坂野潤治のレビュー一覧
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[ 内容 ]
民政党議員だった斎藤隆夫の「粛軍演説」は、軍部批判・戦争批判の演説として有名である。
つまり、輸出依存の資本家を支持層に持つ民政党は、一貫して平和を重視していたが、本来は平和勢力であるべき労働者の社会改良の要求には冷淡だった。
その結果、「戦争か平和か」という争点は「市場原理派か福祉重視か」という対立と交錯しながら、昭和11・12年の分岐点になだれ込んでいく。
従来の通説である「一五年戦争史観」を越えて、「戦前」を新たな視点から見直す。
[ 目次 ]
プロローグ―「昭和」の二つの危機
第1章 反乱は総選挙の直後に起こった(前史としてのエリートの二極分裂 総選挙と二・二六事件)
第2章 陸軍も大きな抵抗にあっていた(特別議会での攻防 「保守党」と「急進党」の「人民戦線」)
第3章 平和重視の内閣は「流産」した(広田弘毅内閣の退陣(昭和一二年一月) 宇垣一成の組閣失敗 ほか)
第4章 対立を深める軍拡と生活改善(「狭義国防論」の登場 「広義国防論」の反撃)
第5章 戦争は民主勢力の躍進の中で起こった(「民主主義」と「戦争」 「戦争」と「民主主義」 ほか)
エピローグ―後世の常識と歴史の真実
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
明治維新は尊王攘夷と佐幕開国の対立が一転して尊王開国になり、大政奉還の後に王政復古と討幕がやってくるという、激しく揺れ動いた革命だった。
そのために維新が成就した後、大久保利通の殖産興業による富国、西郷隆盛の強兵を用いた外征、木戸孝允の憲法政治への移行、板垣退助の民撰議院の設立の四つの目標がせめぎあい、極度に不安定な国家運営を迫られることになった。
様々な史料を新しい視点で読みとき、「武士の革命」の意外な実像を描き出す。
[ 目次 ]
第1章 明治維新の基本構想
第2章 幕府か薩長か
第3章 大蔵官僚の誕生
第4章 三つの「官軍」と「征韓論」
第5章 木戸孝允と板垣退助の対立
第6章 大久保利通の「富国」路線
第7章 「維新の三傑」の死
第8章 立憲派の後退
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Posted by ブクログ
日本近代(1857-1937)をおよそ10〜20年ごとの区切りで6段階に分けて通史で描いた本です。著者は政治史を専門にしており、歴史的な事件をやや政局的に(人物同士の対立や構図化して)捉えるのが得意です。
ポイントでは評価に首を傾げる点も見られましたが、主要な近代政治史的な論点を掴める一冊と思います。
本書の重要な論点は「明治維新」もあったけど「昭和維新」もあったというところです。しかしそれは政治体制の危機に対して「革命」より「崩壊」を迎え、日中戦争と第二次世界大戦の敗北へ至りました。何か国難が起これば自動的に明治維新や戦後改革が起きるみたいなことは歴史上ないんだ、と帯にある通りです。 -
Posted by ブクログ
本書は日本近代政治史の泰斗で昨年逝去された坂野潤治氏の遺著であり、辛口の批評は忍びないのだが、学ぶところは多々あるものの、全体としてはかなり一面的な書物と言わざるを得ない。
著者は二大政党制を前提とする所謂「ウェストミンスター型議院内閣制」をかなり美化しているようだが、近年の比較政治制度論の成果を全くふまえない、相当古臭い政党システム理解である。二大政党制を採用しない国はいくらでもあるが、こうした国々では立憲主義が機能してないとでも言うのだろうか?我が邦でも、小沢一郎が主導した政治改革(=小選挙区制)によって実現した周回遅れの二大政党制がどんな結末をもたらしたかを見れば、思い半ばに過ぎるだろう。挙国一致内閣が立憲主義の否定だと言うなら、お手本のイギリスでも戦間期〜戦中に何度も立憲主義が踏みにじられたことになるが、著者はこれをどう考えるのだろうか。
そして著者の決定的な限界は、憲法体制へのアプローチが所詮「平時」を前提としたものに過ぎないことだ。「筆者のこれまでの日本近代史研究は、いつも1937年6月で終わってしまい、それ以後の8年間の総力戦の時代を分析したことはない・・・筆者はその分析には関心がないのである」著者はこの間、明治憲法は停止したとみるのだが、なぜ停止に至ったかは問われない。「帝国」と「立憲」を二項対立でしか考えられない著者の思考枠組ではお手上げする他ないのだろう。日中戦争なかりせば立憲主義は守られたか?という著者の思考実験は不毛である。歴史にイフが不毛だからではない。平時にしか機能しない立憲主義など何の意味もないからだ。日本が中国と戦争を続けたのは「明治憲法が悪い憲法だからではなく、閣僚や議員や、あるいは国民が悪かったためであった」その通りだ。ならば馬鹿な閣僚や議員や国民による、平時にしか使い物にならないご立派な「立憲主義」の脆さ、これこそが問われるべきではないか。
やや飛躍するようだが、著者が匙を投げた問題について、評者なりの考えを最後に記す。コロナ禍にせよ原発事故にせよ、この国に有事への対処能力がないことを、この10年でまざまざと見せつけられた。真の国益を考え、毅然とした態度で国民を説得する指導者はどこにもいない。与野党問わず「命を守る」という誰も反対できない抽象的な「正義」に立て籠り、世論やメディアに右顧左眄するしか能のないポピュリストばかりだ。日中戦争から大東亜戦争へと突き進んだ時と本質は何も変わっていない。自衛であれ侵略であれ、こんな国に合理的な戦争遂行能力はないと断言できる。マッカーサーがいみじくも言ったように「12歳の子供」にはおもちゃがお似合いだ。情けないことこの上ないが、憲法9条はやはりこの国の「身の丈」に合ってると言わざるを得ない。「諸国民の公正と信義に信頼」し、アメリカもしくは中国の属国になるのが身の為だろう。 -
Posted by ブクログ
昭和11から12年にかけて生じた日本近代史における危機ないし転換点の実態を明らかにしている本です。
昭和11年の二・二六事件以来、軍によるファシズムが支配的となり、民主主義が押しつぶされて日中戦争へ突入していくことになったという見かたがひろく流布していますが、著者はそのような歴史像が誤りであることを論証しようとしています。たとえば、マルクス主義経済学者の大森義太郎による人民戦線論が発表されており、そのなかで彼が選挙を通じて国政を変えていくことをひろく国民に訴えかけていたことからも、言論の自由が完全にうしなわれていたわけではないと著者は主張します。
その一方で、大森の国民戦線論は、まったくべつの理由によって現実性をうしなってしまったことを、著者は示しています。民政党と政友会の二大政党が、それぞれの置かれている状況のなかで憲政のありかたについての主張をおこない、美濃部達吉の天皇機関説も純粋な憲法学的観点からではなく、そうした政治的な状況のもとでそれぞれの態度が決定されていきます。とりわけ著者は、美濃部が議会を軽視した円卓巨頭会議の構想をいだいていたことを指摘し、民主主義の擁護者とみなすことができないと論じています。そのうえで、小泉内閣の政治状況に触れつつ、「改革」と「平和」というディレンマが当時においても存在していたという問題を提起しています。
また盧溝橋事件から十五年戦争へと入り込んでいく展開についても、作家の中野重治や哲学者の戸坂潤、軍事評論家の武藤貞一などが、その後の展開についての見通しを示していたことに触れて、国民にはこのときの危機について知るすべがなかったとはかならずしもいえないことを指摘しています。 -
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明治、大正、昭和戦前期の政治史を理解するためには明治憲法の構造と機能を知る必要がある。本書は、政治史を、憲法史として再構成しようとするものである、とはじめに本書の狙いが示されている。
以下、気になった点。
第二章「明治憲法体制の出発」の章は、初期議会における予算審議権を巡っての「富国強兵」と「経費節減」の争いを整理している。
藩閥政府は、概して政党に否定的であったが、美濃部達吉の天皇機関説が、「解釈改憲」により政党内閣の正当性を結論付けた、その論証を丁寧にあとづける。この辺りは、なるほどと思わされた。
そして、憲法11条の統帥大権、12条の編成大権に関し、ロンドン海軍軍縮条約締結を巡る統帥権干犯問題が火を吹き、また満州事変の処理を巡り、内閣には統帥権がなく、関東軍の行動の中止命令を出すことができなかった。
しかし、現地軍の暴走はともかく、日中戦争は閣議により、対英米戦争は御前会議で決定されたのであるから、国内政治体制のありようによっては、戦争への道を防ぐ可能性があった、と著者は言う。その点で、政党政治にとって致命的だったのは、五・一五事件により、犬養内閣が倒れ、その後政党内閣ができなかったことだとする。
第四章「挙国一致内閣」では、斎藤内閣では、政友会も民政党も閣僚を送っており、民意が働く余地のない状況であり、これを著者は立憲主義を根本から覆す重大な意味を持つものだとする。(そうした視点は考えたこともなかった。)
広田内閣が倒れた後、政民両党は、宇垣一成内閣を目指したが、陸軍大臣の推薦を陸軍から拒否され、宇垣は大命拝辞に追い込まれた。これにより、政民両党は衆議院に8割強の議席を占めながら、政権に就けない限り、憲法13条の外交大権に阻まれ、国民の生命に直接かかわる「戦争」を自ら回避する術を失ったという。(この指摘もなるほどである。)
第六章はやや駆け足気味で、論が少し追いづらいが、林銑十郎内閣から近衛内閣に移った直後に日中戦争が勃発し、状況が全く異なってしまったが、これで議会も国民も、自由主義とデモクラシーを放棄したのだとする。
明治憲法の天皇大権の重み、天皇機関説の現実的意義、特に政党政治との関係を、本書を通じてより理解することができたかと思う。
ただ、政党内閣から中間内閣の移行を重要な転機と捉える著者の考え方からすれば、なぜ政党内閣が終焉を迎えることになってしまったのか、その理由等について、一言あって良かったのではないかと思われる。(「昭和史の決定的瞬間」にあるのか?) -
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大久保利通=産業殖産による「富国」、西郷隆盛=外征のための「強兵」
、木戸孝允=国民統治の「憲法」、板垣退助=自由民権の「議会」と、維新の立役者たちが目指した政治的方向性は微妙に異なっており、タイミング毎に離合集散を繰り返して日本の国づくりが進められていった。
「富国強兵」とは一緒くたにされることが多いが、方向性としては富国=内治であり、強兵=侵略であるため、実は対立構図にある。指導者であった大久保と西郷は薩摩での盟友であったために、2人の間でこの対立が表面化することはなかったが、新政府の官僚機構と幕藩体制の旧秩序における士族階級による西南戦争をもたらした。
明治10年までの台湾出兵や西南戦争による戦費負担は新政府に重くのしかかり、結果としてしばらく内治に専念せざるを得ない状況となる。ところが富国派の指導者であった大久保は暗殺され、維新の元勲である薩摩の2人がいなくなったために「富国強兵」路線は頓挫する。
近代国家成立のための憲法制定を目指していた木戸ら旧長州閥と、市民平等な国民議会による上下院の設置を目指していた板垣ら旧土佐閥は、薩摩閥を中心とした「富国強兵」路線に対抗するために当初は共闘していた。
大久保・西郷亡き後に立憲派と議会派は勢いづくも、ドイツ流とイギリス流で対立するようになる。皇帝=天皇の権限を強く設定したドイツ流立憲君主制を主張する木戸と、上下院議会によって民主化された政治体制を目指すイギリス流の板垣の意見は、木戸の病死と板垣の下野によって痛み分けとなる。
これら緊縮財政下において起こったインフレによって、地方の農村地主が力を持つようになる。これら民間の有力者が国債を買い支えることで新政府の財政規律は持ち直すようになる。また、当初は上院=華族(旧藩主)、下院=士族(旧藩士)と構想されていた政治体制は、これら力を持った有力者たちにも開かれるようになり、民選での議会制民主主義が実現していった。
大久保、西郷、木戸、板垣という維新の元勲たちの夢は半ばで潰えるも、明治中期には日清戦争に勝つまでに富国強兵は実現し、大日本帝国憲法は制定され、議会制民主主義による国内統治が進んでいったのであった。 -
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普段から「明治維新」というのはわかりにくいと思っていた。
「尊王攘夷」で政権を奪取した政治勢力が、すぐに「開国」をしたり、「征韓論」に反対した勢力が反対派を政権から追い落としたあとに「台湾出兵」を行うなど、歴史上の出来事は分かっていても、なぜそのようなことになったのかの「政治路線」と「現実政治」の関係がどうもよくわからない。
本書は、明治初期の政治勢力を「大久保利通(殖産興業)」「西郷隆盛(外征)」「板垣退助(議会設立)」「木戸孝允(憲法制定)」と分類し考察している。なるほど、このように解釈すれば当時の状況はある程度わかる。
しかし、同時にちょっと議論が荒いようにも思えた。本書で扱っている時代は明治初期の激動期であり、登場人物も歴史上大きく取り上げられた人々である。多くの登場人物が活躍するこの時代全般を一冊の新書で扱うにはちょっと無理があるようにも思えた。
本書の視点が正しいのかどうなのかは、上記それぞれの登場人物のそれぞれの活動内容を本書の視点から詳細に検討すべきなのだろう。
しかし、「明治維新」という日本の生い立ちを本書のように考察することは実に興味深く面白い。 -
Posted by ブクログ
1864年の勝海舟・西郷隆盛会談を始点とし、1880年の地租米納議論を終点とする幕末維新期政治構想小史。「富国(殖産興業)」「強兵(外征)」「立憲制」「議会制」の4つの構想をめぐる抗争と挫折を描く。先行研究を比較的軽視していること、伝記史料を多用していることが特色。個別の論点・論証には疑問あり。特に1880年を終点としているため、翌年の「明治14年政変」への見通しを全く欠いているのは問題である(本書では大久保利通や大隈重信ら「富国」派は立憲制導入に消極・批判的であったと評されるが、その「富国」派の大隈がなぜ立憲論で急進化して政変を引き起こしたのか不明)。