角田安正のレビュー一覧
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今なお「日本人論」の決定版といえる古典的名著。実は大学時代にゼミの教授から「絶対に読んでおきなさい」と言われ、「はい」と答えて放置すること20年。ようやく義理を果たせました。
そう。本書はこの「義理」が大きなテーマです。日本では、義理を果たすことを促す力が強力に働いています。義理を果たさないでいると、妙にそわそわすることがありますね。それはどうやら私たち日本人に特有の性向らしいです。
60年以上も前に著された本書ですが、今もなお売れ続けるのは、やはり時代を超えた洞察力でしょう。今も色あせない、というより、今こそ耳を傾けるべき示唆に富んでいます。
たとえば―。
「アメリカの生活の仕組みにおいては、競争は望ましい社会的効果をあげるが、日本ではそれと同じ水準の効果は期待できない。(中略)心理テストが示すところによると、わたしたち(米国人)の仕事の出来が最高になるのは、競争に刺激されたときである。ところが日本では、(中略)事情が変わってくる。競争相手がいる状況でテストを受けると、成績が落ちるのである」
「誠という言葉は、私利私欲に恬淡としている人を称賛するために、繰り返し用いられている。このことは、日本人の倫理が利益の追求を強く非難していることの現れである。利益は、階層的秩序のもたらす自然な結果でない限り、搾取の結果と判断される」
「中国の当面の目標は軍事力の増強である。そして、その野心はアメリカによって支えられている。日本は、軍事力の増強を予算に計上しなければ、やる気次第で数年のうちに繁栄のための態勢を整えることができよう」
現在、盛んに報道されているTPPを念頭に置けば、次の指摘は実に考えさせられます。
「アメリカ人は、絶えず挑戦してくる世界に対応するために、生活全体の調子を加減する。また、そのような挑戦を受けて立つ構えができている。ところが日本人は、手順通りの図式的な生活様式に支えられて初めて安心するのである。そこでは、見えないところからやって来る脅威が最大の脅威と見なされている」
専門家によれば、明らかな事実誤認や瑕疵が見受けられるそうですし、素人の私から見ても現代の日本人にはそぐわない記述も随所に見受けられます。
たとえば―。
「妻は夫のために人生を犠牲にする。夫は自分の自由を犠牲にして、一家の稼ぎ手となる」
このような自己犠牲の観念は、特に若い世代の多くには理解しがたいことでしょう。
「なぜ夫のために自分を犠牲にしなければならないのか」
「なぜ自分の自由を犠牲にしてまで家族を守らなければならないのか」
そんな反論が容易に予想されます。
しかし、それ以上に本書は、日本人とはどういう性質を持つ国民なのかについて、実に正鵠を射た論考を展開しています。
著されてから60年以上たった今も、日本人はほとんど変わっていないことに気づかされ、喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な気持ちになりました。 -
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ネタバレ【まとめ】
1860~1870年代、自由競争の支配する資本主義が驚異的な発達を遂げた。20世紀初頭、恐慌によって自由競争的な旧来の資本主義に代わって、生産と資本の集中化が徹底的に進む帝国主義が現れる。銀行は資本集中と取引高の増加を果たし、産業資本との融合を始め、実質的に産業に対する支配を強めた。帝国主義は資本主義が高度に発展した段階であり、金融資本が支配的となった体制である。従来の資本主義では商品の輸出が行なわれたのに対し、資本主義の最高の段階としての帝国主義では資本輸出が特徴となる。そこで大衆の生活は依然苦しい。しかし独占から生まれる莫大な過剰資本は、資本家の利益のため、後進国への資本輸出に用いられ、大衆の生活向上に費やされることはない。
金融資本の段階で、資本家は(その階級的利益に端を発する)経済的利益から独占体同士の同盟を結び一定の関係を保持しようとする。同時にそれにつられ国家間でも政治的な関係が構築される。私的独占と国家独占が一体化し、巨大独占資本家が世界分割を繰り広げる状況が生まれる。
金融資本における生産力の発展や資本蓄積の度合いは資本主義国家間の発展から不可避的に差が生じる。そして、その帝国本国の力は「勢力圏」の分割状況とは均衡しない。やがて力をつけた後発帝国主義国(植民地をもたざる国)は既存の世界支配での不均衡の是正を狙い、自らの力を反映する形で植民地獲得の分け前にありつこうとする。資本主義を維持しながら、分割された世界の再分割を巡る不均衡の解決は、独占的資本家=帝国主義国家間での不可避の戦争以外に存在しない。
【感想】
訳は非常に読み易く、訳者解説も本書内容理解を助ける良いものであった。訳者解説によると本書執筆時にレーニンがおかれた状況は、「ロシアは後進国であるので、社会主義革命を即座に成就するためにの前提条件を備えていない。したがって、ロシアのマルクス主義者は、帝政ロシアが戦争に敗北することを通じて社会主義革命を実現しなくてはならいない」。革命の前提条件として帝国主義戦争でロシアが敗北する必要があり、そのための戦争の必要性から「詭弁」的に革命理論を作り上げたのが本書(…その割には説得力ある主張が多々ある)。であるから、本書に散見されるやや感情的なカウツキーへの口撃は近親憎悪的なものである。
一方で、「ブルジョア経済学」であるホブソンを高く「評価」、というより敬意を払いつつ都合良く利用している点が興味深い。ホブソンの『帝国主義論』をよりいっそう読みたくさせる書きぶりである。
さて、またもや解説者の重要な視点を借りるが、本書を現在の国際情勢に照らして読む際に、注目されるべき点がある。それは、資本家の蓄えた資本を国内投資に振分け、所得再分配をするのであれば、植民地を保有せずともやって行けるという点である(レーニンは深くは言及しておらず可能性を否定するが)。実際、社会主義の可能性や、「改良主義」的な既存の枠組みを受け入れた社会民主主義的勢力の存在で資本主義の行き過ぎにたがをはめることが出来ていたことは事実であろう。であるからソ連崩壊後、資本主義が暴走している現在、尚更に読まれるべき本であるということだ。 -
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著者の主張は日本人は恩と恥を最大の行動規範としている。
恥を知る。恥知らず。恩を忘れない。恩に報いる。恩を仇で返す。恩知らず。
確かに西洋人には理解できない日本人の特性なのかもしれない。
恥を重視するのは、日本人が自己主張が苦手であったり、同調圧力が強かったりする負の側面や、逆に協調性が高く秩序を保つと言う正の側面をうまく説明できる。
ただアメリカ人から見た日本人の持つ二面性や矛盾、例えば従順であり攻撃的である、礼儀正しい反面尊大な態度を取るなどを、子どもの頃のしつけに起因すると断定しているのは全く理解できなかった。
結論、この本の内容には同意する事ができないところが多いが、アメリカ人が日本人をどのように見ているかを理解する意味では役に立った。 -
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『リヴァイアサン』の第2部の訳本。
何とか読み終えました。
第1部は人間に対する考察本で、読んでいてかなり辛かったのですが(400年前の本ということもあり、科学のレベルが低く、読んでいて辛かった…)、第2部は、政治や国家に関する内容ということもあり、第1部と比べると読みやすかったです(科学と比べ、政治や国家の進歩は遅い、ということか…)。
とはいえ、「主権者のあり方」や「宗教と政治の関係」については、やはり400年前の本ということもあり、考察が不十分だと思われる点や、論理がおかしい点が多々あり、第1部ほどではないものの、読んでいて辛かったのは事実。
この本で最もよかったのは翻訳者による解説。
本文の消化を促してくれる整腸剤のような役割を果たしてくれました。
また、本編の内容の古臭さをカバーしてくれますし、原著の背景の説明や、本編の内容と現代社会をつなぐ補助線の提示は秀逸。
『リヴァイアサン』の原著には、第3部と第4部もあるようですが、本シリーズは、第2部で打ち止めのようですね(そもそもそういう企画としてはじまったようですし)。
残念。 -
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社会科学を勉強していると、ちょいちょい『リヴァイアサン』の話が出てくるので、「読まないといけないかも」と思い、読んでみました。
が、正直言って、要約本があれば、それを読めば十分かも、と思いました。
原著は400年前の本ということもあり、仕方ないとは思うのですが、とくに理系的な素養がある程度ある人は、自然科学やそれに類する部分に関わる記述ではツッコミどころが多すぎて、読むのがつらいかもしれません。
ロジックも甘く、場合分けも粗いですし、エビデンスも希薄で、客観性に乏しく主観的。
「この本をたたき台にして、社会についていろいろ考えていきましょう」という位置づけであれば、読む価値はあると思いますが、現代社会のあり方や仕組み、現代社会に至るまでの歴史をそれなりに知っている人であれば、わざわざこの本を読むことはないと思います。
とはいえ、この本は、『リヴァイアサン』の第一部でしかないので、念のため、続きも読んでみるつもりです。 -
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長い。流し読みで気になったところだけ記録。
多くの東洋人と異なって日本人は、文を綴ることによって自分自身をさらけ出そうとする強い衝動をそなえている。
人間は日常生活の中で行動を学習する──。ある人の行動や意見がどれほど異様に見えようと、当人の感じ方や考え方は、経験してきたことと一定の関係を持っているのである。
「世界はひとつ」を唱道する善意の人々は、世界中の人々を自分たちの見方で染めることに期待をかけてきた。(八紘一宇)
日本は戦争の大義をほかの観点から見ていた。つまり、各国が絶対的な主権を持っている限り、世界の無秩序は一掃されない。日本は国際的な上下関係を確立するために戦う必要がある。そのような階層の頂点に立つのは、もちろん日本である。なぜなら日本だけが、国内において頂上から底辺へと正真正銘の階層を形成し、したがって、「おのおのがその所を得る」必要を理解していたからである。
精神が物質を制する戦いに勝利する。
精神はすべての源泉であり、不滅である。モノはもちろん必要であるが、精神に次ぐものでしかない。しかもいずれ消滅する。
達観せる魂は千年不滅
大きな苦難に襲われたとき、人は進んで機会を設けなければならない」。
アメリカ人は、絶えず挑戦してくる世界に対応するために、生活全体の調子を加減する。また、そのような挑戦を受けて立つ構えができている。ところが日本人は、手順どおりの図式的な生活様式に支えられて初めて安心するのである。そこでは、見えないところからやって来る脅威が最大の脅威と見なされている。
生死にかかわる危険に身をゆだねてこそ潔い。事前に対策を講ずるのは卑劣である。
死はそれ自体、精神の勝利である。アメリカ式の病人の手当ては、爆撃機の安全装置と同じように、捨て身の精神を妨げるものである」
名誉は死ぬまで戦うこと
死以外に何も残されていない日本兵
ちょうど、百姓が搾取されたときと同様に。それは本人にとっては危険なことであったが、公認の行為でもある
日本人の見方によれば、法に従うということは最重要の恩義、すなわち皇恩を返すことに他ならない。このような物の見方ほど、アメリカ人の思考様式との対照性を浮き彫りにするものはないだろう。アメリカ人にとって新規の法律は、赤信号の設置に関する道路交通法から所得税法に至るまで、全国民から忌み嫌われる。なぜならそれによって、自分のことを自分で決める自由を奪われるからである
嘲笑者とは、他人の魂と心を抹殺する者のことである。
「世界中の注視の的となっているというのに」、空襲のあとの瓦礫の始末もできず、電気・ガス・水道などの公共サービスの中にはまだ復旧していないものもある。これは日本の名にとって何という汚点であろうか──。
日本人は、世界の中で尊敬を集めたいという焦慮に駆られている。
四海兄弟論 市井 慰撫 空文化 応分の場 背馳
覚書 因習 纏足 満腔 開闢 容喙 輔弼 -
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君主が絶対的な主権を持つべきという主張をベースに、国家がどうあるべきかを演繹的に導いていきます。徹底してロジカルなので、まあそうなるよね、という当然の論理展開であまり面白みがない。そのうえ法律や宗教などの固い話が多かった。
君主が自然法を守って国民の平和を守ることが大前提なのに、その根拠が薄いです。そのせいでその先の演繹が不安定になっているのは、一巻でホッブズ自身が注意していることのブーメランではないか。
君主への要求が高すぎて、プラトンの哲人皇帝のような非現実的な主張になっているかもしれない。最後にホッブズがそう自戒しているのが面白い。 -
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とても興味深かった。
タイトルの『菊と刀』のことを、何となく皇室と武家?みたいな感じにとらえていたので、本文読み始めてびっくりした。私が単に常識知らずなのかもしれないけど思い込みってこういうことあるよな〜としみじみ。
ベネディクトが日本人論を著す必要に迫られた時代と現代とではずいぶん日本人も変わっていると思うし、色々と指摘されているとおり誤解や誤りも多々ある。また、ベネディクトの視点には、偏見をなるべく取り除こうという意識も感じられるけれど(レンズの下りなど……)、やはりアメリカについて語るとき「そのレンズは少し曇っていないか?」と思ってしまうところ(建国以来平等が人権の基盤とは?南北戦争のあった、奴隷制のあった国が?とか……)などもあり、難しいものなんだなと感じた。
それでも、いわゆる「日本人論」の基礎基盤として現代にも通じるベストセラーであることにはとても納得したし、読んでいて面白かった。
訳者あとがきも大変興味深く、日米露の遵法意識の違いの下りなんか目から鱗というか、書かれているとおり、そんな形の一味違った比較文化論も面白そうで、読んでみたい。
それにしても、子育ての様子などをあんなに生き生きと描写しているのに、一度も日本に来たことがないとは驚いた。すごいな。
アメリカの情報収集能力もすごいだろうけど、それもベネディクトの才能なんだろうなあ。
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世界を変えた一冊として、歴史教科書でも取り上げられることのある、言わば檄文の書。
第一章、第二章では、国家の役割の一般論から始まりイギリスの統治形態について、そして旧約聖書を引き合いに、君主制、世襲制の理不尽さを糾弾する。
「以下、私が示すのは単純な事実と平明な主張、そして常識である」として、著者は論を進めていく。
第三章では、イギリスとアメリカの関係に考察を進め、アメリカに対するイギリスの強圧的姿勢を批判するとともに、一時的な妥協ができたとしても、アメリカはイギリスの政治体制においては従属的な客体にすぎないと、その関係性を喝破する。
また、本章では、独立に当たっての見取り図として、大陸会議の招集や大陸憲章の制定等についても論述している。
いよいよ第四章では、今が独立の絶好の機会であることをアジる。
全体を読んで印象に残ったこと。
第三章冒頭のパラグラフでも、「現在のことにとどまらず未来にも視野を大きく広げてもらいたい」と言っているが、「自分たちの子孫に対する責任を引き受け、観測点を何年も先に設定して世の中をのぞくべきである」(64頁)と、著者の後代の人間に対する責任意識、歴史に対する思いというものを感じさせられた。
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Posted by ブクログ
全編通して、日本に対する外からの視点で語られているのは非常に面白かった。そのような特性から、これまで意識することのなかった日本の特性に気づけた。
一方で、刊行された時代と現在に隔たりがあることやフィールドワークなくして行われた研究であることなどから、誤りや現代にそぐわない内容も多く、歴史の勉強にはなっても現在の分析にはなり得ない箇所も当然散見された。
それでも、戦時中の慣行から、当時ほど過激ではないとはいえ、現代の日本にも通底する要素が見られた。それは例えば、精神論であったり、階級制度の絶対視であったり、恥の文化であったり、応分の場を弁えることであったりする。
「精神はどんな物理的なものにも勝るし、肉体を追い込めばその精神は鍛えられる。」バカバカしいとも思える主張だが、このような考えをもとに形作られた文化や風潮は未だに根強く残っている。
階級制度とそれがもたらす秩序の絶対視も未だに根強く残っている。それは先輩後輩など年齢による過剰な区分に表れている。能力や人格ではなく、年齢によって敬意を示す相手が左右されるなんて自由のかけらもない。これは朱子学、儒学などに由来すると聞いたことがあるため今後関連する著書にも目を通してみたい。
本書を通じて、時代や場所によって常識があまりにも左右されるということが改めて感じられた。今、自分が過去の日本について読んでいて愚かであると感じたり、変わっていると感じたりするように、他国の人々や未来の日本人にとっては自分にとっての常識が非常識に映ることが大いに有り得るということを考えなければならない。そしてこれはいつの時代、どの場所でもそうなのだろう。我々人類は不変性や必然性をもった良識なんて見つけることが出来ないのだから。