あらすじ
日本の人びとと風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。「神々の国の首都」「日本人の微笑」ほか、アニミスティックな文学世界や世界観、日本への想いを伝える一一編を新訳収録。
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紛れもなく星5。感想が山ほどあり文字にできない。ハーンの日本への愛と恐ろしいほどの観察眼にあふれた作品。日本人の微笑の考察は素晴らしく、日本人も気づいていない・考えることさえしない視点が多い。日本人とは、について大いに考えさせられる。
時に英語の原著も読み比べてみたが、和訳に落とし込んだ訳者陣にも脱帽。ハーンの表現を、ハーンの伝えたい心情や情景を取りこぼすことなく上手く日本語に置き換えていると感じた。
まだまだ読みたいラフカディオ・ハーン。朝ドラを機に多くの日本人が読むことを願う。
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日本の文化がどのようなものなのかを知る上で外国人の視点は欠かせない。それも過去の日本の地方都市のこととなるととても貴重だ。ハーンはこの国の文化に心酔して、非常に好意的な捉え方をしている。
特に民間伝承に触れたときの新鮮な感動はとてもよく描かれている。山陰の独特な民俗を伝えている点においても注目した。
また、教壇から見た当時の師範学校の様子など興味深い記述が多かった。
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ばけばけ効果で本屋で平積みですね。これに乗らぬ手はありません。(笑)
11編が収録されていますが、「日本の庭にて」がまるで夢の中にいるようで特に好きでした。池田雅之先生の訳が素晴らしく他の訳本も読もうと思います。
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朝ドラ予習、第3段!(もう始まってるけど)
1980年に来日したハーンの最初の作品集。「東洋の第一日目」で日本の第一印象を描いている。日本人の精神性に触れ、花木鳥虫を細やかに観察し、英語教師としての経験を書き記すが、どれも豊かで美しい文章!
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来日して、いろいろなものに興味を持った、ラフカディオ・ハーン。興味を持つ対象が、次第に物体から、日本人の心の内面へと変化していく。
その様子を嬉しく思いながら、本作を読み進めていきました。
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日本名 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、1840(明治23)年、日本にやってきて初めて書いた「知られぬ日本の面影」の翻訳アンソロジーである。
ハーンは来日後、間もなく会った親切な英国人教授に「日本の第一印象は、出来るだけ早く書き残しておきなさい。」と言われ、あわただしく書き留めたものをまとめた。本当によく書き残してくださったと思う。なぜかというと、その時外国人ハーンが見た、今から180年前の日本は、我々の国だけれど、もうそんな素敵な国は世界のどこにも無いのだから。
「東洋の第一日目」という章からの抜粋。
『人力車ほど居心地の良い小型の車は想像できない。わらじ履きの車夫の動きに合わせて揺れる、キノコのような笠越しに見える通りの景色には決して飽きることなく想像を掻き立てられる。まるで何もかも、小さな妖精の国のようだ。まるで、人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。青い屋根の小さな家屋、青いのれんがかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。………見渡す限り幟が翻り、濃紺ののれんが揺れている。かなや漢字の美しく書かれたその神秘的な動きを見下ろしながら、最初はうれしいほど奇妙な混乱を覚えていた。町並みの建築や装飾に、すぐにそれと分かるような法則は、感じられない。それぞれの建物に、一風変わった、特有のかわいらしさがあるようである。一軒として他とそっくりな家はなく、全てが戸惑ってしまうほど目新しい。』
スピリチュアルなものに惹かれるハーンは、上陸した横浜から神々の国、出雲へ人力車を乗り継ぎながら(すごい)四日間の旅をする。その過程で、山あいの田んぼ、杉や松の森の薄暗い影、遠くの藍色の山並み、藁葺屋根の連なり、道端の小さなお地蔵様や祠など、日本独特の田舎のやさしい景色を目にする。
松江に着いて迎えた最初の朝の印象。
『山の麓という麓が霞に覆われている。その霞の帯は、果てしなく続く薄い織物のように、それぞれ高さの違う頂きを横切るように広がっている。その様子を日本語では、霞が「棚引く」と表現している。』
出雲大社で外国人として初めて本殿への昇殿を許され、宮司に謁見しお話を伺う機会を持った後は、山陰地方の神秘的な海辺の村を旅し、そこに伝わる伝説や宗教など興味深い話を収集する。
そして、一年ほど松江で中学校と師範学校の英語教師として赴任するのだが、そこで、日本の学校について今から見れば意外な印象を伝えている。
『近代日本の教育制度においては、教育は全て最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は文字通り教師(teacher)であって、英語の“mastery”の意味におけるような支配者ではない。教師は彼の教え子たちに対し、年上の兄のような立場にある。………どの公立校も、まじめで、固有の精神を持ったひとつの小さな共和国であって、そこでは、校長と教師は、大統領と内閣の関係に立っているに過ぎない。』
私の親の時代は、もっと教師は威圧的であったと聞くし、私はそのような教師には巡り合わなかったが、「日本は管理教育」と長らく言われていると思う。ハーンの居た学校がたまたま民主的な学校であったのかもしれないが、まだ、明治23年ごろはそのようなのびのびした教育であったのかと思った。
『日本人の微笑』という章では、イギリス人は深刻で生真面目であるが、日本人は決して生真面目で深刻ではなく、その分、幸せだと思うと書いている。そして、苦しかったり、悲しかったり、愉快でないときでも、相手に不愉快な印象を与えないため、いつも微笑を浮かべている日本人の礼儀作法を美しいと書いている。
今の日本を見たらハーンはどう思うだろう。自分の知らない日本を教えてくれた外国人の記録。記憶にはないけれど、どこか体の奥に眠る記憶のようなものをくすぐられ、照れ臭く、申し訳なく、温かく、涙が出そうな、自分のひいおじいさんの友人から聞いた自分の先祖の話のような素敵な記録であった。
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2012.8記。
突然ですがやっぱり地元の夏祭り・盆踊りというのはよいものです。なぜか振付を熟知しているおばちゃん、よくわからない役割を与えられてねじり鉢巻きで周囲ににらみを利かせているおっさん・・・
私が小学生(30年前、1980年前後)のころから変わらない風景だが、思えばこのおっさんおばちゃんも30年前はせいぜい30代。つまり1980年代にはそこそこ「盆踊りだせー」とか言っていた世代ではないのだろうか?2030年ごろには僕も地元の公園辺りで「自治会」のテントの下で東京音頭の音量を調節したりしているのだろうか?日頃は都心に電車で働きに出てしまう僕だが、そうやって将来どこであれ地域の行事の継承役の一角を担えるならそれは嬉しいことだ・・・こういう廃れそうで廃れない日本の季節の風物詩を大事にしたいと思う今日この頃。
さて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が描写した(おそらくは19世紀末の)出雲における盆踊りの様子は、日本人が読んでもめまいがするほどに美しい。
以下、少し長いが引用です。
「かつてのお寺であった本堂の陰から、踊り子たちが列をなして月の光を浴びながら出てきて、ぴたりと立ち止まった。(中略)・・・すると、太鼓がもうひとつ、ドンと鳴ったのを合図に、さあ、いよいよ盆踊りの始まりである。それは、筆舌に尽くしがたい、想像を絶した、何か夢幻の世界にいるような踊りであった・・・(中略)こうして、いつも無数の白い手が、何か呪文でも紡ぎだしているかのように、掌を上へ下へと向けながら、輪の外側と内側に交互にしなやかに波打っているのである。それに合わせて、妖精の羽根のような袖が、同時にほのかに空中に浮き上がり、本物の翼のような影を落としている。(中略)・・・空を巡る月の下、踊りの輪の真ん中に立っている私は、魔法の輪の中にいるような錯覚を覚えていた。まさにこれは、魔法としかいいようがない。私は、魔法にかけられているのである。幽霊のような手の振り、リズミカルな足の動き、なかでも、美しい袖の軽やかなはためきに、私はすっかり魅了されてしまっていた。幻影のように、音も立たない、なめらかな袖の揺れは、あたかも熱帯地方の大きなコウモリが飛んでいるかのようである。いや、夢だとしても、こんな夢はこれまで見たことがない。」(ラフカディオ・ハーン「日本の面影」(池田雅之訳))
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のちの小泉八雲の滞在記です。とにかく日本文化を誉めまくってます。一番興味深かったのは「日本人の微笑」の項で、その中でもイギリス人と老サムライのエピソードが印象的でした。
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好き。
日本で(戒律で悪徳を縛る)キリスト教を流行らすメリットはないって序文が好き。
混血、複雑な家庭事情で育ったハーンは完全なるキリスト教圏の人間ではないのだな。
ハーンが日本好きすぎて照れる。
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ラフカディオ・ハーン、日本名小泉八雲が書いた「日本の面影」。西洋人が小さな美しい国、日本を初めて訪れた時の感動がスピード感溢れる文調で描かれている。色鮮やかさが目に浮かぶようで面白い。
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何度でも何度でも読み返したくなる。
特に夏「盆踊り」のあたりをまたもや...
ここまで素直に日本を感じられるなんて圧倒される。
池田先生には大学で短い間だけどお世話になった。
情景が浮かぶ訳に、詳しい注。
先生のお人柄を思い出す。
見たこともない遥か遠きこの国の過去に思いをはせる。
なぜだろうか、郷愁を覚える。
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名著である。本編は27編あるそうだが、本文庫はアンソロジーとして11編のみ絞って訳出されている。他の多くは島根中学校赴任中に記した日記なのだそうなので、この文庫で十二分にエッセンスは読み取れると思える。
有名なのは、松江市内の1日を記した「神々の国の首都」と日本人論の白眉「日本人の微笑」ではあるが、美しい日本の描写は「神々のー」に限らず全体を包んでいるし、「微笑」の方は後半詳しく紹介する。
本書を読んで気がついたのは以下の2点。多くは識者が既に指摘していることであり、屋上屋を架す気もする。
①日本横浜に着いた1日目から既に日本描写は、日本の伝統的な神社仏閣含め民俗の細かいところまで観察し美しく歌い上げていた。
②僅か一年半の間に、此処迄日本民俗の真髄まで到達した。真鍋晃、西田千太郎、そして妻の人たち友人知人の目が、八雲の目を開かせたに違いない。人間関係は無視するべきではない。
以下気がついた所。
・「はじめに」より。「(知識階級よりも)その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである」民俗学の真髄であるが、こんなことを堂々と云う人は柳田國男まで、不幸にも日本は待たなくてはならなかった。
・小さなもの日常用品に「美」がある。日常品を作った日本人は多くいたけれども、紹介した日本人はかつて居ただろうか。柳宗悦まで待たなくてはならなかったのでは。(小さな図柄のついた紙袋に入った木の箸、三色の使いの美しい文字が入った紙に包まれた桜の木の爪楊枝、手拭い、買い物を縛ってくれる組み紐)
・なんと一日目で、寺で松江の生涯の友・真鍋晃に会ってる!
・松江に行く道程は、神戸で船を降りた後は、なんと俥(くるま)で中国山地を横断している。しかもたった4日で。当時の人力車の体力は凄いものであった。人力車のスピードは、現代観光用のそれとは比べ物にならないことを知った。
・盆踊りの観察は、なかなか細かく正確。ほぼ全ての盆踊りは歌リズムともに、地域独特のものがあることを喝破している。
・当時の松江の民俗は、今は失われているものもあるが、続いているものもありそう。とても興味深かった。松江大橋の人柱伝説は少し調べてみたい。また、ここで「大雄寺飴を買う女」幽霊譚が出てくるんだ、と思った。
・「加賀の潜戸」の章では、そこに行くまで11キロ、人力車で2時間半という。なんと速いことか。とは言っても、八雲はかなり大変だったようだ。人力車の入らぬ小径は、洋靴で歩くのはしんどかったらしい。
・潜戸の「神の岩戸」のそばに、賽の河原の如き岩屋があり、死んだ子供の積む小石の塔の話を聞く。八雲は「何故彼らは海からやってくるのか?」と不思議がる。この辺りが民俗学的ぽくて好き。他国との例もあるように、水の世界と死者の世界との間に、繋がりがあるようだ、と思い致す。「指輪物語」でも天国みたいなところに海を渡って行くように、その方が英国人には受け入れやすい。海岸線の庶民にとって、冥土は海にあるのである。
・「日本海に沿って」に、女中の話として「鳥取の布団」(「ばけばけ」でトキが話した怪談)が出てきた。
・「日本の庭にて」八雲松江二つ目の貸家の庭について語る。つまり「(植物栽培が目的の)花園(フラワーガーデン)ではない」日本の風景が生き生きと美しく縮小され再現されている場所なのである。この八雲の日本文化の本質に近づく理解に改めて感嘆する。また、それを再現するには、熟練の技が必要であることをちゃんと理解している。この後、八雲は自然民俗誌を記す。
・「日本の面影」の中でも白眉と言われる章「日本人の微笑」。2つの例が引かれる。ひとつは、出会い頭事故に遭って外国人の知り合いは車夫を殴る。車夫は微笑みながらお辞儀をした。ひとつは、イギリス婦人が女中の夫が亡くなったのに、終始笑顔だったと証言したこと。簡略に書き過ぎたので、或いはそうは思わないかもしれないけど、普通の日本人はこの外国人と違い、この2人の日本人の気持ちのうちは手に取るようにわかる。何故微笑んで居たかもわかる。八雲は「微笑は教養のひとつなのである」と喝破する。決して道徳的な理由ばかりでなく、美的な理由である、という。
因みに、現代の日本人は、この時代の英国人のように、思ったことを包み隠さずに表現することを良しとする民族になって仕舞ったのだろうか。いや、そうではない。と私は思う。ムラの中(SNSの中)では、あけすけに感情を表出する現代日本人も、人前では愛も変わらずダンマリを決め込み、いい諾々と長いものに巻かれているのが、現代日本人だと私は思う。いいも悪いも、130年前と変わってはいないのである。
だから八雲は「文明化された世界では、(日本人は)最も幸せな国民である」という。半分だけ賛成する。
・「さようなら」の章で、島根中の生徒に向けて、前年発せられた教育勅語を全文唱したあと、八雲は「国のために死ぬことではなくて、国のために生きることです」と別れの言葉を発した。勿論、それより40年後とは違い、そのことによって罰せられる日本には未だなっていなかったのである。
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1890年にアメリカから来日したラフカディオ・ハーン(後に帰化して小泉八雲)が日本各地(主に山陰)を遊行した記録をまとめた本。
ハーンは本書の中で日本、日本人について絶賛している。日本の美しい風景、ありのままの情景、日本人の伝統的徳目、慎ましい態度、愛嬌、信仰、迷信にいたるまであらゆるものを褒め尽くす。
それらの動機にはハーンの西洋的価値観、特に一神教への反発やハーン自身の個人的原体験があると言われており、あまり冷静かつ客観的なものだとは言えない。ただそれでも、明治中期のありのままの日本を描いた資料として有用である。
そうした文化資料的側面は一度置いても、単純に旅行記として面白い。ハーンの独特な感性に基づく仔細な光景描写や、ハーン自身が教師として接した日本人の言動は文作品として高いレベルにあると思う。
ハーンが嘆いた「西洋にかぶれた」今の日本が持っていない美しさが切り取られてそこにあると感じた。
とは言え、現在の限りなく西洋化した日本をこの時代の姿に戻すことなどできはしない。それに日本人が置き去りにした伝統や原体験的姿勢は、間違いなく今の日本人にも受け継がれている。
良くも悪くもそれらは現代の日本という国に影響を与えている。それらは間違いなく、強みにも弱みにもなっている。
重要なことは、この源泉を知ることだ。何が今の没落してしまった日本の原因なのか、反対に何が復活への鍵を握っているのか。それを知り、理解した上で何かを残し、何を捨てるのかを戦略的に策定しなければならない。
なんとなくの流れで生き残れるほどこの世界はぬるくなくなっている。日本人ひとりひとり、老若男女問わずに危機感を持ち、それを考えるべきだ。個人的にはそう考える。そして本書のような本がそのヒントになり得るだろう。
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目次
・はじめに
・東洋の第一日目
・盆踊り
・神々の国の首都
・杵築――日本最古の神社
・子供たちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけと)
・日本海に沿って
・日本の庭にて
・英語教師の日記から
・日本人の微笑
・さようなら
まずラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に「ありがとう」と感謝を述べたい。
当時、極東の未開国扱いだった日本の良いところをこんなに見つけてくれて、世界に発信してくれて。
今、誰かが「神の国・ニッポン」などと言おうものなら炎上間違いないけれど、彼が日本にいた明治の後期、日本はまだ神と共に在る国だったんだなあ。
それは、神である天皇のために死ぬなんてことでは全然なくて、神の前に恥ずかしくない存在であるために、自身に誇りをもった生き方であったように思える。
今の殺伐とした日本の姿を見たらハーンはなんと思うだろう。
生活の隅々に神仏の存在を感じながらも、ハーン自身は仏教より神道を上と見ている。
”仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のように広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、他の東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。”
確かに浸透には抽象理論がないと思います。
だって、「やまとことば」には、抽象的概念を表現する言葉がありませんから。
ということは、古代の日本人は、抽象的な理論を考える手段がなかったということです。
だからこそ中国の文化に触れて、目からうろこの大興奮だったのではないでしょうか。
「日本の文化に比べれば、西洋の文化のなんて野蛮なこと!」と、ハーンはかなり力を込めて主張する。
例えば花を活けるということについても、以下のとおり。
”(日本の生け花は)ただ花瓶に枝を投げ入れているだけではないのだ。枝を剪定し、形を決め、美しく生けるまで、もしかしたらまるまる一時間はかかっているのかもしれないのである。だから今となっては、西洋人が「ブーケ」と呼んでいる花束などは、花を生殺しにする卑劣な行為であり、色彩感覚に対する冒瀆であり、野蛮で忌々しい蛮行に他ならないと思うようになった。”
いやいや、さすがにそれでは敵を増やすだけじゃろう。
”都会の人ならホトトギスの声を耳にすることもなく、一生を終えることになるかもしれない。鳥籠で飼おうとしても、ホトトギスは鳴かないまま死んでしまうからだ。”
なるほど。
そのうえでの、三武将のホトトギス句なわけね。
勉強になりました。
教師としてのハーンの言から2つ。
”教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から
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小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが来日当時の日本の文化・生活をつづった随想録。文体は生真面目だけど日常的な言葉遣いで読みやすいです。
西洋化しきっていないかつての日本を事細かに描写していて、実際に見たわけではない風景ながら郷愁を感じられます。
……はいいのですが、随所に挟み込まれる西洋出身の筆者による舌鋒鋭い西洋disで目を白黒させられてしまった。
キリスト教文化に馴染めなかったという小泉八雲がこんなにも日本を愛しているのを見ると、生まれたまま漫然と日本人でいることが申し訳ないというか、自己の郷土愛というものを顧みなければならないような気分になりました…。
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トリップ小説である。冷静でありながら情熱的に昔の日本の景色、風習、人柄を書き尽くしている。読むだけでその当時、おそらく明治時代、まだ江戸の匂いが色濃く残る時代へ連れていかれる。小泉八雲はもともと新聞記者だっただけあり、事実を正確に伝えようとする描写力とそこから導き出される日本という国への分析力、そして詩的な表現力が圧倒的に優れている。これを翻訳した人もいい。今を生きる日本人として、根底に根差しているものがなにか、優しくしかし鮮烈に教えてくれる素晴らしい本である。
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ラフカディオハーンが書いた、日本の風景。
19世紀後半に日本にやってきた彼は、山陰をまわり出雲国へ向かう。
その中で当時の日本人の良さ、日本の良さをとても美しい言葉で著している。
彼が村人などから聞いた人柱伝説や逸話などもたくさん紹介されており、いかに当時の日本がいわゆる"古き良き日本"であるかを感じる。
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小泉八雲が帰化前に書いた日本滞在記。別の本で引用されていたので買ってみた。日本人、日本の文化、自然、庭、樹木、花など日本の全てを美しい表現で褒めちぎっていて気持ちいい。桜の叙情的な表現は繰り返し読みました。訳者の力量も良いのだと思う。特に「日本人の微笑」と題した考察がとても奥深く的を得ている。著者が西洋にはない当たり前の出来事として書かれていることが、今の日本では当たり前ではなくなってしまっている。そこに寂しさを感じます。
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当時の日本に迷いこんだ異国人、よりも日本人の気持ちで読めた。盆踊りの感覚は旅に出た時に遭遇したお祭りの感覚そのもの。のすたるじぃ、だがやはり近代が忘れた思い出。
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目次:
はじめに
東洋の第一日目
盆踊り
神々の国の首都
杵築(きづき)――日本最古の神社
子どもたちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけど)
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
ラフカディオ・ハーン略年譜
訳者あとがき
※ 本書は、「訳者あとがき」にあるように、「『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan,1894)の翻訳アンソロジー」、つまり抄訳である。「序文」を含め凡そ27篇の原書のうち、本書が訳出するのは11篇に過ぎず、それゆえの「新編」であることを注意されたい。訳者が27篇からこの11編を選んだ見識を、私は信頼し、また評価したい。
原書の邦訳としては、同じ角川の『日本の面影』をはじめ、『日本瞥見記』『神々の国の首都』『明治日本の面影』(順不同)など、さまざまなエディションがあるらしいので、目的にあった1冊を手にとられるとよいだろう。
それぞれに一長一短はあろうけれども、現代の読者への普及という点では、この『新編』はその役割を十分に果たしている。個人的な感想になるが、翻訳に特有のぎこちなさに由来するストレスがなく、それでいて、原書の英文かくありなんと想像力をかき立てる佳作である(偉そうにすみません)。
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『知られぬ日本の面影』から選ばれたアンソロジー。
内容を簡潔に言うなら、外国の方から肯定的に見た明治の日本とハーンの考察。
日本文化に詳しくない人にも分かりやすく、説明的。
エッセイやコラムと言うよりも、一つの文学作品だと思うような文体で書かれています。
美しい文章で、少し美化されすぎているような気にもなりますが、ハーンの日本や日本文化に対する理解には、いっそ感動を覚えます。
昔ながらの日本文化に対して郷愁をおぼえる方には、お薦めの一冊です。
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ラフカディオ・ハーンの日本到着直後の感想から
日本の研究の記録、エッセイ、日記。
描写が美しい。
時代もあるのだろうけれど、
この本を読むと
日本とはなんと素晴らしい純粋な国なんだろう、
と思う。
心が洗われます。
日本に魅せられるのも道理。
日本も今とは違うですね。
多分それは惚れすぎた故の過大評価もあるのだと思うけれど。
最後の「日本人の微笑」での日本人への理解なんて
素晴らしすぎる。
西洋人に読んで欲しいな。
Posted by ブクログ
朝ドラでお馴染みの小泉八雲
ラフカディオ.ハーン
日本に来て思ったこと、見たこと
素直な思いが込められている
細かく描写されているので
文章が美しい
今の日本と違い
もっと日本らしい町並みが
素敵でした
日本人より日本らしく
周りを見ていたようです
Posted by ブクログ
岩波少年文庫『雪女 夏の日の夢』に載っていた随筆がとても良かったので、一度ちゃんと読んでみようと思っていたラフカディオ・ハーン。
朝ドラ『ばけばけ』が始まる前にと思っていたのに後追いになってしまいましたが、並走しながら読むと理解が深まります。
原本の『日本の面影』は27編あるそうですが、そこから11編を部分的に訳出したアンソロジーとのこと。
『雪女 夏の日の夢』でも読んでいますが、文章がとても美しいです。松江の朝の風景など、朝靄の描写が印象画のようです。
メモっていても一文がとても長いので、原文はもっと長く、形容詞の多用された難解な文章なんだろうと思われますが、読みやすいく訳されています。
『ばけばけ』視聴者的にいうと、
松江の朝を描いた場面、「水飴を買う幽霊」の話は『神々の国の首都』
「鳥取の蒲団」、「子捨ての話」は『日本海に沿って』に出てきます。
(「鳥取の蒲団」はここでは宿の女中さんから聞いた話となっていますが、八雲の息子さんの手記によると、セツ夫人から聞いた話で、セツ夫人は前夫からこの話を聞いたそうで、えっ、そこ史実だったんだ!という驚き。)
のちの『怪談』のように再話文学としてではなく、随筆の中に挟まれるように怪談が紹介されているのですが、ラフカディオ・ハーンにとって怪談は、日本人の宗教観、文化、精神を理解する上で大切なものだったんですね。
というか、神道や仏教に対する知識や理解が私のはるか上で驚きます。
鶯が「法華経」を唱えているなんて考えたことなかったよ。
(154ページ)
風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである。日本人の本能も活力も直観も、それと共にあるのである。
おそらくセツ夫人と新婚時代に出雲や潜戸に行っているんですが、出雲はわかるとして、子供の幽霊の伝説がある場所に新婚旅行で行く夫婦……。ここドラマでもやってくれるのかな。
『日本の庭にて』は現在、小泉八雲旧居として公開されている武家屋敷(『ばけばけ』ではオープニングに出てきます)の庭の話。
(217ページ)
特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。
石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。
『英語教師の日記から』には「日本の学校には懲罰というものが存在しない」と書かれてるんですがほんとかい? 日本の公立校は『クオレ』に似てるってほんとかい?
『教育勅語』公布の話なんかも出てきて興味深いです。
『さようなら』は松江を去るときの話。
小谷くんのモデルとなった大谷正信くんが中学校代表としてお別れの辞を述べています。
送別会でハーンは「天皇のために死にたい」という生徒の願いを「気高い望み」としつつ、「日本では命を犠牲にするようなことは起こらないだろう」と信じる、そんなときは「国のために死ぬのではなく、国のために生きてほしい」と語っているのも興味深いです。
全体的に日本を高く評価しすぎではないか(ハーンさん盛りすぎではないか)、と思わないでもないですが、西洋人だからこそ見える日本の美しさ、日本人の精神性が記録されていて、これを現代の日本は失ってしまったんだろうか、忘れてしまったんだろかと考えさせられます。
(261ページ)
出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば、悔やんでも仕方のないことだ。
以下、引用。
7
ところが、日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであり、また日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。
8
さらに、西洋人のより広範な物の見方からすると、たとえどんなに東京などでは軽蔑されていようとも、もっとも大衆になじんだ迷信とは、希望や恐怖や善悪の体験、いうなら霊界の謎を解こうとする素朴な努力の、紙に書かれていない文学の断片として、珍重すべき価値があるのである。
これらを始めたとする数多くの美しい光景は、すべて迷信といわれている想念から生まれ出てくるものであり、その想念が「万物は一なり」という崇高な真理を、きわめて単純な形で繰り返し解いてきた賜物なのである。
9
「人間は、知識よりも幻想に頼る存在なのだ。思索する上で、たいがい批判的で破壊的な理性よりも、全体的にみて建設的な想像力の方が、われわれの幸福に貢献するのではないだろうか。人間が本当に困ったときには、気取った哲学理論よりも、粗野な人でも、危険時や困窮時に思わず胸に握りしめる粗末なお守りや、貧しい人の家にもご加護を注ぎ、守ってくれると信じられている御神像の絵の方が、実際に心を癒してくれるものである。」
レッキー
15
表意文字が日本人の脳に作り出す印象というのは、退屈な、ただの音声記号であるアルファベットの組み合わせが西洋人の脳に作り出す印象と、同じものではない。日本人にとって、文字とは、生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。そして、日本の通りの空間には、このように目に呼びかけ、人のように笑ったり、顔をしかめたりする、生きた文字が溢れている。
20
認めにくいことかもしれないが、もしかしたら読者が心底ほしいものは、店に置いてある商品ではなく、その店であり、店員であり、のれんも住人もひっくるめた、店々の並ぶ通りである。さらには、町全体であり、入江であり、それを取り巻く山々であり、雲ひとつない空にそびえる富士山の美しい白い頂ではなかろうか。実のところ、魅惑的な樹木、光り輝く大気、すべての都市、町、寺、そして、世界でもっとも愛らしい四千万人の国民も一緒に、日本全体をまるごと買ってしまいたいのだ。
80
実のところ、私も鶯には手が出せないでいた。わが家の可愛い愛鳥は、しばらく床に伏していた一外国人教師の無聊を慰めようと、出雲の知事の麗しき令嬢が気遣って送ってくれた贈り物であった。
107
日本で見る落日は、熱帯で見るそれとは違う。日本の陽光は夢のように穏やかで、その中にはどぎつい色彩は見られない。この東洋の自然の色には、強烈なものを感じさせるものがない。海を見ても、空を眺めても、色彩というより色合いとでも言ったらいいような、霞むようなほのかな淡い色調を感じるだけである。素晴らしい日本の染色を見ればわかるように、この民族の色彩や色合いに対する洗練された趣味には、けばけばしいものがなにもない。それは、この国の穏やかな自然が、落ちついた繊細な美しい色彩を帯びているところに、大きく由来しているからではなかろうか。
111
それにしても、どうして紙を水の流れの中に流すのだろうか。ある天台宗の立派な老僧から教わったところによると、もともとこの儀礼は、水に溺れた死者の霊を慰めるものであったようだ。しかし今では、このように心優しい人々が、地上の水はついには冥界へ流れ落ち、お地蔵様のいる賽の河原を流れてゆく、と信じるようになったからである。
112
川向こうの家では、部屋の中の照明が幅広い障子を柔らかな黄色に染め、その明るい紙のおもてに、すらりとした女の影がしとやかに動いている。私は心から、日本にはガラス窓が普及しないでほしいと願っている。そうなれば、このような美しい影を見ることができなくなるからである。
154
神道を単なる祖先崇拝だとする者もいれば、それに自然崇拝が結びついたものだとする者もいる。
ところが、神道の真髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きているのであり、未来永劫滅びることも、古びることもない、最高の信仰心の表れなのである。
風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂ともいえる強力な精神がこんこんと脈打っているのである。日本人の本能も活力も直観も、それと共にあるのである。したがって、神道をわかろうというのなら、その日本人の奥底に潜むその魂をこそ学ばなければならない。なにしろ日本人の美意識も、芸術の才も、剛勇の熱さも、忠誠の厚さも、信仰の感情も、すべてがその魂の中に代々受け継がれ、はてには無意識の本能の域にまで至っているのである。
自然や人生を楽しく謳歌するという点でいえば、日本人の魂は、不思議と古代ギリシャ人の精神によく似ていると思う。
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たしかに、いつまでも人の心をとらえて離さない印象とは、瞬間的なものなのかもしれない。人は時間よりも分単位、分よりも秒単位で憶えているものだ。一日まるごと記憶している者がどこにいよう。人生の中で記憶に残ると幸福な時間とは、そうした瞬間の集結したものだ。
人の微笑みほど、はかないものがあるだろうか。それでも、いったん消え去った微笑みの記憶は、いつ消えることがあろうか。あるいは、その記憶が呼び覚ます、あのやさしい愛惜の思いは、いったいいつになったら消え去ることがあろうか。
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ここであえて「外庭」と呼ぶのも、日本では大きな屋敷になると、一階と二階の間に「内庭」のある家があるからである。
もうひとつ、特に忘れてはならない大事なことは、日本庭園の美を理解するためには、石の美しさを理解しなければならないということだ。少なくとも、理解しようと努めなければならない。石といっても、人の手で切り出されたものではなく、自然の板並みで生まれた自然石のことである。石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。そうでないと、日本庭園の美しさの真髄が心に迫ってくることはないだろう。
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夏の日射しが奇妙な形をした灰色の石の上に照りつけ、長いこと愛され続けてきた木々の茂みの間から木漏れ陽をちらちらともらし続けている。そんな陽光の中にさえ、亡霊に愛撫されているような優しさが存在している。この庭はもうすべて過去の庭なのだ。そして、未来はこの庭をただ夢として認識することだろう。もはやどんな天才でも再現することのできない、忘れ去られた芸術の結晶として。
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出雲だけではない。日本国中から、昔ながらの安らぎと趣が消えてゆく運命(さだめ)のような気がする。ことのほか日本では、無常こそが物事の摂理とされ、変わりゆくものも、それを変わらしめたものも、変わる余地がない状態にまで変化し続けるのであろう。それを思えば、悔やんでも仕方のないことだ。とにかくこの庭の美しさを創り出した、今は失われてしまった芸術は、万物に慰めを与えている経文の一節、「草も木も、また岩も足も、まさに一切涅槃に入るべし」を奉じている宗教が生み出した芸術でもあったのである。
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子供たちはさっきから、日本の国家「君が代は」と、スコットランドの曲につけた日本の唱歌を二つ習っているのだが、そのうちのひとつ「蛍の光」は、こんな東洋の片隅にいる私の胸中に、数々の楽しい思い出を呼び起こしてくれた。その歌とは、〝Auld Long Syne〟であった。
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しかも、この名品は、たんなる生徒が教師に示す親愛や忠誠のしるしとしてだけではありません。皆さんの多くが、心からの願いとして天皇陛下のために死にたいと作文に書いた、あの美しい義務感の象徴でもあります。その願いは神聖なものです。皆さんが認識している以上に尊いものです。それは、これから年をとり、経験を積めば、きっとわかることでしょう。
現代は、急速に大きく変化を遂げています。これからの成長過程では、ご先祖の信じてきたことをすべて鵜呑みにするわけにはいかない、と思うことも多くなるでしょう。それでも、先祖の思い出を今なお尊重しているように、少なくとも祖先への信仰だけは忘れないでいてくれることを、心より信じています。ともかくあなた方の周辺で、どんなに新しい日本が変わろうとも、皆さんのものの考え方が時代とともにいかに移り変わろうとも、あなた方が聞かせてくれた、あの気高い望みだけは、どうぞ失わないで下さい。神棚に灯る小さな灯明のように、どうかその心の中にその明かりを、清らかに明々と灯し続けていただきたい。
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同じように気高く、市民生活の指針ともいえるその願いとは、国のために死ぬことではなくて、国のために生きることです。
Posted by ブクログ
・濃密でゆっくりと流れる日本の風景。令和のショートムービーや倍速再生の世界とは真逆の世界。でも、我々の深いところには今も息づいていると思っている。
・丁寧で簡潔な文章。久しぶりに相対することができて豊かな気分になった。
・「花と同じ名前の娘たち」いまも、そういう名前の子供もいるけど地面とのつながりが違うように感じる。草履越しか、スニーカー越しか。
・「イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、どれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか」
・「日本人の微笑」は、今では逆転しているように感じられた。気質や国が置かれている状況も逆転しているのだろうか。
Posted by ブクログ
ラフカディオ・ハーンが著した『知られぬ日本の面影』から、訳者が11遍のエッセイを選び再編集したもの。
日本に降り立ったその日の感動を、時に幻想的な表現を用いて綴った作品から始まり、日本人が普段気にとめない様な風景を慈しむ作品が収録されている。
松江から新天地の熊本へ出立する朝までの数日間を描いた『さようなら』と言うエッセイを読むと、いかにハーンが松江の人々と交流を深めていたのかが分かり優しい気持ちになれる。
キリスト教を嫌悪していたためか、西洋人に対する評価が辛口過ぎる気もするが、ハーンが愛した日本が本著の中には生き生きと存在している。
Posted by ブクログ
日本人には、もう見えない日本が、ここにありました。
ハーンは本当に日本が好きだったんだな、と思う。こんなに日本をベタボメしてくれるなんて。盆踊りや神社にワクワクしているハーンの、しかし冷静な観察眼を持っている彼の姿が目に浮かぶ。ここに描かれた日本が、もう絶滅寸前なことを寂しく思う。