村上しいこのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
図工室にネコライオンという猫が飛び込んできた。ネコライオンは動物園から逃げ出してきたようで、はじめて見る図工室のみんなに少しおびえていた。でもしばらくしたら仲良くなった。
ネコライオンは本当は普通のネコなのに動物園の人が段ボールでたてがみをつけて無理やりネコライオンという動物にしたので、ネコライオンは動物園が嫌になって逃げてきた。
そこに動物園の飼育員さんが学校にネコライオンを探しに来た。
ペカソは自分に布を被せて腕をつけて人に変身した。
ペカソは飼育員さんを追い返そうとしたけど、そのとき雨が降ってきて、顔のペンキが溶けてドロドロになってしまった。顔がドロドロになったのを観て飼育員さんは驚いて逃げ出した。
顔がドロドロになるなんてどんな気分なんだろうと思った。 -
Posted by ブクログ
バレンタインにおたまちゃんが大好きなお巡りさんのためにバレンタインチョコを作ろうと思った。
だけど、作ろうとしてもみんな作り方がわからなかった。そこにしゃもじばあさんが現れて、「それでは昔友達だったお坊さんに作り方を聞いてみましょう」と言った。
そこでみんなはお坊さんのところに行った。
ちょうどその時はお坊さんがチョコレートを作ろうとしていた日だった。
なので、みんなも一緒にチョコレートを作ることができた。
みんなでチョコレートを作っていたら、おたまちゃんが大好きなお巡りさんも「チョコレートの作り方を教えてください」と偶然お坊さんのところに現れた。
その時にはおたまちゃんのチョコレートは完成していたので、お巡りさんに渡すことができた。
運が良いなと思った。
僕もそれくらい幸運になりたいなと思った。 -
Posted by ブクログ
包丁がフードプロセッサーという新しい電動包丁に代わるとみんなが言った。
包丁は、いままで使ってくれた給食室の先生のためにみんなでオムライスを作ろうとした。
そこで材料を買うためにスーパーに行った。
だけど、みんなは材料はタダだと思っていてお金を持っていなかったので、材料を買えなかった、
そこにスーパーのおっちゃんが出てきた。おっちゃんはスーパーで焼肉の実演販売をしようとしたけど、フライパンを忘れてしまっていた。なので、給食室のフライパンにかわりに働いてもらって、その分のお金をみんなに払うという話になった。
そのフライパンで焼いたら大繁盛したので、おちゃんはオムライスの材料代を全部払ってくれた。
それでオムライスを作った。
給食室の先生にオムライスを食べてもらったけど、先生は他の先生が作ったオムライスだと思っていた。
だけど、ちょっぴりは給食室のみんなが作ったと思ってくれていたので良かった。
僕は自分でもフライパンを使ってみたいなと思った。 -
Posted by ブクログ
言葉の可能性を信じることができる作品にしたい…と、作者は短歌を一から勉強してこの小説を書いたと知り驚いた。
いじめが原因で引きこもってしまった綾美、親友を裏切ってしまった桃子の気持ちがリアルに伝わってくる。
高校の"うた部"の仲間と短歌を通して繋がっていくうちに、物語は明るい方へ動き出す。
いと先輩や清らの恋バナがストレートにうたとして詠まれたり、短歌大会の題詠が「恋」とは、今どきの高校生らしいなと微笑ましく思えた。
傷つきながら、戸惑いながらもそれぞれが懸命に生きている姿に感動した。
表題の「うたうとは小さないのちひろいあげ」が
連歌の上の句であったことが終盤になって明かされる。
桃子の想いを受け止め、綾美が下の句「宇宙へ返す
ぬくもりをそえ」と詠んだ時、やっと二人の気持ちが通じ合った。
私は1人じゃないと信じて生きる!
作者が伝えたかった想いを、私も読み手の1人としてしっかり受け取りたいと思った。 -
Posted by ブクログ
「陰口を言うことより、いすを投げつける方がいつも罪が重かった」
本文中に出てくるこの文は、私も同じ思いに囚われている。おそらく今でも(お子さまですいません)。
冷静に考えてみると、確かにいすを投げつける方が、相手に取り返しのつかない大怪我をさせてしまう可能性が高いから罪が重いのだろうと、大人なら思うだろう。
ただ、こう返されると、当時の子供の私には、
「肉体の痛みと心の痛みは、肉体の痛みの方が上なの?」と反発するだろう。
「私がどういう環境で育ってきたか、あんたたち知ってるの。知りもしないくせに分かったようなこと、言ってんじゃないよ」と、今風に言うと「キレて」しまっていたのだ。
さすがに、その後の色々な経験や、この作品を読んだことで、これに対する今の私の解答としては、
「自分のみでなく、相手の立場も考えながら、冷静に自分の気持ちを、誠実に訴えればよかった」
ということになるのだが。ただ、当時の私にはそうした答えが分からなかったし、親も先生も誰も教えてくれなかった。まあ、結局、自暴自棄で高校を中退してしまい、しばらく荒れたという昔話で。
要するに何を言いたいのかと言うと、児童書って、物語として楽しめるのはもちろん、本当に必要な人のために書いてるんだなということです。前も、他の作品の感想で書いたかもしれないが、悩み苦しんでいた当時に、この作品と出会っていれば、と思っちゃうんですよね。
主人公の中学1年生の「雅也」は、発達障害なのではと思われてる中、親から「どうして、こんなふうに育ってしまったんだ」と。知るか。こっちが言いたいわとツッコミたくなる、嫌な始まり方。
雅也は、時に自分の感情を抑えきれなくなる時があり、ずけずけとしたもの言いをして、相手を傷付けたことを後悔するけれど、自分自身でどうにもできないもどかしさに苦しんでいた。言っていることは正当なんだけど、自分の立場だけでものを言っているようにも捉えられかねない。
そんなわけで、友達もいない雅也は、「みつばちマーヤの冒険」の本だけが信じられる存在で、鬱屈とした日々を過ごしていた。
そんな雅也だが、叔父の養蜂の仕事を手伝うために、向かった北海道で出会った仲間たち。そこの子供たちは、皆、家庭環境など様々な問題で苦しんでおり、その中の五人の子供たちのまとめ役で冷静に見える、雅也の同級生「海鳴(かいなる)」は、
「強くないよ。ただ、ぼくはゆっくりとがまんするしかないだけさ。逃げる場所がないから、一生懸命にがまんすると、なにもかもいやになる。ぼくたちは前を向いて歩く前に、顔を上げなきゃいけない。それだけでもたいへん」
と思いを語る。この台詞を覚えていたのだろう、後の雅也の台詞に
「あきらめる練習よりも、あきらめない練習が必要な人もいる。顔を上げるためには、心の奥にまで差し込んでくる光が必要」
ちなみに上記の台詞は、自分だけでなく、他人を守ることが自分自身の喜びにもなると気付き始めたときのもので、雅也もこういう台詞を言えるようになるまで、成長したんですよ。
また、養蜂での体験において、様々な立場で物事を見ることや、生きることの大変さを教えられる。
例えば、
「刺されるっていうのは、人間本位の考え方。みつばちにしてみれば、刺さなくてもいい相手を刺して死ぬこともある」
「病気でみつばちが大量に死んだり、水害で流されたり。生きるっていうのは、いつもあきらめと背中合わせだ。残酷だな」
このような話を聞いて、雅也は少しずつ世の中にはいろんな世界があることを、実際の体験により、実感していく。また、みつばちの話から、海鳴たちを思い浮かべた雅也の意識の変化には、爽やかで、納得できる確かな説得力を感じた。
みつばちマーヤの冒険の名言と、養蜂の体験と、家庭環境で苦しむ子供たちの要素のブレンドが絶妙で、物語の展開は、伏線もしっかり入った喜怒哀楽に、大人も子供も楽しめる内容になっております。エンディングも爽やかな切なさがあって良かったし、何より、雅也を含めた個性的な六人の子供たちが、最初はギスギスしたけれど、悩みながらもみんなで少しずつ考えて、助け合いながら人生に向き合う姿には、本当に感動しました。
内容に関しては、子供に言うには少し厳しすぎるかなとも感じたのですが、それって、子供にもよりますよね。ただ、それは日々どんな子供なのか、気にかけていないと分からないし、子供というだけで、甘い厳しいを勝手に判断するべきじゃないよなと、自省するきっかけにもなりました。
「不幸なことがあっても、人に自分の人生を任せてしまってはいけない。それは自分の価値を下げてしまう。自分で自分に期待できるような人になってほしい」
上記は、子供たちを見守る「志保子さん」の台詞。厳しいと思うけれど、おそらく自らにも課している。子供たちを見て、大人も成長する。 -
Posted by ブクログ
桃子は高校のうた部に強引に勧誘される。短歌で気持ちや情景をうたうことや、先輩たちに心惹かれる。しかし桃子は幼なじみで不登校となった綾子と、高校では友達を作らないと約束しているのだった。
友達を守れなかった後悔、自分の気持ちがわからず殻に閉じこもってしまう。そんな不登校の苦しみとふたりの友情、それと短歌の魅力が見事に融合された作品。
短歌の魅力を理屈で説明するのではなく、各々が自分の短歌を披露し批評し合う様子で示しているので、桃子とともに自然と受け容れています。
そこに挿入される綾子のブログの形をとった気持ちの吐露。
友人や両親に無理難題を押し付けて、攻撃的になることで己を守ろうとする。しかしそのままでいたくない、友人や両親を嫌いになりたくない。外に出て学校にも行きたい。でも怖い。そんな感情の波がそのまま書かれています。
このブログと短歌は繋がり合うものかもしれません。
自分の気持ちをどう表わすか。
短歌では五七五七七の31文字で表現すると決まっています。制限があるから気持ちをまとめることもできるのでしょう。
そして自分の気持ちをただ吐き出せばいいのではない。伝えたい相手に伝えるためのものである。そのことを意識することで、自分にも届く言葉となるのでしょう。
不登校を扱う物語は、現在たくさんあります。
そこでは自分で制御できない自分の気持ちと、どう取り組むかが問題ともなります。
そしてここでは短歌が核となり、桃子や綾子の気持ちを掬い上げています。
ひとりはいいけど、ひとりぼっちはだめ。重荷は自分ひとりで背負ってはだめ。つらい時に人に頼ることも大切だ。そのために仲間がいる、友達がいる。
うた部の先輩と顧問の先生。素敵な仲間とともに過ごす時間。その心地好さも魅力となっています。