坂野潤治のレビュー一覧
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本書は日本近代政治史の泰斗で昨年逝去された坂野潤治氏の遺著であり、辛口の批評は忍びないのだが、学ぶところは多々あるものの、全体としてはかなり一面的な書物と言わざるを得ない。
著者は二大政党制を前提とする所謂「ウェストミンスター型議院内閣制」をかなり美化しているようだが、近年の比較政治制度論の成果を全くふまえない、相当古臭い政党システム理解である。二大政党制を採用しない国はいくらでもあるが、こうした国々では立憲主義が機能してないとでも言うのだろうか?我が邦でも、小沢一郎が主導した政治改革(=小選挙区制)によって実現した周回遅れの二大政党制がどんな結末をもたらしたかを見れば、思い半ばに過ぎるだろう。挙国一致内閣が立憲主義の否定だと言うなら、お手本のイギリスでも戦間期〜戦中に何度も立憲主義が踏みにじられたことになるが、著者はこれをどう考えるのだろうか。
そして著者の決定的な限界は、憲法体制へのアプローチが所詮「平時」を前提としたものに過ぎないことだ。「筆者のこれまでの日本近代史研究は、いつも1937年6月で終わってしまい、それ以後の8年間の総力戦の時代を分析したことはない・・・筆者はその分析には関心がないのである」著者はこの間、明治憲法は停止したとみるのだが、なぜ停止に至ったかは問われない。「帝国」と「立憲」を二項対立でしか考えられない著者の思考枠組ではお手上げする他ないのだろう。日中戦争なかりせば立憲主義は守られたか?という著者の思考実験は不毛である。歴史にイフが不毛だからではない。平時にしか機能しない立憲主義など何の意味もないからだ。日本が中国と戦争を続けたのは「明治憲法が悪い憲法だからではなく、閣僚や議員や、あるいは国民が悪かったためであった」その通りだ。ならば馬鹿な閣僚や議員や国民による、平時にしか使い物にならないご立派な「立憲主義」の脆さ、これこそが問われるべきではないか。
やや飛躍するようだが、著者が匙を投げた問題について、評者なりの考えを最後に記す。コロナ禍にせよ原発事故にせよ、この国に有事への対処能力がないことを、この10年でまざまざと見せつけられた。真の国益を考え、毅然とした態度で国民を説得する指導者はどこにもいない。与野党問わず「命を守る」という誰も反対できない抽象的な「正義」に立て籠り、世論やメディアに右顧左眄するしか能のないポピュリストばかりだ。日中戦争から大東亜戦争へと突き進んだ時と本質は何も変わっていない。自衛であれ侵略であれ、こんな国に合理的な戦争遂行能力はないと断言できる。マッカーサーがいみじくも言ったように「12歳の子供」にはおもちゃがお似合いだ。情けないことこの上ないが、憲法9条はやはりこの国の「身の丈」に合ってると言わざるを得ない。「諸国民の公正と信義に信頼」し、アメリカもしくは中国の属国になるのが身の為だろう。 -
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昭和11から12年にかけて生じた日本近代史における危機ないし転換点の実態を明らかにしている本です。
昭和11年の二・二六事件以来、軍によるファシズムが支配的となり、民主主義が押しつぶされて日中戦争へ突入していくことになったという見かたがひろく流布していますが、著者はそのような歴史像が誤りであることを論証しようとしています。たとえば、マルクス主義経済学者の大森義太郎による人民戦線論が発表されており、そのなかで彼が選挙を通じて国政を変えていくことをひろく国民に訴えかけていたことからも、言論の自由が完全にうしなわれていたわけではないと著者は主張します。
その一方で、大森の国民戦線論は、まったくべつの理由によって現実性をうしなってしまったことを、著者は示しています。民政党と政友会の二大政党が、それぞれの置かれている状況のなかで憲政のありかたについての主張をおこない、美濃部達吉の天皇機関説も純粋な憲法学的観点からではなく、そうした政治的な状況のもとでそれぞれの態度が決定されていきます。とりわけ著者は、美濃部が議会を軽視した円卓巨頭会議の構想をいだいていたことを指摘し、民主主義の擁護者とみなすことができないと論じています。そのうえで、小泉内閣の政治状況に触れつつ、「改革」と「平和」というディレンマが当時においても存在していたという問題を提起しています。
また盧溝橋事件から十五年戦争へと入り込んでいく展開についても、作家の中野重治や哲学者の戸坂潤、軍事評論家の武藤貞一などが、その後の展開についての見通しを示していたことに触れて、国民にはこのときの危機について知るすべがなかったとはかならずしもいえないことを指摘しています。 -
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明治、大正、昭和戦前期の政治史を理解するためには明治憲法の構造と機能を知る必要がある。本書は、政治史を、憲法史として再構成しようとするものである、とはじめに本書の狙いが示されている。
以下、気になった点。
第二章「明治憲法体制の出発」の章は、初期議会における予算審議権を巡っての「富国強兵」と「経費節減」の争いを整理している。
藩閥政府は、概して政党に否定的であったが、美濃部達吉の天皇機関説が、「解釈改憲」により政党内閣の正当性を結論付けた、その論証を丁寧にあとづける。この辺りは、なるほどと思わされた。
そして、憲法11条の統帥大権、12条の編成大権に関し、ロンドン海軍軍縮条約締結を巡る統帥権干犯問題が火を吹き、また満州事変の処理を巡り、内閣には統帥権がなく、関東軍の行動の中止命令を出すことができなかった。
しかし、現地軍の暴走はともかく、日中戦争は閣議により、対英米戦争は御前会議で決定されたのであるから、国内政治体制のありようによっては、戦争への道を防ぐ可能性があった、と著者は言う。その点で、政党政治にとって致命的だったのは、五・一五事件により、犬養内閣が倒れ、その後政党内閣ができなかったことだとする。
第四章「挙国一致内閣」では、斎藤内閣では、政友会も民政党も閣僚を送っており、民意が働く余地のない状況であり、これを著者は立憲主義を根本から覆す重大な意味を持つものだとする。(そうした視点は考えたこともなかった。)
広田内閣が倒れた後、政民両党は、宇垣一成内閣を目指したが、陸軍大臣の推薦を陸軍から拒否され、宇垣は大命拝辞に追い込まれた。これにより、政民両党は衆議院に8割強の議席を占めながら、政権に就けない限り、憲法13条の外交大権に阻まれ、国民の生命に直接かかわる「戦争」を自ら回避する術を失ったという。(この指摘もなるほどである。)
第六章はやや駆け足気味で、論が少し追いづらいが、林銑十郎内閣から近衛内閣に移った直後に日中戦争が勃発し、状況が全く異なってしまったが、これで議会も国民も、自由主義とデモクラシーを放棄したのだとする。
明治憲法の天皇大権の重み、天皇機関説の現実的意義、特に政党政治との関係を、本書を通じてより理解することができたかと思う。
ただ、政党内閣から中間内閣の移行を重要な転機と捉える著者の考え方からすれば、なぜ政党内閣が終焉を迎えることになってしまったのか、その理由等について、一言あって良かったのではないかと思われる。(「昭和史の決定的瞬間」にあるのか?) -
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ネタバレ明治維新を柔構造という視点で見つめなおし、新たな評価をするという内容。視点は非常に面白いのだが、歴史を題材にしているという点では、あまりその背景には深く入っていないため、正直、良く分からなかった。おそらくある程度の知識を持っている前提で読むと面白いのだろうが。。。
何よりも「なぜ、そのような構造になったか」という点に対しての深堀りができていなかったことが、期待値から外れていたというのもあるかもしれない
正直、これらの事象は「偶然が積み重なった結果」ではないだろうか。事実、この柔構造は国家の目的や成し遂げるスコープが明確になった時点で、硬化してしまっている。
また、この著書では漱石の嘆きを悲観的とし、困難を乗り越えた偉業としている。この点がどうにも違和感がある。なぜか。漱石は「未来に対して悲観」しているが、著者らは「過去を評価」している。見ているものが異なるのだ。この点は漫画の「坊ちゃんの時代」で読み解けよう。漫画では新たな価値観の象徴である幸徳秋水を政府が抹消してしまう。そこに柔構造は影も形もない。
結局のところ、明治維新は育った土地、留学先等で得た様々な価値観を持ちながらも、日本を立て直すという共通の目的を持った人々が絶妙なパワーバランスのもと成し遂げた奇跡なのかもしれない。だが、その後に待ち受けられたのは柔構造を捨てた硬化構造?だ。そして、その、明治に作られた構造のまま現在に至っている、という事実。
著書らの掲げる「柔構造」は非常に面白い視点だ
これを現在においてどう実現していくかは、重要なキーに思える -
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大久保利通=産業殖産による「富国」、西郷隆盛=外征のための「強兵」
、木戸孝允=国民統治の「憲法」、板垣退助=自由民権の「議会」と、維新の立役者たちが目指した政治的方向性は微妙に異なっており、タイミング毎に離合集散を繰り返して日本の国づくりが進められていった。
「富国強兵」とは一緒くたにされることが多いが、方向性としては富国=内治であり、強兵=侵略であるため、実は対立構図にある。指導者であった大久保と西郷は薩摩での盟友であったために、2人の間でこの対立が表面化することはなかったが、新政府の官僚機構と幕藩体制の旧秩序における士族階級による西南戦争をもたらした。
明治10年までの台湾出兵や西南戦争による戦費負担は新政府に重くのしかかり、結果としてしばらく内治に専念せざるを得ない状況となる。ところが富国派の指導者であった大久保は暗殺され、維新の元勲である薩摩の2人がいなくなったために「富国強兵」路線は頓挫する。
近代国家成立のための憲法制定を目指していた木戸ら旧長州閥と、市民平等な国民議会による上下院の設置を目指していた板垣ら旧土佐閥は、薩摩閥を中心とした「富国強兵」路線に対抗するために当初は共闘していた。
大久保・西郷亡き後に立憲派と議会派は勢いづくも、ドイツ流とイギリス流で対立するようになる。皇帝=天皇の権限を強く設定したドイツ流立憲君主制を主張する木戸と、上下院議会によって民主化された政治体制を目指すイギリス流の板垣の意見は、木戸の病死と板垣の下野によって痛み分けとなる。
これら緊縮財政下において起こったインフレによって、地方の農村地主が力を持つようになる。これら民間の有力者が国債を買い支えることで新政府の財政規律は持ち直すようになる。また、当初は上院=華族(旧藩主)、下院=士族(旧藩士)と構想されていた政治体制は、これら力を持った有力者たちにも開かれるようになり、民選での議会制民主主義が実現していった。
大久保、西郷、木戸、板垣という維新の元勲たちの夢は半ばで潰えるも、明治中期には日清戦争に勝つまでに富国強兵は実現し、大日本帝国憲法は制定され、議会制民主主義による国内統治が進んでいったのであった。 -
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著者の「日本近代史」が、時代の分類など、うまく整理がされている良著だったこともあり本著も読むことに。
西郷隆盛に焦点を当てているとはいえ、基本的には「日本近代史」での論説に沿うもの。
・西郷は攘夷を唱えたことはなく、合従連衡により幕府に代わる新体制構築を考えていた。
・藩兵の合従連衡が先行し、武力のトップとしての存在が大きくなり、士族の不満を一手に引き受けざるを得なくなってしまった。
・西郷は必ずしも「征韓論」を唱えてたわけではない。
司馬遼太郎曰く、「西郷隆盛ほど説明が難しい人物はない。それは、この時代でしか登場し得ない人物であるから」。
本著を読んでも本当の「西郷隆盛」が明らかになるわけではないし、知れば知るほど謎が深まるところもある。
それを考えながら幕末維新を深めることも意義あること。
著者自身が西郷隆盛の大ファンであり、批判的な視点が欠けているところは却って消化不良。
以下引用~
・1842年にアヘン戦争で清国がイギリスに敗れた時の幕府の対応も、ちぐはぐもいいところであった。本来なら「異国船打ち払い令」を強化して、それに加えて「大船建造の禁」を廃止するのが、幕府の採りうるべき途だったはずである。・・・しかるに幕府は正反対の処置に出た。
・西郷が久光の命令を知りながら、「尊王」論で有名な平野国臣と会談したのは、「尊王攘夷」論者をも味方につけるためであり、平野が西郷に会見を求めたのは、薩摩藩を嫌う彼ら「尊王攘夷」論者の間でも、西郷だけは別格扱いだったためである。
・西郷の新体制構想と勝の科学技術立国とが結びつかないかぎり、明治維新は実現しない。
・西郷は「義」を最重視する政治家でもあった。・・・そのような西郷には、将軍に大政奉還を迫る薩土盟約に調印したからといって、武力行使しても長州の冤罪を雪ぐと誓った薩長盟約の方を反故にする気はまったくなかった。
・旧薩摩藩兵が、いわゆる征韓論の急先鋒だったわけではない。征韓論の急先鋒は、旧土佐藩兵を率いる板垣退助であり、旧薩摩藩兵でも西郷隆盛でもなかった。
以上 -
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去年、日本近代史を読んで面白かったので・・・
坂野さん2冊目・・・
今回は明治維新の元勲筆頭、西郷隆盛・・・
西郷隆盛のイメージっちゅーと・・・
まずは上野公園か江戸城無血開城、征韓論、西南戦争あたりでしょうか?
チョイと込み入ると、征韓論と西南戦争から軍部独裁やアジア侵略の元祖とか、士族反乱の中心人物ちゅー感じになってるみたいです・・・
そこで・・・
坂野さんが意義有り!ちょっとそれは違うんじゃない?と出したのがこの本・・・
征韓論とは言うけれど・・・
征韓の急先鋒は板垣退助で、西郷は征韓ではなく、朝鮮への使節派遣を求めたまでで、むしろそれによって急先鋒の板垣を説得、制することにしたまで、というのが実情・・・
征韓論で下野した2年後の同じ朝鮮に対する江華島事件では、日本海軍の遣り方に、いやいや、そんなコスイことするなよ、と文句言ってるしね、と・・・
しかも征韓論の他に、桐野利秋の台湾出兵論や、黒田清隆のロシアと一戦辞さず、っつー他の強硬意見を制することにもなっていた、と・・・
西南戦争も・・・
(わずかな)勝算がまったくなかったわけではないけども・・・
そして政府に不満がないわけではなかったろうけども、西郷自身が吹っかけたものではもちろんなく・・・
特に桐野利秋たちが暴発して、それを止められなくて・・・
担がれて仕方がなく、というのが実情・・・
征韓論の話にも通じるけど、もともと西南戦争のだいぶ前から、一緒に戊辰戦争を戦い抜いてきた部下たちは、内戦があらかた片付いて以降、みんな働き場が無くなってヤキモキしていたようで・・・
やれ、台湾だ、やれ露西亜だ、やれ朝鮮だ、とみんなウズウズ・・・
そのウズウズを抑えるのに苦心なさっていたみたいですよ、と・・・
さらに西郷自身は元々、攘夷なんてあんまり関心がなかったよ、と・・・
攘夷か開国かに拘らずに、幕政改革のために有力大名同士と有力家臣同士の合従連衡を計っていたよ、と・・・
ここは驚き・・・
幕末というととにかく攘夷か開国かで二分された時代なもんで、当然西郷もまずは・・・
と思いきや、そんなこたぁなかった、と・・・
そんなことより島津斉彬悲願の幕政改革でごわす!だったんですね・・・
征韓論や西南戦争のイメージが強すぎて、尊王倒幕、王政復古、そして維新後の超絶大改革である廃藩置県を先頭に立って断行し、頼朝以来700年間続いた封建制度を終わらせたというスッゲーところが薄まっちゃってるよ!もっとちゃんと評価しようと!と・・・
西郷を尊敬しまくり、西郷が大好き、って熱い思いが伝わってくる本・・・
西郷登場から西郷退場までの、西郷の構想や目的、そして動向が概ね掴める形になっております・・・
あんまりいないと思うけど、西郷隆盛のことちょっとでも興味ある人はゼーヒーで・・・
いや、西郷スゲーよ・・・ -
Posted by ブクログ
普段から「明治維新」というのはわかりにくいと思っていた。
「尊王攘夷」で政権を奪取した政治勢力が、すぐに「開国」をしたり、「征韓論」に反対した勢力が反対派を政権から追い落としたあとに「台湾出兵」を行うなど、歴史上の出来事は分かっていても、なぜそのようなことになったのかの「政治路線」と「現実政治」の関係がどうもよくわからない。
本書は、明治初期の政治勢力を「大久保利通(殖産興業)」「西郷隆盛(外征)」「板垣退助(議会設立)」「木戸孝允(憲法制定)」と分類し考察している。なるほど、このように解釈すれば当時の状況はある程度わかる。
しかし、同時にちょっと議論が荒いようにも思えた。本書で扱っている時代は明治初期の激動期であり、登場人物も歴史上大きく取り上げられた人々である。多くの登場人物が活躍するこの時代全般を一冊の新書で扱うにはちょっと無理があるようにも思えた。
本書の視点が正しいのかどうなのかは、上記それぞれの登場人物のそれぞれの活動内容を本書の視点から詳細に検討すべきなのだろう。
しかし、「明治維新」という日本の生い立ちを本書のように考察することは実に興味深く面白い。