ、改めて読まれる価値が十二分にある一冊ではないでしょうか。
〜帝国主義とは、特殊な発展段階に達した資本主義のことである。その段階に至ると、独占帯と金融資本の支配が形成され、資本輸出が際立った意義を帯びるようになる。また、国際トラストが世界分割を開始し、資本主義列強が地球上の領土の分割を完了する。〜
古典の面白さを久々に堪能しました☆5つ