野島秀勝のレビュー一覧
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まさかシェイクスピアの沼を認識する日があるのか?と思っていたけど本当にそのまさか、1600年代に作られた作品が、この2020年代に読んでもまったく面白いのはすごいのひと言では?
当時の価値観が身についていなくても、国語の教科書よろしく下の方に脚注がついているからしっかりと内容についていけるのが良かった。それどころか、当時の演劇におけるウィットやイングランドの情勢に至るまで読者を置いていかない工夫が凝らされている。他のシェイクスピア作品を読む場合も岩波版が正解なんじゃないか?
舞台映えするであろう動きが見えるようだったし、観劇する機会さえあれば飛びつきたいなと思った。 -
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シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。
この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。
実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。
結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。
人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。
「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。
本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。 -
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スティーヴンソン ジキル博士とハイド氏の不思議な事件 9-60(52ページ)
プルーストのスワンの家のほうへ 61-138(78ページ)
カフカの変身 139-202(64ページ)
ジョイスのユリシーズ 203-375(173ページ)
文学芸術と常識 376-
だからなんだ、という声も聞こえてきますが小心者なので耳栓をして、進めます。
後半のナボコフ先生、ようこそ!
各作品にあてられた先生の熱意?講義内容?をいろんな角度から考えられないかとなんとはなしに思って、各講義をページ割りしてみました。ジキル博士とハイド氏や、変身のような比較的短編?中編?ともいえる話にでもこれだけ時間を割いているのだなぁなんて思ったり。そう考えると読書経済的に(?)ナボコフ先生、かなりジキル&ハイドを気に入っていることが分かりませんか?
もちろんこんな定量的計測は意味がない!という人もいるでしょう。ふむふむおっしゃるとおり。
じゃ、内容をちょっと、みてみましょうかね。よいしょっと。(おばあさん?)
あのね、まずジキル&ハイドの入れ込みようが尋常じゃない1つの証拠として、最初の絵をナボコフ先生、わざわざ描き直してるんですよね、どうも自ら。
<引用>
ポケット版の「あの奇怪な、唾棄すべき、実になんともひどい、けしからぬ、不潔な、下卑た、青年を堕落させる表紙(ジャケット)というより拘束服(ストレートジャケット)に覆いをかけてしまうといい」
<引用終わり>
手描きで表紙まで描きますかね?もう、このへんがかわいくて仕方ないです。むかし男性とか目上の人に「かわいい」というのは上から目線でシツレイだ、と言われた事がありましたが・・でも、もう、カワイイとしかいいようがないでしょう、この集中の仕方?執着の仕方?子供がお気に入りのノートにきらきらシール貼るのとなんら変わりない。夢中になると人は皆、子供に返るのかもしれないですね(笑)
さらにはジキル博士がハイド氏に変容する様子、それが、私も忘れていたのですが物語中ではなくて物語が終わった後、2通の手紙の中にのみ、記載されるんですね。それが「それだけなおさらに衝撃的なのである」(44ページ)とナボコフ先生は述べるのですが、ここから残りの17ページは、もう、小説以上のものすごい勢いと共に、ナボコフ先生大熱弁です。多分講義だったとしたら、教卓を離れて黒板の前をうろうろしながら、時に声を荒げたり問いかけたりしていたんだろうな~。あー見たかった~~
しかもこの講義の章のラストは、作者のスティーヴンソンの最後と小説の奇妙なつながりを示唆して締めくくられるのですよ。実においしい。本当に素晴らしい。
でも詳細には触れません。ネタばれになるし絶対に、読んでください。へへへ。(意地悪)
あーもー、いいなぁ、ナボコフ先生。大好き。
あたしがこの講義を聞く学生だったらきっと、このセカイに引きずり込まれて帰って来れないだろうな。
そうしてそうして、小心者のくせにへんに大胆なあたしは、講義終了時に走って先生のところに行って、握手とか求めて怒られちゃう、そんな気がします。
ブラボー、ナボコフ先生。
あなたの講義はこんなところで、こんな言語で感激されていますよ。
さぁ、あなたもどうぞ。
追伸。ユリシーズなんてもう、ド直球勝負も嬉しい。プルーストの失われた時を求めてと比肩しうる20世紀の傑作二大小説!とか、「特にダブリンの街の描写が克明で、「もしダブリンが滅んでもこの本があれば再現できる」とまで当時言われた」などの逸話を聞くたびに興味はあったけど読めていない作品。
誰しもが思ったと思うけどあたしも声を大にして言いたい。「誰か、日本の古典でこれ、プリーズ!」あたしが細かい描写といって思い出すのは新保裕一の「奪取」なんだけど、なんとか日本の古典作品でここまでのねちっこさで分析しちゃくれまいか。
・・・しかしたとえジョイスでも日本の街を緻密に再現しようとしたら、目を回すかも。消費社会バンザイ。原宿の店の回転は半端ない笑 -
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書評どころかまさしく読書感想文になってしまうので先に謝りますゴメンナサイ。
だって、ナボコフ先生の授業、面白いんだもん。
えっとね、第一印象は「いや~~ん、この、IQの高い陰湿インテリめ!」でした。
あ、すいません、石投げないでくださいそこ。
だって本当にそう思ったんだもん。ナボコフ先生、スキだな。いいなぁこの、IQの高い人が子供みたいに熱心に無邪気にかつ執拗に、重箱の隅をつつきまくってるトコ!たまらんぜ。だった。陽気な陰湿さというのかな、ねぇ、もう、楽しくて大好きで仕方ない、その姿勢は伝わるんだけどそもそもIQ高い人だから、あ、そこ、そこまでえぐりきっちゃいますか?で、容赦がない。
例えば最初のほうにあるジェイン・オースティンについて。まず冒頭の文章について取り上げ、冒頭付近でいかに作者が状況のお膳立てを整えているかの作者賛歌が続く。それはまぁ、目の前でかえるの解剖(実際には見たことないけど)をする解剖学の権威のメスのように丁寧かつ、「しつこい」。いやこれ、悪い意味じゃないですよ。でも例えば、登場人物のひとり、ノリス夫人がいかに鼻持ちならない女性であるのかというのをえんえん7ページにわたって丁寧に、もう解剖していたらホネも粉々になるくらいに分析して~解析して~結論付けて~いやさ仮定を立てて~そうしてきわめて無慈悲に「はい、やなやつ~」と断じているのですよ、やり口が上質なのに、メスはきれっきれですからね。ノリス夫人、血まみれのずだぼろです。気の毒でもう、彼女のシーン、読めないくらい(笑)
でもなぁ、ここまで個性的な人の講義だったら聴講したいな。今だったらきっとストリーム配信だって出来ただろうに。もったいない!ネットの功罪は多々あるけれど、こうした本を読むと、あーもっと早くインフラが整っていたら!なんて、思ってしまうのでした。ま、この手作り感のある講義録はこれはこれで、途方もなく、素敵なのだけれど。
後半も楽しみだな。意地悪なおじさん、いやじゃないわ、あたし。 -
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この戯曲はシェイクスピア中でももっとも心を刺す台詞の多い作品の一つである。
四大悲劇のハムレットの結末と同じく、救いはないのだが、そこはかとなくマクベスのような狂気もある。
また、この岩波のリア王は解説もまたたっぷりあって、脚注も本文の下に添えてあり、目に入らざるを得ないようになっているのだが、これはヘンリー四世の訳者が「まずは本文を読んで、解説はそのあとで」というようにいっていたのと対照的である。また、マクベスの訳者は当時のイギリスでの観劇者たちの理解は現代の文字をじっくり追う読者にまったく劣らないものだった、それは原文の言葉の絶妙な使われ方によると言っていた。が、このリア王の訳者はシェイクスピア劇は観るものでなく、読むものであるという意味に近いことを言っている気がする。こういう個性の洪水のような解説があるのもおもしろかった。 -
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ネタバレ夜中にあらわれるハムレット王の亡霊。ハムレット王亡き後その弟クローディアスと結婚した王妃ガートルード。王の亡霊から死の真相を聞かされるハムレット王子。気がふれたふりをして王と王妃の様子をうかがうハムレット。ハムレットが呼び寄せた演劇団。再婚に関する台詞。母を責め母の部屋で様子をうかがっていた大臣ボローニアスを殺害するハムレット。事件をもみ消すためにハムレットをイギリスに送るクローディアス。イギリスに行く途中に海賊に襲われ帰国したハムレット。ボーローニアスの死で気がふれ自殺した娘オフィーリア。息子レアティースの復讐。墓場での会話。王宮での決闘。
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ハムレットで私が一番好きなシーンは、お約束ですが御前試合とオフィーリアの狂乱シーン。お花を渡すところ。
岩波はやっぱり固いんだけど、もうちょっと白痴的な口調で書いてあるのを以前読んだんですよ。
あれはどこの出版社だったんだろう・・・。生意気にも小学校の低学年で辞書引きながら読んだので印象に残ってるんです。
そっちの方が好きかな?
岩波では王妃にヘンルーダを渡して、
『あたしにも少し、とっておきましょう』
と言うシーン、その前に読んだ本では
『あたしにも、すこうし、ね』
と言って笑うんですよ。
この微妙な違いが!あれは一体どこの出版社だったのかなあ。読んだ時に、やったら古い本だったのは覚えてるんですがねえ。
岩波のは注が山盛りで、読んでるだけで楽しいです。
脚本だからト書きなワケですが、そこで文章の注だけじゃなくて、芝居の動作の注とかも入れてあるのです。
グローブ座での演出効果まで考えてあるのがスバラシイの一言ですね。
中学校の時に行ったストラットフォードを思い出しました。本当にマザーグースの世界だった事を今でもはっきり覚えています。 -
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「リア王」も「ハムレット」も「オセロ」も「ロメオとジュリエット」も……、誰でも知っているシェイクスピアの戯曲は、それなりに読んだつもり、だけど、私は「戯曲」という文学形式を些か苦手としているかもしれません。ともあれ取り急ぎ、代表として、リア王を挙げます。(マクベスとかハムレットとか、幽霊が出て来たり魔術が出て来るほうが好きかも)。これもまた、純然たる「悲劇」だ。ただ、どうして末娘はいい娘なの?どうしてお姉さん(たち)には邪念がつきまとうの?シンデレラしかり(継母という事由を差し引いても)、「美女と野獣」しかり、オオクニヌシノミコトしかり(あそこはお兄さんたちだけど、あれは酷すぎる)、想い出せばいくらでも出て来る。長女の私には納得できぬ。と、些かの個人的トラウマを含めて「リア王」に代表していただきました。
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シェイクスピアの四大悲劇の一つ「ハムレット」
セリフの掛け合いは、日本語では理解し難いものが多かったが、印象に残ったのは主人公の苦悩である。
「to be, or not to be, that is the question.」
生きるべきか、死ぬべきかという有名な独白は復讐という重い運命を背負った彼の内面的な葛藤を象徴していると感じる。
また、登場人物たちの狂気と正気の境界線もこの物語の重要なテーマであり、それぞれの思惑や行動が悲劇の連鎖を引き起こす要因となっている。
人間の本質的な弱さや狡猾さを描き出しており、心の葛藤、道徳的な問い、そして人間の本質を深く掘り下げた作品であると思う。 -
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ネタバレ『ボヴァリー夫人』読後すぐに、ギュスターヴ・フロベールの章を読んだ。
フロベールの手紙も引用して『ボヴァリー夫人』を詳細に紐解く。かなり細かい説明があり、共進会の読み難かった部分は交響楽を模して表現していた事に納得した。
フロベールは対位法的手法を取り入れて書いている。この手法は、複数の会話や思考の流れを、平行して挿入したり、絡ませたりする。
また、章の中で主題が波のような流動態で移行していく、構造的移行も用いている。
正にナボコフの講義を聞いているようであった。
ナボコフは言う。良き読者は小説と同化して読まない。共感ではなく、客観的に読むということかな。そして再読し、情景を脳内に再現できるぐらいにかなり緻密に読むことを勧めている。