あらすじ
ホッブズは「万人の万人に対する闘争状態」こそ、人間の自然状態だと定義する。なぜそうなのか。この逆説をどう解消すれば平和が実現するのか。社会契約による主権国家の成立を理論づけた本書の第一部は、国家を構成する個々の人間を、その本性から考察する。近代国家論の原点であり、近代政治哲学の出発点である本書は、のちのスピノザ、ロック、ルソーだけでなく、現代ではハンナ・アーレントにも影響を与えた。(全2巻)。
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Posted by ブクログ
君主は頭。元老院は心臓。財務官は胃腸。裁判官は目耳舌。兵士は武装した手。役人は武装していない手。農民は足。国家は身分秩序の下、共通の目的のために協働している。ソールズベリのジョン『ポリクラティクス』1159
唯一最高の普遍的な政治的権威・世界帝国が秩序を生む。ダンテ・アリギエーリAlighieri『帝政論』1312
サン・バルテルミの虐殺(1572)。宗教による暴力が横行。悲惨。無秩序。秩序を取り戻すため、何者にも(ローマ教皇にも)依存従属しない主権者が必要だ。主権者は絶対であり、いかなる抵抗も許されない▼国家を国家たらしめるものは、主権的権力であり、それは絶対・永続・不可分である▼主権者は臣民の同意なしに法律を作ることができる。主権とは何よりもまず立法権。主権者こそが法の源泉であり、主権者自身は法に服さない。ジャン・ボダンBodin『国家論』1576
人間は自分の生命を保存・発展させる権利(自己保存の権利)をもつ。人間は他人と自分を比べ「もっと、もっと」と自分の利益を追求し続ける▼しかし富は有限なので、パイを奪い合うことに。個人はばらばらに自分の目的を追求している。無秩序で、孤独で、貧しく、卑劣で、残酷で、皆がお互いに戦争状態。悲惨▼そこで、人々は自分の生命を保存・発展させる権利を放棄して、国家を作る。私も放棄するから、君も放棄してくれ。国家に全権委任。絶対権力下での平和・秩序が達せられる。ルールを破る人間には国家権力(主権者)が刑罰を与える。その力がないと社会は成り立たない。剣なき法律は、ただの紙切れにすぎない。国家が怪物リヴァイアサンになるのもやむを得ない。権力は必要悪▼法は国家の主体(主権者)の命令であり、主権者が自由に改変でき、主権者自身を拘束しない。ただし主権者自身も神の僕なので、自然法を遵守することを義務付けられる(21章)。臣民の自由は臣民それぞれの私生活など主権の及ばない(法によって不問に付されている)範囲に限られる。トーマス・ホッブズHobbes『リヴァイアサン』1651
■自然権。各人がそなえている自由。自らの裁量・理性に照らして最適なことをやる自由(14章)。
■自然法。理性によって発見された普遍的な行動規範。例えば、人の生命を害したり、生存の手立てを奪い取ることは禁じられている。人の生命の維持に役立つと分かっていながらそれを怠ること(不作為)も禁じられている(14章)。
■共通の権力がないところに法はない。法がないところに不正はない。人間の欲望や情動はそれ自体としては罪にならない。情動を動機とする行為もそれを禁ずる法律がない限り犯罪にはならない(13章)。
■あなたは就寝するときに、(家の)ドアを施錠しないだろうか(13章)。
教皇(カトリック教会)の権威を再認識し、教皇が各国の君主の主権濫用を監視すべき。ド・メストルde Maistre『教皇論』1819
主権者は法を超えた決断をする。主権者とは例外状態に関して決定を下すものである。主権者はどういう状況が極度の急迫状況であるか決定し、これを除去するために何をなすべきかを決定する。主権は教皇がもっていた権力が世俗化したもの。カール・シュミットSchmitt『政治神学』1922
Posted by ブクログ
元祖 民主主義・社会契約論である
イングランドのホッブズ著の『リヴァイアサン』
1651年に刊行。
まず言えることは、
この古典がなければ恐らく、
ジョン・ロック『市民政府論』、トーマス・ペイン『コモンセンス』、ルソー『人間不平等起源論』などの、民主主義を振興した古典達は生まれなかったであろうということ。
ということは、
名誉革命も、アメリカ独立戦争も、フランス革命もあの時期にあのように起こりはしなかっただろう。
歴史に「If」はないというのはもはや陳腐な言い方かもしれないが、このホッブズの『リヴァイアサン』に関してはそれほどのインパクトを与えた、今の世界を構成している民主主義国家の礎となる概念、自然法や人権というものを生み出していくきっかけとなった本だ。
人間というのは、自然状態、つまり原始の状態では、互いに争いを行うということが、ホッブズの論理の前提となっており、
それを表す著名な言葉が「万人の万人に対する闘争」
それが故に、人間は国家で法律を決めてきちんと管理されなきゃならんと言う。
ホッブズは、
なぜ自然状態では万人の万人に対する闘争になるのかというメカニズムを、
国家を構成する人間の本性にまでさかのぼって論じている。
この光文社のリヴァイアサンは2巻あるが、この1巻はほぼ全てをその論証に使って、緻密に論理を組み立てていっている。
この緻密さがまた、この古典を古典たらしめた所以だろう。
人は論理的に説明されるからこそ、
ちゃんと腹に落ち、深く腑に落ちるからこそ、
その論理は残るのだから。
Posted by ブクログ
例の闘争状態を証明するために、人間の性質についてかなり細かく論じられているのが面白い。契約などについての自然法が、平和の追求を基本として演繹的に導かれているのもよく分かりました。素晴らしい翻訳がそれらの理解の助けになっています。
ホッブズが分析する人間の行動様式は、感覚的に納得のいくものばかり。現代人も基本的には変わってないなと思えるので、彼の演繹には普遍性があるかも。その人間の愚かさを前提に三段論法で万人の闘争状態を導く流れは見事です。
個人的には、ある程度豊かさの底上げがされ、人間の利他性や共感力が証明されてきている現在、この理屈が通用しない世の中がくるのでは?という期待を持っています。
ホッブズの基本原理が平和であって豊かさではないところは面白いです。その結果、正不正の概念は国家と法がないと成立しないのでなんとも不安になりました。平和のみを追求する結果、格差の拡大を許し、契約による正義でそれが正当化され、結果として人が不幸になるのではと。
自然法を演繹的に導いていますが、その基本原理が平和の追求であることの根拠が欲しかった。個人的な欲求は人それぞれだから、それを目指すと闘争状態になると書かれてますが、うーん、腑に落ちない…。
Posted by ブクログ
社会科学を勉強していると、ちょいちょい『リヴァイアサン』の話が出てくるので、「読まないといけないかも」と思い、読んでみました。
が、正直言って、要約本があれば、それを読めば十分かも、と思いました。
原著は400年前の本ということもあり、仕方ないとは思うのですが、とくに理系的な素養がある程度ある人は、自然科学やそれに類する部分に関わる記述ではツッコミどころが多すぎて、読むのがつらいかもしれません。
ロジックも甘く、場合分けも粗いですし、エビデンスも希薄で、客観性に乏しく主観的。
「この本をたたき台にして、社会についていろいろ考えていきましょう」という位置づけであれば、読む価値はあると思いますが、現代社会のあり方や仕組み、現代社会に至るまでの歴史をそれなりに知っている人であれば、わざわざこの本を読むことはないと思います。
とはいえ、この本は、『リヴァイアサン』の第一部でしかないので、念のため、続きも読んでみるつもりです。