あなたは、100年変わらず同じ場所で世の中の移り変わりを見たとしたらそこに何が見えてくると思いますか?
医療技術の進歩もあって人生80年と言われていた人の一生も今や人生100年という言い方で語られるようになりました。100年という時間は長いものです。そんな長い時間の中で人はライフスタイルの変化に伴って居場所を変えてもいきます。同じ場所で100年を過ごすということも少ないと思います。
今の世の中、変化しないものはないという位にさまざまなものが変化し続けています。例えば大阪という街を見ても今から80年前にはB29の襲来による大空襲で多くの人命が奪われました。しかし、その後の復興によって幸せな暮らしを取り戻しています。このように私たちの暮らしは大きな変化の中にあることがわかります。では、そんな変化を同じ場所から見続けたとしたらそこに何が見えてくるのでしょうか?
さてここに、大阪府と奈良県の境界にある『生駒山』の山上から100年の時の流れを見続けた存在が語る物語があります。『わたしがこの山に生まれたのは、今から百年近く前のことです』と語る存在が見た100年の移り変わりを描くこの作品。そしてそれは、まさかの『飛行塔』視点で世の中の100年の移り変わりを見る物語です。
『わたしがこの山に生まれたのは、今から百年近く前のことです』、『「生まれた」といういい方は変でしょうか。正確には「造られた」ですね』と語るのは『遊園地の乗りもの』である『飛行塔(ひこうとう)』。『たくさんの人が鉄骨を運んでき』て『それを組み合わせて、わたしができあがっていった』と振り返る『飛行塔』は、『山のてっぺん』から『初めてまわりの景色を見たときのこと』を『今でもわすれられせん』。『高さは六百四十二メートルある』『生駒山とよばれる』山の上に立つ『飛行塔』は『塔のまわりを飛行機がぐるんぐるんと回転しながら上がっていき、またゆっくり下りていく遊具で』あり、『土井万蔵さんという人が設計しました』。『塔の上のほうには展望台がつけられたので、飛行機に乗らなくても、景色を見ることができます』。『エレベーターつきはわたしが初めて』という『飛行塔』は、『百年近く前』という時代にあって『当時』『最新式の遊具』でもありました。『これから、わたしがこの山のてっぺんから見つめてきた百年のできごとをお話したいと思います』と語り始めた『飛行塔』。
場面は変わり、『雪がちらほらと降る寒い夜のこと』でした。『これから山頂でどんなことが起きるんだろう』と『だれにともなくつぶや』く『飛行塔』に、『遊園地には、人間の子どもがいっぱい遊びに来るんだ。みんな楽しそうに一日すごすんだよ。全国にいくつもあるんだよ』と、『返事が来ました』。『遊園地を見るのは、わたしもこれが初めてだけれどね。わたしは山のふもとから、人間たちをたくさん運んでくるのが仕事だよ。あなたは、その人たちを飛行機や展望台で楽しませるのが仕事』と続けるのは『少し坂を下りたところに』ある『ケーブルカー乗り場』に停車する『ケーブルカー』。そんな『ケーブルカー』に、『どうしてそんなに物知りなんですか』と訊く『飛行塔』に、『わたしはね、飛行塔さんより十一年早く生まれているからね。一九一八年から働いているよ…』と答える『ケーブルカー』は、『この山の中腹に宝山寺という、昔から栄えている有名なお寺があってね…』『願いに来る』たくさんの『人たちのために造られたケーブルカーなのだよ』と続けます。『線路を山上までのばして、今度は遊園地までお客さんを運ぶんだ。生駒山上遊園地という名前になるんだよ』と説明してくれる『ケーブルカー』とは『この日以来』『よく話をするようにな』っていきます。そして、『一九二九年三月、いよいよ遊園地がオープンし』、『毎日、たくさんの人がおしよせてきま』した。『子どもたちが次々と飛行機に乗ってきて、手すりをつかんだり、足でふんだりすると、くすぐったい気がしてくる』という『飛行塔』。そんな『飛行塔』がそれから百年の移り変わりを目にしていく姿が描かれていきます。
“奈良県生駒市の生駒山上遊園地の遊具「飛行塔」が話す歴史ファンタジー!標高642メートルの生駒山から見続けた昭和4年から戦時中、令和までの、歴史童話”と内容紹介にうたわれるこの作品。まさかの『飛行塔』という”無生物”が主人公として視点の主を務めるファンタジーです。そんなこの作品を読むに当たって多くの方が躊躇すると思われる懸念をまず払拭したいと思います。
Q1) 主人公(視点の主)が”無生物”ということでの違和感はないのか?
→ 今までに850冊以上の小説ばかりを読んできた私ですが、”無生物”が主人公を務めた作品は、”わりばし”視点が登場する今村夏子さん「木になった亜沙」、”かご”視点が登場する村山由佳さん「ある愛の寓話」、そして”雪だるま”と”雪うさぎ”視点が登場する村山早紀さん「コンビニたそがれ堂 奇跡の招待状」位しか記憶にありません。なかでも、今村さんの作品は元々の主人公は人間であり、それが木になり、”わりばし”になるという展開を辿るもので、強烈な設定とは言えそこまで違和感はありませんでした。それに対してこの吉野万里子さんの作品は、生まれた時から『飛行塔』という点に変化はなく、違和感ありあり…これを克服しなければ!という思いがまずよぎります。しかし、ご安心ください!他の方のレビューを見ても同様ですが、物語を読み始めて一瞬にしてそんな違和感は消え去ってしまいます。これは、吉野さんの筆の力なのだと思いますが、この点に違和感を感じられている方がいらっしゃるとしたら全くもって心配ご無用です。
Q2) これは子ども向けの作品ではないのか?
→ 主人公(視点の主)が”無生物”であり、イラストも豊富、内容的にも大人が読むものではなくて、子ども向けではないのか?という思いをいだかれる方もいらっしゃると思います。内容紹介にある”歴史童話”という記述も引っかかります。確かにこの作品は子どもさんが読める作りになっているのは間違いありません。総ルビがふられていますし、内容的にも決して難しいものでもないからです。しかし、この作品のポイントは後述する通り、戦時中の様子が描かれていくところが重要です。ここに描かれていく物語には、子ども視点では捉えられない、大人が読むからこそ胸を打つ重厚な物語が描かれていくのです。ということで、子ども向けと切り捨てる作品では決してありませんし、そのような視点はあまりにもったいないとも思います。
では、この作品をもう少し見ていきたいと思います。この作品は上記した通り、大阪府と奈良県の境界に聳える『生駒山とよばれる』山の上に立つ『飛行塔』が主人公(視点の主)となって展開していきます。では、そんな『飛行塔』についてまとめておきましょう。
● 『飛行塔』について
・『一九二九年三月』にオープンした『生駒山上遊園地』に設けられた『遊具』で高さ三十メートル
・『日本の大型遊具機械の父とよばれる』『土井万蔵さんという人が設計』した十六番目(エレベーターつきは初めて)の『飛行塔』
・『現存する日本最古の大型遊具』
・『塔のまわりを飛行機がぐるんぐるんと回転しながら上がっていき、またゆっくり下りていく遊具』
・『塔の上のほうには展望台がつけられたので、飛行機に乗らなくても、景色を見ることができ』る
・『展望台』からは『比叡山』、『奈良盆地』、『淡路島』までもが見える
といったところでしょうか?大阪府と奈良県の境界にあるこの『生駒山上遊園地』を訪れられた方がどのくらいいらっしゃるか分かりませんが、大阪方面から奈良方向を見た場合に数多くの鉄塔を山上に見ることができます。この山上にあるのが『生駒山上遊園地』です。近年、全国各地の『遊園地』はどんどん数が少なくなってきていますが、現在も年間約24万人の集客を誇り、かつこの数は13年前比較で50%増といいますから見事に再生した『遊園地』と言えます。物語は、そんな『遊園地』に現存する『飛行塔』が見続けた100年を描いていきます。
物語は『一九二九年三月』に『遊園地』のオープンと共に稼働を始めた『飛行塔』が見る周囲の景色、訪れる家族の様子というほのぼのした風景からスタートします。この辺りは極めて平穏な日常が描かれていきますが、『今、海の向こうの大陸で、戦争しています』という『航空灯台さん』の情報の先に一気にきな臭さを増していきます。
『こういっては飛行塔さんに大変失礼ですが、これからじょじょに「遊園地どころではない」という空気になるかもしれません』
そうです。静かに戦争の足音が忍びよってきたのです。
『わたしや遊びに来る子どもたちの生活はどうか変わらないでほしい、と思っていましたが、その願いはかないませんでした』。
『遊園地どころではない』という『航空灯台』の話が現実になった日々が訪れます。そして、戦争の影響は身近なところにも及んでいきます。
『この国は、戦争をしていて、武器や航空機に使う金属が足りなくなっている。だから、不要な金属はどんどんお国に出すことになったんだよ』
そんな言葉の先に、冒頭に登場した『ケーブルカー』からはレールが供出されていきます。さらには、『飛行塔』からもついに…という日々が訪れます。一方で、戦争そのものの場面も描写されていきます。
・『空襲警報を知らせる合図が聞こえてきます。ゴォォォォ、と夜空をつんざくような音がひびきました』
・『B29の落とした焼夷弾はあまりに多く、けむりが風にあおられ、生駒山よりもさらにさらに上へのびていきました』。
・『信じられますか?地上からのびたけむりが、何千メートルもの高さまで上がっていって、おそろしい形の雲になるのです』。
1945年の大阪大空襲の様子が描かれるなど戦争が日常を覆い尽くしていきます。ここにこの作品の最大の特徴が生きてきます。それは、この作品の主人公が『飛行塔』であるということです。戦争を始めたのも、戦争をしているのも、それらはすべて人間です。『飛行塔』はそんな人間に対してどこまでも第三者にすぎません。そもそも『遊具』が語るということ自体、荒唐無稽な話にすぎません。しかし、だからこそ人間が成すこの愚かな行為を冷静に見ることができるのです。冷静に語ることができるのです。
『戦争はどうやったら終わるのだろう?』
人々の喜ぶ顔を見続けてきた『飛行塔』。『子どもたちのよろこぶ顔が見られるなら、一晩ずっとでも乗せていたいくらいだよ』、そんな風に幸せな光景を見続けてきた『飛行塔』。この作品には、戦前、戦中、そして戦後の世の中の移り変わりを見続けきた『飛行塔』視点だからこそ描ける人間社会のあり方。平和が如何に大切かを強い説得力をもって伝える物語の姿がありました。
“書けるかしらという不安は、「書かなきゃ」という決意に変わっていきました”。
父親から戦争の話を聞くうちに、そんな思いを抱いたとおっしゃる吉野さん。この作品にはアサギマダラというチョウのことを調べるために訪れた『生駒山上遊園地』で目が『飛行塔』にくぎづけになったという先に生まれた物語が描かれていました。”無生物”が主人公という違和感が瞬時に消え去る吉野さんの筆の力に驚くこの作品。幅広い世代の方、一人でも多くの方に手にしていただきたいこの作品。
『飛行塔』が見続けた光景を通して、平和というものの貴さを改めて感じた素晴らしい作品でした。