浦雅春のレビュー一覧
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▼ゴーゴリさんというのも、「いつか読んでみよう」と思っているうちに、「あれ?読んだのでは?」という気になってしまったいましたが、読んだことはありませんでした(笑)。
▼19世紀のかなり前半の人であり作であるはずなので、つまりはトルストイとかドストエフスキーの「ひとつ前の時代」。そう考えると、18世紀という間に、「産業革命」「資本主義」「ブルジョワジー」「都市」「現金貨幣経済」みたいなものがモスクワまで行きわたっていたんだな、という感慨。そういうものがないと、「ブルジョワジー向けの物語商品」というのは生まれないので。
▼「鼻」は、自分の「鼻」が独立した人格として活動をはじめてしまうというスラップスティックかつ不条理ファンタジーな風刺的一篇。 「外套」 は立派な外套を調達すること、に、自分の社会の構成員としてのメンツやプライドがすべてかかってしまった小役人?の悲喜こもごものドタバタコメディ。
いずれも「形式的な同調圧力社会」 と 「お金に支配される人生」が交錯して生まれる物語。
という主題性をおいておいても、かなり面白いし、訳も(恐らく)面白く読ませることに割り切った感じで好きでした。
▼「査察官」は、要は偽物役人が田舎で好き放題をする。田舎のひとたちは中央の役人にへつらってなんぼなのでだまされる。これは戯曲でした。確か手塚治虫の七色いんこで取り上げられていたような。今の自分が楽しんだかと言われると、やや口説かったかなあ。 -
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下層民が住むスラム。マクシム・ゴーリキーGorky『どん底』1902
●コストゥイリョフ。安ホテルの主人。妻ワシリーサ
●クレーシチ。錠前屋。40歳。スラムから脱出したい。妻アンナ。
●クワニシャ。女。肉まんじゅう売り。
●ペーペル。泥棒。
●サーチン。イカサマ賭博師。前科者。
●「タタール人」。イスラム教徒。
●「男爵」。没落貴族
●「俳優」。アル中。首を吊って死亡。
グレゴリー・メレホフ。男。ドン川の近くに住むコサック農民。正義感。父親の勧めで富豪の娘(ナターリヤ)と結婚するが、別の娘(アクシーニャ)と駆け落ち。妻(ナターリヤ)はショックを受けて自殺未遂▼ロシア革命が起こり、最初は革命軍(赤軍)側で戦うが革命軍(赤軍)の残虐さに嫌気がさし、軍を脱退して反革命軍側で戦う。しかし赤軍は次第に反革命側を追い詰め、グレゴリーとアクシーニャは赤軍の追手から逃げるが、赤軍に見つかってしまい、アクシーニャが射殺される。命からがら、故郷のドン川に戻るが、グレゴリーの家族はみな殺されていた。ミハイル・ショーロホフSholokhov『静かなドン』1928
※ドン川の川底からは冷たい清水が湧き出るが、白い魚が水を濁す。
春に咲くマツユキ草の花。まだ真冬なのに森に行って探してこいと女王から言われた娘。サムイル・マルシャークMarshak『十二月/森は生きている』1943
ハンバート・ハンバート。男。12歳の少女ロリータに一目惚れし、ロリータに近づくためにロリータの母親(未亡人)と結婚する。その後、ロリータの母親は亡くなり、ハンバートはロリータをつれて車で放浪の旅に出るが、旅先でロリータは何者に連れ去られる。3年後、ハンバートはロリータが結婚をして妊娠していることを知る。ハンバートはロリータを連れ去った男を突き止め、射殺する。ハンバートは獄中死、ロリータは出産時に命を落とす。ウラジーミル・ナボコフNabokov『ロリータ』1955
ユーリー・ジバゴ。軍医。既婚。戦場で看護婦ラーラ(人妻)に出会い、求愛するが、断られる。ロシア革命が起こり、ジバゴはパルチザンに捕まり、軍医としてシベリアに送られる。民衆同士の残虐な殺し合いに嫌気がさして脱走。ラーラと再会するも、再び引き裂かれる。ジバゴは心臓発作で死亡。ボリス・パステルナークPasternak『ドクトル・ジバゴ』1956 ※革命(独善的な理想主義)に人生を狂わされた男を描いたため、「反革命的」だとして旧ソ連により発禁。
ソ連の強制収容所。朝5時起床。熱いだけのスープ。大粟の雑炊。わずかなパン。魚の骨。腐りかけたキャベツの葉。暗闇。酷寒。身体検査。警察犬。自動小銃をもった看守。有刺鉄線。番号を縫い付けられた囚人服。アレクサンドル・ソルジェニーツィンSolzhenitsyn『イワン・デ二ーソヴィチの1日』1962
※フルシチョフによるスターリン批判(1956)
※ソルジェニーツィン。ソ連の残虐性を暴露したため国外追放(1974)
「巨匠」。作家。「ユダヤ総督ピラトとイエス」をテーマにした小説を書くが、文学界から攻撃される。精神的に追い詰められ、小説の原稿を燃やしてしまう。外部の検閲が本人の内部に入り込む。すると、悪魔ヴォランドが「原稿は燃えない」と言い、燃えたはずの原稿を取り出す。国家は出版を禁止できるし、人を黙らせることもできる。しかし、真に書かれたものはどこかに残り続ける▼黒魔術ショー。劇場で悪魔ヴォランド一行が魔術ショー。観客たちは金・服・贅沢品を奪い合う。が、奪ったものは全部消え、下着姿になる。ソ連官僚制・欲望・虚栄・文学界の腐敗を諷刺▼ベルリオーズ。文学官僚。合理主義。無神論(イエスは存在しなかった)。電車に轢かれて首を失う▼マルガリータ。女。妻として上流階級の人間として、決められた役割を演じている。しかし情熱や欲望は、その枠に収まりきらない。女は魔女となり、裸体で夜空を飛ぶ。社会的道徳や秩序を捨て、破壊と自由の快楽へ入っていく▼サタンの舞踏会。歴史上の殺人者や罪人たちが現れる。人類史そのものが巨大な罪の連鎖。残酷なのは悪魔よりも人間の歴史▼ピラト解放。ピラトはイエス・キリスト を処刑した罪悪感に永遠に苦しみ続けていた。彼の最大の罪は残酷さではなく「臆病」。本当は正しいと知りながら、権力と恐怖に屈した。巨匠が彼を赦すことで、ピラトは解放される。ミハイル・ブルガーコフBulgakov『巨匠とマルガリータ』1967
*現実のほうが幻想より狂っている
*ファウストからの影響
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カレル・チャペック『ロボット/R.U.R.』1920 ※チェコ
シュヴェイク。下級兵士。頭がいいのか、悪いのか分からない男。第1次大戦、オーストリア軍に従軍。上官の命令を忠実に遂行するあまり、オーストリア軍に損害を与える。ヤロスラフ・ハシェクHašek『兵士シュヴェイクの冒険』1921 ※チェコ
*小人物・権力へのズレた従順・滑稽さによる体制批判。cf. チャップリン「独裁者」
国家が人々の夢を管理。イスマイル・カダレ 『夢宮殿』1981 ※アルバニア
ミラン・クンデラKundera『存在の耐えられない軽さ』1984 ※チェコ
〇トマーシュ。チェコの外科医。女たらし。ソ連によるチェコスロヴァキア侵略のため、チューリッヒに一時的に避難。プラハに戻るが、共産主義に嫌気がさし、田舎に移住し、最愛の妻と幸せに暮らす。交通事故死。
〇テレザ。トマーシュの妻。元ウェイトレス。交通事故死。
〇サビナ。女。画家。自由奔放。外科医トマーシュと不倫の仲。アメリカに移住。
〇フランツ。男。サビナに恋。
※プラハの春(1968)、ソ連によるチェコスロヴァキア侵略(1968)
*偶然の出来事に過剰な意味を与える
「ぼくら」。双子の男の子。戦争から逃れるため祖母の家に避難。しかし祖母は昔夫を毒殺した「魔女」のような人。司祭の家の女中。外人将校。隣家の主婦。アゴタ・クリストフKristóf『悪童日記』1986 ※ハンガリー -
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チェーホフの「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」。中年の悲哀が凄い。訳者曰く中年文学と。。学生の頃読んだ時は特段心が動くこともなかったんだけども、この年になると現実に押し潰されていく中年の葛藤がよく分かるようになったなと。
訳者あとがきに「ぼくは少し前までは完全にワーニャに肩入れをしていた」から「ぼくは知らず知らずのうちにワーニャから嫌味な老人セレブリャコフに変わってしまったらしい」と変化した様子が書いてあって、今正にワーニャに肩入れしている自分もさらに歳を重ねるとそうなるんだろうなと何だか笑ってしまった。
最後にやはり印象的なラストの科白
ソーニャ「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年をとってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。」
三人姉妹もラストは同じや!
オリガ「ねえマーシャ、ねえイリーナ、私たちの人生はまだ終わりじゃないの。生きていきましょう!音楽はあんなに愉しそうに、あんなに嬉しそうじゃない。もう少し経てば、私たちが生きてきた意味も、苦しんできた意味もきっと分かるはず……。それが分かったら、それが分かったらねえ!」
いや、その通り、それでも、生きていかなくっちゃね。うーん、リアリスト笑 -
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光文社古典新訳文庫のこちらには、浦雅春さんによって落語調で翻訳されたゴーゴリの三作品が収録されている。ゴーゴリはおろかロシア文学のロの字も知らない私だが、落語調、というのが気になって手に取った。
『鼻』がいきなりすごく面白い。ある朝床屋が焼きたてのパンを食べようと半分に切ったら、そこになんとお得意さんのお役人の鼻が入っている(のっけから、不気味とか不穏とかを通り越し、あらゆるルールを無視した世界であることが提示され、むしろ安心して読んでいける)。おかみさんに捨ててこいとどなられて捨てに行く。当のお役人の方も、起きたら鼻がないことに気づいてたまげている。町に出ると、馬車から自分より身分の高い役人の制服を着た紳士が降りてくるのだが、それがなんと自分の鼻。勇気を出してへりくだってお声掛けするも「私はあなたのことなんて知りませんが」などと鼻であしらわれる始末(鼻だけに)。どうしよう…というような素っ頓狂な話が、江戸落語調で、語られる(「ってやんでい!」という台詞もあったから江戸で合ってると思う)。私自身は落語に明るいわけではないが、夫が落語好きで、家や車でよく落語の音源をかけている。いろいろ聞くが、圧倒的に古今亭志ん朝が多く、私もかなり耳馴染みになっている。だからこういった江戸落語調の文章を読むと完全に志ん朝さんの声で再生される。好きな落語家さんのおられる方はぜひこの作品を読んでいただきたい。一席聞けた気分になれてお得ですよ。この話の終わり方も、そこは落語とは違ってちょっと考えさせるような、いや考えても結局なんにもならないような、絶妙な語りで締められており、この文庫六十頁の短編一作を読んだだけで、爆風に晒されたような心地。
『外套』は鼻に比べたらずっとずっとセンチメンタルで、相変わらず落語調ではあるが、ゲラゲラ笑うような噺ではなく、人情噺や怪談噺のような風情。哀切に満ちたバイオリンの伴奏をバックに白黒無声映画を見ているような感覚もあった。ゴーゴリの力なのか浦雅春さんの力なのかわからないが、なにかこちらの演出ごころを刺激してくるところがある。
『査察官』、これは五幕の喜劇の戯曲。三作の中では最も分量も多いのだが、筋はシンプルな勘違いモノ。各人物の本音と建前のギャップや、長台詞で滔々と語られどんどん壮大になっていく虚言、そして最後の場面の演出効果(冒頭で作者から俳優諸氏への注意としてコメントが添えられている)が見どころ。機会があれば一度舞台で見てみたい!
おかしな感想かもしれないが、三作全体を通してのむちゃくちゃさ、揺さぶられ感、饒舌ぶりといった感覚が、最近読んだものだと井上ひさしの『吉里吉里人』を読んだときと似ていた。
浦雅春さんによる解説、あとがきも興味深く、といっても解説の内容をきちんと理解するには色々と基礎知識が足りていないとは感じたが、ウクライナ。ロシアだロシア文学だと思っていたが、ゴーゴリはウクライナ生まれの作家だった。 -
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映画「ドライブマイカー」きっかけで読みました。
若い頃はあまり分からなかったけど、歳を重ねてテェーホフの良さが少し分かるようになってきた気がする。
ワーニャ伯父さんに出てくる登場人物たちは、基本的にみんな人生に絶望を抱いている。
ロシアの厳寒な気候や土地、時代、ジェンダーなど、その原因には様々なものが絡んでいると思うけど、誰もが自分の人生に非本来性を感じていて、それをどうすることもできずに、ただただ生きている。
最後のソーニャの言葉は、それでも生きていかなくてはいけないと、力強く、そして優しく、全ての者の背を押すように届けられている。
三人姉妹。登場人物たちがそれぞれてんでバラバラな印象。共通理解を得ることもなく、一人ひとりが懸命に生きている。
あらゆる諦念と、自分が死んだ後の遥か先に夢見る発展と進歩。全てがどうしようもなく変わることもなく、死ぬまで日常は続いていく。
死が訪れるまで、生きている私たちは何を得て、何を失い、やり過ごしていくのだろうか。 -
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ドライブ・マイ・カーの予習として「ワーニャ伯父さん」だけ読んだ。
一回目は登場人物の関係性やそれぞれのキャラクター造形などがなかなかつかめず、自分で関係図を書いたりしながら読んでいたので、ほとんど内容が頭に入らなかった。何も起こらない話だなという印象しかなかった。二回読んで何とか分かってきた。
何というか、侘しい話だなと思った。登場人物それぞれに侘しさを抱えている。個人的にはワーニャ伯父さんよりもソーニャの侘しさが身にしみた。まだ若いのに、あの狭い環境でずっと生きていかなければならないというのはどんなに侘しいことだろう。
また、アーストロフの造形も印象に残った。話の本筋とはあまり関係ないが、エコロジストである。
「人間に立派な頭や物を作り出す力が授けられているのは、人間に与えられているものを増やすためなのに、これまで人間は毀すばかりで、作り出そうとしてこなかった。おかげで、森はますますまばらになり、川は干あがり、野鳥は逃げ出し、気象はそこなわれ、日に日に大地はやせ細っているのです。(P.30)」 -
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ネタバレ私はかもめ
トレープレフが撃ち落としたかもめ、トレープレフ自身は、「やがてぼくもこんなふうに自分を撃ち殺すんだ」と言い、ニーナは「このかもめだってそう、何か意味がありそうだけれど、ごめんなさい、私には分からない……。私、単純すぎて、あなたのことが理解できない」と言う。トリゴーリンが着想を得た、「ある湖の岸に、あなたのような若い娘が子供のころから暮らしている。かもめのように湖が好きで、仕合わせで、かもめのように自由だった。ところが、そこにたまたま男がやってきて、彼女を見そめ、退屈まぎれにその娘を破滅させる。このかもめのように」という話はそのままニーナの現実となり、トリゴーリンはこのかもめを剥製にするよう依頼しながらそのことすらすっかり忘れている。それはトリゴーリンがニーナを破滅させておきながらニーナのことを忘れ果てていることと重なるし、ニーナはトレープレフを理解しないまま、自分を愛してくれるトレープレフではなくトリゴーリンを愛し続け、トレープレフは自分の言ったように自分を撃ち殺す。ニーナもトレープレフもかもめ。
作家として成功するトレープレフもトリゴーリンも、女優であるニーナも、自分がやりたいことの夢を追いながら、その職業にある自分や自分の才能に自信が持てないまま。マーシャはトレープレフを愛しながら愛される夢を諦め、自分を愛してくれるメドベジェンコと妥協して結婚する。夢を追う者にも夢を諦めて現実に生きる者にも絶望は存在する。自信があるようなアルカージナも、息子トレープレフを理解できず、息子は自殺する。アルカージナの兄ソーリンは長生きがしたいと繰り返し言うが、周りは60歳を過ぎて生にこだわる彼を半ば軽蔑し、その病気の治療もなおざりにしているように見える。
思うようにならない生への絶望感と、それでも生きようとする者と、すれ違う愛と、暗い現実が暗く描かれていて好き。