ラフカディオ・ハーンのレビュー一覧
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読みやすく、面白い。
解説にもあるように、ほとんどは再話文学で、またこの本によって有名になって児童向けの怪談集などに収録されているために、幼い時分に読んだ記憶のあるものだったが、出典の明示されていない「かけひき」(解説ではリラダンの影響が指摘されているが)は日本的怪奇趣味に合理主義的なオチがポンとくっついているのが面白かった。
また、後半の「虫の研究」3編はそれぞれ味わいが異なる。「蝶」は日本の蝶を愛でる感性や逸話の多くが中国由来と考えられる、とことわりを入れつつも、蝶の登場する俳句などを列挙し、その詩心を賞賛する。「蚊」では墓に供えられた水から蚊が沸いて困るが「仏教では殺生を禁じている…」(そういえばそうだと膝を打った!) 「蟻」はアリの社会性をスペンサーの社会進化論に結びつけて論じる。社会進化論は帝国主義の正当化(西洋人が未開地域の文明化を果たしてやってるのだ!という考え方)と結びつくので、今日日評価されにくい思想だけれど、日本の滅びゆく近世と心中するような文章を書いた著者の目を通してみると、社会進化論をそう読む人もいたんだ…と感心する。 -
Posted by ブクログ
1890年にアメリカから来日したラフカディオ・ハーン(後に帰化して小泉八雲)が日本各地(主に山陰)を遊行した記録をまとめた本。
ハーンは本書の中で日本、日本人について絶賛している。日本の美しい風景、ありのままの情景、日本人の伝統的徳目、慎ましい態度、愛嬌、信仰、迷信にいたるまであらゆるものを褒め尽くす。
それらの動機にはハーンの西洋的価値観、特に一神教への反発やハーン自身の個人的原体験があると言われており、あまり冷静かつ客観的なものだとは言えない。ただそれでも、明治中期のありのままの日本を描いた資料として有用である。
そうした文化資料的側面は一度置いても、単純に旅行記として面白い。ハーンの独特な感性に基づく仔細な光景描写や、ハーン自身が教師として接した日本人の言動は文作品として高いレベルにあると思う。
ハーンが嘆いた「西洋にかぶれた」今の日本が持っていない美しさが切り取られてそこにあると感じた。
とは言え、現在の限りなく西洋化した日本をこの時代の姿に戻すことなどできはしない。それに日本人が置き去りにした伝統や原体験的姿勢は、間違いなく今の日本人にも受け継がれている。
良くも悪くもそれらは現代の日本という国に影響を与えている。それらは間違いなく、強みにも弱みにもなっている。
重要なことは、この源泉を知ることだ。何が今の没落してしまった日本の原因なのか、反対に何が復活への鍵を握っているのか。それを知り、理解した上で何かを残し、何を捨てるのかを戦略的に策定しなければならない。
なんとなくの流れで生き残れるほどこの世界はぬるくなくなっている。日本人ひとりひとり、老若男女問わずに危機感を持ち、それを考えるべきだ。個人的にはそう考える。そして本書のような本がそのヒントになり得るだろう。 -
怪談 不思議なことの物語と研究
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試し読み
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怪談 不思議なことの物語と研究
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耳なし芳一、ろくろ首、ゆき女、屏風の女、魂よく一日に千里を往く、重くなる赤ん坊…聞いたことがあるけど、読んだことのない話ばかり。改めて日本に息づく伝統の怪談、昔話(しかも有名なものばかり)を読めてよかった。
「翻案」と言っているけど、小泉八雲を通してきくと、そのまなざしの暖かさ、そして時折挟まれる客観的な注釈が入ると、温故知新というか懐かしく温かく、そして新鮮さを感じる。江戸の名残が色濃く残る明治の時代にこういう怪談を人の口から聞き、収集して記述する、そういうフィールドワークって大切なんだろうな。魂の生まれ変わり、死んだ女の嫉妬の話と恋わずらいの話が多い。死と恋ってそういう不思議なものを生み出す素地が大きいのかもしれない。
「さて、日本には古くから、「なぞらえる」という動詞で、はっきりとではないにしろ、とにかく、それとなく示されている或る精神作用の魔術的な効力にたいして、奇妙な信仰がある。」
「魂を呑み込んだらどんな結果になりそうであるか、読者みずから解決されたほうがよいと思う。」
「「しかし、それは女の考えかたではありません。…」友人の言うことは、正しかった。」
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怪談 不思議なことの物語と研究
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ネタバレ目次
・はじめに
・東洋の第一日目
・盆踊り
・神々の国の首都
・杵築――日本最古の神社
・子供たちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけと)
・日本海に沿って
・日本の庭にて
・英語教師の日記から
・日本人の微笑
・さようなら
まずラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に「ありがとう」と感謝を述べたい。
当時、極東の未開国扱いだった日本の良いところをこんなに見つけてくれて、世界に発信してくれて。
今、誰かが「神の国・ニッポン」などと言おうものなら炎上間違いないけれど、彼が日本にいた明治の後期、日本はまだ神と共に在る国だったんだなあ。
それは、神である天皇のために死ぬなんてことでは全然なくて、神の前に恥ずかしくない存在であるために、自身に誇りをもった生き方であったように思える。
今の殺伐とした日本の姿を見たらハーンはなんと思うだろう。
生活の隅々に神仏の存在を感じながらも、ハーン自身は仏教より神道を上と見ている。
”仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のように広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、他の東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。”
確かに浸透には抽象理論がないと思います。
だって、「やまとことば」には、抽象的概念を表現する言葉がありませんから。
ということは、古代の日本人は、抽象的な理論を考える手段がなかったということです。
だからこそ中国の文化に触れて、目からうろこの大興奮だったのではないでしょうか。
「日本の文化に比べれば、西洋の文化のなんて野蛮なこと!」と、ハーンはかなり力を込めて主張する。
例えば花を活けるということについても、以下のとおり。
”(日本の生け花は)ただ花瓶に枝を投げ入れているだけではないのだ。枝を剪定し、形を決め、美しく生けるまで、もしかしたらまるまる一時間はかかっているのかもしれないのである。だから今となっては、西洋人が「ブーケ」と呼んでいる花束などは、花を生殺しにする卑劣な行為であり、色彩感覚に対する冒瀆であり、野蛮で忌々しい蛮行に他ならないと思うようになった。”
いやいや、さすがにそれでは敵を増やすだけじゃろう。
”都会の人ならホトトギスの声を耳にすることもなく、一生を終えることになるかもしれない。鳥籠で飼おうとしても、ホトトギスは鳴かないまま死んでしまうからだ。”
なるほど。
そのうえでの、三武将のホトトギス句なわけね。
勉強になりました。
教師としてのハーンの言から2つ。
”教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から -
Posted by ブクログ
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが来日当時の日本の文化・生活をつづった随想録。文体は生真面目だけど日常的な言葉遣いで読みやすいです。
西洋化しきっていないかつての日本を事細かに描写していて、実際に見たわけではない風景ながら郷愁を感じられます。
……はいいのですが、随所に挟み込まれる西洋出身の筆者による舌鋒鋭い西洋disで目を白黒させられてしまった。
キリスト教文化に馴染めなかったという小泉八雲がこんなにも日本を愛しているのを見ると、生まれたまま漫然と日本人でいることが申し訳ないというか、自己の郷土愛というものを顧みなければならないような気分になりました…。