渡辺靖のレビュー一覧
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著者らの対話形式で進むため、キリスト教ナショナリズムの動向や思想がすっと頭に入ってきた。
なるほどと思ったのは、キリスト教が衰退しているからこそ、福音派を名乗る人々が聖書を好き勝手に解釈し、つまみ食いして自分たちの主張に変えてしまっているという指摘だ。たとえばレビ記19章には入れ墨を禁じる記述がある一方で、同じ章に寄留の外国人を大切にせよという記述もある。しかしこれらは顧みられていない。
さらに本書は、一見相容れないように見えるリバタリアン、福音派、テック長者たちが、なぜ手を結んでいるのかという思想の整理にもなった。国家への不信や既存秩序を壊したいという衝動を共有し、終末を待つのではなく、自ら引き起こそうとしている点で通じ合っているのだという。
本書でも触れられているように、1980年代までは民主党も共和党も中道からやや保守といった位置にあり、イデオロギー対立は今と比べれば牧歌的だった。そのことを改めて思い知らされる。党派を超えて信念を貫いたマケインのような政治家が、今の共和党から再び現れることはあるのだろうか。
著者も指摘しているようにアメリカは自由とグローバリズムを掲げる超大国から、ある種の「普通の国」へと変貌しつつあるのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
アメリカの人口のうち60%がキリスト教徒で、40%がプロテスタント、そのうちの60%が福音派。
グローバル化、リベラルな風潮、リベラルな公教育への不満・不信から、穏健なキリスト教徒の主流派が減り福音派が増えてきた。その中にキリスト教ナショナリズムという過激な動きが出てきた。NAR(New Apostolic Reformation)新使徒的改革運動といわれるクリスチャン右派だ。20世紀には神の祝福が直接現世の成功につながることを約束する繁栄の福音が主流だったが、21世紀になって個人の繫栄ではなく国家のキリスト教化が課題となる。救済されるべきは個人ではなく国家なのだ。キリスト教ナショナリズムは国家がキリスト教を根幹としているので他宗教は認めないという立場だ。
もともとアメリカは、権力と結びついたヨーロッパのキリスト教への反発から、独立当初から政教分離を基本理念としてきた。そのためにかえって信教の自由によりキリスト教の重みが増し、自由に発展することができたのだ。
1878年のモルモン教重婚禁止判決、1963年の学校での朝の祈唱への憲法違反判決などもあり、政教分離がはっきり意識づけられリベラルな風潮が進んできた。
1980年代から福音派が政治的関与を深めていったのは、反宗教としての共産主義がある。さらに経済的な圧迫や治安の原因、そして白人キリスト教徒の国としてのアメリカ性を脅かすものとして移民を捉えているから。
また、宗教へまで口を出す北部の連邦政府への南部の不満もある。福音派は南部に多い。
多数の教徒を抱える福音派の集会は、大駐車場を備えた会場でロックコンサートなども行われるビックエンターメントになっている。
大学はほとんどリベラル一色で、それに反発して、チャーリー・カークは保守的政治団体ターニング・ポイントUSAを作ったが、去年暗殺されてしまった。
一般にも、リベラル疲れと言われるようになり、保守的な古きアメリカの良き夫、良き家庭が求めれると、保守=キリスト教となってしまう。
既に成功を得た移民たちもアメリカ人になり切りたいので福音派を支持し、新しく移民が入ってくることに反対する。
Z世代と言われる若者たちは、SNSなどにより多様な価値観へ目を向け、世俗が進んでいる。
このあと、リバタリアンやピーター・ティールの加速主義などとキリスト教ナショナリズムとの共通点や差異、イスラエル問題を述べている。ユダヤ人が選ばれた民なのは聖書に書いてある通りで、終末の後ユダヤ人たちはキリスト教に改宗するとか。こんなふうに、福音派の人々は聖書の言葉を前後のかかわりなど無視で一部分だけ切り取って、自分の都合のいいように解釈する。主流派の人々は聖書を全体を通してよく読んでいるが、福音派の人々は聖書を読んでいないのだ。
リバタリアンや加速主義者たちは成功した自分たちは神から選ばれた者たちで価値ある自分たちだけが助かればいいのだという呆れた利己主義者たちである。火星への移住とか核シェルターとか、選ばれた者のためである。
著者の森本あんりは、キリスト教は衰退してると言い、市民宗教を取り戻すべきという。トランプやNARなどにはないものだ。経済的に成功した神に選ばれ祝福されているというのではなく、自分たちも罪に塗れていて、相手の罪だけを指弾することはできないというのが市民宗教。
リベラル派にしろ、キリスト教ナショナリズムにしろ、とにかく極端に振り切れてしまうのがアメリカなのかなあ。いや日本以外どこもそうなのかもしれない。大統領選挙の時なども、民主党支持か共和党支持かをはっきりさせないと地域に居づらいというからなあ。八百万の神がいて、多様な価値観を認める日本は特殊か。それを大事にしたいけどなあ。 -
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【私たちは往々にして現実社会における「影」や「負」への対応を政府に丸投げしてはいないか。そして、政府を批判することで私たち自身の「他者への責務」から逃れ、自らを道義的高みに置こうとしてはいないか】(文中より引用)
保守やリベラルといった広く用いられる用語では定義することが難しい「リバタリアニズム」という考え方。淵源やその広がりを辿りながら、アメリカで若者の注目をにわかに集めつつある思想の説明を試みた作品です。著者は、『文化と外交』などでも知られる渡辺靖。
リバタリアニズムの解説本として機能しつつ、リバタリアニズムが硬直的・単一的な思想ではないということを示している点が魅力的。アメリカを分析する上で一つの重要な視座を与えてくれていると思います。
アイン・ランドはどこかで読んでみよう☆5つ -
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本来の自由主義
リバタリアニズムを代表する政治家として米大統領選にも出馬した経験のある元米下院議員ロン・ポール氏が現役時代の2012年、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教授と、経済ニューステレビのブルームバーグで討論したことがある(『ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ』に収録)。
中央銀行によるインフレ政策を支持するクルーグマン教授は、金本位制の復活を唱えるポール氏に対し、百年前の世界に戻るようなものだと批判。するとポール氏はあざやかにこう切り返す。「教授の主張は一千年、二千年前に戻りたいという考えではありませんか? かつてのローマやギリシャのような国家が、自分たちの通貨を減価させたように」
ポール氏のこの発言から二つのことがわかる。一つは、あたかも最新の経済理論に基づくかのように思い込まされているインフレ政策は、はるか古代から国家が人々の財産を収奪するために駆使してきた手口にすぎないこと。もう一つは、金本位制を支えるリバタリアニズムの考えはわずか百年前まで、世界における経済政策の常識であり、過激な思想でも何でもなかったことだ。
リバタリアニズムは「自由至上主義」と訳されることが多く、本書の副題もその訳語を踏襲している。この訳語は過激な思想であるかのような誤解を与えてしまう。リバタリアニズムには国家の廃絶を唱えるラディカルな無政府資本主義もたしかに含まれるが、本書が詳しく解説するように、それがすべてではない。国家に一定の役割を認める考えも含まれる。米国では自由主義を意味する「リベラル」という言葉が左翼に乗っ取られてしまったので仕方ないが、日本では「自由主義」をそのまま使えばいい。
副題にケチをつけてしまったけれども、本書の内容はすこぶる有益である。米国を中心とした多くの活動家や研究者へのインタビューも興味深いが、見逃せないのは歴史的な考察だ。リバタリアニズムの源流をハイエクやフリードマンら現代の経済学者だとする解説をよく目にするが、実際はジョン・ロックやモンテスキューら17〜18世紀の啓蒙主義時代の欧州の政治哲学にまで遡る。
その思想は米国に受け継がれる。初代大統領ワシントンや第3代大統領ジェファーソンは、諸外国との貿易を推奨する一方で、軍事同盟など政治的なつながりを拒絶した。前述のロン・ポール氏は共和党内における反イラク戦争の急先鋒で、在日米軍を含む海外駐留米軍の撤退を訴えたことで知られるが、この姿勢はワシントンら建国の父たちの理念に「驚くほど忠実」だと著者は指摘する。
リバタリアニズムは過激な思想ではない。この百年の間に世界が自由を否定する方向に傾いてしまったために、過激に見えるだけだ。
「自由」をその名に冠する政党が戦後ほぼ一貫して政権与党であるにもかかわらず、福祉国家や軍事同盟に舵を切り続けてきた日本。野党にも本来の自由主義の復権をめざす政治勢力は存在しないに等しい。先行きに展望の見えない現状を変えたいのであれば、リバタリアニズムがそのカギを握るのは間違いない。 -
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パブリック・ディプロマシー(文化・広報外交)について書かれた本で、経済・軍事力といったハードパワーと対比される文化・国際交流のソフトパワーについて、各国の事例・日本と外国との対比を交えながら解説した良書。
そもそも文化・広報外交やパブリック・ディプロマシーという言葉自体に一般のなじみは薄く、British Councilを知っている人も日本に国際交流基金という日本の文化・国際交流を担う組織が存在していることはあまり認知されいないように思う。
中国が孔子学院という名で日本の大学の中に中国語教育センターを増やしていることへの言及もあったが、私自身中国語を勉強しようと思ったときに検討していた学校でもあり、かなり身近なところにもこういった各国の活動は浸透しているんだな、と思いました。
短期的な成果をもとめるのではなく、文化の交流とともに長期的な実を結ぶことを目標に活動していくには、やはり営利目的や短期的な成果を必要とする民間企業でカバーしきれない部分を補う役割があるのではないだろうか。民間にできることは民間にというのが昨今の時勢ではあるが、各国も国をあげてのパブリック・ディプロマシーへの注力と公的組織のネットワークの広がりを見ると、日本も再びこの分野についてどうあるべきか、と考えざるをえない。
クールジャパンに代表されるような民が主導になるべきところや、一方で公が広げていくべき分野はどうかといったような様々な文化・広報外交の議論の前提となる背景・基礎知識を勉強するには最適の書です。 -
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宗教学者と現代米国論の学者による対話本は最高に刺激的で脳にビビッとくる。
国の内情に知悉している人の会話はキリスト教ナショナリストと福音派、またリベラリストの相違点と共通点の説明やリバタリアンとの共通点など米国の政治・宗教の正に痒いところに手が届くかのよう。イスラエルを支持するのはユダヤ教徒以上にキリスト教福音派と言われる人たちであり、イスラエルでもそのことは分かっている。反ユダヤ的言動をしているとトランプが批判している人たちにユダヤ系の知識人が多くいるということも興味深い。米国は政教分離をしているのになぜ大統領の就任式で聖書に手を置いて誓約するのか?それは就任する人が信仰の自由を持っている証しであり、イスラム教徒ではコーランに手を置くこともできる。実際にそれが起こっていないだけ!これは驚きだった。フランスの政治学者トクヴィルが米国の政治を見て驚いたという歴史が説得力を持って迫ってくる。 -
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ネタバレ「保守」、「リベラル」の括りでは捉えられない勢力の一つである「白人ナショナリズム」について、その当事者や元当事者へのインタビューを通して見えてくる実態について。「反グローバリズムを掲げるナショナリズム勢力が擡頭し、人権、平等、民主主義、多文化主義などに基づくリベラルな国際秩序が揺らいでいる。そこに過激主義や陰謀論の付け入る余地がある。白人ナショナリズムはその一例」(p.190)として、トランプ政権下での人種問題をテーマにしている。著者はアメリカでの生活、研究経験のある大学の先生。
昔(2016年)『見えないアメリカー保守とリベラルのあいだ』という講談社の新書を読んだことがあって、その著者も渡辺という人だったし、内容も似ていてとても分かりやすいので、てっきり同じ人の書いたものだと思ったら、別の人だった。現実の問題はいかに複雑で解決困難か、似たような主張で一括りにする中にも大小の差異があること、民主主義国家への挑戦、試練という意味では日本も全く例外ではないこと、というポイントは分かった。そのもう少し細かい部分について、以下に気になった部分をメモして、少し整理したい。
まず事態を複雑にしていることの一つは、外側から見た時と内側にいる人たちの意識の違いによって呼び名が変わること、というのがあると思う。例えば「白人ナショナリスト」(white nationalist)も、その呼び名を快く思わない当事者もいるらしいということ、別の呼び名としては「人種現実主義者」(race realist)とか、「白人擁護者」(white advocate)とか、「白人至上主義者」(white supremacist)とか、もっと穏健な(?)言い方としては「人権活動家」(human rights activist)(p.40)とか。ということなので、呼称を整理することがまず必要、ということが分かった。なので知らなければトランプは「白人ナショナリスト」なのではないかと思ってしまうが、どうもそういうことではなく、当事者にとっては「表層的で、ご都合主義」(p.24)の政治家にすぎないらしく、白人ナショナリストは「反ユダヤ」が多いことからも、トランプとは違うらしい。(が、主張が近いので結局はトランプを支持することになる、という話。)呼称の話の続きで、この世界ではいろんな言葉が隠語、暗号、code wordとして使用される、というのも恐ろしい感じがする。例えば「反増税」→「反福祉国家」→マイノリティ差別の意味、「治安強化」=「犯罪者=マイノリティ(特に黒人やヒスパニック系)」(p.46)など。「多様性」→「白人大虐殺」(p.30)みたいな、良かれと思って使った言葉でも、「そのマイナス面の助長+極端な偏見や思想」という意味を伴わせて攻撃的な言葉に変えてしまうロジックが怖い。
それから「ペイリオコン」(paleoconservative、原保守主義者)(p.16)という言葉を初めて聞いた。トランプの「米国第一主義」の世界観と近いらしく、「『黄金の五〇年代』と称される第二次世界大戦後の社会を、将来回帰すべき理想と捉え」、「従来の共和党の立場に比べると、反移民、反多文化主義、経済ナショナリズム、非介入主義(孤立主義)の傾向が強い」(同)という指向があるらしい。そして白人ナショナリズムと同一視されがちな理由として、トランプの発言を支えている思想に、「『移民は米国にいられることにひたすら感謝し、大人しく服従すべきだ』という優越主義の残滓が色濃く滲み出ている。米国例外主義(米国を『世界の縮図』と特別視する発想)や愛国心とも絡む複雑な言説であるが、トランプ氏が白人で、言及した相手が白人だったこと、それまでもトランプ氏には人種差別的な言動が多かったことから、この発言は白人ナショナリズムと結びつけられて論じられた」(p.77)ということがあるので、同一視されがち、ということも分かった。事実、「白人ナショナリストにとっても『米国第一』は伝統的なスローガンの一つ」(p.86)ということだから、細かい方法や思想は違っても行き着く先が同じだと同じものとみなしがち、ということなんだと思う。「もっとも、白人ナショナリストといっても力点を置く課題や活動スタイルはさまざま」(p.94)ということで、この本では、「反移民系」、「反LGBTQ系」、「ホロコースト否定系」、「クー・クラックス・クラン系」、「レイシスト・スキンヘッド系」、「ヘイト音楽系」など、SPLC(南部貧困法律センター)による分類が紹介されていて(pp.94-100)、全部で1020(p.100)あるらしく、これは一体多いのか少ないのか、日本にはこういうのはどれくらいあるのか、よく分からないが、なんかアジア人にとっても怖い国だなと思ってしまった。その中にも「加速主義」というものがあるらしく、これに影響を受けて、「敢えて中東やアフリカなどからの移民の流入を促す者もいる。自らの人権意識に乏しい白人を覚醒させるには、移民の大量流入によって文化破壊を加速させ、危機感を喚起するほかないという考えからだ。『悪いほど良い』(worse is better)というわけだ。」(p.109)という、そんなディストピアの極みみたいな発想もあるのかと驚いた。
そして、これは今のアメリカを語る時だけにはとどまらないが、人種問題なだけに「そもそも人種とは」、ということを考えないといけない。「白人ナショナリストの論理と心理」が第1章で説明されているが、「知能指数(IQ)や出生率、貧困率、犯罪率などをもとに、アフリカやラテンアメリカなどからの移民・難民の流入を否定する論法が多い。正直、私には白人支配を正当化した往年の優性学を焼き直した疑似科学にしか思えない」(p.14)ということだ。「人類学や社会学、歴史学、遺伝学などでは、人種概念を『所与』ではなく『構築』されたものとして捉えることーいわゆる社会構築主義(social constructionism)ーが主流となっている。」(p.124)という、確かに「ユダヤ人」という人種は存在しないことと同様、日常生活の雑談で「人種」という概念を用いて話すことがあったとしても、本当にそれを政策や決定に活かすというのは危険だと思う。「白人ナショナリストの場合、記述的概念である『白人』を科学的概念のごとく扱い、自らの政治的主張に援用している点が非科学的で危険に映る」(p.125)というのはよく分かった。意外なのはこの人たちは高学歴の人や知日家の人も多く「白人ナショナリストの九九パーセントは日本が好きです。」(p.20)と言ったり、「日常生活では黒人やヒスパニック系とも親しい」(同)ので、決して外国人恐怖症でも人種差別主義者でもない、ということだから、結局人間はどこまでも感情で動く生き物なのかもしれない。「科学と人種の関係を論ずる際に気をつけるべき点」が4つあり、重要だと思うのでここに引用しておく。「・差異の基準そのものが多数派や有力者の価値観を反映していないか。・多数派や有力者が上位にくるようにデータを収集、解釈していないか。・一見、生物学的に見える差異も、実は社会的、歴史的に育まれたものではないか。・分析に用いるデータセットやアルゴリズムに偏りはないか。」(pp.132-3)ということで、これは最近読んだ『客観性の落とし穴』という本でも同じようなことが書かれていた。ちなみに反ユダヤ主義といえば、自動車王のヘンリー・フォードも「第一次世界大戦のみならず、南北戦争やエイブラハム・リンカーンの大統領暗殺もユダヤ人の仕業だと公言していた」(p.144)って、英語の教材とかに時々出てくる人なだけに、そんな顔もあったなんて意外すぎる。ちなみに反ユダヤ主義とは、「ユダヤ教やユダヤ教徒を一括りにして紋切り型の色付けをする行動」(p.146)のことで、たとえ賞賛する内容だったとしても、「いつ反転するか分からない。そのときの怖さが私たちには歴史を通して身に染み付いている」(同)ということで、とにかくステレオタイプで集団にレッテルを貼るのは良くないし、ユダヤ人についての言説はその極端な例、と捉えることができると思う。
著者の前作は『リバタリアニズム』で、白人ナショナリズムと並ぶ重要な2つのイデオロギーということで、本書は「姉妹編」(p.200)とも言える、ということだが、そのリバタリアニズムとの違い、というのも整理しないと、難しい。「連邦政府や二大政党制への不信」(p.27)という点では共通、過度なポリティカル・コレクトネスへの批判という点も同じだが、「リバタリアンは総じてグローバリズム(ヒト・モノ・カネの自由な移動)に肯定的で、個人の自由を束縛する集合主義(民族主義、人種主義、宗教原理主義、国家主義など)には否定的」(p.28)ということらしい。「リバタリアニズム」との関わりについては、p.135で紹介されている「ノーラン・チャート」(「『社会的自由』(個人の自由や権利vs. 集合的・道徳的価値)と『経済的自由』(大きな政府 vs. 小さな政府)を軸とする座標図」(p.199))が理解の助けになる。ちなみにポリティカル・コレクトネスへの批判、というのは言い換えれば「反エスタブリッシュメント」(p.71)とも言える。「『ポリティカル・コレクトネス』を国内外を覆う政治的・道徳的タテマエと一蹴し、『闇の政府』の解体を訴えるトランプ氏は、怒れるサイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)、とりわけ白人労働者層にとっての『救世主』となった。無論、白人労働者と白人ナショナリストはイコールではないが、少なくとも両者が交わる領域は存在する。」(pp.71-2)ということらしい。白人ナショナリストの「上の世代の場合は公民権運動が、下の世代では進学や就職の際のアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が大きな契機となっている場合が多い。そして、どちらの世代も、今日の米国を覆っている『ポリティカル・コレクトネス』(PC)は自由を脅かす『言論統制』の一種であり、その推進者や擁護者を『コミー』(commie, 共産主義者の蔑称)と糾弾する」(p.118)ということがあり、よく中高生に英語を教えている段階だったらmanは使わないようにとかMrs.とMiss.は古いからMs.で、でもちょっと行きすぎた言葉もあるよね(horizontally challenged peopleで太った人、とか)、くらいな話で済むけど、それどころではないくらい厳しいことになっている、というのがよくわかる。日本も「コンプライアンス」「ハラスメント」がブームだけど、これも行きすぎたら政治運動になって、これと真逆なことを言い出す人たちが生まれるような状況にまでなったりしないのかな、とか今思った。
他にも「白人ナショナリズムとの訣別」(p.166)を果たした人と、再会した人が、かつて自分が暴力を振るった相手だったという話で、この2人が「寛容博物館」で働いている、という話は印象的。最後に、どういう人がどういう経緯でこういう思想に触れるのか、という話で、「オンラインゲームも勧誘の主戦場になりつつある。」(p.178)とか、そしたらゲーム好きな日本人だって容易に染められちゃうんじゃないの、と思ったり。最後に「トライバリズム」という言葉も初めて聞いたが、「人種や民族、宗教、ジェンダー、教育、所得、世代、地域などの差異に沿って、各自が自らの集団の中に閉じこもること」(p.189)を指し、さらに「近年、米国では専門家や専門知への敬意が失われ、正誤ではなく、好き嫌いによって政策を判断する風潮が強まって」(p.189)、「『客観的事実』なるものが消え去り、『部族』ごとに異なる事実が存在し、専門知も一部族にとっての事実に過ぎないというわけだ。(略)労働者層、とりわけ白人の多くもまた、ロシア疑惑やウクライナ疑惑があろうとも、同氏を固く支持し続ける。あたかも『トランプ部族』であるかのように。」(p.190)ということで、もう容易に自分が何を支持したらいいのかは分からないし、考えられないので、結局人を見てその好き嫌いで、ということがあるのだと思うが、その状況は日本も同じなんじゃないかなと思った。
本筋とは関係ないが、自分の知らない英語や英語の使われ方、キーワードで勉強になったものは、replacementが「乗っ取り」、carnage「殺戮」、fringe「泡沫」、troll「荒らし」、character assassination「名誉毀損」、deep state「闇の政府」とかかな。ちょっと前に『世界をちょっとよくするために知っておきたい英語100』という本があったが、これの姉妹版みたいな感じで、英語にフォーカスを当てて今のアメリカについて勉強する本とかあったらいいな、とか思った。
この本は2020年に書かれたものだけど、本書で述べられている傾向は、それこそ加速主義なみに加速しているような気もして、最近の日本での選挙を見ても、「日本人ファースト」とか書いてある政党のポスターも貼られていたりするので、これからの日本の未来を見る上でももっと今のアメリカを勉強しようと思った。(26/03/27) -
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昨今の米国を覆う、従来の保守主義でもない、なにか。なにがトランプを生んだのか。なぜトランプは従来の常識ではありえない行動をとっても支持され続けるのか。本書が紹介する、米国における白人ナショナリズムは、日本にいる我々にとって不可解な現在の事象の背景を説明するものである。本書により、これまで異端に思えた思想が裾野を広げている現実や、突拍子もない陰謀論の発端となる思想への理解が深まる。
白人至上主義といえば、KKK に知られるように素頓狂な格好をする非常に尖った思想である、といったイメージはもはや古い。筆者が取材した会合では、ネクタイやジャケットの着用が義務で、参加者はみな社会的地位をもち不自由ない暮らしをしながら、白人を守るという思想に駆り立てられている。本書は白人至上主義者と呼ばれるのを嫌う彼ら (※ほとんどが男性) を「白人ナショナリスト」と呼ぶ。彼らは主張をソフト化し、またイデオロギを直接表面に出さず、インターネットやネットミームを駆使して、「オルトライト」と呼ばれる層を形成して裾野を広げる。
白人ナショナリストが理想とするのは、第二次世界大戦後が終わり公民権運動が始まる前の1950年代の、白人ミドルクラス中心の社会秩序である (Paleoconservative)。グローバリズムや「行き過ぎた多様性」により、本来の米国の魂を理解しない移民たちが白人たちの築いた社会を「侵略」し、白人たちの誇りを奪っているとして、“It's okay to be white.” をスローガンに活動する。日本社会のことを、移民・難民が少なく人種的均一性が高い社会として高く評価する。生理的な理由によって白人以外を差別しているわけではなく、知能指数や脳容量などの表層的なデータによって理由を作り白人の優秀さを誇る。強烈なユダヤ人差別感情を持ち、グローバリズムはユダヤ人の策謀であるという論を中心に、様々なユダヤ系陰謀論を唱え、ナチズムを支持する。
彼らは旧来は公民権運動、最近では Affirmative Action を契機に白人ナショナリズムに流れ、Political Correctness に反対し、連邦政府や二大政党制に不信感を抱いている (その点で Libertarian に誤解されることもある)。
本書で特に勉強になったのは、トランプの「米国第一主義」「メキシコ国境に壁を」といった主張はすべて、トランプによる唐突なアイデアではなく、それまでに白人ナショナリストが打ち出していた論であることである。彼らはトランプを支持しているわけではなく、信念のない政治屋だと考えているが、共和党を変えてくれるとして投票する。トランプは彼らの界隈のミームを投稿するなど迎合し、カジュアルなオルトライト層を取り込む。
これらの層は今や異端と軽視できない。世論調査によれば、ナチズムやオルトライトを明確に支持する者は米国人の1割に満たないが、それらを明確に否定しない者は米国人の3割近くに及ぶという。第二次トランプ政権の異常な DEI 排斥は、こうした現状を映し出しているものと考えられるだろう。
以上のような、日本で過ごしているだけではどうしても理解できない大衆的な変化を、筆者は取材も駆使して丁寧に説明していた。章分けが情報源ベースで話の行き戻りの多さが若干の読みにくさを生んではいるものの、その分重要な内容の繰り返しも多く、かつ平易な文章で読みやすい。日本における参政党の躍進の理解にも役立つかもしれない。読んでおいて損はない一冊。