諸星大二郎のレビュー一覧
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古本屋でふと手にとった一冊。2000年始めの頃の「鳥」をテーマにした短編集。特に50pの中編「本牟智和気(ホムチワケ)」が素晴らしかった。諸星大二郎の古代漫画は、いつも映画や小説では未だ描かれていない古代を描いているのだが、その描き方は、一旦紙に描かれてしまうと、たとえどんな奇異なことが起きようとも、それしかあり得ないような世界を創造してしまう。そもそも四世紀の日本など、今迄小説にはほとんど描かれない。文献がないからである。
ここで描かれていることは、もちろん「古事記」を下敷きにしているのだが、彼らの服装や巫女の立ち位置、神籬(ひもろぎ)の描写、伯耆の国の砂丘と森との関係などは、ちゃんと考古学的な知見に基づいて描かれているので、とっても説得力があるのだ。
考古学は、たった一つの真実(らしきもの)をいうために無数の事実を積み重ねて無数の小さな定説を築き上げてゆく。漫画や小説は、たった一つのウソを描くために無数の事実を散らばめてゆく。この場合のウソは、本牟智和気の幼児の頃の戦災のトラウマで、魂が鳥になっていたのが、出生の地の出雲に帰った時に魂を取り戻し呆けた純粋な青年が残酷で優秀な皇子に変身する話である。
最後の場面はこのように結んでいる。「古代、人の魂は鳥の形をしていると信じられていた。」(←これは考古学的な知見であり、数々の証拠がある。しかし、諸星大二郎が描いたような形の鳥かどうか、また位置付けもこれで正しいのかは心許ない)「本牟智和気は出雲へ進撃し、目的を果たした。その後大王は、本牟智和気のために、鳥を取ったことに因んで、鳥取(とっとり)部を定めた。伯耆の国(鳥取県)の古代の物語である」(←出典は記紀神話だと思うが、登場人物たちの性格付けはかなり変わっており、侵略者に成る前の本牟智和気を、私は好きである) -
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蛭子さんに補陀落渡海に、水をモチーフにした神話や民俗を基底とした作品群です。
イザナギとイザナミが一番初めに産んだのが蛭子命(ひるこのみこと)でしたが、不具の子だったために海に流してしまいますが、神となって戻ってきて、恵比須さんとして祀られる。
なんてったって、ヒルコと書いてエビスと読ませるわけですから、不具の子というのは、手足のない、胞状奇胎のような、形の成してない形状を思い出される。時にそれはドザエモン(溺死体)であり、その描写がまたすさまじい。
海の向こうは異界であり、そこからやってきた漂着物は時に神としてあがめられ、時に魔物として畏れられる。
また、逆に、生きて海の向こうに渡海するという補陀落信仰も、海の向こうに観音の浄土があると信じられていた民俗である。
圧巻なのは、これらの神話や民俗をホラーエンタテイメントに仕立て上げている点。面白い。
個人的にはもう少し稗田先生に活躍してほしかった。あのキャラクターは、金田一幸助や喪黒福造に並んでナイスガイである。 -
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目に見えないものって、たくさんありますね。
神とか仏とか、天国と地獄とか、悪魔とか妖怪とか、死後の世界とか常世とかニライカナイとか…。
旧約聖書も古事記もうそか本当か分かりやしません。
だけれども、それらは人間の想像力の産物です。
想像したものだからウソ、とは言い切れないものです。
たとえば夢と現実。
夢は夢だけど、悪夢で出た冷や汗は本物です。
たとえば物語と現実。
漫画や小説や映画はフィクションかもしれないけれど、そんなフィクションで人生を変えられてしまうこともあります。
たとえば死後の世界。
死んだ人でなければ分からない死後の世界はある意味フィクションですが、そんなフィクションを恐れて、人々は祭りをし、葬儀をし、墓を建てます。
だから、目に見えないものの実在は証明できないのですが、目に見えなものの存在によってこの世は回っています。
それは「虚実混交」というよりは「虚実まとめて実」と言える状態で、まさにそれを漫画というフィクションで描き切る諸星大二郎という人の手腕が、すごい!
絵は異様に上手いし、その上手さが異様さを増している。
題材も、古事記の水蛭子、隠れキリシタン、平家伝説、もがりと、憎たらしいまでに憎い。
どこまでが史実でどこまでが作者の想像力かと考えてしまうがそれらまとめて史実なのである。
前近代の人たちが実践してきた宗教的な営みと同じ構造を漫画の中で営んでいるという、荒唐無稽な漫画かもしれないがとっても高等無形の漫画です。
「生命の木」なんて、やばいですね。
日本の山村の閉塞感。常民の「はなれ」への蔑視、異端視。そして、一神教であるキリスト教の殉教への崇拝、弾圧や迫害からの信仰への傾斜。
このあたりにの描きっぷりがたった31ページのド迫力。 -
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表題作「夢見村にて」は、『インセプション』や『パプリカ』と共通するネタを持ちながら、民俗学の世界観を取り入れて、全く新しい展開を見せた意欲作。短編ながら、どこまでが夢で、どこからが現実かわからない、かなり複雑な物語構造。やはり諸星は短編のほうが才能が生きる作家なのではないかと思う。もう一つの「悪魚の海」は、「あまちゃん」ブームに微妙に乗っかった題材なのかな…。これまでも、海や深海魚の出てくる話は多いから、海は、元々お気に入りの題材の一つなのだろう。こちらも、諸星氏にしか思いつけない独創性があって面白い。稗田先生の登場シーンは少ないけれど、物語の面白さでグイ・グイ読ませる。
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『闇の鶯』での「浴衣に丹前」ショックに続いて今度は秘湯!
もう、やり過ぎです、勘弁してください、
梨汁ならぬ鼻血ブシャーですよ!!
……という戯言はさておいて。
表紙を見て、こりゃ懐かしの「トコイー、トコイー」か!?
と、戦々恐々。
でも、そんな呪術系の話ではありませんでした。
だからって怖くないわけじゃなくて、
ページを捲るごとに独特の気色悪さが襲い掛かってきます。
妖怪ハンターシリーズに登場した子供たちが少し成長した姿で、
稗田先生の弟子らしい頑張りを見せる2話、
かつて航空機墜落事故から生還した天木兄妹編「夢見村にて」と
海辺の町・粟木に住む潮くんと渚ちゃん編「悪魚の海」。
前者は夢を売買する慣習がある山奥の村、
後者は粟木と地続きの集落における漁の話で、
どちらも、
覗いてはいけない、触れてはならないものに接するストーリー。
もしかしたらどこかでこんな事件が起きているかもしれないと
思わされるだけのリアリティが感じられるところが凄い、
そこが好き。
でも、何が一番怖いって、
そりゃ、全っ然年を取らない稗田先生でしょ。
ちなみに、今回は「秘湯」のポイントは無効です、
加点しません☆4つ(笑) -
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発売を承知でこれといった理由もなく
何となくスルーしていた一冊を、
今般『夢見村にて』のついでに同時購入。
……さっさと買っておけばよかった……
浴衣に丹前!
鼻血が出るかと思ったよ、浴衣に丹前!!
ラストの「涸れ川」だけ趣向が異なりますが、
他4編は妖怪ハンターシリーズ番外編的な話。
鄙びた海辺の町・粟木に住む
潮くんと渚ちゃんが登場する「それは時には少女となりて」――
霊媒体質ではないかと稗田先生に言わしめる渚ちゃんだけど、
このエピソードでは立場が逆で、彼女が潮くんの危機を救う。
行方不明の姉の痕跡を追う青年の話「人魚の記憶」,
旧家に伝わる巻物の謎「描き損じのある妖怪絵巻」,
この3話は、異界から訪れるものとの遭遇、
あるいは秘し隠されたものを垣間見るといった筋で、
あからさまではないけれど、
初期作品群に見受けられたクトゥルー神話風の匂い、味付けを感じる。
殊に「人魚の記憶」はどうにも「インスマウスの影」というか、
あれを映像化した
佐野史郎主演「インスマスを覆う影」を彷彿させてならない……
とは言い過ぎか(また観たいな、あのドラマ)。
表題作は作者の昔の短編「城」――カフカの「城」のパロディ――
のセルフパロディ×見るなの座敷×桃太郎の鬼退治
といったところかな。
採点は☆4つに「浴衣に丹前」の分を加点して満点としました(笑) -
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和(日本)・華(中国)・蘭(西洋)の民話をモチーフに、諸星氏の自由なイマジネーションを掛け合わせた独創的な短編集。「和華蘭」(わからん)て言葉を初めて知った。
・瓜子姫とアマンジャク
諸星氏の思い入れの強い瓜子姫ネタ。
アマンジャクとの掛け合いが楽しい。
瓜子姫のモーレツに一途な片思い…。
「深海人魚姫」もそうだけれど、諸星氏は社会派で意地悪な展開の話を描くかと思えば、びっくりするほどロマンチックな時がある。
・シンデレラの沓
ほのぼのとしていて、シュールで楽しい話。
・見るなの座敷
「パプリカ」か「インセプション」のような、夢から醒めた夢。どこに現実がある?
・悪魔の煤けた相棒
元になっている話を読んでみたくなる。
・竹青
すごく面白いんだけど、本当は倍のページが欲しかったのではないかと思う。限られたページ内に何とか納めた窮屈感がある。 -
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既刊『トゥルーデおばさん』『スノウホワイト』補遺のような
童話・民話系短編集だが、不条理さや残酷さは薄れていて、
意外にほんわかした優しい感触が、何だか妙に嬉しい(笑)
ブラックさが前面に押し出されていない点を、
好意的に受け止めるか物足りなく感じるか、
読者によって評価は分かれるだろうけど、
個人的には結構満足……なのは何故かと考えるに、
「見るなの座敷」以外の4編は、
女の子が束縛から解放される過程が描かれていて、
カタルシスが得られるからなのかも、と思った。
ネタが被っても構わないので、諸星先生にはこれからも
独自の「メルヘン」を追究していただきたいです。 -
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以前仕事で学生向けのコンテストを実施したことがあった。写真やイラストを利用した広告を募集したのだが、多くの学生さんが参加しやすいように、と募集要項を決めるときに、なるべく緩やかに広い内容にした。媒体もなるべく自由にと、広告のテーマは与えるけどそれは雑誌やポスターでも構わない、自由な発想で媒体も決めてほしいと。
どうしようかな学生さんから、「ビル全体をラッピングした広告です、納品はどうしましょうか?」なんて言われたら、そんなでっかいものオフィスにおけるかな~とか、「体全体にボディペインティングをして広告にしたんですけど写真でいいですか?自分が出向けばいいのでしょうか?」なんて問い合わせとかあったら、それって質問っていうよりもやや緩やかな攻撃じゃん?!
なんて。ふふふふん、楽しみだなぁどんなムチャがくるんだろう。
ところが。
実際にあたしが受けた質問と来たら、「できれば媒体を決めてもらって、雑誌なら雑誌にして欲しい。デザイン系の雑誌なのかビジネスなのか、実際の雑誌だともっとイメージしやすいんですけど」「何月号で訴求先は具体的にどこでしょうか」「サイズをできれば1つにしてきめてほしい」
あたしは自由にしたほうが想像力を発揮できるのかと思ったんだけどその逆だった。みんなが寄ってたかってあたしから引き出そうとしたものは制限と決め事。ちょっとビックリ。そんなもんなのかな?自分でこうこう、と仮定をたてて、それに対してはこれが効果的、そういったアプローチって逆に、難しいんだろうか?
なんでそんなことを考えていたのかと言うと、今日のマンガがすべて、鳥縛りだったから。ただしその定義は広くて、怪鳥から天使まで、およそ羽があるものは全部含む~~みたいな感じだったんだけど。鳥にまつわる、というテーマで一番あたしが気に入ったのは最後の「鳥を見た」。ここでは少年たちのちょっとすれ違い気味の友情?のようなノスタルジックなエピソードが語られるんだけれど、病院でほとんど外出できない少年が、鳥を見に行きたいけれど怖い、憧れと恐怖が自由に対するそれなのかと思ったら軽く反転したちょっとしたサスペンスに、という転換が美しかった。
縛りがあるというのは時に、集中と精査を生むのかもしれない。作者もそうだろうけれど、実は読者側も。こういったテーマなのですよ、この制約の中でこう知恵を絞ったのです、といわれれば比較もしやすいんだろう。
ま、件のコンテストもそうだ。もしボディペインティングとビルラッピング、ゲリラライブとか一気に提出されちゃったら、さすがに収拾がつかなかったかもしれない。結局は架空の雑誌を決めて、何月号で特集はナニ、ターゲットはこうこうで発行部数はいくらいくら、書店でも売られていて、その表4の広告に。と、決めざるを得なかったあのコンテストをあたしはぼんやりと思い出していた。
うーんいやでもさ、本当にそれでいいのかな?
昔コマーシャルで、日本の算数は1+1の答えを聞くけどイギリスの算数は□+□=12とかしてあって、何個も答えを考えるんだ、ってきいて、あーそのほうがずっといいんじゃないかって思ったことがある。想像力って、大事じゃないのかな。かまぼこが海を泳ぐんだって思う子供ばっかりが世の中にあふれて、君と僕だけでセカイが閉じちゃって、いつか「あ、ごめん、こんな簡単に人が死んじゃうなんて思わなかった、でも大丈夫でしょ、ライフをいれたら」なんて真顔で血まみれのナイフを持った誰かに言われたら、あたし、泣くぞ。