海音寺潮五郎のレビュー一覧

  • 新装版 西郷隆盛 四

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    史実を細かく書いているため、参考にはなるがスピード感が無い。その点が少し合わなかった。
    しかし、西郷隆盛を知る、という点や幕末維新史を知る、という点では非常に良いと思う。
    最後の作者の語りの部分の方が面白く感じた。
    翔ぶが如くを再読しようと思う。

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    2017年10月08日
  • 新装版 西郷隆盛 三

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    今までの巻で、小説としては読みにくい、という感想を書いて来たが、この巻の中程で、これは小説ではなく史伝だ、と書かれており、読み方が違っていたことに気づく。
    比較的詳細な史実が列記されており、勉強にはなる。
    幕末も終盤になり、西郷隆盛1人の視点では語れなくなるのか、登場数が減っており、西郷隆盛というより薩摩・長州視点の幕末維新史、といった感じ。

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    2017年09月28日
  • 新装版 西郷隆盛 二

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    前巻の感想とかぶるが、やはり小説というより伝記に近い。事実の羅列の間に解釈が入る感じ。
    歴史について学ぶという意味ではいいのかもしれないが、小説としては決してすらすら読めるとは言いづらい。
    内容は、西郷の2度目の島流しから、寺田屋事変、長州の凋落、第一次長州征伐、薩長同盟の直前まで。

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    2017年09月17日
  • 新装版 西郷隆盛 一

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    読み切るのに時間がかかるのは、政治向きの話が多いからか?薩摩の視点で幕末維新を見ると、冗長で読みにくい。

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    2017年09月06日
  • レジェンド歴史時代小説 列藩騒動録(下)

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    終盤退屈で飽きてしまった。
    自分が無知なだけだが、有名でない人物たちが多すぎて頭が整理できずついていけなかった。
    俺が残念。

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    2017年08月22日
  • 加藤清正(上)

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    この方は好き嫌いが激しいと思われる。
    歴史に忠実かもしれないが、武将列伝で加藤清正を師団長レベルの人間と書いており、清正好きの私にはなぜこの人の話を書くのかという疑問が消せずに読んだ。
    そのためか、説明が多く、著者の考えを述べることが多く、小説として入り込めない。
    思ったより、加藤清正が悪くかかれてはおらず、ほっとしたが、これよりは池波さんの著書の清正の方がかっこいい。

    著者の伊達正宗は尻切れトンボで終わっており、ネットでその理由があまり好きでない武将について連載したので、連載約束期間の終了とともに終わらせたのではないかと書いてあった。

    私生活でも、直木賞などを巡って、池波さんを酷評するな

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    2015年06月29日
  • 加藤清正(上)

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    歴史小説ってだいたいそうだと思うけど清正側からしかかかないし都合の悪そうなところはぼやかすからこれぞ!という爽快感はなかった
    でも清正がたどった道はわかったのでその点はよかったかな

    え、なんでそこでそうする?とかいうことが多々あったけど本当はどうしたんだろう

    ちゃんと熊本の治世の基礎を築いた人だからとてもいい人だっただろうなって思いました

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    2013年08月29日
  • 加藤清正(下)

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    地方でも中央でもうまいことやってのけた人で人格も橋本市長なんかよりずっと出来ていたらしい。あくまで小説の話。

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    2012年05月14日
  • 新装版 孫子(下)

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    今度は孫武の子孫、孫賓の物語。未来を嘱望されていた孫賓が友人であった法健(魏)に嵌められてしまい、足を失い、額に入れ墨を入れられ幽閉されてしまう。孫賓は自分の不明を責め、法健に復讐を誓い、脱出して斉の軍師となって追い詰めていく。ある意味、復讐活劇。もう一つは、復讐活劇の中に孫賓と紅奴の恋愛もちりばめられていてホッとなる物語だった。

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    2011年12月18日
  • 新装版 孫子(上)

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    孫子の兵法で有名な孫武を描いた一冊。一介の軍略家がどうやって呉を代表する大軍師まで上り詰めたかが記されている。おなじみの呉王の愛妾を軍事訓練で処刑して、軍事においては国王の命令に背かなければいけない時もあると、軍規の絶対性を説くエピソードもあった。特に、呉子杵との身の振り方のコントラストも痛烈だった。新王に変わったらさっさと隠遁してしまおうとする孫武とあくまでも呉にすがりついて助けようとする呉子杵の姿勢と生き方の違いがとても印象に残った。あの時、孫武が呉に残っていたら、と思ってしまった。

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    2011年12月18日
  • 加藤清正(上)

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    加藤清正の生涯を綴った作品。清正の魅力が全面に出ている分、やや美化されすぎなのではと思うところも少々あり。

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    2011年06月01日
  • 加藤清正(下)

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     一体、名君加藤清正はどうできあがったのか。これが後半の読みどころだ。

     質実剛健にして誠実無比ということはすごく伝わってきた。さらに南無妙法蓮華経を唱える宗教心が清正を律している。それがそのまま民を慈しむことに繋がり豊臣家を安泰ならしむよう誠実に徳川家に向かい合う姿勢にも繋がっている。

     関ヶ原を境に武断派から名君への道を歩いたのかと思ったが全く違うことが分かった。著者の歴史観は柔軟にして明朗なので政治の裏黒いこともあっさりしたものだ。読みやすいのだが池宮彰一郎さんも好きなものとしてはもうちょっと踏み込んで書いてもよかったかもしれない。

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    2010年09月14日
  • 加藤清正(上)

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     蒙古来たる、戦国風流武士を読んでいる。3冊目。豊富な資料の読み込みと著者の史観がはっきりしているおかげで清正像が非常に明確になっている。

     前半の本書は少年時代から朝鮮出兵までであるがちょうど秀吉に可愛がられている時期にあたり秀吉の人柄が主に描かれている。清正が如何に秀吉に影響を受けていたかを丁寧に描いていて面白い。

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    2010年09月14日
  • 天と地と(五)

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    京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を

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    2010年07月18日
  • 天と地と(四)

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    天文22年(1553)、長尾晴景が府中で病死した。その葬儀を済ませた景虎に、信州からもどった諜者が、武田晴信の北信進攻を知らせた。そして8月、景虎は柿崎和泉守を主将とする軍を川中島に出動させたが、晴信の攻撃でさんざんに撃破された。戦さを始めて、初の不覚だった。憤りと恥辱に体を火のようにさせながら、景虎は、晴信の武略に舌を巻いた。甲信両軍の対決、引き分けがくり返されるうち、時は過ぎ、永禄2年(1559)、京の将軍足利義輝の密使が景虎に至急の上洛を告げて来た。三好長慶、松永久秀の専横に将軍の権位が失墜、政情不穏の気配だった。景虎は、武田晴信に和睦を固める使者を差し向け、4月、青葉の越後路を京に向け

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    2010年07月18日
  • 天と地と(三)

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    晴景の女藤紫の弟源三郎と、新発田城主尾張守長敦の内室が不義を犯し、長敦が晴景に背いて景虎に帰服を申し出たことから、兄弟の仲はいちだんと悪化していた。景虎はついに兄との戦いを決意、その軍を破り、兄に代って春日山に入城、天文18年(1549)、20歳で長尾家当主となった。その年の5月、越後守護上杉定実が病死、その葬儀に不参の長尾房景の心中を疑った景虎は、宇佐美定行の勧めで、姉綾を房景の息子政景に輿入れさせることを決めて、和睦を図った。

     2003年11月4日再読

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    2010年07月18日
  • 天と地と(二)

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    天文12年(1543)、長尾晴景の家老昭田常陸介は三条の長尾俊景に内通、晴景に反旗をひるがえし、14歳の景虎は春日山城での防戦に初陣を飾った。そして、城を脱出して身を寄せた琵琶島の宇佐美定行の許で、その娘乃美を知った。翌年、景虎は近国の形勢視察のため旅に出、甲州御坂峠で、狩装束で馬をうたせるりりしい若武者を見かけた。24歳の武田晴信、のちの信玄だった。三条勢らとの戦いに連勝する景虎は、毘沙門天を熱烈に信仰、女を近づけず、律僧のような日々を送るが、酒色に溺れる兄晴景は、その名声の高まりにしだいに不快の思いを強めた。

     2003年11月4日再読

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    2010年07月18日
  • 天と地と(一)

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    生まれた赤ん坊は、血色のよい肌と、輝きの強い眼を持つ男の子で、虎千代と名づけられた。のちの謙信である。虎千代は、父に疎んじられる不満を幼い胸に抱きつつ、百姓出の娘松江、忠臣金津新兵衛らに守られて育ち、天文5年(1536)元服、喜平二景虎と名乗った。越中・越後の争乱は、絶え間無く、やがて父為景は、越中豪族神保氏らとの合戦で討たれ、兄晴景が守護代を継いだが、それを不満とする長尾俊景が、三条に兵を挙げた。

     2003年11月4日再読

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    2010年07月18日
  • 加藤清正(上)

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    読みやすく、清正の描写も只管に律義者、気宇も広く、好感が持てます。この小説では小西と最初は仲悪くなく、朝鮮出兵で一気に険悪に(笑)後半になるにつれ、処々で筆者の個人的見解・批評が増え、小説らしさがやや薄れているのが残念かもしれないです。

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    2009年11月03日
  • 加藤清正(上)

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    全2巻。

    海音寺先生の加藤清正。
    やっぱ九州だし凄いんだろうと。
    期待して読んだものの。

    や。
    いろいろ正しいと思うんす。
    へーってなるし。
    読みやすいし。
    男っぽいし。

    ただ。
    やっぱ後期は好みじゃない。
    海音寺先生がしゃべってんだもの。

    ただ清政は好き。
    もっとお話っぽいので読みたかった。

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    2009年10月09日