鍛原多惠子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
絶滅の概念は、18世紀初頭、キュビエにより、アメリカマストドンをめぐってもたらされた。
クルッツェンは、人新世の語を用いた、これまでの変化として、以下を指摘している。
・人間は地表の3分の1から半分に手を加えた。
・世界中の主要な河川の大半はダムが建設されたり、切り回されたりした。
・肥料工場が、すべての陸上生態系によって自然に固定される量を上回る量の窒素を生産している。
・海洋の沿岸水域における一次生産の3分の1以上が漁業によって消費される。
・人間が世界中の容易に入手可能な淡水の半分以上を使う。
人間の運搬による種の均一化がもたらす効果は、大陸がひとつに結合された場合を想定した思考実験によって、陸生哺乳動物は66%、陸生鳥類は50%減少すると推定される。 -
Posted by ブクログ
過去は現在よりも良き時代だったのか。
昔は・・・から始まる千年前から言われている定型句。
昔は電話やメールもなく、人と人との結びつきが強くて、料理は下手な化学調味料がなく素材の味を楽しめた。
山に行けば、手つかずの自然。
海に行けば、ごみひとつ無いエメラルドグリーンの美しい海。。。
ちょっとまってほしい。
病気にかかれば、薬はなく、黒死病にかかればほぼ間違いなく死ぬし、農耕は辛いし、重い納税が毎年課せられる(今もか・・・)。
どうも人間は過去を美しみ、将来を悲観する傾向にあるようだ。
悲観論書は、将来は石油がなくなり、人口が飽和し食物を争い、水は汚染され気温が上昇し海水面が上昇し人間の住む場所はなくなるという。
はたしでそうだろうか。
ここが本書の論点である。
石器時代は何も石がなくなったから終わったわけではなく、他に代替のテクノロジーが発見されたからである。
ローマ・クラブの「成長の限界」は未だに訪れないし、まだまだ人類は発展するし、それほど悲観する必要はないのだ。
まぁ、代替のテクノロジーによって過去に限界が訪れなかったからといって、今後もそうだとは言えないし論拠が薄いのですが、それほど強く将来を悲観する必要はないという事は同意である。